〇〇〇〇〇ー、刑務所へ行く

小口刀矢

下獄初日 性犯罪者の落書き

『オレピンク ちょうえき23年だわ しね』

 川越少年刑務所に来た初日、最初に印象に残っているのはどこぞの誰が書いたか知れぬそんな落書きだった。

 チョーエキ(囚人)たちが“ビックリ箱”と呼ぶ個室の扉の内側、つまり私の目の前にその落書きはあった。中には何も持ち込めないので落書きは爪で刻み込む形で書いてある。他にも目をやると「オレは21年 チョーエキがんばる」という落書きもある。ヒマな奴らだ。お前らの懲役など知ったことではない。第一ピンク(性犯罪)で二十三年も食らうなんて強姦致傷や強盗強姦を繰り返した暴れクソチンポに違いない。自業自得だ。

「刑の言い渡しは?」

「懲役〇年です」

「満期は?」

「平成◯◯年◯月◯日」

 箱の中でじっとしていると外からオヤジ(刑務官)と他の移送者の声が聞こえてくる。一人ずつ箱から出してそれぞれの刑期と刑の満了日を答えさせているらしい。

  GW《ゴールデンウイーク》明け、私は十人足らずの移送者の一人として東京拘置所からこの川越少年刑務所へと移送されてきた。到着直後の身体検査と領置品(所持品)調べを終え、今はこのビックリ箱で待機させられている。

「懲役◯年」

「懲役〇年」

 刑期はどれも私と似たり寄ったり。この中で私の刑期は平均値アベレージにあたるようだ。

 三月に判決とアカオチ(刑の確定)が決まった私は移送待ち受刑者として東拘内の独房で刑務作業――小型の紙袋をひたすら折ってゆく「紙折り作業」――に勤しんでいた。独房の孤独や退屈に耐えられない受刑者は少なくないというが、単純作業が好きで内向的な私にとっては居心地が良く、今日の移送も嬉しさよりもだるい気持ちの方が大きかった。

「小口」 

 声と同時に扉が開いた。私は返事をしてバインダーを持って立っている金線(刑務官の管理的立場)のもとへと向かう。

「刑の言い渡しは?」

「懲役×年です」

 懲役×年――こんな中途半端な刑で終わるつもりはなかったし、そもそも刑務所に来る予定すらなかったのだが、不本意な結果で終わった以上は仕方がない。

「刑の満了日は?」

「平成〇〇年〇月〇〇日です」

 東拘のオヤジからしっかり覚えておくようにと言われたので淀みなく出た。

「頑張っていけそうか?」

「いえ、あまり……」

 経験上、こういう場面では嘘でも「はい」と答えるのが筋なのは分かっていたが、こんなところに来てまで取り繕う必要性は感じなかった。

「なんで? お前、刑期もそんな長くねぇじゃねえか?」

「まぁ、そうですけど……」

 ――◯刑になるつもりだったので――

 流石にそれは言えなかった。

「まぁ、頑張れよ。これからお前の番号は八百七十五番だから、よく覚えておくように」

「はい」

 八百七十五番――これが川越にいる間の私の記号。

 ここに来る前の留置場でも拘置所でも称呼番号は与えられていたので大きな感慨はない。もっとも番号で呼ばれるのは朝夕の点呼の時くらいで基本は苗字で通っていたから番号はそれほど重要な存在ではなかった。


 所定の手続きが終わると移動となった。寮ごとに分散して四人組の一人となった私は布団や衣類、私物の本などをまとめてシーツにくるんだ荷物を両手で抱えて歩き、独房が並ぶ棟へ到着した。この棟には我々のような新入りのほか、別の刑務所への移送待ちや調査懲罰中の者たちが暮らしていると知るのはしばらく経ってからのことだ。

 独房が並ぶ二つの廊下の間にある中央スペースに来たところで猪八戒のような豚顔のハゲが声をかけてきた。こいつがこの棟を取り仕切るオヤジだろうか。

「これからちょっとオリエンテーション始めるからな。各自荷物を部屋に置いたらここに戻ってくるように」

 指定された部屋に荷物を置いて中央スペースに戻ると、猪八戒から一日の流れや刑務作業についての説明が始まった。なんとプラスチックのハンガーに付いたシールの剥がし痕を布で擦って綺麗にするのがここの作業だという。拘置所の紙折り作業の方がまだマシではないか。

