第14話 笹鳴山の交番③


 田舎道を自転車で走るのは、初心者にはハードルが高い。

 舗装の割れ目やひびにハンドルをとられるし、もちろん歩道なんかない。ガードレールもほとんどない。路肩ですべろうものなら、田畑か用水路へ転げ落ちるはめになる。


 まっすぐ走るだけでもひと苦労のメイとしては、なるべく道の真ん中を走るしかなく、一度も車と出くわさなかったのはほんとうにありがたかった。


 ものも言わず(そんな余裕もなく)死に物狂いで自転車をこぐこと、およそ三十分。


「オバサン、あの家だ」


 メイのペースに合わせてゆったり自転車をこいでいた男の子が、メイには絶対できない離れ業、「片手放し」で行く手を指さした。しかしメイは、


(ムリ! 自転車こぎながらよそ見なんて絶対ムリ! 考えただけで転びそう……!)

 両手で力いっぱいブレーキをかけ、地面に足をつけてようやく、男の子の指さす家を見る。

「…………」


 秋の日射しを浴びてしん、と静まりかえっている目的の家は、思ったより普通だった。

 瓦葺き二階建ての、ありふれた日本家屋だ。

 それほど古くもない。


 生け垣はずっと散髪してない頭みたいだし、庭も菜園も草ぼうぼう、二階の窓までツタが覆ってしまっているが、門柱も立っている。庭を横切り母屋の玄関へつながる小道にはコンクリートが打ってあり、道路脇の納屋には乗用車が一台停まっていた。


(ええと……わたし今から……このお宅の玄関で、インターホンを押して……)


 ペット泥棒かもしれない人物と話さなければならないのだ! と再認識、メイは今さらながらこみあげるパニックに頭が真っ白になる。


「オバサン! こっちこっち」


 先に自転車を乗り捨てた男の子に身ぶりでせかされ、メイはのろのろと自転車を降りた。

 慣れない自転車こぎのせいだろう。地面に立つだけで身体がふわふわぐらぐらした。なんでもない動きでひざががくがくするし、ハンドルを握りしめすぎた手もかじかんだみたいにしびれていて、ヘルメットを脱ぐのにもたついてしまう。


(ダメ。もうムリ……)


 おなじみの弱気がこみあげ涙目になりかけて、メイは思わず、自分の頬を両手でたたいた。


(ムリじゃない! できる! ヘビのハナちゃんのため! あの子のため!)


 ぴしゃぴしゃと二三度、顔をたたいてちょっとさっぱりし、メイは、自転車を生け垣の陰に寄せて置いた。よし! と気合いもあらたに、見知らぬ家へ向かって歩き出す。

 と──ずっと黙って見ていた小さい破壊神が、顔の横から楽しげに言った。


「ひとりで行って来い」

「えっ」

「俺はここで見てる」


 敷地に入る前に方向を変え、道をはさんだ木の梢へ飛んで行ってしまった。

 しかもちょっと腹が立つほど機嫌良さそう。

 自分が必死でがんばってるからだ、とメイも理解はしていたが、本音を言えば、玄関にこそついて来てほしかった。


(でも……見ててくれるって言ってるし……それに今、わたしは〈守られる側〉じゃない)

 門柱のところで待っている男の子に、せいいっぱいの笑顔を向けた。

(わたしはこの子を、〈守る側〉なんだもの!)


 セーラー服の胸に〈おまわりさん〉と手書きされたビニール名札が、ちゃんとついていることを確かめる。

(これさえあれば、わたしもおまわりさん。おまわりさんに見える。絶対、見える。はず)


 心臓が口から飛び出しそうなほど緊張しながら、男の子を伴って、見知らぬ家の玄関に立ち、古いインターホンのボタンを、押す。

 壊れてたらどうしよう、と心配したけれど──


 ぴんぽーん。


 まのびしたチャイム音が、無事響いた。

 どきどきして待つ。しかし、家の中に動きはない。


(お留守? ……ううん、なんかこの家の人、居留守を使うって聞いたし……)


 さっき交番で聞いた話を思い出して、二度、三度とインターホンのボタンを押してみた。

 しかし、家の中は変わらず、静まりかえっている。


 制服のすそをひっぱられるのを感じてふり返ると、男の子がメイの後ろに隠れ、心細そうにメイの服をつかんでいた。目が合ったのでちょっとほほ笑み、安心してもらおうとする。

 そうして首を回したおかげて、それに気づいた。


(防犯……カメラ?)


