第11話 SHY×SHY②

 楓は待ち合わせ場所でメイを見つけるやいなや、血相を変えた。

「ち……ちょっとメイ! なんで神さま、連れて来てんのよ」

「え、いけなかった? スサノオがどんなやつか興味あるって言うから」

「ってあんた……手紙の話、しちゃったの!?」

「それはするよー。あれだけ何度もやりとりしてるんだし」


 緊張感のかけらもなく言うメイの肩に手を置き、楓ははあああ、と脱力する。

 横から小さな破壊神が、おもしろそうに口をはさんだ。

「隠しておきたかったのか?」


「えーと……すいません、僭越せんえつながら神さまはふつー、自分の巫女とか神官とかに異性が近づくと、ご機嫌そこねたりするかなー、とか思いまして……」

 楓は目を合わせることもはばかられ、うつむいたままもそもそ言い訳する。


 するとメイが明るく言った。

「あ、それならだいじょうぶ。前にもそういう人、いたし」

「いたんだ!?」

 初耳だ。仰天して顔をあげた楓は、思わず声をひそめる。

「そ、それでそのひとは今どうして……」

「死んじゃった」


 ちょっと沈んだ様子で、しかし淡々と答えるメイに、楓はのけぞった。

「ま……まさか殺され……」

「もとから死人だった」

 小さな破壊神が言い、メイもうなずく。


「そうなの。魔法で生きてたひとでね、スサノオのこと、すっごい助けてくれたんだよ」

 楓は思わず破壊神の方を見たが、反論しないところを見ると事実らしい。

 もうなにがなんだかわからない! しかし今、詳細を聞いているひまはない。


「わかった、その話はまた後日、じっくり聞かせてもらうとして……メイ」

「はい」

 と直立不動になるメイの服装を、楓はさっとプロの目でチェック。

「もうちょっとおしゃれして来てもいいのに……ま、あんたらしいかな」

「これでもとっておきの、おろしたてです」


 ふわふわのカーディガンをうれしそうに示すメイの、スカートについた糸くずをとってやり、楓はぽん、と小柄な友人の肩をたたいた。

「ほんとに付き添い、いらないのね?」

「だいじょうぶ、ここまで来てもらっただけでじゅうぶん! ひとりで行けます」


「じゃあ、あたしは向かいのレストランの屋外席で待ってるから。健闘を祈る」

「あはは、ありがとー」

 手をふってメイと別れかけて、楓はぴしりと言った。

きみはこっち」


 そ知らぬ顔でメイについて行こうとしていた小さな破壊神が、うるさそうにふり返る。

 しかし楓はひかなかった。

「メイも、ひとりで行けるって言ってるでしょ」


 そうだよ、ひとりで行けるよ、スサノオは野々宮さんと待ってて、とメイにも言われ、小さな破壊神は見るからにしぶしぶ、といった面もちで引き返してきた。

「どんなやつか見ようと思ったのに」


「見られるよ。メイが先に店に入って待つことになってるから、相手はあとから……うん、二時少し前に来るとしても、あと十分ぐらいであの店に来る。ここで張ってれば見られる」


