第12話

 四月二十七日、金曜日。

 午後六時半に京香は仕事を終えた。そして、間に三日の出社日はあるが――大型連休に突入した。

 今日は週末だ。小柴瑠璃を脅迫してから、三度目の週末となる。

 瑠璃本人も察しているかもしれないが、京香は今夜も駅前で合流する旨を、念のため伝えている。SNSのDMではなく、携帯電話番号を先週聞き出したのであった。

 自動車で電車の駅まで走り、ロータリーで瑠璃を拾った。

 助手席の瑠璃は気だるげであり、浮かない様子だった。


「もっと喜びなさいよ。お小遣いにありつけるのよ?」


 先週、ホテルのレストランで強制的に『ママ活』の契約を交わして以降の再会となる。

 京香は相場を知らなければ、金額について瑠璃との取り決めもない。瑠璃からの提示も無いが、文句を言われない程度の金額を出すつもりだ。


「そうは言われても……今日は何をするつもりなんですか? もう変なコスプレだけは勘弁してくださいよ」

「ふっふっふ。それはどうかしら」


 京香に計画はあったが、伝えないまま目的地へと自動車を走らせた。

 やがて、スーパーマーケットの駐車場へと入る。


「今日はあんたに、ディナーを作って貰うわ」

「は?」


 黒いマスク越しでも、瑠璃がぽかんと口を開けていると、京香はわかった。

 後部座席から財布の入った鞄を取り、一万円札を瑠璃に手渡した。


「栄養管理士なんだから、料理できるわよね?」

「ひどい偏見ですけど……できなくはないと思います」

「それじゃあ、材料買ってらっしゃい。私はここで待ってるから」


 この地域では、会社の人間と接触する可能性が考えられる。瑠璃と一緒に居るところを、見られたくない。


「材料ていうか、何作ればいいんですか? ホテルで食べたみたいな、凝ったものは無理ですよ」

「そんなもの、私も期待してないわ。家庭的な料理が食べたいだけよ……。あんたの手料理なら、何だっていいから」

「いやいや、そんな無茶振りされても……」

「ほら、さっさと行く。ちなみに、メニューは見てのお楽しみだから、黙っておくこと」


 大雑把な指示をしている自覚が、京香にあった。しかし、困らせる意図は無く、あくまでも本心だった。

 瑠璃は溜め息をつくと、助手席を降り、ひとりで駐車場から店内へと歩いていった。


 ビニール袋を手に持った瑠璃が戻ってきたのは、それから二十分後だった。

 再び瑠璃を助手席に座らせると、京香は自動車を走らせた。


「あんたさ、自炊してんの?」

「はい。一番安上がりですから」


 経済面で仕方なくといった言い草に、京香は聞こえた。

 安価にカロリーを摂取するだけなら、料理にこだわらずともインスタント食品や菓子で足りるだろう。それでも料理をしていることから――ルーズな格好に反し、やはり栄養管理士らしく健康に気遣っているのだと思った。

 いや、それならば不可解な点がひとつある。工場での昼食を思い出した。


「へぇ。それじゃあ、お弁当でも作ってくればいいじゃない。毎日菓子パンだと、太るわよ?」

「ちょ――なに勝手に見てるんですか!? あれはいいんですよ。朝は無理に起きるより、一分でも長く寝る方が健康的ですから」


 朝弱くて起きれないのだと、京香は察した。おかしく笑う。

 そういう事情なら、昼食は社員食堂の定食にすればいいのに――そう口にしそうになるが、正社員の福利厚生になるため、派遣社員は利用できないことを思い出した。少し残念な気持ちで、ハンドルを握った。


