第16話原爆資料館

 そして8月に入って山口に帰省する日がやってきた。この年は7月中は大阪にいて、8月に入って父が有給で休めるようになってから山口に行くことになった。このため、山口には私たちが帰省している間、ゴンは生まれた家に里帰り。ゴンも一緒に初めての兄弟との再会を喜んだかもしれない。 父方の祖父は、父の姉の家に行くことになっていた。 

 一方で山口へ向かう私たちは、普段は新幹線で帰省していたが、この年は、大阪南港からフェリーで広島港に向かっていくこととなった。

 8月1日、T駅を出発して、大阪南港に近い南海電車の住ノ江駅で下車。南港までタクシーで向かい、フェリーに乗船。甲板に出てみると、岸壁が思いのほか下に見えて、船の大きさに少々驚いた私である。

 そのフェリーは定刻に大阪南港を出港。岸壁が少しずつ遠くなっていく。フェリー内の食堂で夕食を取る。船の中で食べる夕食はなかなかおいしかった。

 翌朝目が覚めると、多くの島々が浮かぶ瀬戸内海を進んでいた。朝食を済ませて、しばらくすると広島港到着のアナウンスが。ここから広島電鉄の路面電車に乗って原爆ドーム前で下車。初めて見る原爆ドームに少々驚きつつも、原爆資料館の中へ。中に展示されている原爆がもたらした惨状に姉と私は言葉を失った。正直えたいのしれない恐怖感に襲われていた。目の前に展示されている資料や写真を見て、怖いという思いしか浮かんでこなかった。中でもケロイド状のやけどを負った方のカラー写真は、今でも私の脳裏に戦列に焼き付いている。

 この日のために私たちは親子で、原爆の子の像にささげる千羽鶴を折って持参した。私が初めて知った原爆の恐ろしさ、そして広島で昭和20年8月6日に何が起こったのかを知った。原爆によって多くの人の命が奪われ、生き残った方々にも計り知れない苦しみを与え続けていることを知って、祈りをささげ投げている間、涙が止まらなかった。そして恐怖というか、なんとも言えない感情が渦書いていた。

 両親としては私たちに、日本が戦争を引き起こし、諸外国の人たちに多大な損害と苦しみを与え、多くの人が傷ついた歴史、広島で起こったことを知ってほしいという思いがあったのかもしれない。そして、慰霊碑に刻まれた

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」

という言葉が大変重い意味を持っていることに気づかされた瞬間であった。

 それまでも広島で8月6日に平和記念式典が行われていることは知っていたが、その日に広島で何が起きたのかは知らなかった。そしてその真実を知ったときの衝撃は大きかった。


 原爆ドームと平和公園を後にして、私たちは広島駅から山陽本線の電車に乗って山口へ。祖父母の家の最寄り駅で下車することになっていた。私は山陽本線から見える宮島や瀬戸内海の景色を楽しんでいた。これは新幹線では見られない風景である。

 やがて祖父母の家の近くの駅について、タクシーで祖父母の家へ。叔父の車では妹も生まれたので乗れないので、多人数が乗車できるタクシーに乗ったのである。

 久しぶりの祖父母の家も家族が増えていた。ビーグル犬のまるちゃんが新しい家族になっていたのである。私が初めて見たときは、まだ小さい子犬であった。私たちがいる間は姉と一緒にまるちゃんの散歩を担当していた。子犬とはいっても猟犬ということもあって、足が速く力も強かった。そして何よりもかわいかった。まるちゃんは私たちにもなついてくれて私ともよく遊んだ。私たちの言うことには従順で、よくしつけもされていた。めったなことでは怒らず、逆に私たちが道路をよく確認せずに渡ろうとすると、サッと体を私たちの前に出して守ろうとするなど、本当に利口であった。

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