 古い家なのに玄関先の高い位置に、真新しい機材が設置されている。

 古いインターホンには来客を写す機能はないから、代わりにつけたのかもしれない。泥棒が防犯カメラをつけるなんてちょっと笑えるけれど、それはともかく、


(カメラがあるってことは……こっちを見てるかもしれないよね?)


 メイはカメラのレンズを見あげ、とりあえず、にっこりした。

 ついでにポケットからいつも持ち歩いている警察手帳を取り出し、カメラにかざす。


「こんにちは、警察です。少しおたずねしたいことがあるのですが」


 反応なし。

 しかし今やメイは、家の中で誰かが息をひそめている気配をはっきり感じ取っていた。

 警察手帳をかかげたとたん、その「誰か」の感情が家の奥でわっ、と波立ったからだ。


 なのに出てこない。

 つまり、やましいことがあるということだ!


(でも……居留守を押し通されたら、警察だってムリに中に入ることはできないし……)


 なんとかして家に入りたい。

 口実を作って中をあちこち探し回りたい。そのためにはまず、応対してもらう必要がある。

 メイは、頭をしぼった。


(もし、もしもよ、この家の住人がほんとうに「めずらしいペット」専門の泥棒だったとして……婦警さんになんて言われたらドアを開けるかな? 話を聞こう、って思うかな?)


 ひとつ、アイデアがひらめいた。

 うまく行く自信はないし、演技力にはもっと自信がないが、やるしかない!


「あの、わたし、この近くの交番の者なのですが……」

 メイは棒読みで言い、来た方角へ向かってあいまいに手をふりながら、続けた。


「めずらしいヘビを拾ったという方が、交番に届けていらしたんです。でも交番で長くはおあずかりできなくて……野生のものではなさそうですし、できれば飼い主を見つけたいので、地域のお宅を順にまわっているところです。もし、お心当たりがありましたら……」


 家の中の気配が、ぐうっと前のめりに高まるのを感じて、とっさにひとりごと風に言った。

「うーん、留守かな。しかたない、他のお宅から先にまわって……」

 ばたん! と家の奥でドアの音がした。

(わ、釣れた……!)


 階段を降りてくるらしい物音に、やった! と思ったものの、ペット専門とはいえ泥棒が目の前に出て来るかと思うと、怖くてひざが細かく震え出す。


(だいじょうぶ、だいじょうぶ、わたしは婦警さん、ちゃんとしたおとなの婦警さん……!)


 しかし、ペット泥棒(の第一容疑者)は、なかなか玄関に出てこなかった。

「?」

 どうしたのかな? と思った矢先、玄関の古いインターホンがヅヅ、とランプを明滅させ、

『あー、すいません。ちょっと手がはなせなくて。ヘビ、ですって?』


インターホンから響いた男の声に、メイは固まってしまった。

 これは予想外だ!


