それから食べる朝ごはん

@ihcikuYoK

それから食べる朝ごはん

***


「何卒、何卒……!」

「そんなこと言われても、ピー助もピヨ子も困るんじゃない?」

 早く目覚めてしまったそうで、かといって寝なおすこともできなかった夫は、冬眠前の熊のように落ち着きなくリビングと台所を行ったり来たりしていた。

 どうするのかなと見守っていたら、なにを思ったかリビングにある小さな小さな骨壺を拝みはじめたのだ。笑うところかと思ったが、目を瞑り手をこすり合わせる夫の横顔は真剣そのもので、私は口を噤んだ。


 茶筒ほどのサイズしかないその白とピンクの蓋物には、昔、我が家で飼っていた文鳥たちのくちばしや遺骨が収まっている。生前と同じく、本棚の上方に仲良く並んで鎮座していた。

 思えば短いひとときであったが、あのころ確かに我が家に幸せをもたらしてくれた家族の一員である。


 もう10年以上前のことだ。

 近所の一軒家に老夫婦が住んでおり、息子と娘がたまに学校のお友だちと遊びに行っていたのだ。そこで飼われていた文鳥目当てである。

 80近い老夫婦には子供も近しい親類もおらず、その代わりにこれまで様々な鳥類を飼い続けてきたそうだ(と、私たち夫婦は入り浸っていた息子から聞いた)。

 子どもたちが世話になっていると知り、菓子折りをもって挨拶をしに行くと老夫婦は微笑んで、

『皆がうちの子を可愛い可愛いと言ってくれて、嬉しかったですよ』

『鳥も懐いているし楽しそうだしねぇ、楽しい遊び相手と思ったんですかね』

いつでもおいで、と言っておいてください、と笑ってくれた。


 あるとき、そのあまりの可愛らしさについに我慢がならなくなったようで、

『うちでも文鳥飼っちゃダメー? ちゃんとお世話するからー!』

『小さいから、お部屋でお世話できるって。戸締りも気を付けるから!』

と、子どもらに拝み倒された。

 が、うちは夫婦共働きの家庭であったし子どもたちにも学校があるわけで、『数年しか生きられない命を片手間に飼うなんてできない、そんな無責任な飼い方はできない』と強めに窘めつづけた。


 だがしばらくして、おじいさんは遊びに来ていたいつもの子たちに、電話を貸してあげるから迎えに親を呼ぶように告げた。

 そんなことはいままでなかったので、(なにか粗相があったのだろうか、子供たちが失礼なことをしたのだろうか、小鳥に怪我でも負わせてしまったのだろうか)と私は慌てて駆け付けた。

 老夫婦の家の前には、ちょうど到着したと思しき他数軒の親連中が集まっていた。


 こちらの懸念もなんのその、おじいさんは我々を至極穏やかに招き入れ、されど子供たちと文鳥が遊んでいる部屋とは別の部屋へと迎え入れると、唐突に机に額をつける勢いで頭を下げた。

『……家内が入院しまして、その付き添いや世話で病院へ通うことになりました。

 このままでは、文鳥たちを寂しがらせてしまいそうなんです。ご家庭の都合が悪くなければ、皆様のお宅で引き続き可愛がってやってはいただけないでしょうか。

 老い先も短いのに可愛さに負けて飼ってしまった我々の落ち度であり、こんなことをお願いするのは本当に申し訳ないのですが……』

飼育に掛かる費用はもちろんうちがお出しします、どうかお願いいたします……、と言われ、慌てふためいた。


 あまりに真剣にお願いされ無下に断ることもできず、動物禁止のマンション住まいの家はさておき、ある程度自由のきく家庭は文鳥を数匹ずつ引き受けることになった。

 そんな経緯で我が家にやってきたのが、白文鳥のピー助とピヨ子である。

 幸いうちは一軒家であるし、皆で世話をすれば鳥に寂しい思いをさせることもないだろう、と私と夫は安易に考えていた。


 娘と息子は世話になったおばあさんの病に心は痛めたが、それ以上に小鳥の来訪に大喜びであった。冷たいようだが、子供なんてそんなものだ。喜びこそ大きく受け取るのが、若さなのだと思う。

