第13話 笹鳴き山の交番②
「ええと……おまわりさんらしく立ってた方がいいですかね。それとも……」
「好きにすればいいだろ」
小さな破壊神は交番内外をひととおりひやかしてまわったが、興味をひかれるものはなかったらしい。天井近くの空中に、ごろりと横になった。
「俺は寝る。必要なら起こせ」
「あ、はい。おやすみなさい」
言いながら、
(いいなあ、なんにもない空中でお昼寝できるなんて、いつ見てもうらやましい……)
思わず
万一にも遅刻しないよう、今朝はまだ暗い時間に早起きたし、ここまで緊張の連続だった。
おかげで、まだ九時にもなっていないのにもうくたくただ。
「…………」
折りたたみ椅子にすわることにした。
座面がゆがんでいてぐらつくけれど、いちおうすわれる。
ものすごく、手持ち無沙汰だった。
まさか「交番をあずかる」仕事がこんなにヒマだとは!
(たいてい誰も来ないなんて……先に教えてくれてれば宿題……持ってきたのに)
とはいえ、いくらヒマでも仕事中だ。
スマホについているゲームをやる気にもなれず、メイはため息をついた。
小さな木の机に置かれた卓上カレンダーを、ぱらぱらとめくってみる。
今日の日付に、赤で丸がしてあった。他にはなにも書きこみはない。
持参のスポーツバッグから、水筒を出して机に置いた。
熱い麦茶をふたにそそぎ、立ちのぼる湯気をながめて少し、冷めるのを待つ。
「…………」
静かな場所だった。
林の梢を風が揺らすたび、さやさやと平和な音がする。
日が高くなるにつれ、建物の日当たりが良くなってきた。
到着してすぐは肌寒いぐらいだったのに、だんだんぽかぽかと暖まってきてついこっくり、船をこいでしまいかける。
「!」
メイはあわてて、椅子から立ちあがった。
(し、しっかりしなきゃ! いくらヒマでも交番のおまわりさんが居眠りなんて……最悪!)
眠気と退屈をまぎらわすべく立ったりすわったり、意味もなく交番の前の道路を行ったり来たりする。
建物の裏ものぞいてみた。掃除道具と水道を見つけたので、よけいなことかも、と思いながら建物の中も外も、手の届くかぎりの場所を掃除した。
窓のアクリル板も傷をつけないようやさしくふきあげ、ぞうきんをきれいに洗って干す。
することがなくなってしまった。
(ちょっと早いけどお弁当、食べちゃおうかな……)
このあたりはコンビニがない、ということだったので用意してきたのである。
日曜だし、最近仕事を再開して疲れている母にたのむのは気がひけて、恥ずかしながら初めて、自分で作った。
真っ暗な中、そうっと起きだし、寝る前にタイマーでしかけた炊きたてご飯を、ラップでくるんでおにぎりにした。ちょっと焦げてしまったけれど、卵焼きも焼いた。昨日の夕飯の残りの煮染めとおひたし、プチトマトも詰めてある。不格好だが力作だ。
うん、食べちゃおう! という気になりかけた時、
「あ」
がたごとと、車の音が近づいてきた。
細い道のカーブを曲がってあらわれたのは、軽トラック。
メイはあわてて交番の入り口に立ったものの、てっきり通りすぎるものと思っていたら、
「あんれまあ! いつもの人はどーしたの」
軽トラックはブレーキの音も甲高く急停止。運転席からおばさんが顔をのぞかせた。
小花柄の日よけ帽をかぶり、かっぽう着にアームカバー。いかにも地元の農家の人だ。
(でもでもっ、そう見せかけて実はオバケ……もののけさんかも! ここには人間はほとんど来ないって、さっきの〈おまわりさん〉も言ってたし……)
とは思うものの、いくら見ても人間か、そうでないか、さっぱりだ。
(そもそも妖怪が軽トラに乗ってあらわれるなんてさすがに……ありえないよね……?)
