第2話 捕まるなんて聞いてないっ!


「……う~、どうしたら良いのさぁ~」


 大きな樽の中に潜み、周囲に耳を欹てるセツ。


 明け方近いのか空が白々としているが、テオドアの兄達とその従者らは未だにセツを探していた。逃げ出した深夜からこっち、すでに何時間も走り回って彼女はクタクタである。

 

「遠くには行っていないはずだ。テオが幾ら渡したか知らないが、まだ馬車も動いていない。探せっ!」


 探すなっ、諦めてようぅぅっ!


 声高に叫ぶのはジョシュア。三兄弟の長兄だ。三人ともテオドアと同じ金髪碧眼だが、実際には従兄弟で身体の弱いテオが療養に身を寄せている伯爵家の嫡男様らしい。 

 非常にガタイが良く、セツとは身の丈三十センチほども差がある。見下ろすように睨まれて、セツは小動物のように縮こまるしかなかった。


「だからっ! もっと穏便に行きましょうってっ! あの娘がテオの問題を解決してくれるやもしれないんですよっ?」


 少し焦燥気味に口を開いたのはエドワード。三人の中で一番物腰の柔らかい人物だ。

 他の二人は髪を短くしているのに、彼だけは背の中程まで伸ばしていた。テオドアも長くしていたので、この辺は個性かもしれない。

 三兄弟の次男。セツに対して妙に親切で、彼女は他の二人と別の意味でエドワードを警戒する。

 チャラ男とまでは言わないが、やけに軽く調子が良い彼。普通の娘なら、ああいった王子様然とした姿や好感を抱かせる台詞に心ときめかせるのだろうが、あいにく前世を思い出してしまったセツには通じない。以前のセツなら通じたかも知れないが、今のセツから見たら胡散臭いことこの上ない。

 

 ……知ってるわ~、優しげな顔で近寄ってくる親戚の男どもによく似た、あの笑顔。腹に一物も二物も持ってる顔だもの。


 前世は裕福な家庭…… というか、お嬢様と呼ばれる立場だった彼女は、十三歳にして達観せざるを得ないほど、人間の薄汚い裏側を見てきた。

 酷く悪どいやり口で金を稼ぐ両親。その煽りを喰らい、逆恨みや報復のスケープゴートにされたセツと弟。もろ犯罪的なことに巻き込まれたのも数しれず。中学生に上がってからは、性的な対象にも見られ、男の狡猾さを身を以て学習させられた。

 幸い父親の助けが速く、どれも大事には至らなかったものの、セツを人間不信に陥らせるのに十分過ぎる過酷な暮らしだった。

 その経験が彼女の脳裏に囁くのだ。あの手合いは油断のならない蛇だぞと。


 そんな辛辣な評価を少女から受けているとも知らず、エドワードは困惑下にジョシュアへ食って掛かっていた。

 そこに嘴を挟んだのは三男のダニエル。


「そんなことより、あの『歌』とやらだっ! 不味いだろ、あれっ!」


 何が不味いのさ。あんたらが歌えって言うから歌っただけじゃないのよ。


 末っ子のダニエルは、本気で真剣にセツを収監しようと追ってきている。


 テオドアを迎えに来た彼等は、少年の安否を確認してから詰め寄るようにセツへ近寄ってきた。そして尋ねたのだ。『貴女は魔女なのか?』と。

 周りの家族や村長に聞こえないよう小声だったが、酷薄な冷たさを帯びた声に驚き、セツは思わず全力で首を横に振った。

 それでも疑惑は晴れなかったらしく、セツの家族が止めるのも無視して彼女を迎えの馬車に押し込み、拉致同然に連れ去ったのである。

 相手は御貴族様だ。セツの家族には何も出来ない。それでも止めようと頑張ってくれた両親や兄らに、セツは微笑んで見せた。


『きっと何かの誤解があるだけよ。少し行ってくるわ』


 欺瞞だ。家族も村長も村の誰もがそう思った。貴族に拉致られた者が無事でいた試しはない。大抵は見るも無惨な結果が待っている。それでも戻れたなら僥倖だが、半数は戻ることもなく消息を断つ。

