中学生が夜逃げした話

埴輪

中学生が夜逃げした話

 ──たとえば。


 両親が離婚したり、海上自衛隊の入隊試験に落ちたり、住み込み(四畳半)で新聞配達をしたり、姉と音信不通になったり、姉と父が違うことが判明したり、オンラインゲーム上の友達に教えていない本名で呼ばれたり、勤めていた会社がなくなったり、失業保険を貰いながら執筆生活をしたり、トイレ休憩時にもタイムカードを切らされる会社を初日で辞めたり、真夏の倉庫でルーターの清掃をしたり……などなど、黒歴史に属しそうなことは数あれど、このネット社会、どれもありきたりと言うか、検索すれば体験談が見つかりそうなものばかりで、今更、私が何か伝えられることがあるのかと考えた際、「夜逃げ」なら稀有な話ではないかと思った次第。


 当時、中学生だった私は、学校から徒歩3分、1階にローソン(元サンチェーン)を構えるマンションの2階にある4LDKで、父と二人暮らしをしていた。


 上記の立地に加え、父は仕事で不在がちな上に、各種ゲーム機……ファミコン、スーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブ、ネオジオCD……が完備されていたこともあり、放課後の我が家は格好の溜まり場と化していた。


 私自身、その生活を大いに楽しんでおり、友達と大笑いしては小児喘息の発作を起こし、吸入器のお世話になることもしばしばだった。


 ──だが、そんな日々は唐突に終わりを告げられた。一枚の張り紙によって。


 玄関のドアの方から、何やらゴソゴソと物音がすることに気づいた私は、何だろうと様子を伺い、それでもゴソゴソが止まず、のぞき窓でもよく見えなかったのでドアを開けてみると、見知らぬおじさんが立っていた。


「これ、お父さんに見てもらってね」


 ……何かそんなことを言われたように思うが、正確なことは覚えていない。


 ともあれ、ドアに張られた張り紙の内容は、家賃滞納が云々、今月末までに立ち退かなければ云々と、そういった内容が赤文字で書かれていたように思う。


 何事かと様子を見に来た友達もその張り紙を目撃し、何やら揃って大爆笑したような気もするし、気まずく静まり返ったような気もするし、ただ確かなのは、そのまま部屋に戻ってゲームを続けたということである。


 現実逃避にゲームほど最適なものはなく、友達もいればなおさらである。


 やがて日が暮れ、友達を見送ると、後には張り紙という現実が残された。


 こんな時、今ならネットで検索という道もあっただろうが、当時はネットどころか携帯電話すら普及しておらず、せいぜい、ポケットベルがあったぐらいである。

 

 頭の中にはゲームとアニメ、漫画の知識しか詰まっていない中学生の私ができることと言えば、父の会社に電話をかけることぐらいだった。


 前述の通り、携帯電話は普及していなかったため、父と連絡を取る手段は会社への直電しかなかったのだが、いくらコールしても繋がることはなかった。


 ……今振り返っても、当時の私は本当に無力だったと思う。


 子供だから当然とは言え、所持金は父から与えられたお小遣いと食事代のみ、移動手段も自転車か電車、バスぐらいで、可能なことは本当に限られていた。


 そんな無力な子供が頼れる大人は、親しかいない。


 私が次に電話をかけたのは、母だった。


 両親が離婚した後も、私は母と連絡を取ることができた。


 幸いにも、母は再婚後も私の家から自転車で15分ほどの場所で暮らしており、時々手料理を食べにいくなど、家族としての交流が続いていたのである。


 事情を知り、「こっちに来なさいと」と即答した母の行動は迅速だった。


 母はすぐに旦那さんが運転するワンボックスカーで自宅に駆けつけると、勉強道具や着替え、各種ゲーム機などを車に詰め込み……かさばる百科事典や日本昔話全巻は救えなかった……、私ごと住まいのアパートまで連れ出してくれたのである。


 実際の移動時間は10分に満たなかったと思うが、道中の車内はやけに暗く、計器類の明かりだけが妙に鮮明だったという光景は、今も忘れられない。


 ──以上が夜逃げの全貌だが、それで私の生活が大きく変わることはなかった。


 もちろん、変わったこともある。


 母と旦那さんが二人で暮らしているアパートに転がり込むことになった以上、友達を招いてゲーム三昧とはいかなくなったし、そもそも、通学に徒歩30分はかかるようになってしまった僻地に、友達を招くことは難しかった。


 だが、変化らしい変化と言えばそれぐらいで、残りの中学校生活から、その後の高校生活に至るまで、夜逃げが何らかの支障を及ぼすようなことはなかった。(共同生活を送る中で、母の旦那さんがヤバい方であることが露呈し、とにかく家を出るために海上自衛隊の入隊試験を受けたり、新聞奨学生として住み込みで働きながら大学に通う道を選んだりすることになるのだが、それはまた別の物語である)


 恐らく、私が知らないところで、母が事務手続きに奔走してくれたのだと思うし、実際、家庭裁判所で親権を母に移すことになった際、私が名字の変更を拒否したことで、いらぬ面倒をかけてしまったことは、今も申し訳なく思っている。(ただ、名字と名前の並びが気に入っていたので、変えたくなかった) 


 友達は友達で、変わらず友達でいてくれたし……溜まり場が目的だった友達は離れていったが……、ゲームも変わらず現実逃避に最適であってくれたことも、夜逃げという現実を経てもなお、変わらず生きてこられた秘訣かもしれない。


 ちなみに、父とは私が大人になってから、電話で話をする機会があった。 


 父は終始謝罪の言葉を述べていたように思うが、私としては何も言うことがないというのが本当で、不適切かもしれないが、私にとって父は死よりも遠いところにいってしまった存在であり、現実感を抱けなくなってしまったのだろうと思う。


 助けを求める子供の声に応じる存在……それが親だと、私は思う。


 ──それはそれとして。


 こうして改めて言語化してみると、「夜逃げ」という言葉のインパクトに見合わぬ拍子抜けな内容で、物足りなさを感じている方もいるだろう。

 

 ただ、実際に逃げるということはそう大それたことではなく、もちろん、状況次第で深刻さも千差万別だとは思うが、逃げることで全てがおしまいになってしまうということはなく、それなりに、どうにかなってしまうものではないかと思う。


 実際、私の場合はどうにかなったわけで、ただ、どうにかなったという経験ができたのも、生きていたからこそ……それは、疑いようのない事実である。


 ──私が生まれる前。母は幼かった姉を連れ、逃げ出したことがあるという。


 それは母が逃げないと命が危ないと判断したからであり、そのお陰で私がこの世に生まれることができた訳で、本当によくぞ逃げてくれたと思う。


 私は今や大人となり、子供のように無力ではない。


 ネットで何でも調べられるし、近年ではAIが話し相手にもなってくれるようで、本当にもう、すごい時代になったものである。


 そして何よりも、母がまだ健在であるということが心強い。


 この先、また夜逃げするような事態に陥らないことを願っているが、いざそうなってしまったら、私は全力で逃げようと思う。(はぐれメタルもかくや)


 生き続ければ、いずれ音信不通の姉と再会することもあるかもしれないからだ。


 ──最後に。


 カクヨムがオープンして以来、プロデビューするまで書き続けようと心に決めた近況ノートの総文字数が90万を突破し、今もなお完結の日が見えないという現実こそが、何よりの黒歴史であることは言うまでもない。


 どっとはらい。

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