(ど、どうしよう? 次はなんて言えば……)

『あれっ、聞こえてない? 接触悪いんかな……婦警さん? もしもーし』


 男が「婦警さん」と言ってくれたおかげで、メイはかろうじて平常心を取り戻した。

 話しながら考えればいいと腹を決め、今初めて、インターホンの声が聞こえた風を装う。


「あ! ご在宅だったんですね! 良かったです。実は……」

 作り話をくり返そうとしたのだが、男はせかせかとさえぎった。

『めずらしいヘビが交番に届けられたんですって? 助かりましたわ。それ、うちのです』


(あ……このひと、ほんとに泥棒だ)


 どんなヘビか聞きもしないで「うちのです」という時点で、黒も黒、真っ黒だ。

 メイの後ろの男の子もそう思ったらしい。メイのすそを握る手に、ぎゅっと力がこもる。

 ひと呼吸おいて、メイは慎重に、落ちついた口調で続けた。


「そうなんですか、それは良かったです」

『ご迷惑おかけしました。すぅぐ引き取りますよ。今、持って来てらっしゃる?』

「はい」


 こんなうそをついたことがないメイはもう、心臓がばくばくだ。

 今さらのように、借り物の自転車を生け垣の陰に置いて良かった! と思う。

 警察用のペイントのない普通の自転車では疑われたかもしれないし、なにより、荷物なんかなにも持っていないのがバレるところだった!


 口調だけは平静に、隠し事などなにもない人のように、続ける。

「交番に、ヘビだけ置いて出るわけにはいきませんから。またいなくなったら困りますし」

『ハハハ、そりゃそうだ』


「飼い主の方が見つかって助かりました! 実は、自転車で来たんです。届けてくださった方が箱に入れてくださったんですが……すみません、わたし、ヘビはちょっと苦手で……」


 言いながら、あれ? わたし、実はヘビってそんなに怖くないな……と気づいたメイは「ヘビを入れてある箱にさわるのも怖い!」という身ぶりをするために、ドロドロの悪霊が詰まった箱を想像した。うん。悪霊入りの箱はあんまり、さわりたくないかも。


 演技が効いたのかどうか、インターホンの向こうの男は、言った。

『あー、でしたら今、取りに行きますわ。ちょっと待ってください』


 ドアを開けたてする音、玄関のたたきでつっかけをひっかける足音がした。

 チェーンをはずす音(なんて防犯意識の高い泥棒だろう!)、カギを開ける音に続いて、

「どうも、婦警さん……」

 男がドアを開けた、瞬間、


「あ」


 メイの後ろから、男の子が無言で飛び出した、

「うわあっ!」

 不意を衝かれたのか、大仰に反応してのけぞる男の横を男の子は風のようにすり抜けた。

「ハナ! ハナ!」

 大事なヘビの名前を呼びながら、土足のまま家の中へ駆けこんでいく。


 ぽかんと見送ってしばし、メイはハッと我に返った。

(あ、これってもしかして、家にあがりこむチャンス?)

「す、すみません。今すぐ、捕まえますから……」

とふり向いたメイは、男が玄関にしりもちをついているのを見てびっくりする。


 大学生ぐらいの若い男だが、実は子どもが苦手なのか、玄関の薄暗さの中でも見てとれるほど真っ青だ。メイを指さし、恐怖に声を震わせて、

「と……とっ……とんでもねえもん、家に入れやがって……」

「あの、だいじょうぶですか?」


 つい本気で心配しはじめるメイに、男は悲鳴混じりに訴えた。

「とっととあれを連れ出してくれっ! 早くっ!」

「はい。喜んで」


 喜んで、は余計だったかもしれないが、とにかく家の住人の許可はもらった!