「あんた、口きけねえだか」
けげんそうに言われてやっと、メイはまだ返事をしていないことに気づき、あせった。
「いえ、し、失礼しました! あの、その……わ、わたしここは、は、初めてで……」
「そりゃあ、見りゃわかるがね」
だっはっは、とおばさんは豪快に笑い、ついでに車のハンドルを平手でたたく。
「んで、いつもの人は?」
「は、はい、今日は夕方まで不在です。ですのでわたしが、代わりに……」
「でぇこん、たくさんとれたから、おすそわけ、やりに来たんだけど」
「でぇ……こん……?」
「後ろ、後ろ」
と身ぶりされて軽トラの荷台を見ると、大きな葉茎がついたままの立派な土つき大根が、何十本も積まれている。つまり、大根をおすそわけしに来たということ。
理解するなり、メイはあわてた。
「す、すみませんが、いただけません! お気持ちだけで……」
「あんで。もらってよ。たかがでぇこん」
「け、警察官は、市民のみなさんから金品をいただけない決まりなんです! すみません」
零課の研修で、真っ先に習ったことのひとつだ。おぼえていて良かった! とホッとするメイをよそに、おばさんは不服そうに口をとがらせた。
「いつもの人は、もらってくれっけど」
「でもわたしはいただけませんし、おあずかりするのもちょっと……申し訳ありません」
さっきのおじさんの(そういえば名前も聞いてない!)電話番号をもらっておくんだった!
と後悔したが、今さらどうしようもない。平身低頭で固辞するメイに、
「お堅いおねえちゃんだねえ」
なまりの強いおばさんはむすっ、と黙りこむ。そこへ、
「おー! タキちゃんでねぇの」
きこきこと自転車をこいで、ひょろっと背の高いおじいさんがあらわれた。
袖なしの綿入れをはおり、足もとは靴下につっかけ。いかにもちょっと近所に出てきただけ、という身なりだが、真新しい自転車用ヘルメットだけはきちんとかぶっている。
軽トラの鼻先で、おっとっと、とあぶなっかしく自転車から降りた。
「タキちゃーん、いっつも言ってるやん。道の真ん中に車、停めんなや」
「真ん中じゃねえべ。アンタがよけたらええだろが」
「おっ、でぇこん」
「ようけとれてよ。けど、このおねえちゃん、決まりがどーとかゆってもらってくれんでよ。いつもの人ならさぁ」
「うちにおくれよ」
「ええの? んなら、どかっと届けとくわ」
「そりゃ助かる。どうもね」
「なんのこちらこそー。奥さんによろしくなー」
大根の片づき先が決まったおばさんは、機嫌良く軽トラで走り去る。
見送って、のっぽのおじいさんはメイを見た。
自転車用ヘルメットをかぶった頭に手をやり、愛想良く小腰をかがめる。
「すいませんねえ、婦警さん。いきなりあんな、大根持って来られても困りますよねえ」
「あ、い、いえ……」
メイは、おじいさんが地元民同士でしゃべる時よりずっと、標準語寄りの発音で話してくれているのに気づいて、ちょっとホッとする。だが、それはともかく……
このおじいさんも、人間なのかオバケなのか、さっぱり見分けがつかなかった。
(人間だと思えば人間に見えるし、オバケだと思えばオバケっぽくもあるし……ううーん。そもそもこのおじいさん、交番になんの用で来たのかな???)
なんのご用ですか、とも言いにくく、メイはひたすらにこにこ、沈黙を守る。
のっぽのおじいさんは気にせず、自転車を交番の軒下に置くついでに、中をのぞいた。
「いつもの人……がいないってことは、今日は婦警さんが代わりなんですか」
「あ、はい。夕方まで」
「んー、どーすっかなあ」
「?」
「婦警さん、将棋、指せますか」
駒を指にはさんで打つ仕草をしながらきく。
「あ、す、すみません、こ、駒の名前も……知りません! ごめんなさい」
「碁は」
「さっぱりです……」
「残念! いつもの人と、ひと勝負するのが楽しみだったんだけどなあ」
じゃ、よそを当たります、おじゃましましたー、と手をふって、人当たりのいいおじいさんは自転車にまたがると、のんびりとこいで去った。
人かオバケかは不明だが、これで訪問者はすでに二名。
(ということは、きっとこれで、一日分のイベントは終わりよね!)
