第5話 味方になるなんて聞いてないっ!


「あああ、ありがたい………」


「もう駄目かと思っておりましたのに」


 乾いてパリパリな肌に染み入る雨の粒。


 澄み渡る晴れた青空が突如として曇り、厚くうねる黒雲から放たれた無数の雨。それは、呆然と見上げている人々をみるみる濡らしていった。

 荒ぶことなくしとしと降りしきる雨は、徐々に大地を打ち、白く乾いた表面を暗く湿った色に変貌させる。

 ぶわりと沸き起こった水の匂い。少し埃っぽいようなしっとりした匂いが人々の鼻腔を擽り、誰もが鼻の奥をツンとさせた。


「ふぐ……ぅ…… ぅ……ぅ」


「ひ…っ、ひ…はは……っ」


「あははははっ!! なあっ? おいっ! 雨だよっ!!」


 ほたほた泣き崩れる人や、泣きながら笑う人。一心に祈る婦人の横で、飛び跳ね踊る男性の顔は喜色満面。

 わああぁぁーっと沸き起こる怒涛の歓声や抱き合って歓び合う民等を一望し、領主は信じられないモノを見る眼差しで一人の少女を見つめた。


「これが魔女…… いや、歌姫の力か」


 初老の男性の前で少女は歌っている。


 歌というものを知らぬ領主だが、その優しくも温かい旋律は耳に心地好く、するりと彼の脳内を恍惚に満たしていった。

 さあぁぁ………としめやかに降る雨は少女を濡らさない。彼女の周りを巡る柔らかな風により、全ての水滴が霧散する。

 それすら気にせず彼女は歌った。銀の雨や、傘がない、空と君との間に。などなど。自分の知る、雨に関係した歌を。


『良い歌だ…… 切ないところが、また良い』


『そうね。素敵な歌ばかりだわ』


『今代の歌姫は秀逸だのぅ……』


 妖精らが口にする、うっとりとした称賛を耳してセツは笑った。雨にまつわる歌の多くは恋歌だ。古いものでも、やはり情にからめたモノが多い。

 薄手のローブを風にひらめかせて、彼女の祈りは天を焦がし、どんより低くなった雲をさらに暗く染めていった。

 この地に長い雨をもたらすために。彼女は、とうとうと歌い続ける。

 



「……なんともはや。眉唾だと思っておりましたが、本当に雨を喚べるとは。感服です。ありがとう存じます」

 

 大きな邸の応接間で、領主は深々とセツに頭を下げる。

 彼はエルランド子爵。ここ数年、彼の領地は苛烈な日照りの被害に遭っていた。そしてまことしやかに流れる噂に飛びつく。

 冒険者ギルドの依頼ボード。雑多な依頼が鈴なりなそこに依頼書を出しておけば、歌姫が来訪するという不確実な噂に。

 その条件は人智を超えた依頼であること。例えば、『求む、太陽』や、『流行り病の特効薬』など。実際には用意出来ないモノを提示した依頼書を貼っておくと、いつのまにかなくなり、その地へ歌姫が救済に訪れるらしいのだ。


 飢餓と乾きに痩せ衰えていく領民達。


 噂を耳にした子爵は、一縷の希望を抱いてギルドに依頼を出した。


『急募、雨乞い』と。


 後になって愚かなことをしたと後悔する子爵。実際、何人かの子供騙しな詐欺師が雨乞いの振りをして訪れたが、提示した報酬が成功報酬だと説明すると、すごすご帰っていく。

 依頼を見てやってきたのは、適当な雨乞いで金銭を掠め取ろうという小悪党どもばかり。

 落胆を隠せず、もう、依頼を引き上げようかと子爵が考えた頃。セツは現れた。

 