 おじいさんに教わった世話の仕方も忠実に守り、窓と扉を閉めまわって鳥籠から出してやったりした。毎日毎日艶々の体毛を撫ぜ手づから餌をやり、暇さえあれば可愛がった。

 そして私たち夫婦も、世話をするうち小さな命にすっかりほだされてしまい、しばらく楽しく幸せな日々を過ごした。


 されど命とは残酷なもので、老夫婦のもとですでに6年生きていた文鳥たちは、我が家に来てたったの1年半で寿命を迎え死んでしまったのだ。


 文鳥たちが亡くなった旨を子どもたちと伝えに行ったところ、心労からか少しやつれたその人に、『ちょうど一昨日、ばあさんも亡くなったんです』と言われた。

 息子と娘はおばあさんのことを聞く前からずっと半泣きで、『頑張ったつもりだが自分たちのお世話の仕方が悪かったのだろうか、放課後もっと早く帰っていればもっと遊んでやれたのに、自分たちはいい飼い主ではなかったのかもしれない、ごめんなさい』と何度も目をこすっていた。

 おじいさんはベソを掻くうちの子たちを、どこか寂しそうな目で見つめた。

『……いっぱい可愛がってくれたんだろう? ふたりを見ればわかるよ。

 そんなに悲しんでくれるほど、あの子たちのことをたくさん可愛がってくれたんだから。2羽とも、君たちと過ごせてきっと楽しかったと思うよ。

 ――ただ、たぶんピー助もピヨ子も追いかけていってしまったんだろうなぁ』

ばあさんのこと母親みたいに想っていたから、と誰よりつらいはずのおじいさんが慰めてくれた。


 ほどなくしておじいさんから、『私も施設へ移ることにしました。優しい思い出をどうもありがとう』との手紙が届き、一軒家も取り壊され、かつて足しげく通っていた場所が更地になったのを見て子どもたちは大いにショックを受けていた。

 そのあと息子は友人に誘われ野球に励むようになり、娘も不思議な凝り性をあれこれ爆発させ、それぞれ少しずつ回復して、いまはたまに骨壺の前で足を止め、かつてそうしていたようにそっと指先で撫でてみるくらいだ。

 あんなに家族でメソメソと過ごしていたのに、私たちのピー助とピヨ子への想いは『楽しかったね』『可愛かったね』が大半を占める。

 幸せに過ごしたことばかり思い出されるのだ。人の記憶なんて勝手なものだと思う。


「朝ごはんどうするー? しばらく2羽にお願いしてからにする?」

「お願いしてからにしようかな……、なにかしたくても僕にはなにもできないから……」

「ピー助とピヨ子ならできるって?」

「そうだよ。可愛い子たちだったから、神様にも気に入られてるかもしれない」

ユウのことをどうかうまく言っておくれ、と、また手を合わせなおした。


 今日は息子の大学の合格発表の日である。

 神頼みまで始めた父親をよそに、当の息子はまだ布団の中であった。止まらぬ成長期で、本当によく食べよく眠る。勉強もよく頑張っていた。

『できることはやったつもりだし、今更なにを考えたって仕方ないって言うか』

などとあっけらかんと述べていたが、あの勉強嫌いの子が周りを驚かすほど頑張っていたので、結果に反映されたらただの母親としてとても嬉しい。


 軽いスリッパの音がした。

「おはよ、……? お父さんなにしてるの?」

娘の怪訝そうな声も、真剣に目を瞑る夫には届かなかったようだ。

「ピー助とピヨ子に、ユウくんの大学合格をお願いしてるんだってー」

「え、いま? 受験日じゃなくて?」

……私、お父さんのそういうとこちょっとよくわかんない、と言いながら台所にやってきた。

 冷蔵庫から牛乳パックを掴み、いつも通りお気に入りのタコ足がうねる赤いマグカップへ注ぐ。レンジに入れるなり慣れた手つきで、流れるようなボタン操作でピッピッと電子音を鳴らした。