 世間一般の身分的な常識が頭をかすめ、この世の終わりのような顔をするセツの家族達。

 そんな悲壮感に溢れた人々に見送られ、テオドアの兄らに連行されたセツは、別邸とやらに着くやいなや、歌を歌えと命令されたのだ。

 カラオケでもあるまいし、人様の前で披露することに慣れていないため戸惑う少女。しかし、有無を言わせぬ真剣な三人の眼差しに気圧され、とうとうと静かに歌った。

 セツが披露したのは『荒城の月』。テオドアに聞いた話が事実であるなら、この世界は音楽が廃れて長いはずだ。今時な歌やテンポの早い物は、多分、彼等に理解出来なかろう。色々考えた末の選曲である。


『……千代の松が枝、わけ出でし。昔の光、今いずこ……』


 シン……っと聴き入る三人の兄とテオドア。


 歌の番数が進むにつれ、どこからか咽びが聞こえた。真剣な面持ちで聞いていたテオドアの兄達の顔がいつの間にか俯き、何かを堪えるように拳を戦慄かせている。


「……間違いない。伝承にある『歌』というモノだ」


 はあ…っと大きく息を吐き出して、ジョシュアが奥歯を噛みしめるように顔を歪めた。その瞳は潤み、目尻が赤くなっている。

 下を向いたままなエドワードの膝には数滴の水玉模様が描かれ、ダニエルに至っては声を押し殺して泣いている始末。

 歌に感情移入して涙するのは珍しくもない。地球の前世を持ったセツは、特に何も違和感を持たなかった。


 ……が、三兄弟は違ったのだ。


「やはり危険だな。このように胸を締め付ける想いを他者に与えられるというのは…… これが人々を狂わせ、戦に誘うというのも納得だ」


 斜め上半捻りに納得すんなっ!


 思いっきり誤解され、そんな理由で火炙りにされるなど冗談ではないとセツが口を開きかけた途端、末っ子のダニエルがボロボロ泣きながら彼女を後ろ手に捕えた。


「……悪魔がっ! これで周りを洗脳していたのだろう? ……こんな気持ちにさせられたら、誰だってお前の言いなりになる他ないよなあっ?!」


 どんな気持ちだよっ! 昔の栄華を偲ぶだけの歌じゃんっ!! この世界でも分かりやすい歌を選曲したのに、なんでこうなった?!


 あれよあれよという間に両手を縛り上げられたセツは、ご丁寧に猿ぐつわまで噛まされる。


「俺達を操るのは無駄だからな? 歌わせないぞ? ……くそぅ! 先程の歌も没落を仄めかす歌だったな? ……今の時代をそのようにする気なのか?」


「……へぅ? ふぁ…… うーっ?!」


 忌々しげに睨みつけてくるジョシュアの言葉を理解して、ようようセツも合点がいった。あの歌詞を深読みしたなら、今の時代もいずれは歌のように朽ちるという、不穏な予言にも聴こえなくはない。

 ここが中世観の強い世界だということに、セツは理解が及ばなかった。迷信や呪いが絶賛生きている世界だ。しかも音楽という概念のない異世界。歌詞に心を震わされても恐怖でしかないだろう。

 特に、歌を識らない三人には効果覿面。事実、荒城の月に感情移入し、涙してしまった彼らの受けた恐怖は如何ばかりなモノだったか。


 選曲、しくったぁーっ!! これならまだ、意味不明なアニソンでも歌った方がマシだったわぁーっ!!


 うわああぁぁっ!! と混乱するセツが彼等に拘束され、運ばれようとした時。

 かたん……っと小さな音が鳴り、部屋の扉の隙間からテオドアが入ってきた。

 その足取りは覚束なく、ふらふらと千鳥足な少年をダニエルが慌てて支える。


「大丈夫かっ? ああ、これだから邸から出したくないんだ! すぐに薬師を……っ!」


 青褪めた顔のテオドアは呼吸も荒く、微かに震える指先で縋るようにセツの袖を引いた。その行動に驚きつつも兄ら三人は少年を心配げに見守る。


「……セツ。歌っ……て?」


「は……?」


 訝しげに瞠目するダニエル。しかし、そんな彼を余所に、テオドアの様子はどんどん酷くなっていった。みるみる弱っていく少年を見かね、ジョシュアが大きく舌打ちしながらセツの猿ぐつわを外す。