 そして起きた奇跡。


 彼女の歌が風を喚び、雲を喚び、時をおかずして降り出した銀の糸。

 パタパタ描かれる水玉模様を呆然と眺め、子爵は肌をぞわりと粟立てる。なぜなら、これは禁忌だからだ。

 歌を歌うことは極刑を受ける重罪。人心を惑わす悪魔の所業。世界には、そのよう言い伝えられている。けど………


 ……それが、どうした? と、子爵は思った。


 このまま、干涸らびる領地や領民を、指咥え見ているくらいなら。遅かれ早かれ死に絶えてしまうくらいなら。


 ……悪魔にだって魂を売ってやろうではないか。


 今の世界は可怪しい。あらゆるところで災難が起きている。人間を試すかのように苦難や災害が。

 国を揺るがすほど深刻なものではないが、一領地が潰れる程度には大きな被害だ。

 何十ある領地の内の数個。それゆえ各国の王家は事を重く見ていない。末端貴族の進退など、彼等にとっては些事に等しい。


 ……そこに住む人間には、それが全てだというのに。


 力ない己を悔やみ、散々懊悩してきたエルランド子爵。そんな彼を救ってくれたのは、王家でも貴族でもない。魔女と呼ばれ、忌み嫌われる歌姫だった。


「……このことは秘匿いたします。墓まで持っていきますゆえ、御安心を」


 にっと悪戯げな笑みを浮かべ、初老の子爵は、ずっしりとした皮袋を載せたトレイをテーブルに置く。そして、すいっとトレイをセツの前に押した。

 しかし、重罪を心に刻む彼を余所に、少女はのほほんっとした顔で微笑み返す。


「よろしいのですよ? 誰かに話しても。むしろ広めてください。助けが必要な人がいたら仲介してくださると助かります」


 思わず瞠目する子爵。


 国にバレたら命はないと分かっておられるだろうに。それでも人助けをしたいと?


 奇妙な感慨が彼の胸で渦巻いた。自分は自領だけで一杯一杯だというのに、この少女は言うのだ。困っている人を教えて欲しいと。


 雨乞いを始める前に彼女は言った。


 言葉は願いだ。歌は祈りだ。真摯な祈りを受け、天は人を助くと。歌という儀式を経て、人は天に祝福をもらえるのだと。

 たとえそれが悪しき想いであっても、天は人に力を貸してしまう。怨み辛みほど純粋な欲望はない。それが歌という祈りに変化し、過去には多くの過ちが起きたのだろうと。


『アタシは、それを正したいのです。歌とは本来、歓びや幸福を願って口にされたモノ。時の移ろいや世情。人の情感や歴史など。厭悪とか憎悪とかと無縁なモノなのですよ。……それを。アタシは歌の名誉を回復したいのです』


 今では悪しき行いの代名詞な歌。だが、悪しきは人の心であり、歌ではない。


 それの正しい使い方を目の当たりにした子爵は、セツのお願いを快く引き受けてくれた。


「我が家も我が領地も、貴女に多大な恩を受けました。今回のことがなくば、きっと日照りで潰れてしまったでしょう。貴女に拾われた生命です。この先、ずっと貴女の力になることを、ここに誓います」


 思わぬ申し出に固まり、口を半開きにするセツ。


 その周りを飛び回る妖精達は、歓び勇んでエルランド子爵領を飛び回った。


『歌姫の味方に祝福を!』 


『この地に…… この地の者らに祝福を!』


『あははは、気持ち良いねっ! セツが沢山歌ってくれるから力が漲るよっ! 今なら何でも出来そうだっ!』


 彼らが飛び回る後に伸びていく光の帯。どこからともなく現れた細かな精霊達がソレにむらがる。精霊王を名乗る彼等が残した魔力の帯から力をもらい、細かな光の粒だった小さな精霊らも力強く瞬いた。


 こうして無意識にセツは味方を作る。土地を祝福して人々の希望となりつつ、彼女はわざと己の痕跡を残してゆく。




「また肩透かしかっ!」


 大地を蹴るように踏み鳴らして吠える青年。そんな弟を胡乱げに見据え、長身な男が奥歯を噛み締める。

 言わずと知れた兄弟、ジョセフとダニエルだ。

 彼等は常に冒険者ギルドを張っており、例の依頼が貼り出されると速攻で動いていた。

 今回も張り出された依頼の土地を訪れたが既にセツの姿はなく、エルランド子爵を訪ねたところ、彼の御仁は褪めた一瞥を二人に向ける。


『さて? 初耳ですね。我が領地に魔女が? 来たかもしれませんが、わたくしは存じません』


 未だ降りしきる雨を柔らかな眼差しで見つめ、子爵はジョセフ達をけんもほろろに追い出した。


 この地方が長い干ばつで喘いでいたことを知るジョセフは、街でも聞き込みをする。だが、そこでも似たような対応しか受けられない。


『この雨はどうしたか? って。雨なんか自然の摂理でしょうに。どうしたもこうしたもないですよ?』


『誰か来てうたわなかったか? うたって何すか? 綺麗な声なら聞きましたがね。それがうた? 魔女の呪い? ふざけんなっ!』


『魔女だあ? やってきたのは聖女様だよっ! 口縫い合わせんぞ、こらぁっ!』


 相手が貴族だと分かっているだろうに怯みもせず、憤慨も露わな人々。どうやらセツは、ここでも多くを魅了したらしい。


 忌々しげに唇を噛むダニエルを横目に、ジョセフは過去の史実が正しいのだろうかと疑問を抱いた。

 昔話だ。尾ひれ背びれがつき話を盛っている可能性もある。それに、伝えられているのは陰惨なモノばかり。こうして現実を見る限り、魔女の歌は悪しきモノではないようにも思えた。