 朝から冷たいのを飲むと下すから、と娘は必ず飲み物を温めてから飲む。


 私の隣でフライパンを覗き込んだ。

「朝ごはんなぁに?」

「目玉焼き。あとベーコン焼いたやつ。どうする? ごはんにする? それともパンに乗せる?」

こちらの問いかけに、子供のように「ウン」と頷いた。

 紛らわしいが、この頷き方はパンである。

 朝から冷たいカトラリーなんて握りたくない、かといってお箸を持ったりはなしたりするのも面倒くさい、と娘は具をパンに乗せて横着に食べることが多い。

 横着ではあるが、皿数も減るので洗い物も減ってありがたいので私もたまにそうしている。夫と息子は不器用なので、『その食べ方したら、パンの向こう側から具が全部落ちちゃうんだけど……』と、めったにやらない。


 さっきより大きめの足音が、パタパタと階段を駆けおりてくる音がした。

 にゅっ、と開きっぱなしのリビングの戸から満面の笑みが覗いた。起きたてなのか、後頭部には寝癖がついていた。

「おっはよ~~、受かってました~~! 高倉ユウ、無事第1志望合格でーす!」

いえーい、とケータイ片手にピースサインを向けてきた。

「おぉ、やったじゃんよかったね」

「ユウくんよかったねぇ、頑張ってたもんね」

「……! ピー助とピヨ子のおかげだ……!」

父親の涙目の発言に、「え、なんでピー助とピヨ子?」と首を捻り、「……まぁいっか、いつもありがとー!」と骨壺の前で手を合わせた。


「ユウくん朝ごはんなに食べるー? おめでたいから、お母さんリクエストに応えてあげちゃう!」

「えっ! えぇと、えっとね、じゃあ、たまごやき……」

 言いづらそうに言ったところを見ると、どうも息子の中でたまごやきは特別な食べ物ということになっているらしい。そういえばお弁当にしか入れてこなかったなぁ、と思い返す。

 巻くのが面倒だからと、朝ごはんはスクランブルエッグか目玉焼きで統一してきたのだ。

「たまごやきね。おっけおっけ、なら和食だねー」

「うん。和食ー」

 娘が無言で、弟が使うであろう海苔と鮭フレークの瓶を抱え食卓へと持って行った。相変わらず気のまわる子である。


 私も数歩先の食器棚を開く。スクランブルエッグを乗せるつもりだったカラフルな絵皿を戻し、隣の和食器へ手を伸ばす。

 我が家で洋食か和食かをわけるのなんて、せいぜい皿の形と海苔がつくかつかないかであった。和食器を使えば和食なのである。子供たちが幼いころからずっとそうしてきたので、息子も娘も特に疑問も不満も抱いていないらしい。

 ごはんも自分でお茶碗によそうし、味噌汁やスープが飲みたければレトルトを掴んで自分で勝手に作ってくれる。朝ごはんの仕度は私がするのだが、具を焼くか炒める程度ですんで大助かりだ。

 正直なところ、朝は4人分のお弁当(息子は2~3人前食べるので倍ほど作っている気分)で手一杯なのである。

 夫が根気強い人で、ふたりが自分で自分の世話を焼けるよう、早くからあれこれ教えてやってくれたのが良かったのだと思う。おかげで手のかからない子に育ってくれた、と満足していた。


