第21話

「それで……あんた、これからどうすんの?」


 天井から重い雨音が響き、外は薄暗い。しかし、時刻はまだ午前十時十五分だった。

 京香は、もう一日分の労力を使い果たし――夕刻のようだと錯覚していた。臨時で休日になり、時間はたっぷりある。おかしな感覚だった。


「とりあえず、寝ます」


 瑠璃は空になったグラスをテーブルに置き、ベッドに腰掛けた。

 こんな時間から寝るのはだらしないと、京香は思う。だが、休める時に身体を休めておくのは、理に適っているとも思う。

 京香も麦茶を飲み終え、グラスは空だった。ここで去る流れであるとは、理解している。自身もまた、帰宅して休むべきだ。

 先ほどの気まずさが、全く無いわけではない。それでも、互いにいつもの調子に戻った今――京香は帰宅するのが、なんだか勿体ないと思った。


「せっかく来たんだし……もうちょっと構いなさいよ」

「えー」


 制止すると、瑠璃が露骨に嫌そうな表情を見せた。


「そんなこと言われても、何すればいいんですか? パーティーゲームなんて、持ってませんよ? ていうか、パッドひとつしかありませんし……」


 瑠璃は、テレビに繋がれたゲーム機に視線を送る。

 複数人で遊べない事情があるだけでなく、京香としてもビデオゲームの気分ではなかった。

 何をしようかと考える。この部屋ならではのことを――『ぁぉU』の背景だと、ふと思い出す。


「そうだ。私があんたのエロい格好、撮ってあげる。ひとりじゃ絶対に無理なアングル、あるでしょ?」


 この部屋に既視感、かつ瑠璃の匂いがするからだろう。京香の性欲は増していった。

 瑠璃は呆れた表情で、大きな溜め息をつく。


「朝っぱらから、何盛ってるんですか……」

「いっつも朝っぱらからエロい自撮りしてるあんたに言われたくないわ」

「あれは、閲覧されやすい通勤の時間帯を狙ってるだけです」

「へぇ」


 瑠璃なりに考えているのだと、京香は感心した。確かに、京香もまた朝に閲覧して励みになることが多い。


「大体ですね……ママに手伝って貰わなくても、ひとりで何でも撮れますよ」


 そう言い、瑠璃は姿見鏡を指さす。

 彼女に自撮り技術の自信があることは『支援者』である京香自身がよくわかっていた。これまで、様々なアングルの自撮り写真を見てきたのだ。

 それでもやはり、ひとりでは撮りにくい――或いは物理的に不可能なアングルが、ひとつあった。


「私ね、あんた以外にも『裏垢女子』の自撮り、いっぱい見てるのよ」

「そういうこと、堂々と言われても……。何のマイスターを気取るつもりですか」

「失礼ね。マイスターだからこそ、あんたひとりじゃ無理なものがわかるわ」


 京香は、金銭を稼ぐという瑠璃の目的を汲んだ。

 手っ取り早くプライベートSNSに誘導して支援させるなら、乳房を曝け出して自慰動画でも撮ればいい。いっそ、この場でやらせて撮影したいほどだ。

 だが、それは瑠璃の『基準』に反する。いくら脅迫している身とはいえ、下着は脱がない、そして顔を出さないという彼女の方針は守りたい。

 そのうえで、他の『裏垢女子』に有って瑠璃に無いものは――


「下アングルからの、たくし上げ接写よ」


 まだ朝方にも関わらず何を言っているのだろうと、京香にも僅かに恥じらいがあった。それでも、はっきりと口にする。

 衣服をたくし上げている姿を、なるべく近い距離で収めた写真が、京香は個人的に好きだった。

 テーブルの角から携帯電話のカメラを向け、セルフタイマーを使用すれば、一応は撮れるのだろう。しかし、現実的ではないと京香は思う。


「言われてみれば、確かにひとりじゃしんどいですけど……そもそも、そういうの要ります?」

「舐めないで。需要大アリで、絶対バズる。私が言うんだから、間違いないわ」

「なに自信満々に言ってるんですか……」


 やはりバカなこと言っている自覚が、京香にあった。

 聞いている瑠璃としても、恥ずかしいのだろう。無数のピアスが付いた耳まで、顔を赤くしていた。


「ほら、いいから立ちなさい。命令よ。従わなければ……わかるわね?」

「はいはい」


 呆れた様子の瑠璃を、ベッドから立ち上がらせる。京香は座ったまま、見上げた。


「とりあえず、ボトムス下ろして」


 瑠璃は黒のTシャツと、黒いリネン生地のイージーパンツだった。

 京香の命令に、黙ってパンツを下げた。


「へぇ。今日は可愛いの履いてるじゃない」


 白と黒の花柄レースのショーツだ。フロント部分にリボンがあるせいか、京香はあまりセクシーに見えなかった。

 今朝『ぁぉU』は投稿していない。副業としての活動だと、知っているからだろう。撮影がなくとも普段からこのようなものを着用しているのだと、改めて確かめる。


「あまり見ないでください……」

「そういうわけにはいかないわ。撮影するんだもの」


 先ほどまで気だるそうな瑠璃だが、内股で脚をモジモジと動かし、落ち着かない様子だった。京香は瑠璃の膝に触れ、肩幅まで脚を広げさせた。


「次は、Tシャツ脱がなくてもいいから……胸が見えるまで、たくし上げなさい」

「うう……」


 京香の命令に、瑠璃は渋々従った。ショーツと同じ柄のブラジャーが、豊かな乳房を包みこんでいる。