ホッとしたような、さみしいような気持ちになった時、
「あ」
道の曲がり角に、新たな人影があらわれた。
かなり太めのおばあさんで、ワンピースに麦わら帽をかぶり、杖をついている。
ふうふう息を切らしていた。あぶなっかしい足取りだが、一歩一歩、わき目もふらず歩く顔つきは真剣そのもの。お医者に指導されてがんばって歩いている、という感じだ。
はらはらしながら見守っていると、交番の前あたりで立ち止まった。ひと息入れ汗をふき、疲れたのか、そのまま道ばたの石に腰をおろそうとする。
メイは思わず、
「あの! 車も通りますし、そんなところにすわるとあぶないですよ! 良かったらどうぞこちらに……中に入ってお休みください」
「おや」
太めのおばあさんは、初めてメイの存在に気づいたみたいにまばたきした。
汚いものでも見るみたいに顔をしかめ、無遠慮にじろじろとメイを見る。
「なに、アナタ。いつもの人は?」
「すみません、あいにく不在ですので、わたしが代わりに……」
答えながら、メイはちょっと、びっくりしていた。
交番で〈おまわりさん〉役をこなしていたおじいさん、「たいてい誰も来ない」とメイに教えてくれた「いつもの人」は、どうやらひそかな地元の人気者のようだ。
(みなさん、すごくたよりにしてらっしゃる感じでしたよ! って、あとで報告しなくちゃ)
などと考えるメイをよそに、太ったおばあさんは不信感丸出しで二重あごをつきだした。
「今どきの警察は、あんたみたいなオンナノコでもつとまるのかえ」
「あ、その……実はわたしも毎日、ちゃんとできてるかな、って心配してて……」
「ハッ、できるもんかい。オトコのまねごとなんかよして、さっさと嫁にお行き」
嫌みたらたらのおばあさんをなんとかなだめて交番に導き、折りたたみ椅子をすすめる。
おばあさんが腰をおろすと、椅子がぎしっ、と派手にきしみ、座面がたわんだ。
見かけ以上に体重があるようだ。
杖を置き「やれやれ」とまた汗をふくおばあさんに、メイは、さっき掃除していた時見つけた紙コップのストックを開け、持参の麦茶をそそいで出した。
おばあさんは礼も言わずに受け取ると熱々のお茶を一気に飲み干した。メイは目をみはり、
(水筒、大きい方持ってきて良かった!)
いそいそとおかわりをそそぐ。そこへ、
「あんれ、ご隠居さん! 交番なんかでなにしてるんスか。ドロボーにでも入られました?」
ワラで編んだ背負いかごをしょった、若い……といっても三十代ぐらいだろうか?……女性が、向かいの雑木林からがさがさとやぶをかきわけ、あらわれた。
「なんがドロボーね。散歩してたっけ、この都会くせぇ娘が休んでけってゆーから」
地元民同士になると、おばあさんの口調がたちまち、ものすごくなまる。
手ぬぐいをあねさんかぶりにした女性は、恐縮したようにメイに頭をさげた。
「すんません婦警さん、お世話様です。田舎の年寄りってのは、礼儀ってもんを知らねくて」
「生意気言うでね。よそもんのくせに」
「わたしは二代目です。いいかげんよそもんよそもん言うの、よしてくださいよう」
「三代住まなきゃ土地のもんとは言えねえ」
「えー」
メイだけでなく、「若い者」や「よそもの」にも当たりのきついおばあさんらしい。
しかし女性はめげず、
「きのこ、たくさんとれたんで、あとでお宅にお届けにあがってもいいですか」
「クズはいらんで、ええとこよこしな。量はいらん」
「わかりました。よりぬきを、ちょびっとね」
イヤな顔ひとつしないで楽しそうに言うのを見て、メイはちょっと尊敬してしまう。
そこへ、車の音が近づいてきた。
まさかさっきの大根おばさん? とのぞくと、今度は屋根にはしごを載せた軽ワゴン車。
運転席の、真っ黒に日焼けした小柄なおじいさんは、メイを見るなり歓声をあげた。
「おーっ、ほんとじゃ! 婦警さんじゃ! 婦警さんがおるっ」
で、二言目にはやっぱり、
「いつもの人はどうしたい?」
「いねえんだ。この娘っ子が代わりだと」
「べっぴんさんだの」
「むじっけー」
「んにゃ、たよりねえ」
メイにはもう、なにを言ってるかわからない言葉でわあわあ盛りあがる。
そうこうするうちにあとから来た人も、荷物は軒下に置き、車は道ばたに停めて、ひとりまたひとりと交番にあがりこみ、壁に作りつけのベンチに腰を落ち着けてしまった。
と言って、追い出すほどのこともなく、メイは、おばあさんに要求されて麦茶のおかわりをあげたついでに、他の人にも紙コップで麦茶を配る。
「あ、これは恐縮です」
「気がきくのぉ!」
そこへ、さっき去ったばかりののっぽのおじいさんが自転車できこきこ戻ってきた。
「シンちゃん!」
と呼ばれて、ふり向いたのは色黒小柄なおじいさん。
のっぽさんは降りた自転車をよいしょ、よいしょと軒下に寄せながら、
「オマエんち行ったら、こっち来たって言うからよ。ムダ足しちまったじゃねーか」
「そら、ごしゅーしょーさま」
「交番あがりこんでなんの相談じゃ」
「決まってっだろ。婦警さん来たっつーから、見に来ただけよ」
んで、なんの用よ? 将棋の相手してくれねえかと思ってサ、じゃ、せっかくだからここで一局──と、作りつけのベンチにポケットサイズの将棋盤を広げ、勝負を始めてしまった。
今や、交番のささやかなスペースはちん入者に占領されてしまい、メイはなんとなく追い出された形で、軒下に立って道をながめている始末。
(これってなんか……もののけさんっぽい流れかも……?)