 楓は野球帽の上にあげてあったサングラスをかけ、二車線の通りをはさんだ向かい側のレストランに入店、屋外席にすわった。コーヒーをたのむ。


 その手もとに、小さな破壊神が降りてきた。テーブルには足をつけず、空中で腕組みする。

「出入りする客のどれが目当てのやつか、ここから見てわかるのか」

 という声に怒りやいらだちは混じっていない。純粋な好奇心のようだ、


 楓は周囲の客に「ひとりごと」を怪しまれないよう、ハンズフリーのヘッドセットを片耳に装着して、答えた。

「わかるよ。あの店、ほぼビジネスマン……スーツ着た人しか使わないから。私服の学生が来るだけでも目立つし……あと、じゃじゃーん」


 効果音つきでポケットから折りたたんだ紙を取り出し、テーブルに広げる。

 一枚は、学内新聞に載ったラグビー部の集合写真のコピー。

 もう一枚は、学校のホームページに載っている教員紹介のページを印刷したものだった。


「この中の誰かが来る、とあたしは思うわけです。写真とくらべればいいから、楽勝」

「ふうん」

 小さな破壊神は興味津々で、楓が広げた写真をのぞきこむ。

 コーヒーが出てきた。楓はひと口すすり、カップを置いて……あらためて口を開く。


「あの……ちょっときいてもいいですか」

「なんだ」

「メイの神さまはほんとうに……メイが異性とつきあってもかまわないんですか」

 けっこう勇気を出してきいたのに、スサノオは写真から目をあげもせず、あっさり答えた。


「かまわんぞ。俺と闘う前に子孫を残したいなら、待ってやってもいい」

「!」

 スサノオと闘う=確実に死ぬわけだから、その前に子どもを産んでおきたいなら待ってやる、と言っているのである。


 楓は久しぶりに破壊神の本質を思い出し、ぞくりとする。

 だが同時に、おもしろそうに写真をながめる古い神が、今までになく穏やかな、ほとんど慈愛と呼んでもいいほどやわらかい空気をまとっているのに気づいて、心底びっくりした。

