第42話だんじり祭り

 夏休み最後の日、私たちも新幹線に乗り込んで新大阪駅へ。ひかり号が新大阪駅に到着すると、私の両親のほかに星田も迎えに来てくれていた。久しぶりの再会を喜び、一緒に地下鉄と私鉄を乗り継いで家に帰った。星田は私たちがいない間も

「おっちゃん遊びに来たで」

と言いながら遊びに来ていたようである。HOゲージを走らせたり、作製していたようである。星田が作製した115系電車を見せてもらったが、かなり完成度が高い作品になっていた。先頭車と中間者合わせて3両編成であったが、線路を敷いて走らせると、かなり迫力があった。やがて夕方になり、星田も自分の家に帰って、庭に出てみるとゴンが私たちが帰ってきて嬉しかったのか、しっぽを振りながら出迎えてくれた。私たちがいない間は父が散歩に連れて行っていたようである。久しぶりにゴンの散歩がしたくて、ゴンと一緒に1時間くらい歩いた。散歩から帰ってゴンを抱きしめると、ゴンも嬉しそうに私のほっぺたをぺろぺろ舐めてくれた。

 散歩を終えて家に入ると汗をかいているので、まず入浴を済ませてさっぱりした後に夕食。学校に行く準備を済ませて早めに就寝。

 次の日は始業式で2学期がスタート。久しぶりに会うクラスメイトと夏休みのことを話したり、自由研究の結果を話したり、思い思いに先生が来るまでの時間を過ごしていた。そして先生が教室に入ってくると、私は夏休みに訪れた秋芳洞と秋吉台のパンフレットを先生に手渡した。何枚か余分に持ってきていたので、興味のある人は見てほしいという言葉を添えて手渡して、先生もパンフレットに見入っていた。そして先生は

「せっかくやから、どうやって秋芳洞が形成されたのか、ちょっと知ってたら、リンダから教えてもらえるか?」

と言われた。私としては、まさか人前に出て発表することになるとは思ってもみなかったので、ちょっとびっくりしたが、秋芳洞は地殻変動によって海底が隆起して誕生したこと、はるか南方からプレートの移動によって、今の位置まで移動してきたこと、気の遠くなるような時間をかけて鍾乳石が形成されて今の形になったこと、地元では、かつて海底に生息していた生物の化石が大量に発見されていることなどを話した。

 そして2学期の始業式があり、校長先生が運動会や文化祭が控えていて、充実した学校生活が送れるように頑張っていこうという訓示をして、始業式が終わって帰宅。夕方からゴンの散歩に行って、帰ってから学校の準備を済ませて、いつもの生活が戻ってきた。それからしばらくたって大阪府内では9月半ばになると各地でだんじり祭りが行われる。私もこれまで子供会のだんじり祭りに参加したり、岸和田のだんじり祭りを毎年見に行ったりしていたが、5年生となったこのころは子供会の班長として、参加する下級生の安全を見守りながらの参加となった。当時の子供会が所有していただんじりは、だんじりと言うよりは軽トラに装飾を施した”花車”と言う感じが強かったが、それでもだんじりを引っ張ることが出来るというのは、ちょっとした誇りであった。この秋祭りとして行われるだんじり祭りは、学校の全面協力もあって、3日間にわたって行われる。最初の金曜日は授業が早く終わるように授業も組まれていた。学校から帰ると、法被姿に着替えて集合場所に集まって、だんじりを引っ張り出す。装飾は大人が行っていたが、市内を引っ張って歩くのは主役の子供であった。

 3日間にわたって行われるこの祭りは、市内をほとんど歩くので、野球チームやサッカーチームでライバル関係にある子供会のだんじりとすれ違うこともあるわけで、この時は自分たちのだんじりがいかにすごいかを自慢しあっていた。

 この祭りには私と星田と西岡咲江と言うクラスメイトの女子と一緒に参加していた。9月とはいえ、まだまだ暑い日が続くので、途中で休憩時間があり、その時はお茶などの飲み物が配られる。そして市内を練り歩いて集合場所に戻るとみんなでお弁当を食べて解散となる。この時は星田と西岡3人で食べて、それぞれの家に帰って翌日の祭りに備えるわけであるが、さすがに市内を歩き回れば疲れて風呂に入ってそのまま布団に直行と言うのがこの祭りの後の私の定番であった。

 翌土曜日も学校が終わって昼食を済ませた後、夕方に集まって、だんじりを引っ張って歩く。コースは日によって変わっていて、普段あまり行かないところまで歩いていくので、いつも見慣れた風景とはまた違った風景を見ながら歩いてだんじりを引っ張るというのもなかなか面白かった。この中日の土曜日が一番移動距離が長く、1日でかなりの距離を歩く。途中で疲れたら帰ってもいいわけで、途中から帰る子や、途中から参加する子などいろいろであった。私は班長という立場上、途中で帰るわけにもいかないので、この日も最後まで歩き通した。そして日が暮れて暗くなってくるとだんじりに灯がともされる。そしてゴール地点である集合場所に帰ってくると、星田も西岡も

「はぁ、めっちゃ疲れた~」

と言っていたが、明日もう1日あるということで、

「あともう1日頑張らあかんねんなぁ」

と話していた。翌月曜日はの学校のことも考えられていて、午前中だけで終わることになっている。なのであまり遅くまで寝ていられないので、この日も早く寝ることになる。

 日曜日は朝9時頃に集まって、だんじりを引っ張って校区内を歩いた。さすがに3日目となると皆疲れの色が出ていたが、何とか頑張って引っ張りぬいてだんじり祭りは終わった。

 それから1週間後、岸和田のだんじり祭りを見に、南海電車に揺られて岸和田へと向かった。今でこそ日本全国にその名をとどろかせる岸和田のだんじり祭りであるが、この当時は地域のローカル色の強い祭りであった。今のように全国的に知られるようになったのは、全国ネットのニュースで紹介されてからである。

 ただ大阪府内の地域のお祭りとはいえ、大阪近辺から大勢の人が集まってくるので、この当時でもすごい人出であった。

 この岸和田のだんじり祭りで一番すごいのは、私たち子供会で行っているように、ただ引っ張るというだけでなく、重さが何トンもある木で掘られただんじりがものすごい勢いで走り抜けていくところである。カーブでもさほどスピードを落とさず曲がっていくので、その迫力と言うのは、言葉では言い表せないくらいである。勢いがありすぎてカーブを曲がり切れずに、電柱や家にぶつかるということも時々あるそうで、地元の人はだんじりにぶつけられても家の修理代が出るように保険に入っているとか。それくらい荒い祭りを見ていると、その迫力には圧倒される。この祭りは9月の敬老の日前後に2日間にわたって行われるのであるが、最終日には小さな子供でも参加できるようにということで、ゆっくりと岸和田市内を進んでいく。木彫りのだんじりを眺めていると、大阪に本格的な秋がやってくる。今でも私が小さかった頃に見に行った岸和田のだんじり祭りを写した写真が残っているが、当時の写真を眺めると平穏だったころの記憶が呼び起こされて懐かしくなる。できればいじめで苦しむことになるん前の、このころに戻りたい…。そんな思いが私の胸に去来する。

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