思いながら、ちらっと窓から中を確かめる。
天井近くに浮かぶ小さな破壊神は、騒がしい客とは無関係に、気分良さそうに眠っていた。
(うーん、お客さんの方も誰も、スサノオのこと気にしてないし……やっぱり普通の人??)
「婦警さぁーん、麦茶、おかわりぃ」
図々しいけど憎めないお客に呼ばれて中へ戻り、メイは「これでおしまいですけど」と、ありったけの麦茶を全員の紙コップに注ぎ分ける。
それぞれ、その人なりに喜んでくれるのを見て、なんだかもう、人でもオバケでもどっちでもいいかな、という気持ちになった時、
「あれっ、いつものおっちゃんは?」
外から声をかけてきたのは、小学校低学年の男の子だった。
◆
背丈はメイの半分ほどで、色白のぽっちゃりさん。大きめの子供用自転車を押している。
とらえどころのない淡白な顔だちで、なんだかてるてるぼうずを連想してしまう。
びっくりするほど無表情なまま、言い放った。
「うわ、ついてねえ。今日はオバサンしかいないのかよ」
「え? おば……」
オバサン、というのは自分のことだ、とメイが理解するまで数秒かかった。
(あ……わたし、今おとなの婦警さんに見えてるから、小学生からすれば『おばさん』!)
頭では理解できてもショックを隠しきれず、しどろもどろでたずねる。
「えっ……ええと……なにか相談に、い、いらした……んですか?」
「んー」
しかし男の子はメイをながめて沈黙。表情が乏しく、なにを考えているのかさっぱりだ。
交番の中に居座るお客たちが、ここぞとばかりに割りこんできた。
「坊はようわかってる。よそもんは信用できねえってな」
「だめようダイちゃん、若い女の人にはおねえちゃん、って言わないと」
「そーだそーだ、婦警さんに失礼な口きいてっと、タイホされっちまうぞー」
おじいさんの軽口にメイが、そんなことしませんよ! と言うより早く、
「……いい。帰る」
男の子はふいときびすを返し、大きめの自転車を押して歩き出した。
「あ、ち、ちょっと待って!」
あわてて追いかけるメイをふり返り、男の子は茫洋とした顔は崩さないまま、ひとこと。
「あんだよババア」
(そ、そんな……オバサンからババアに昇格……!)
嫌われちゃったかな、と思いながら、しかしメイはひきさがらなかった。
小学生が日曜日に自転車で、わざわざ交番までやってきたのだ。
ひやかしのはずがない。
腰をかがめて目線を合わせ、なるべくわかりやすい言い方を工夫して、くり返す。
「困ったことがあるなら、どうぞなんでも話してください。オバサンでも、お話を聞くぐらいはできます。いつもの人に、報告することもできますよ」
いつもの人に報告できる、と言ったのが良かったのかもしれない。
のっぺりととらえどころのなかった男の子の表情が少し、ゆるんだ。
わきを向いてしばしためらい、内緒話のように口のわきに手をあて、小声で打ち明ける。
「ハナが……いなくなってさ」
聞き耳を立てていたらしい。すかさず交番の中からおとなたちが口をはさんだ。
「あんれ、ハナちゃん、まだ帰って来てないのかい」
「よっくなついてたのにな」
「山に帰ったんでねえの? 野生の呼び声ってやつでよ」
「うっせえ、うっせえ!」
男の子は拳をふりあげて大声を出し、おとなたちが黙ると、メイを見た。
「ハナが、帰ってこねえはずはねえんだ」
素朴な、しかし絶対の確信に満ちた訴えに、メイは胸が痛くなった。見つけてあげたい。
必死で対応を思い出す。
「ペットの行方不明でしたらまず、地域の保健所に連絡ですね。もう電話してみましたか?」
「うんにゃ。ひ……必要なのか?」
初めて心細そうな顔になる男の子に、メイはめったにない決断力を発揮、スマホを出した。
「今すぐ、問い合わせます。いなくなったハナちゃんは猫ちゃん? ワンちゃん?」
「ヘビ」
「え」