 メイは急いで靴をぬぎ、スリッパは見当たらなかったので靴下はだしで玄関にあがった。

「おじゃまします……」


 男の子の「ハナ! ハナよう」と呼ぶ声をたよりに、小走りに廊下をたどる。

 ほこりまみれの廊下は足跡だらけだったが、男の子の小さな足跡はくっきりと見分けやすかった。まっすぐあとを追い、ふすまを開け放った和室に入る。

「!」


 十畳以上ある広い和室には、家具らしいものはなにもなかった。

 代わりに、いたるところに箱が積まれている。

 箱と言っても段ボール箱ではない。白木の箱もあれば、漆塗りの箱もあるが、どれも、奇妙な文字を書いた札のようなもので封をしてある。


 男の子はぺたんと畳にすわりこみ、箱のひとつを抱えてうなだれていた。

「ハナ……ハナ……」

 身体を揺すりながら力なくくり返す小さな後ろ姿を見た瞬間、メイの理性は消し飛んだ。


 男の子がどうやって、このたくさんの箱の中から自分のヘビが入っている箱を見分けたのか、とか、そもそもこの箱はなんなのか、とか、なにもかもどうでも良くなった。

 心の奥底から、自分の中にそんなものがあるとは思いもしなかったほど、激しい怒りがふつふつとあふれてきて──


「は、早くそいつを、家から出して……」


 よろよろとあとを追って部屋に入ってきた男は、ふり向いたメイと目が合ったとたん、息をのんで凍りついた。しかしメイは、男が怯えていることにさえ気づかず、たずねた。


「これは、どういうことですか」


 男は、なにも答えられなかった。

 部屋中の箱が突然、白木の箱も漆塗りの箱も、小箱も大箱もいっせいにカタカタと鳴り、置き場所からずれていくほど激しくがたつき、震え始めたからだ。


 男の子が抱いていた箱も手の中で踊り出し、男の子は驚いたようにメイをふり返る。

「オバサン……?」

 頬に涙のあとがあった。箱をこじ開けようと、がんばった形跡もあった。

(手では開けられないの? じゃあ、どうしたら……)


「開け、と言え」

 耳もとで、スサノオの声がした。


 メイは仰天してあたりを見回したが、小さな破壊神の気配は家の外から動いていない。

 念を飛ばしているらしいが、まるで本人がそこにいるのと同じぐらい自然に聞こえる。

 驚くメイに破壊神は、愉快そうにくり返した。


「開け、と言え。ありったけの怒りをこめてみろ」

 メイは、ためらわなかった。

 この場のすべてに対する憤り、怒りをこめて、言った。


「開け」


 ごく普通の声量で言ったのになぜか窓ガラスが、びぃん、と、共鳴したみたいに震えた。

 次の瞬間、


「!」


 ぱん! という軽い破裂音とともに、部屋中の箱全部が、はじけるように開いた。

 箱に封をしていた紙きれはちぎれ飛び、宙に飛んだ切れ端は燃えあがり、たちまち灰になった。ふたがなくなった箱から次々に、小さな生き物が飛び出してくる。


カエル。トカゲ。カブトムシ。丸々と太った野ネズミ。きらめく蝶。それから……


「ハナ!」


 男の子の歓声にふり返ると、真っ白な小ヘビがするすると、男の子の出した手をはいあがっていくところだった。

「ハナ! やった! やった!」


 大喜びでばんざいする男の子の手から腕、肩へとはいあがっていくにつれ、白い小ヘビがなぜだかどんどん長く、太くなっていく。


「えっ……?」


ぽかんと見守るメイの前で、真っ白な小ヘビの頭からきらりと真珠色の角が生えた。小鳥のように可愛い小さな前足が出、後ろ足も出る。


 龍だ。


 小さく愛らしいけれど本物の龍を身体にまといつかせた男の子は、満足そうにふり向いた。

 相変わらず茫洋とした、とらえどころのない表情のまま、そっと打ち明ける。


「ハナのほんとの名前は、花疾風はなはやてっていうんだ」

「すてきなお名前ですね」

「助けてくれて、ありがとな」

「ど……どういたしまして」


「礼やる。おれんち、来いよ」

「いえ、それは……お気持ちだけでじゅうぶんです。お役に立てて良かったです」


 メイの心からの笑顔を見あげて男の子は小さく首をかしげたが、無言できびすを返した。

 和室から荒れ放題の庭へ向かう男の子のまわりで、箱から出た小動物たちが次々化けて大きくなり、かいがいしくふすまを開け、縁側の外のガラス戸も開け放つ。


(あれ……?)