 あ、先に言わなきゃと思ってなにもせずに来ちゃった、とりあえず歯磨いてくるー、とモゾモゾ言いながら息子は洗面所へと消えた。


 夫がその背を見送るなり、ポソリと言った。

「……寝起きなのになんで合格がわかったんだろう?」

まさか夢とかじゃないよね、と縁起でもないことを零すと、娘が即座に首を振った。

「たぶん彼女が連絡くれたんだと思うよ」

ユウ本人より熱心だったらしいから、ネット発表も確認してくれたんでしょ、と娘がピロピロと音の鳴るレンジからタコマグを取り出した。レンジ下の引き出しを引き、今日はコーンクリーム~と嘯きながらタコへと粉を投入する。

 夫がようやく食卓へ向かってきたので、できたばかりのそれを皿へ乗せ差し出した。

「ねぇ、目玉焼きにしちゃったけどよかったー?」

 訊いておきながら今更イヤだと言われても困るのだが、夫はいつも通り「うん、目玉焼きの気分だったんだ。ありがとう」と受け取った。

 他のなにが出てきても夫はそう言う。そんな夫を娘は、『お父さんは人間50周目だから』と言う。もうすでに悟っているから、私たちがどんな愚かなことをしてもいいよいいよと赦してくれそう、と。

 我が娘ながらなかなか芯を突いている、と思っていた。うら若き頃の私がこの人に猛アピールして結婚にまでこぎつけたその理由は、この人なら私が怪我をしても病気になっても見限らないと思ったから、であった。


 夫は嬉しそうに箸を取り、半熟になった黄身をつついた。皿が和食だろうが洋食だろうが、箸が落ち着く人なのである。

「噂の彼女さんかぁ、一度きちんとお礼を伝えたいな。どんな人だろうね」

「ちょろっと会ったことあるけどいい子だったよ」

 なんですと。聞き捨てならないぞ。

「~~ヒカリちゃん会ったことあるの?? ずるーい、お母さんまだ紹介してもらってなーい!」

「ずるいもなにも、たまたまその辺でふたりがいるとこに行き会ったんだもの」

 どんな子だった?? と興味津々で問いかけると、そういうのはユウに直接聞いた方がいいんじゃ……と言いつつ、面倒くさくなったのか口を開いた。

「なんだか育ちのよさそうなお嬢さんって感じだったよ。すごく丁寧で、ちょっと背が高めで」

お父さんよりはいくらか低いかな? 165以上ありそうだったけど、とスプーンで混ぜ終えた真っ赤なタコマグに息を吹きかけた。


 へぇー、と口から感嘆の声が漏れた。

 一度うちに遊びに来てくれたらいいのに。ケーキとか用意するのに。

「会ってみたいなー。ていうか最近の子ってみんな背が高いのね、カッコいいわー」

「そうだね。でも、ヒール履いて同年代の男の子を見上げられたのは初めてって嬉しそうに言ってたし」

もしかしたら気にしてたりするのかも、と娘は息を吹きかけ続けていたマグカップにようやく口を付けた。

 始終、嬉しそうに聞いていた夫はのほほんと口を開いた。

「じゃあ、彼女さんにとってもユウとご縁が繋がったのはよかったのかな」

「んー……、そう言われたらそうなのかな? いよいよ私の身長をあげた甲斐があった」

弟がもう少し小さければ、私だって170近くいけたんじゃないか。娘が固く信じている、謎の持論である。


 なんかすごい寝癖ついてた、と後頭部を撫ぜながら息子が戻ってきた。

 促すと慌てて椅子を引き、注がれたばかりの湯呑みを持たされた。

「はいじゃあとりあえず、ユウくんの合格を祝して――」

菜箸とタコマグとお箸と湯呑みが掲げられた。

「おめでとー!」「はい、ユウおめでとう」「おめでとう、いただいてまーす」

「ありがとー。あっ、お母さんたまごやきもありがと、いただきまーす」

 ……うちってなんだかバラバラだよねーと零すと、そう? と、それぞれが首を傾げた。


 ま、誰も気にしてないからいっか。


Fin.

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