毛色とか首輪、特徴を教えてください、と言うつもりだったのに、頭が真っ白になる。
ぽかんと立ちつくすメイを、男の子はこいつバカか? と危ぶむような目で見あげた。
「オバサン、ヘビ知らねえの? トカゲみてぇだけど足なくて、にょろにょろしてる」
「し……知ってます」
「そっか。ハナはそのヘビだ。白くて、小さい。山でひろった」
「白いヘビさん、了解しました」
見つけるのは大変そうだ、と覚悟しながら、メイはもうひとつたずねる。
「いなくなったのは、いつごろですか?」
「十日……んにゃ、十一日前の夕方から、いない」
「十一日前!」
メイは青ざめた。
誰かが「だぁから山に帰ったんだべ」と口をはさんだのも耳に入らない。
(もう朝晩寒いし、ヘビさんなら道ばたで動けなくなったところを轢かれちゃったかも! 保健所が保護してくれてなければ、せ……清掃局に問い合わせて……)
でも、轢かれて「掃除」されてしまったペットなど、できれば見つけたくない。
(ま、真っ白なヘビさんなら目立つから、保護してもらえてるかも! どこかで保護してもらえていますように!)
あせってスマホで問い合わせ先を検索。しかし画面の反応が鈍い。
(うそ! アンテナ一本しか立ってない……きゃあ! 圏外になっちゃった!)
あわてて交番の前の道を林の切れ目まで走り、スマホをあちこちにかざしてみるが、やはり接続できない。あせるメイに、自転車を押してついてきた男の子が、おとなたちに聞かれまいとするように声をひそめて、耳打ちした。
「おら、犯人知ってる」
「えっ? は……犯人?」
男の子はこくっとうなずき、確信に満ちて続ける。
「坂下の空き家に、最近越してきたよそもん」
「その方が怪しい……ということですね」
確信を持てずに言うメイに、男の子はふたたび、こいつバカか、という目を向けた。
「『怪しい』んじゃねえ。あいつはドロボーなの! エサかなんかで釣って、おびきだしたもんをなんでもかんでも捕まえてる」
「それは……誰かが、そういう現場を見かけた、ということでしょうか」
「友だちが見た。なんか小さい生きもんが入った布袋ぶらさげて、歩ってたって。おじさん、なにそれ、ネズミ? ってきいたら、うるさい、あっちへ行けって言われた、って」
メイは息をのんだ。
それは確かに怪しい。害獣駆除の仕事かもしれないけれど、それでも怪しい。
「おらのハナだけじゃねえ、友だちの飼ってるもんも何匹もいなくなってる。きっとあいつ、盗んだ生きもんを売るんだ。このあたりじゃおらの白いヘビとか、ちょっとめずらしいもん、飼ってるやつがたくさんいっから……」
「そのこと、この交番にいつもいるおまわりさんには、もう相談したんですか?」
「うんにゃ。まだ……」
と言った男の子はくちびるをとがらせ、曲げ、視線をあさってに泳がせた。
しかし個性的すぎて、そこに示されている感情が不満なのか、軽蔑なのか、気おくれなのか、メイにはさっぱり読み取れない。男の子はむっつりと続けた。
「まだ生きてっかな……ハナが焼酎漬けとかにされてたら、ヤだな」
「!」
メイは、警察に相談しましょう! と言いそうになったが、今は自分がこの交番の責任者なのだ、と思い出し、なけなしの勇気をふりしぼって決意する。
「お話はよくわかりました。今からそのお宅に、話を聞きに行きましょう」
まず交番に戻って、壁の釘にかけてある道案内用の地図で、おとなたちに「坂下の空き家」がどこか、教えてもらった。
「ああ、あすこは最近、人が越してきたんですよ」
「引っ越しの挨拶もねえけどな」
「
仕事? さあ、なにしてんだかねえ? 裏の畑もほったらかしだし自治会にも入らねえし。世話人が何度訪ねても、居留守使って出てこねえってよ。都会人ってやつぁ……!
などと言いながら、おとなたちは特に問題視もしていない様子。まるっきり人ごとだ。
(わたしがやらなきゃ……!)