 男の子が畳を一歩進むたび、ひとまわり大きくなるように見えた。

 丈も幅も、一歩ごとにぐん、ぐん、とふくれあがっていく。

 鴨居に達した時にはもう、頭をかがめなければくぐれないほど大きくなっていた。


 縁側を踏むとさらに大きくなり、庭に降りるともっと──

 もう、輪郭も色もよくわからなかった。


 白くきらめく龍を飾りのようにまといつかせた半透明の巨人は、草一本踏みしだくことなく、しかしゆったりと鷹揚に歩を進め──


 遠ざかるにつれてさらに大きく、


 ありえないほど大きく、


 山より巨大になって空をも覆いつくし──


「アホウ、見あげるな。魂を抜かれるぞ」

 耳もとにスサノオの声を聞いてハッと我に返り、メイはあわてて目を伏せる。


 雲つくような半透明の人影はぐわらぐわらと、遠雷めいた笑い声を轟かせて──


「…………」


 しばらくして目をあげると、そこにはただ、のどかな昼の空が広がっているだけだった。


        ◆


 妖怪たちはしばしば、零課が取り締まるのは妖怪だけだとかんちがいしているが、人間にも守るべきルールはある。たとえば小妖怪を許可なく捕獲するのも、捕まえた妖怪を式神として販売するのも出雲法違反だ。


 メイは今日初めて、触法霊能者を現行犯逮捕したことになる。しかし──

「確かにそういう決まりですけど、氏名住所名乗らせて零課に通報して、直接対面で規定の警告文を読み聞かせて、それでおしまい! なんて……」


 交番への帰り道、自転車をこぎながら、メイはまだ、腹立ちがおさまらなかった。

「あれじゃ、甘すぎるんじゃないでしょうか。犯罪者って、警告されたぐらいでやめますか」

「じゃあ、首をはねとくか」

 上機嫌の小さな破壊神がとんでもないことを言うので、メイはあわてた。


「いえ、死刑になるほどの罪じゃないとは思いますけど、んー、たとえば罰金でもいいですけど、きちんと、わかりやすい罰則があった方がいいんじゃないかと……」

「罰ならもう与えたろ」

「? 零課に通報して、警告文読んだだけですけど」


「おまえが、目の前で読んだんだぞ」

「?」

「なんだ、気づいてないのか。おまえ、祭文であいつのなけなしの霊力を消し飛ばしてたぞ」

「え……?」


「あいつはもう一生、術のまねごとさえできんだろう。見えるだけだ。今までたっぷり恨みを買ってるだろうから、仕返しにおびえてすごすことになる。因果応報ってやつだな」

「えっ、え……そ、それも零課としては困ると言うか……」


「なんだ、困るのか」

「だ、だって、仕返しされてる! って訴えられたら取り締まりに行かないと……」

「心配するな。霊力はがされたあとのあるやつに、わざわざ祟る物好きもいねえさ」


 つまらん、祟ってやればいいのに、と言わんばかりの破壊神にメイは苦笑いするしかない。

(でも……そっか。あのひと二度と、悪いことできないんだ! 良かった……!)