 その後は基本動作の練習。その場で行進をしたり、「前にならえ」などのフォームを教わる。細かい点を除けばかつて少年院で叩き込まれた動作と同じ。懐かしさとバカバカしさが胸中にこみ上げてくる。

 オリエンテーションのあとは部屋で棚や座卓の引き出しに物品をしまったり布団を整えたりして身辺整理を始めた。新築に近かった東拘とは違って川越は年季が入っていた。敷いてある畳は傷んでいるうえ、右側の水道と便所付近はなぜか濃緑色のコンクリートになっていて陰鬱さを感じさせるし、長年の使用によってアンモニア臭もほのかに漂ってくる。東拘に比べて照明も雰囲気も暗く、清潔感よりも不潔さが感じられる。逃走防止のために鉄格子がついた窓の向こうは更に磨りガラスの窓が覆う二重構造になっている。ムショに来れば外の景色が見られるという期待は外れた。ボロ部屋のうえに外に広がっているはずの青空や草木を見られない殺風景ぶりは嫌でも気が滅入ってくる。

 犯罪者である以上、こんな環境でも仕方がないのは分かっている。が、「空を眺める」という、社会にいれば空気を吸うように当たり前だったことが出来ないのは堪える。

 しばらくすると運動の時間に呼ばれた。運動時間中は雑談が許されるというので鉄柵を巡らせたグラウンドの下、話が始まった。

「ここ、汚いですよねぇ」

「落差がすごい」 

「まぁ東拘が綺麗すぎたんでしょうねぇ」

 コミュニケーション能力の低い私は話に入れなかったが、拘置所ではずっと独房だったのこともあり話を聞いているだけでも新鮮さを感じた。

「小説、どんなの読みます?」

「ミステリーが多いですね。京極夏彦、って知ってます? 長髪で袴を着てて……」

 コミュ障の私でも加わりたくなる本の話の途中で運動終了の号令がかかった。


「おい」

 運動時間のあと部屋で読書をしていると声がした。廊下側を向いたうつぶせの姿勢のまま顔を上げると、扉の中央にある監視用の覗き窓からマスクをかけた若いオヤジが睨みつけている。猪八戒とは別の巡回のオヤジらしい。

「横になったまま読書すんな。横になっていいのは仮就寝になってからだ」 

 仮就寝というのは夕方の点検終了後から二十一時の本就寝までの余暇時間のことである。刑が決まっていない未決囚の時は終日横になっていても問題はなかったが、既決囚となった今は許されないことをすっかり忘れていた。

「もう未決じゃねぇんだからしっかり意識しとけよ? 分かったな!?」

 ――ちっ、うっせぇなぁ――

 猛禽類のような目つきと高圧的な口ぶりにスノボの國保和宏選手のような気分になる。が、ここで逆ギレしても何も益はないので素直に謝った。

「はい、すみません」

 到着時に説明を受けた通り、今の私は “分類生”という、プレ囚人の立場である。この先四週間、川越少年刑務所分類センターで生活を送り、そこでの生活態度や能力を総合的に審査されてどの刑務所に送るのかを決定される、いわば刑務所のセンター試験のようなものだ。

 ――あなた、川越行くよ――

 留置場でよく話しかけてくれたカード偽造のおっさんの言葉を思い出す。川越少年刑務所の悪い噂は留置場でも耳にしている。少刑は二十六歳未満の若い受刑者を集めている精神的に未熟で血の気が多い連中ばかりなのだろう。だが二十四歳で短期刑の私は分類終了後に川越に下獄する可能性が高い……。

 非ヤンキー、いじめられっ子、力がない、コミュ障、罪名、――自分がいじめの恰好の餌食になるのは分かりきっていた。元から望んでいなかった刑務所生活を送らされるうえにいじめを受けるなんてまっぴらごめんだ。

 刑務所について書かれた本によると、作業拒否を繰り返して制限区分が“四種”になればずっと独居にいられるらしい。四種になれば仮釈放の道が消えて満期出所が確実になるが、どのみち社会に出ても希望はない。分類センターにいる間は猫を被ってやる。だが、それが終われば好きにさせてもらう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

〇〇〇〇〇ー、刑務所へ行く 小口刀矢 @Toya_Oguchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る