 もしかしてこの神さま、メイを殺すのをなるべく遅らせたい、とか思ってる? でも……


「……メイに『子孫を残したいなら』なんてこと、言わない方がいーですよ」

「なぜだ」

「えっと……現代の女の子はふつう、この歳で子どもを産むとか考えないし、子孫を残すために誰かとおつきあいしなきゃ、なんて考えたりしないからです」


「なるほど。そういえばあいつもまだ、親の巣で暮らしてるな」

「巣……って……」


「とっくにつがいを見つけていてもおかしくないていどには、育ってるのにな」

「いやいや、ちょっと神さま! 人相手につがいって……どーぶつじゃないんですから!」

「動物だろう。子に乳をやって育てるたぐいの」

「ああ……哺乳類!」


 的確な観察にはちがいない。苦笑しながら、しかし楓はふと、そのとおりかも、と思う。

「言われてみれば……うん。確かに人間もどーぶつだ……! でもなあ、あのメイが子ども産むとか、なんかまだ想像できないって言うか……」

「さっさと産めばいいんだ。たいていの生き物は母親になると強くなるしな」


 狙いはそれか! と楓は内心のけぞった。

 さすがいくさ神、人間とは物の見方がちがいすぎる。

 まあ、メイの場合、母になって強くなるか、それとも闘わなくなってしまうかは微妙なところだけど……と楓は思ったが、黙っておくことにする。気を取り直して、


「いやあ、意外! 神さまがメイの交際に反対しないなんて、考えもしなかったです」

「人間は子をつくるのに、つがいが必要な生き物だからな」

「……って、妖怪はちがうんですか」

「つがいを好むものもいるが、子を作るためじゃない」

「ええっ、じゃあ妖怪はどうやって子どもを作……増えるんですか」


「自分の一部を分ける。たいていは骨や目、指を分けるが、種や卵をつくるやつらもいるな。力のある古いものなら影や血の一滴からでも、新しいものを生み出せる」

 ああ、それでか、と楓は納得する。


 たぶん、そういうなりたちのせいで「力のある古い」神さまは無慈悲なのだ。

 親子の情を知らないから。

 きっとその「血の一滴から生まれた新しい存在」も、生まれ落ちた瞬間から一人前なんだろーな、と想像しながら、楓は慎重に言葉を選ぶ。


「もしメイがお母さんになったら当然……子育て中は待ってくれるんですよね」

「そうなるな」

 小さな破壊神は、驚いたように答えた。


 案の定、「子を産む」ところまではともかく「子育て期間」については考えてもいなかったらしい。楓はさらに一歩、踏みこんだ。


「人間は、ていうか現代人は生まれてから一人前になるまで、二十年ほどかかりますけど」

「……今のおまえたちは、いったいいくつなんだ」

「あたしは十六。メイはまだ十五だけど、もうすぐ十六歳になります」


 小さな破壊神はしばし考え、楓の言った「二十年ほど」が妥当な数字と認めたらしい。

「しかたがない。子が生まれたら、二十年待ってやろう」

 いつもと同じつめたい口調にもかかわらず、空気がふっとゆるんだ。


 間違いない。

 この神さまはほんとうに本気で、メイを殺すのを遅らせたいのだ! と悟って、楓はちょっと感動する。だがその時。

 小さな破壊神が口を開いたわけではなかったのに、


 ──待テナイ。


 むきだしの刃のような憤怒、もしくは殺意がひらめくのを感じ、ぞっと鳥肌が立った。

 同時にぴし、とひび割れのような音が、確かに聞こえた気がして──

 動揺のあまり、たずねる声がかすれた。


「もしかして、あの……」

「?」

「葛藤、とかあるんですか」

「カットウ? なんだそれは」

「右に行きたいけど、左にも行きたい、とか。なにかしたいのに、したくない……とか」

「ある」

 即答して、小さな破壊神は、どうでもよさそうにつけ加えた。

「昔は、なかったが」


 ──やばい。


 楓は直感する。

 これは、やばいやつだ。自分ひとりだったら、絶対近づかない災害案件。

 スサノオの力の凄まじさは、楓も間近に触れて、よく知っていた。


 小さくなってしばらくたつのでつい忘れていたが、本来、歩くだけで地を揺るがし山野を枯らし空を真っ暗にする、核兵器並みの存在なのである。


 そんな「神」がもし砕けたら?

 あるいは意志が、分裂したら?

 それでなにが起きるかなんて……考えたくもない!


 零課の課長さんはスサノオの変化を把握してるのかと、楓が本気で心配になってきた時、

「あ」

 向かいの喫茶店にそれらしい客がひとり、到着した。


        ◆


「あの、神納……さん?」

 ためらいがちな声に、ココアを前にぼうっとしていたメイは、とびあがるように立った。

「は……はい!」

 それきり、次の言葉が出なくなってしまう。

(すごい……大きい!)


 通路にうっそりと立つ男性は、小柄なメイより少なくとも三十センチは背が高かった。

 しかもごつい。

 オーバーサイズのスウェット越しにも、肩まわりの筋肉が目立つほど。

(野々宮さんのラグビー部員説、大当たりかも……)


 容貌もごつかった。あごの張った四角い顔につぶれた鼻、眉も海苔を貼り付けたみたいに太く濃い。戦国武将顔負けの異相である。ただ内気な瞳だけが、少年の実年齢を伝えていた。


 大男は、大きくてすみません、と言わんばかりにごつい背を丸め、極小の声量でささやいた。

「に……に……二年の千葉……千葉朝陽あさひと……申します」

「は……はじめまして。一年の……神納五月です」


 靴箱のプレートに書かれているのは名字だけだからと、せいいっぱいはっきり名乗ったメイだったが、それで気合いを使い果たしてしまい、残りの挨拶は相手同様小さくなる。

「来てくださって、その……あ、ありがとうございます」

「いえ……と、とんでもない、こちらこそ……」


 ふたりはどちらからともなくぺこぺことお辞儀し合い、それぞれ居心地悪そうに席につく。

 それきりどちらも、顔をあげることができなかった。

 口を開くこともできない。


 ホールスタッフにさりげなく催促され、千葉朝陽はしどろもどろでコーヒーをたのんだ。

 いちばん安いものをたのんだのだと、メイはすぐに察した。

(ごめんなさい! た、高いですよねここ……わたしったら気がつかなくて……自分だって高いって思ったのに、零課でお給料もらってるからつい……ああ、穴があったら入りたい……)