 自分が相手の霊力を「消し飛ばした」なんて信じられないけれど、とりあえずホッとする。


 風が、心地良かった。

 自転車にも少し慣れてきて、来た時より風景や会話に注意を向けられる。楽しい。

 ふと思い出して、


「そういえばあの子の自転車、なくなってましたね」

「それがどうした」

「持って帰ったのかなあ、って」


 きこきこと子ども用自転車をこぐ男の子の後ろ姿を思い出し、可愛かったなあ、とメイはほんわかした気分にひたる。しかし、小さな破壊神は真顔になった。

「少しは警戒しろ」

「えっ?」


「おまえも持って帰られるところだったんだぞ」

 苦々しそうに言うスサノオに、メイはおずおずと反論をこころみる。

「でもその……悪意は感じなかったし」

「悪意なんざないからな」

「?」


「あいつはおまえが気に入ったから、魂を桃源郷に招こうとしただけだ」

「桃源郷……!」

 それならちょっとだけ、お呼ばれされてみても良かったかも? などと思ってしまうメイを見透かしたように、スサノオはひややかに続けた。


「異界は時の流れがちがう。半日すごしただけで、戻った時にはもう来年の夏だ。あるいは三年後、百年後かもな」

「ひ、百年……!」


 浦島太郎みたいだ。


「百年たてば戻っても、おまえの身体はもう朽ちて残っていないだろう。それでもいいのか」

「よ……良くありません!」

 ようやく青ざめるメイに、小さな破壊神はやっとわかったかよ、と言いたげに鼻を鳴らす。


 不機嫌そうにつけ加えた。

「なによりおまえは俺のものなんだ。よそのやつにほいほいついて行くな」

「はい。すみません……」

 などとやっているうちに、交番が見えてきた。


「あれっ、車、なくなっちゃってる。もうお昼だから、帰っちゃったのかな」

 交番の前で自転車を降り、あわてて建物の裏表、全部を確かめる。


 誰もいなかった。

 太めのおばあさんも、きのこ採りのおばさんも、軽ワゴンに乗ってきた小柄なおじいさんはもちろん、メイに自転車とヘルメットを貸してくれたのっぽのおじいさんもいない。


「どうしよう! ヘルメットと自転車、お返ししなくちゃいけないのに」

「ここに置いときゃ、そのうち取りに来るだろ」

「そうかもしれないけど……」

 事ここにいたってもまだ、メイは四人の「お客」が人間ではない、とは確信しきれず、


(のっぽのおじいさんはどうやってうちに帰ったんだろう? 将棋友だちのおじいさんに、車で送ってもらったのかな……)

 しなくていいかもしれない心配をしているうちに、おなかがぐう、と鳴った。


 スマホで時計を確かめると、お昼をだいぶすぎている。

 往復一時間自転車をこいで、のどもからからだった。

(お弁当食べよう! 麦茶……は、あげちゃったからお水でいいや)


 いそいそと裏の水道で紙コップに水をくみ、いざ、カバンに入れてきたお弁当を出す。

「?」

 妙に軽かった。

 お弁当箱を包んできたお気に入りの大判ハンカチをほどき、おそるおそる、ふたを開ける。


「うそ……!」


 からっぽだった。

 ラップでくるんだままぎゅうぎゅう詰めたおにぎりも、卵焼きも煮染めも、影も形もない。

 お弁当箱は最初からなにも入っていなかったかのようにぴかぴかで、ためしに指でなぞってみたが、プチトマトの水滴さえ残っていなかった。

 なのにハンカチの結び目は、朝、メイが結んだそのままの形。


 どうやら「もののけさん」は器用にも、お弁当箱を開けずに、中身だけ失敬したらしい。

「そ……そんなあ……」


 へなへなと椅子にへたりこむメイに、小さな破壊神がおもしろくもなさそうにうなった。

「おい」

「は……はい?」

「そこの隅を見てみろ」


 言われるままに壁の、作りつけベンチを見たメイは、目をぱちくりした。

 昔話から抜け出したような笹の葉包みが、ちょこんと置いてある。

 わきに立ててある竹筒は、水筒らしい。


 ありがたい。うれしい。のどから手が出るほど食べたかったけれど、いちおう確認。

「た……食べてもだいじょうぶでしょうか」

「害のある術はかかってない。おまえのメシを食っちまったわびだしな」


スサノオがつまらなさそうに請け合ってくれたので、メイは笹の葉包みを手に取った。

 なんと、まだ温かい。竹筒の水筒と一緒にいそいそと机に運び、包みを開く。


「わあ」


ほかほかのおにぎりが二個、出てきた。メイの作ったものよりずっと上手に握られていて、海苔も巻いてあるし、ちょっぴりだがお漬物も添えてある。

 メイは感動して思わず手を合わせ、


「ありがとうございます、いただきます」

 うやうやしくひとかじり。あまりのおいしさに「おいひー」と歓声をあげる。


 竹筒水筒の中身はただの水だったが、どこかの湧き水なのか、びっくりするほどおいしかった。「きゃあ」とか「わあ」とか嘆声をもらしながらがつがつごくごく、あっという間に半分ほど食べ進む。そこでやっと、小さな破壊神の不機嫌そうな沈黙に気づいた。