「……恵みの雨だな。子爵領の人々は、さぞ歓んでいよう」


「兄さんっ?! アレは魔女だっ! 周りを見てみろっ、貴族である俺達に敵意しか向けていないっ! あの小娘が誑かしたに違いないんだぞっ?!」


 それも事実だろう。しかし、その根底には感謝と自愛が満ちている。実際、我々とてその恩恵に頼っているではないか。


 ジョセフは自嘲気味な笑みをはき、自宅で元気に過ごすテオドアを脳裏に浮かべた。

 あの一件以来、可愛い従兄弟は元気に暮らしている。セツから習ったらしい単調な歌を歌いながら。


『わ~れは海の子、し~ら波の~』


『……あまり人の居るとこでは歌わないようにね』


『うんっ』


 万一のためにとエドワードを傍につけているが、今のテオドアは健康そのものだ。ときおり、エドワードに光のような何かが見えるらしく、その光から感じる圧で慄いている。

 むしろテオドアは以前より元気で、魔法すら使えるようになってきた。このままいけば貴族学院にも問題なく通えよう。

 

 そうなったらそうなったで、別な問題も浮上してくるのだが………


 あらゆる想定にジョセフは頭痛を感じ、無意識にこめかみを揉んだ。


「兎にも角にも、もうここには居ないようだな。また張り紙が出るのを待つか」


「……鬱陶しい。とっとと王宮に奏上しようぜ? そうすれば、あの魔女も自由に動けなくなるだろう?」


 吐き捨てるようなダニエルの言葉。


 しかしそれは悪手だ。ジョセフは、そう思った。


 今のところ、セツは良い行いにしか手を染めていない。これが国に貢献している限りは眼こぼしてやっても良い。彼はそんな気にさせられる。

 王家に知られようものなら、それこそ今の比でない捜索が始まるだろう。そして彼女の有益さに気がつき、酷使しようなどと考えかねない。

 あるいは、過去同様に民らへのエキサイティングな催しとして火炙りでもやるか。

 火炙りとは極刑のなかでも特異な刑だ。罪人の苦しみを長引かせるためだけの残忍な行い。これは本来の極刑と異なり、見世物的な意味を持つ。

 娯楽の少ない中世において、公開処刑は一種のデモンストレーション。王家の威信を守るため。民等のストレス発散のため。派手な催しは非常に効果的だ。

 そういった意味もあり、過去の歌人らは火炙りとされたのだろう。残忍な処刑方法を取れる力が王家にあると誇示するために。

 逆に、王家に逆らえば、このような目に合うぞとの脅しも含め。他人の不幸は蜜の味。スケープゴートとなった歌人らの悲惨な死に様は、十分な興奮を人々に与えた。


 それだけの罪状が歌にあったから許された行為。


 国をも揺るがしかねない恐怖を、歌に覚えた過去の王侯貴族。そして歌は潰え、全ては終わったはずだった。


 なのに、今になって………


 ここで新たな歌人の存在を王家に伝えようものなら、どうなることか。

 しかも、その歌人は多くの人々を救っている。過去の凄惨な歴史を知らない無辜の民は、彼女を聖女と呼んで憚らない。

 今の王侯貴族とて史実を知るだけであって、本当の脅威は知らない。心胆寒からしめる逸話を聞いて育っただけだ。

 これに利用価値があると気づけば、誰もが彼女を捕らえて囲みこもうとするだろう。


 セツは、あまりにも無防備なまま、その存在価値を知らしめてしまった。


「とにかく…… 私達で確保するんだ。テオのこともある。我が家で管理しておくのが一番だろう」


 複雑な心情を滲ませるジョセフの呟き。それで病に侵された従兄弟を思い出したのか、ダニエルも不承不承な態を隠さぬまま頷いた。


 こうして伯爵家の兄弟はセツを追っていく。


 その本人は樹海奥に家を造り、暢気に暮らしているとも知らずに。

 

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 異世界逃亡中 〜歌は世につれ、世は歌につれ〜 @430507

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