 反省しすぎてなおさら顔をあげられないでいるうちに、コーヒーが出てきた。

 しかし千葉朝陽は手をつけない。

 緊張ゆえか。あるいはメイ同様、実はコーヒーは飲めないのかもしれない。

 お通夜よりも耐えがたい沈黙を、メイはありったけの勇気をふりしぼって、破った。


「あ……あの!」

「はい」

 大男が、ほっとしたように四角い顔をあげる。

 その表情にメイは胸が痛むのをおぼえたが、

「お手紙、ありがとうございました」


 なんとか、用意しておいたセリフを切り出すことに成功、震える声で一気に続ける。

「わ、わ、わたしなんかに目をとめていただいて、うれしかったです。でも」

「でも……?」

 ああ、ダメなんだ、と悟るつぶらな目に向かって、メイは深々と頭をさげた。

「ごめんなさい。わたし、お気持ちに応えることは、できません」


 たっぷり十秒、なんの反応も返ってこなかった。

 メイは、おそるおそる顔をあげる。

 高校生にしてはごつすぎる千葉朝陽は、濃い眉を寄せ、宙をにらんで考えこんでいた。


 メイのまなざしに気づいて初めて、まばたきする。

 動転し、姿勢を正し、深呼吸を数回。

 はためにもわかるほどの勇気を奮い起こして、かろうじて聞こえる声をしぼり出した。

「すみません」

「はい……?」

「り、り……理由をお聞きしても……い、いいでしょうか」


 消え入りそうな声できかれてメイは思わず、ためらう。

 するとそのためらいをどう受け取ったのか、千葉朝陽は気弱な笑みを隠してうつむいた。

「じ……じ、自分はその……昔から……ゴリラ……と、呼ばれておりまして」

「えっ……」


「じ……女子にとって怖い……顔だと自覚は……あるので……ありますが」

 しぼんでいく声が隠しきれない涙にうるむ気配に、メイはたまらず、

「そんなことありません!」

「え」


 ぽかんと顔をあげた千葉朝陽はしかし、メイの声の強さにひるんで少し身をひいている。

 メイはあわてて声をおさえ、しかしはっきり、言い直した。

「千葉さんは、怖くなんかありません」

「そ……そうです……か?」

「むしろ、可愛いかただと思います」

「か……かわ……」


 ぼっ、という音が聞こえた気がした。

 四角い顔を真っ赤にしてうつむく大男を前にしてやっと、メイも自分がなにを言ってしまったか自覚、動転して下を向く。

 恥ずかしさといたたまれなさに顔が熱く、耳たぶも熱かった。

 もうどうしていいかわからない。


 またもや岩盤より分厚く重たい沈黙が、その場を圧倒しかけたが、

「で、では……」

 内気なラグビー部員は、ここでひきさがるわけにはいかない、と覚悟を決めたらしい。

 顔をあげ、さっきまでよりしっかりした口調で、質問をくり返す。

「では、その……ダメな理由は……なんなのでしょう」


 答えないわけにはいかない。

 メイはうつむいたまま、ひとつ、大きく息をすいこみ……打ち明けた。

「好きなひとが……いるので」

「そっ……そうですか」


 相手ががっくり肩を落としたことに、うつむいていたメイは気づかず──小声で続ける。

「片想い……なんですけど」

「片……想い」

「はい。みたいなものです」

「それはまた……どういう……」

「話が通じない、というか、価値観がちがう、というか……住む世界がちがう相手なので」


 しみじみと言うメイの表情に、あふれんばかりの想いを見てとったのだろう。

 千葉朝陽はかえって、ほうっておけなくなったらしい。眉を寄せ、わずかに身を乗り出す。


「そんなことが、あるでしょうか」

「はい……?」

「気持ちは……伝えれば、伝わるものではないでしょうか」

「うーん……伝えても、どうにもならないと言いますか……」

「もう、伝えたんですね」

「はい。毎日、朝夕」

「毎日! 朝夕!」

「心から感謝しています」

「…………感謝?」


 どういうことだろう? と素直に太い首をひねる二年生男子に、メイはちょっと笑った。

 頭がおかしい、と思われるかもしれなかったのに、ふと、

「神さまなので」

 真実が、口からこぼれた。


 この底抜けにいい人に、うそをつきたくない、と思ったのかもしれない。

 それに、周囲の人の反応を気にして、スサノオが存在しないかのようにごまかすことは、もうしたくなかった。

 なんと思われてもいい──という気楽さで、メイはにっこりカミングアウトする。


「わたし、妖怪や幽霊が見えるんです」


 千葉朝陽はしばし、まばたきどころか呼吸も忘れたかのように固まった。

 ぎくしゃくと口を開く。

「じ……自分は妖怪も幽霊も、見たことがありません」

「そんなものいるはずない、とはおっしゃらないんですね」


 驚きに目をみはるメイを、千葉朝陽は初めて、まっすぐに見つめた。

 目が合ってわずか一秒で、ふたたび目を伏せてしまったが、意外なほどはっきり言った。


「神納さんは、そんなウソをつく人ではありません……と思います」

「き……恐縮です……じゃない、う、うれしいです」

「それで……その……」

「はい」

「神納さんの……〈神さま〉は、どんな神さまなのでしょうか」

「!」


 見えないのに、ここまで真摯しんしに向き合ってくれる人は初めてだ!