「あ、ひとりで食べちゃってすみません。スサノオもいりますか?」

「いらん。おまえがもらったものはおまえが食え」

 ふいと交番の建物から出て行ってしまい、そのあと午後じゅう、小さな破壊神は建物の屋根から降りてこなかった。


 不機嫌の理由がよくわからなかったので、メイはとりあえず、

(今度から遠出する時には、スサノオ用のお弁当……お供えも用意して来よう!)

 と心に決める。


 夢のようにおいしいもののけ印のお弁当には、人を元気にする術がかかっていたらしい。

 午前中の疲れは(全身の筋肉痛まで)食べ終わるまでにきれいに消し飛んで、ひと晩ぐっすり寝た直後のように気分爽快になっていた。

 しかし午後はもう、誰もやって来ないまま、ゆっくりと時はすぎ──


「一日、ご苦労さまでしたー」


 交番の「いつもの人」は約束よりだいぶ早く、まだ明るいうちに原付で戻ってきた。

「どうでした。なにかありましたか」

「はい。けっこういろいろ……」


 出迎えたメイは、〈おまわりさん〉のビニール名札をはずし、おじいさんに返しながら、

「ここ、ひまだなんておっしゃってましたけど、けっこうお客さんいらっしゃいましたよ」

「ハハァ、そうですか」

「それとみなさん、口をそろえて『いつもの人は?』ってきくんですよ」

「ほうほう」


「大根のおすそわけを持ってらした方に、将棋の相手をしてもらいに来た方に……」

 指折り数えながら全部報告し、メイは尊敬のまなざしでしめくくる。

「おじさん、地元のみなさんにすごくたよりにされてらっしゃるんですね! 感動しました」


 おじいさんはなにも答えず、メイから受け取ったビニール名札を、丁寧に自分の服に留めつけた。たちどころに、制服制帽姿の、きりりとしたおまわりさんに変身する。

 自分も「化けて」いたはずなのに、目の前で変身を見せられるとつい拍手したくなってしまうメイに、おじいさん……にはもう見えない〈おまわりさん〉はにこっとした。


「あのね」

「はい?」

「そのひとたちが言ってた『いつもの人』は自分じゃないですよ」


 と言いつつ、おじいさんは若いおまわりさんに「化け」慣れている様子で、ビニール名札をつけて「化け」たとたん、口調も少し若々しく、なまりも薄くなる。


 そんなメイの考えを察したのか、〈おまわりさん〉は照れたように制帽の頭に手をやった。

「ええと、一年を通してふだんこの交番にいるのは自分か、交代の非常勤の者ですけども」

「? なのに『いつもの人』ではない……んですか?」


 深く、二度、〈おまわりさん〉はうなずいた。


「今日はねえ、このあたりの大もののけさんがたの、二年に一度の寄り合いの日なんです」

「えっ……!」

 初耳だ。

 びっくりしすぎて二の句が継げないメイに、〈おまわりさん〉はすまなさそうに続けた。


「ふだんなら、見えるだけの自分らでもつとまりますけど、大もののけさんがたの寄り合いの日だけはね、もうずうっと昔から、零課の方に来ていただくことになってまして」


「し……知りませんでした! あの、さ、先に教えてくださってれば……」

 心の準備ぐらいできたのに、と言いかけるメイに〈おまわりさん〉は首をふる。


「ここに初めていらっしゃる方には、事情をお教えしない決まりでして」

「えー、そんなぁ! どうして……」

「そりゃもちろん、大もののけさんがたが、新しい人の人となりを見るため、ですよ」

「あ……」


 なるほど、と思うメイの肩を〈おまわりさん〉はねぎらうようにぽんとたたいた。

「神納さんは、みなさんのおめがねにかなったようで、なによりです」

「ならいいんですけど……よそもの嫌いっぽい方もいらっしゃって……」

「でも、きっちり居座って行かれたんでしょう? お気に召した証拠ですよ」