 耳まで真っ赤にした顔は横を向き、今にも泣き出しそうなほどの羞恥に満ちていた。


「いい格好ね」


 被写体になることは、普段の自撮りとはまた違うのだろう。思いがけない反応に、京香は恍惚した。

 カメラを起動させた携帯電話を、下から瑠璃に向ける。


「あら……。濡れてるじゃない」


 ショーツの股部で湿り気が次第に広がっていくのを、京香は見逃さなかった。普段の『ぁぉU』でも、滅多に見ない光景だ。


「ただの生理現象です!」

「そう? あんた、やっぱり根っからの痴女じゃないの? 見られて興奮するなんて、やらしいわね……」

「ち、違います!」


 瑠璃の言う通り、緊張からの分泌であると京香は理解している。それでも、知らない振りをして言葉で責め立てた。

 股を隠そうとする瑠璃の手を、払い除ける。ショーツ越しに瑠璃の股間に触れたい衝動が込み上げる。だが堪え、代わりに写真を撮った。


「ねぇ。あんた今、何されてるの?」


 携帯電話からシャッター音を鳴らしながら、京香は訊ねた。


「……写真撮られてます」

「何の写真?」

「……脱ぎかけの」

「脱ぎかけ? やらしい姿の、でしょ?」


 京香は興奮しながら撮り続けるも、ふと手を止めた。携帯電話の画面越しではなく、瑠璃の顔を直視した。


「私の分は、充分撮ったわ。あんたにあげる分、これから撮ってあげるから……私の方見て、おねだりしなさい」


 特に分別していない。適当に理由を作ったまでだ。

 瞳に涙を浮かべた瑠璃が、Tシャツをたくし上げて脚を広げたまま――京香を見下ろす。卑怯だと目で訴えかけられるが、京香はにこやかな表情であしらった。


「撮ってください……」

「何を撮ればいいわけ?」

「わたしの! 恥ずかしい格好を!」

「よく言えたわね」


 京香はご褒美と言わんばかりに、瑠璃の脚から顔までを画面に収め、シャッターを押した。

 罪悪感は一切無かった。この弱者を『所有物』だと再確認し――玩具として遊んだに過ぎない。とても満足だった。


 やがて、撮影が終わった。衣服を正した瑠璃が、ベッドの上で膝を抱えて座った。

 京香は隣に腰掛け、瑠璃の頭を撫でながら、撮った写真を見返した。


「……最悪です。過去一犯された気分です」

「なに言ってんの。あんただって、楽しんでたじゃない」

「どこがですか!」


 ムキになる瑠璃に、京香は微笑む。こうしてからかうこともまた、面白かった。


「何でもいいですけど、わたしが一肌脱いで頑張った写真……とりあえず送ってくれませんか? 一儲けするんで……」


 促されるように、確かに送らなければいけないと京香は思う。

 確かに、映りはとても良い。これまでの『ぁぉU』には無かったものだ。

 瑠璃が加工を施し、SNSにアップロードし――不特定多数の人間から閲覧される。反響はきっと良いだろう。

 そのように思うと、京香は素直に喜べなかった。


「やっぱり、ダメ。これは……私だけが楽しむモノよ。撮影権とでも思ってちょうだい。言い値で買うわ」


 こうして自分が撮ったものを、他の誰にも見せたくなかった。ここにきて、独占欲が働く。撮影を始めた時には、思いもしなかった。

 この提案に、瑠璃は半眼を向ける。


「お金出してくれるなら、まあいいんですけど……わたしにも人並に自己顕示欲があるというか……ぶっちゃけ、イイネ欲しいです」


 そして、恥ずかしそうに小声を漏らした。


「わたしは、欲しいものが手に入らない人間なんで……せめて、これぐらいはイキらせてくれませんか?」


 理由としてはもっともだと、京香は思う。SNSでしか自己顕示欲を満たせない、弱者ならではの主張だ。

 写真を譲らないことへの適当な理由には聞こえなかった。

 これまで瑠璃が自己顕示欲の欠片も見せず、金儲けのためだけに活動していたという認識だった。だから、京香は意外であり――瑠璃が『人並み』の感性を持っていることが、嬉しくもあった。


「しょーもないことでイキって、どうすんのよ?」


 京香は、酷なことを言っている自覚があった。小柴瑠璃という派遣社員を、全否定しているのだ。


「私があんたを、リアルでイキらせてあげる。もっと大きなことで、自己顕示欲を満たしなさい」


 そして、代替案を出した。

 具体的な内容など、この時の京香には無かった。それでも、弱者に対して約束した。『欲』を見せた所有物に、ただ手を差し伸べたかった。

 いい加減な言葉の説得力を強めるように、京香は瑠璃を抱きしめた。


「あんまり期待してませんけど……ちょっとだけ信じてみます」

「ええ。ママに任せなさい」


 瑠璃の気だるい様子から、あまり信用されていないと京香は察した。

 それでも構わなかった。この写真を誰にも見せないために――瑠璃を可愛がろうと思った。京香もまた、独占したいという『欲』を確かに見せたのであった。

 外から雨音がうるさく聞こえる。守るように、瑠璃を強く抱きしめた。



(第07章『大雨』 完)


次回 第08章『気まぐれ』

京香は売場の視察を行う。

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