 メイは感動しながら答える。

「闘いの神さまです」

「おお」

 ラグビー部の選手として、響くものがあったらしい。千葉朝陽はちょっと目を輝かせる。

 メイはもっときちんと伝えようと、考え考え言葉を選ぶ。


「たぶん、なんでも壊せる、そんな神さまだと感じています。でも同時に、小さくて弱い……わたしみたいな存在に元気をくれる……勇気に火をつけてくれる神さまなんですよ」


 ずっと感じていたことを言い表せたことで、より深くスサノオを理解できた心地がして、メイは思わずほほ笑んでしまう。その笑顔にぼうっと見入ったまま、千葉朝陽はつぶやいた。


「神納さんは、ほんとうにその……神さまがお好きなんですね」

「はい。命の恩人ですし」

「!」

「ですからわたしの命は、スサノオのものなんです」

「す、すさの……」


 部活漬けの運動部員でも、スサノオノミコトの名は聞き覚えがあったらしい。

 目をまん丸に見開き、絶句してしまう。

 かえって不信感を持たせてしまったかも、と気づき、メイはあわててつけ加えた。


「あ、呼び名はスサノオの他にも、ええと……マハーカーラとか、ハディード? とかたくさんあるみたいで……見かけもぜんぜん日本人っぽくないんですけどつい……呼びやすくて」