 言われてみればそのとおりかも、と思えてきて、メイはほんのりうれしくなる。

 帰り支度を終えても、まだ明るかった。

 これなら日が沈む前にバス停まで歩けそうだ。借り物の自転車とヘルメットを「お返ししておいてください」とお願いし、挨拶して交番から出る。


 メイはそこではたと足を止め、ふり返った。ためらいがちに、

「あの……」

 机に書類を広げかけていた〈おまわりさん〉が顔をあげる。

「はい?」


「もののけさんたちが言う『いつもの人』って……すごく、もののけさんたちに好かれて……というか、信頼されてる感じだったんですけど……」


「あ、わかります。あの方が来るとしばらく、もののけさんたちがうわさしてるんで」

「うわさするんですか!」

「します、します。そゃもう、楽しそうにねえ」


 それって零課の誰だろう、会ってみたい、と思っているのが顔に出たのだろう。

〈おまわりさん〉は楽しそうに続けた。


「神納さんも零課なんだからどっかで会ってるんじゃありませんか。若くてちょっとぼーっとした感じの……んー、なんていったかな、オオヤ君……じゃない、そうそう、オオヤノ君!」

「大矢野課長!?」


 びっくりしすぎて二の句が継げないメイの前で、〈おまわりさん〉の方も驚いたようにまばたきした。

「えっ、オオヤノ君、課長に昇進されたんですか? お若いのに、たいしたもんだぁ」

「それはもう課長は、ほんっとうにすごい方ですから!」


 ガラにもなく力説するメイに〈おまわりさん〉は笑って、しかし不思議そうにつけ加える。

「え、じゃあ、前の課長さんはお辞めになったんですか? 早いなあ! まだまだ定年って歳じゃあなかったと思うんだが……」

「すみません、その方のことは知りません……」


「あ、そうそう、その先代の課長さん! その方が昔、まだ新人さんのころ、こちらの交番の当番をいっぺんだけなさってね、そん時に、ほらこの」


 と、今はメイの目には見えなくなっているビニール名札を、つまむ仕草をした。

「この名札を、もののけさんと協力して作ったんですと! 楽しい方だよねえ。いや、自分はそのころはここにはいなかったんで、オオヤノ君から聞いた話ですけども」


        ◆


 メイはバス停まで歩く道すがら、なんだかずっと胸がいっぱいだった。


(びっくりした! 大矢野課長が、この交番の担当をしてらしたなんて……!)


 大矢野課長の、さらに先代の課長さんが、妖怪と協力してあの〈おまわりさん〉に化けるための名札を作った、というのも意外で……。

 でも、なんだかとても、ほんとうにとても、うれしく感じられた。


 バス停でバスを待ちながら、メイはふと、つぶやく。

「今日のお仕事……」

「なんだ」

 まったく興味なさそうにきき返す小さな破壊神に、胸の内を打ち明ける。


「今までの零課のお仕事でいちばん、うれしいお仕事だった気がします」

「ふうん」

「わたし……わたし……もっと、妖怪さんのお役に立ちたいかも」

「いまだに人間と妖怪の見分けもつかねえくせにか」

「あう」


 ローカルバスは、時刻表どおりにやってきた。

 客もまばらな車内に乗りこみ最後尾の、少し高くなった窓際の席にすわる。

 バスはのんびり、走り出した。


「スサノオ、あの……今日もありがとうございました」

「まあ……今日のおまえは、少しはマシだった」

「もっと強くなりますね」

「当然だ。さっさとなれ」


 山の端に沈みかかった夕日のまばゆさに、メイは思わず目を細める。


 西の空に一瞬、半透明の巨人がたたずみ、ゆうらりと、大きな手をふったように見えた。


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