メイは使命感に燃えて財布とスマホを持ち〈巡回中〉の札を戸口にかけた。
「ええっ、歩いて行くのかい? あすこ、けっこう遠いよ」
「すぐ戻るんだろ? 婦警さん、おれの車、乗って行きな」
将棋の盤面をにらんだまま、色黒小柄なおじいさんが車のキーをさしだしてくれたが、「婦警さん」に化けているメイの実体は高校一年生。まだ免許をとれる年齢にさえ達していない。
「き、き、今日は免許証を持っていませんので」
と冷や汗たらたらの苦しい言い訳で固辞。するとのっぽの方のおじいさんが、
「けど、歩きじゃあんまりだ。自転車で良けりゃ、貸すよ」
実のところメイは自転車に乗るのも苦手だが、地図で見るかぎり目的地は数キロ先。
走って行くには遠い。選択の余地はない。
おじいさんは親切にサドルの高さを調整するのを手伝い、ヘルメットも貸してくれた。
「ありがとうございます。ではちょっと行ってきます。みなさんはどうぞゆっくり」
名前もよく知らないお客たちは「いいって、いいって」「気をつけてなー」「ヘマすんじゃないよ」などと、すっかり交番内でくつろいでいる。
メイは借り物の自転車を押して、少し先で待っている男の子のそばまで行った。
待ちかねていた男の子はさっと自分の自転車にまたがり、こぎだそうとする。だが、
「ごめんなさい、ちょっとだけ待ってね」
メイは、肩越しに交番の方をふり返った。
四人のお客の誰も、こちらを見ていないのを確認してひとつ深呼吸、ぎゅっと目をつむる。
周囲に人がいるから、声に出して呼ぶわけにはいかない。でも──
(スサノオ、ごめんなさい、危なそうな人のところに行くので、ついて来てもらえますか)
なんとなくだが、本気で念じたら通じそうな気がしたのだ。
「…………」
そうっと目を開けてみた。
スサノオの姿はない。
木の梢がそよ風に、さやさやと鳴っているだけ。
「オバサン、目に砂でも入ったんか」
てるてる坊主似の男の子が、茫洋とした顔にほんのり不審そうな表情を浮かべて言う。
メイはあいまいな笑みでごまかし、内心激しくあせりながら交番の方をもう一度見た。
瞬間、なぜか確信した。
というか、この距離から見て確かめることなどできないのに、はっきり感じた。
交番の天井近くに浮かぶ小さな破壊神は、まだ眠っている。
ぐっすりと。
メイの呼びかけになど気づいてもいない。
ちょっとイラッとして思わず、
(スサノオ!)
心の中で叫んだとたん、
「あ」
交番の中の四人の談笑が、唐突にやんだ。
メイは、小さな破壊神の銀の目が開いたのを感じた。
瞬時に完全に覚醒し、寝ている間に入りこんだ客を、じろりと見おろすのを感じた。
太めのおばあさんがぶるっと身震いし、きのこ採りのおばさんもちょっと首をすくめて、寒そうに腕をさするのが見えた。おじいさんふたりは将棋の駒を持つ手を止め、「今、雷、鳴ったか?」「いんや。けど……」なんとなく不安そうに目を見合わせる。
小さな破壊神はしかし、四人の客になんの感慨もおぼえなかったようだ。
滑空するツバメのようにつうっと交番を出て、メイの前に飛んできた。
おもしろそうに、
「やけにでかい声で呼んだな。なんだ」
きかれて、メイはせいいっぱい明確に思考しようと試みる。
(危なそうな人の家を、わたしと小さい子だけで訪問するので、ついて来てほしいです)
「ふうん……声を使わないということは、さっきのは念を飛ばしたのか」
(あの……通じてますか?)
「なにを言ってるかわからん。さっきみたいにわめいてみろ」
(わめいてなんかいません! さっきはちょっとイラッとしただけです!)
「今のは聞こえた。で?」
「……ついて来てください」
怒る気力も尽きてメイは口の中でつぶやき、借り物の自転車にまたがる。
自転車に乗るのは小学校低学年の時以来だった。
補助輪なしに乗った経験はわずか二回。
できればプロテクターを着けたいところだ。でも、ぜいたくを言っているヒマはない。
(だいじょうぶ! やればできるわ! 誰だって乗れる乗り物なんだから……)
思い切ってこぎ出したものの、予想以上にふらふらよたよた進路が定まらず、必死で悲鳴を噛み殺す。並んでこぎ出した男の子が、心配そうに声をかけてきた。
「オバサン、転ぶなよ」
メイは返事が、できなかった。
笹鳴き山の交番③へ続く
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