「……手紙にあったことが本当なら。……試してやる、歌ってやれ」


 なんのことやら分からないが、確かにセツは自宅でもテオドアの具合が悪くなると歌ってやっていた。常に彼女について周り、歌をねだっていた少年。

 取り敢えずと、セツはテオドアの望むとおりに歌ってやる。選曲は三日月娘。しっとりと言葉を紡ぐ彼女は、息を荒らげる少年を撫でるように柔らかく歌った。

 セツが全番歌い切ったころ、テオドアの呼吸も落ち着き、少年は穏やかな寝息をたてはじめる。どこか身体が悪いのだろうかと、セツがテオドアの顔を覗き込んでいた時、周囲で大きく息を呑む音がした。


「……まさか。本当に?」


「偶然だっ! 禍の種に人を癒やす力があるわけないっ!」


 いや、音楽には癒やしの力がある。科学的に立証されたわけではないが、そういった効果は判明してるよね。


 驚愕に顔を強張らせるエドワードと、それを否定するダニエル。ジョシュアは瞠目しつつも無言だった。




「……で、この有り様かい」


 両手両足を枷に繋がれてセツはベッドに座る。


 ジャラリと硬質な音を立てる鎖が、それぞれを繋いでいた。身動きしずらくも動けはする状態。両手両足を繋ぐ鎖をぴんっと引っ張りつつ、セツは深々と溜息をつく。

 こんなモノを用意していたあたり、セツの拐取は計画的だ。このまま牢屋にでも放り込まれるか、どこかに閉じ込められるか。どっちに転んでも嫌な予感しかしないセツ。


 なあぁぁんで、こうなるのかなぁ?


 うううっと情けない声をもらして、ベッドにバサっと横たう少女。そこへ微かなノックの音が転がってきた。

 コン…コン…っと控えめで小さな音。


「……起きてますか? いえ、起きて? セツ?」


 すがるように絞られた切ない声音。それは聞き慣れた少年の声である。しばらくして、カチャ…っと鍵のあく音と共に扉が開き、狭い隙間からテオドアが顔を出した。

 そして鎖に繋がれたセツを見て、思わずといった感じに顔を歪める。


「……ごめんなさい、僕が兄様達に余計なことを。歌を知る君が魔女として裁かれないように、前もって伝えてしまったんです。……こんなことになるなんて」


 ぅ…っ、ぅ…っ、と嗚咽をあげ、テオドアは事の成り行きをセツに話した。

 助けられた後、彼は領主に手紙を預ける。セツが歌を知り、歌えること。彼女は何も知らない平民で、歌うことが禁忌だとも知らなかったこと。

 ……そして、なぜか、その歌を聞いていると、テオドアの病が鎮まること。


「病? テオって病気だったの?」


 ぎょっと顔を見張るセツに苦笑し、テオドアは小さく頷いた。


「病というか…… 魔力欠乏による体調不良と内臓の老化です」


 体調不良はともかく、内臓の老化?


 テオドアは語る。この世界の王侯貴族達は魔力を持ち、それを蓄える身体をしているのだと。平民とは造りからして違い、魔力を司る器官が体内に存在する。

 事故などによって、その器官が損傷したり切除せねばならないなどの不遇に見舞われると、途端に体内の老化が始まるらしい。

 魔力があることを前提とした構造なのだ。魔力を失うと弱い部分から徐々に壊れてゆき、最終的に死を招く状態。それが魔力欠乏症である。


「僕は三年ほど前に魔力器官を損ないました。結果、魔力を身体に蓄えておくことが出来なくなり、常時、誰かから補給を受けねば生きてゆけなくなったのです。……その補給をしてくれているのが、従兄弟の兄様達でしたが。……こんな出来損ないは家の恥だと、実家を追い出されまして。そんな僕を拾ってくれた兄様の家族には感謝の言葉しかありません」


 ぼそぼそと呟かれる彼の生い立ち。


 要はアレか。糖尿病や腎疾患みたいなモノか。常にインスリンや透析を必要とし、それが無くば死に至ると。


 魔力という不思議現象も、現代知識を持つセツから見たら、けっこう理にかなっている。仕組みは分からなくとも理屈は分かる。


「その器官は移植とか出来ないの? あ~、するとしても生体からしか取れないし、ここの技術じゃ無理なのかな?」


 肝臓みたく一部切除で植え替えたり、腎臓みたく複数あるならばともかく、万一、心臓のように一つしかないとなれば死人からもらう他ない。

 そこまで考えて、セツは嫌な予感が脳天を貫いていった。


 ……いや、待って? アタシが知る限り、この世界の王侯貴族は身分をかさにきてやりたい放題よね? もし、そういった技術の存在を知ったら…… どれだけの人間が被害に遭うか。