「な、なるほど……ううーん」


 わかったようなわからないような顔でうなり、千葉朝陽はまた、宙をにらんで考えこむ。

 メイはうつむいたきり、顔をあげられなかった。

 スサノオの名を出しちゃったのは失敗だったかも、からかってると思われたら悲しいな……でも見えない人に証拠を見せることはできないし……とぐるぐる思い悩む。

 と、千葉朝陽がふたたび、口を開いた。


「あの……!」

 今までで一番強い語勢に、非難されるかと身構えてしまうメイをまっすぐ見つめ、大柄なラグビー部員は、このうえない真剣さで、言った。


「自分が、バカでした」

「は……い?」

「自分は神納さんのことを、ちっとも知らないことに今、気づきました」

「そ……それはおたがいさまで……」

「もっと、神納さんのことを、知りたい」

「でっ、でもわたし、おつきあいは……」


 さっき申しあげた理由でダメなんです、としどろもどろにつぶやく間もなく、千葉朝陽はわかっています、というふうに、大きく、しっかりうなずいた。

「自分は、神さまが好きな神納さんも、好きです」

「え……」

「ご迷惑でなければ……」


 言いかけて突然、自分が、らしくもなく前のめりに、押しの強さを発揮していることを自覚したらしい。千葉朝陽はたちまち恥じ入り、大きな身体を縮めてうつむく。

 耳をすまさなければ聞こえないほど内気な声は、しかしメイの耳に、くっきり響いた。


「友だちに……なっていただけないでしょうか」


        ◆


 しばらくして喫茶店の前に出てきたメイと千葉朝陽が、互いにものすごく礼儀正しいお辞儀をくり返して別れるのを見て、楓はうなった。


「うーん、これは判断しにくいなあ。うまくいったのかな、どうかな」

「おまえの言ううまくいった、というのは、つがいが成立した、ということか」

 小さな破壊神の情緒のカケラもない問いに、楓は、メイに手をふりながらすばやく教える。


「まず最初に、現代人は一度会っただけで『つがいが成立』したりしません」

「ちょっと前には、そういうのをよく見かけたぞ」

 この神の言う「ちょっと前」とは百年前? それとも千年前だろうか。

「お見合いしてすぐ結婚、なんて時代もあったけど、昔と今じゃちがうんです」


「頑丈そうなやつだ」

 家畜を値踏みする目で千葉朝陽を見送る破壊神が、妙に機嫌がいいので楓は逆に怪しむ。

「そ……そーですね」

「病気もない。長生きするだろう」

「あ、そうなんだ?」

 それは、本人に教えてあげれば喜ぶんじゃない? などと思う楓に、破壊神は続けた。


「あれなら子をまかせても、しっかり育てるにちがいない」

「えっ、ちょ……」

「二十年とやらの子育てが終わるまで、メイとの闘いを待つ必要はないな」

「……そこ!? 大事なのはそこなの!?」

 楓は思わずツッコんでしまってから、はたと気づく、


 今度は、ぞっとするようなひび割れ音が聞こえてこなかった。

 これはつまり、古い神なりに、メイを生かしたい気持ちと殺したい気持ち──存在を砕くほど恐ろしい葛藤に、折り合いをつけたということだ。


 ホッとしたいところだが、猶予は二十年より短くなった。悲しむべきか、喜ぶべきか。

 悩んでいるところへ、車の通過を待っていたメイが、小走りに二車線の道路を渡ってきた。

「お待たせしました! 無事、会ってまいりましたー」


 明るく報告するメイに、楓はそこにすわんなさい、と椅子を示し、期待に身を乗り出す。

「で? で? どうなったの? あんたたち、つきあうの?」

「あ、おつきあいは、お断りしました」

「えっ、こ、断ったの? なんで!」

 思わず詰め寄る楓の気合いにひるみながら、メイは、

「そ、それはその……好きなひとなら、いるし……」


 横目でちらっと、テーブルの上に浮かぶ小さな破壊神の方を見やる。

 それですべてを察した楓は、あきれるのを通りこして叫んだ。

「ばっ……バカ! なに考えてんのあんた、ほんとに……」

「なんだおまえ、好きな相手がいるのか」

 情緒を解する能力がきわめて低い夜叉神が、まったく空気を読まずに割りこんでくる。


 凍りつく楓をよそに、メイはしばしなにか考え、決意。

 小さな破壊神をふり向き、にっこり告げた。

「わたしが好きなのは、スサノオです」

 爆弾発言にもかかわらず、小さな破壊神の反応は鈍かった。いぶかしそうに、


「……? 俺は人間じゃないぞ」

「わかってます。だから、わたしの命はスサノオのものです」

「??? 当たり前のことをなぜ言う」

「言いたくなったから。それだけです」

「ふうん……?」


 つめたい銀の目を細める小さな破壊神に、メイの気持ちを理解した様子はなかったが、まとう雰囲気がまた少し、やわらぐ。

 メイも言いたかったことを言ってすっきりしたのか、うれしそうだ。


 はたで見ている楓としてはもう、わけわかんないけど、これはこれでアリなのかなあ……とでも思うしかない。その時、メイがはたと手を打った。

「あ、忘れてた。千葉さんが、近いうちにスサノオに挨拶させてください、って」


 破壊神がなにか言うより先に、楓が悲鳴のような声をあげる。

「ってメイっ! あんた、妖怪見えないふつーの人に、神さまのこと話しちゃったの!?」

「うん。千葉さん、すごくいい人だから、うそつきたくなくて」

「て言うか今『挨拶』って言った? 守護神に挨拶? どーゆーこと? あんたさっき確か、おつきあいは断ったって、言ったよね」


「断ったよ? でね、お友だちになったの」

「え……?」

「文通することにしたの。千葉さんは部活、わたしも零課のお仕事で会うのはけっこうむずかしいし、お互い学校で目立ちたくないけど、こういうお店使うと、お金かかっちゃうし」

「え? え?」


「靴箱でメモをやりとりするのも、郵便も捨てがたいけど、時間かかるから。テキストアプリのアドレス、交換して……って野々宮さん、なに笑ってるの?」

「ぷ……くく……いやごめん、いいの、メイ、でかした! グッジョブ! 見えないのに妖怪の話されて引かない相手なんて超貴重! しっかり捕まえて、放しちゃダメよ」

「つ、捕まえてなんかいないよー」


 困惑するメイをよそに、小さな破壊神まで妙にうれしそうにきく。

「それであいつは、いつ挨拶に来るんだ」

「それは、まだ決めてませんけど……」

「得意な武器を持ってきていいと言っておけ」

「えっ……? ち、ちょっと待ってください! 挨拶は挨拶……こんにちは、とかよろしく、とか言うだけです! 腕試しとかしませんから!」


「なぜだ。あれは戦士だろう」

「え……」

「今の世の人間にしては闘い慣れてる。悪くない」

 舌なめずりする猛獣のような気配に、メイは必死で冷や水を浴びせる。


「千葉さんがやってるのはラグビーっていうスポーツで……ただの競技です!」

「すぽーつがなにかは知らんが闘うんだろ。戦士じゃないか」

「た、闘いますけど……誰も殺しません! ルールもあります! 戦争じゃないんです!」


「ああ、模擬戦か。それならけっこう昔からあるな」

「え? あれっ……そ、そうなんですか……?」

「ふふん、やっぱり戦士じゃないか」

「え? えええ???」



 その日──


 メイは、野々宮楓に次ぐ人生ふたりめの親友と出会ったことに、まだ気づいていなかった。



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