 テオドアの様子を見る限り、そんな技術はないのだろう。あったとしたら、生きたままの人間から無理やり取り出す残虐な手術が、とうに横行しているはずだ。


 想像するだに悍ましい。


 やっゔぁい。下手なことは口に出来ないわね。


 大して知りもしない知識を根掘り葉掘り聞かれたあげく、成功するまで拷問のような実験に付き合わされかねない未来を垣間見、セツは貝の如く口を閉じた。

 地球世界の過去にだって、そういったマッドサイエンティストは掃いて捨てるほどいたのだ。生きた生身の人間を検体にして切り刻んだり、家族や知人を毒牙にかけたり。

 不老不死などの妄想を現実にしようと屍の山を築いたり。医学的見地からは崇高な行いであったとしても、阿呆ぅによる人類の愚行は枚挙に暇がない。

 こんな中世感満載な世界でそんな妄想に火を灯したら、阿鼻叫喚な地獄絵図まっしぐらである。


「いしょく……? とは?」


 ぽやん? と首を傾げるテオドアに苦笑いを返し、セツは話を戻した。


「なんでもないわ。つまり、テオは病気なのね? それで親戚宅に身を寄せていたと。その病気が、アタシの歌で鎮まったの?」


「そうです。いつも体内深くで疼く痛みが、溶けるようになくなって…… 兄様達から魔力を注いでもらっても消えなかった疼痛までなくなりました」


 セツは冷や汗まみれで喘いでいたテオドアを思い出し、つと眉根を寄せる。こんな幼いのに、身体を蝕む酷い痛みと一人切りで戦っていたのだ。そう思うと彼女は胸が締め付けられる思いだった。

 じわじわ内臓が壊れてゆく。それはきっと、想像を絶する苦悶だろう。例えるなら地球でいう癌のようなモノ。

 なぜに、その痛みがセツの歌で消えるのかは分からないが、そんな異常事態が起きれば慌てて身内に相談するのも頷けた。テオドアの長い苦しみを思えば当たり前のことだろう。そして、それを失いたくないと考えるのも。


「そっか。テオにはアタシの歌が必要だったんだね」


「はい…… 欲しかったんです。僕、ここ数年、走り回ったり、釣りをしたことなんかなくて。……楽しかった。ずっと続いて欲しかったの」


 ぐすぐす鼻をすすりつつ、零れる涙を拭うテオドア。


 彼はセツの家に滞在していた間、普通の少年と変わらなかった。一緒に洗濯物を取り込んだり、セツの兄らと釣りに行ったり薪割りを体験したり。

 好奇心一杯に輝いていたテオドアの瞳。

 御貴族様には珍しかろうなと笑って見ていたセツだが、まさか、その笑顔の裏に病症の陰惨な陰が渦巻いていたとは思いもよらなかった。


 それで彼はセツを欲したのだ。正しくはセツの歌を。切実な気持ちで早馬の手紙にしたためた。


 たぶんテオドアの従兄弟らは半信半疑だったに違いない。……が、その効果を目の当たりにして、彼等はセツを化け物のように見る。

 結果、この有り様。テオドアの病に有効だと発覚はしたものの、上にバレたら御家が取り潰しになりかねない大事。なにしろ魔女の降臨だ。王宮に捕まろうモノなら問答無用で火炙りの重罪人。


 ……ないわー。理不尽すぎるでしょ。


 己の境遇を呪いつつ苦虫を噛み潰すセツの枷を外し、テオドアは懐に隠していた革袋を押し付ける。

 硬質な音のする革袋の中身を察して、セツは少年を見据えた。


「……逃げてください。僕は、こんなこと望んでなかったんです。セツと静かに暮らせたら良いなと…… ただ、それだけ……っ、で……、うぅ……っ」


 テオドアの大きな眼に溢れる涙が、ほたほたと顔を伝う。それを優しく抱きしめてセツは頷いた。


「ありがとうね。絶対逃げ切るから。だから気にしないで。テオも元気でね」


 こうして少年の手引で逃げ出したセツは、狭い樽の中で絶体絶命に陥っている。


 んもーっ!! とっとと諦めてよねーっ!!


 脳裏で叫ぶ少女だが、それに反し、夜が明けても執拗に追いかけてくる彼らとの鬼ごっこは続く。

 世界の理不尽を一身に背負い、逃げる彼女の逃避行は終る気配を見せなかった。

 

 

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