 やがて、タワーマンションに到着し、京香の部屋へと上がる。

 瑠璃はキッチンカウンターにビニール袋を置くと、黒いマスクを着けたまま長い髪を束ねた。両耳にある無数のピアスが、京香に見えた。


「綺麗なキッチンでしょ? 好きに使ってくれていいからね」

「フライパンとか包丁とか、あるんですよね?」

「たぶん、あるんじゃない?」


 キッチンは綺麗というより、使用した形跡がほとんど無い。設備を確認する瑠璃を他所に、京香はスーツのジャケットを脱ぐと、リビングのソファーに座った。

 瑠璃が何を作るのか楽しみであるため、なるべく料理の様子を見たくなかった。

 適当にテレビのチャンネルを回しながら――食事前の空腹だが、テーブルに並んでいる瓶から安物のグレーンウイスキーを取り、ミネラルウォーターで割った。

 京香はさっぱりとした味わいの食前酒を楽しんでいると、キッチンから何かを炒める音が聞こえた。それに続き、ケチャップの匂いが漂う。何の料理なのか、想像力が駆り立てられる。


「出来ました。どこで食べますか?」


 瑠璃が料理をすること、三十分。声が届き、京香は立ち上がった。


「そっちで食べるわ」


 酒を飲むわけではなく夕飯を食すため、ダイニングテーブルへと向かった。

 ふたりがけの小さなテーブルに、瑠璃が完成した料理を並べていた。


「わぁ。そうそう、こういうのでいいのよ」


 メニューはオムライスとオニオンスープ、そしてサラダだった。それぞれふたり分が用意されていた。

 炊飯器を使用している様子は無かった。米はおそらく電子レンジで加熱するインスタントのものだと、京香は察した。

 とはいえ、オムライスの卵はやや不格好であり――見覚えのある食器を使用していることからも、京香に家庭的な料理だと感じさせた。

 椅子を引き、腰掛ける。


「言っときますけど、塩分もカロリーも、成人女性の一食分を余裕で超えてますよ? ぶっちゃけ、毒ですね……。ママに毒を盛りました」


 瑠璃が正面に座り、黒いマスクを外した。ピアスを付けた唇で、不敵に笑って見せる。

 栄養管理士の意見として、間違いないだろう。いや、意図的にそのようにしたとすら、京香は思う。


「別に、いいわよ。美味しいものは身体に悪いって、相場が決まってるもの。それよりも――ケチャップかけなさい」


 成分など気にすることなく、テーブルに置かれたケチャップを取り、瑠璃に向けた。

 ふたつのオムライスの表面は、どちらも黄色いままだ。

 瑠璃は釈然としない様子で受け取ると、京香の皿に、乱雑にケチャップをかけた。何かを形づくることなく、赤いソースが適当に散布された。


「もうっ。可愛くハートマークぐらい作りなさいよ」

「そういうキャラじゃないの、わかってますよね?」


 京香はケチャップを取ると、瑠璃のオムライスにある動物を描いた――つもりだったが、上手くいかなかった。


「何ですか、そのクリーチャー」

「失礼ね。誰がどう見ても、ネコちゃんじゃない」

「……たぶん、百人に訊いても正解は居ないような気がしますけど」


 瑠璃はそのように言いながらも、おかしそうに少し笑っていた。

 描いた京香本人も、不出来に笑った。

 準備が出来たところで、ふたりでオムライスを食べ始める。


「うん。美味しいわね」


 見た目の割に平凡な味ではなく、飲食店に匹敵かそれ以上だと京香は感じた。


「隠し味は、コンソメとウスターソースです。その分、塩分もマシマシですよ」

「へぇ」


 悪戯っぽく瑠璃が笑うが、京香の舌はそれらが含まれているとわからなかった。

 栄養管理士としての技能なのだろうか。もしくは『小柴家』独特の味なのだろうか。何にしても――


「あんたさ、どうして派遣やってんの? ちゃんと料理できるじゃない」


 そのような疑問が、ふと浮かんだ。


「いや……料理できたら、どこかの正社員になれるんですか? ていうか、普通にディスられてます?」

「ごめんごめん、そうじゃないのよ。あんた、有能じゃない?」


 京香は半眼を投げかける瑠璃に、言葉の意図を正しく伝えた。

 瑠璃の性的な部分以外に、優れているところを初めて目の当たりにしたような気がした。仕事でも――暗く大人しい人柄以外は、悪い話を聞かない。

 少なくとも、自分のように無能ではない。だから、純粋に疑問だった。


「わたしは有能でもないですし……こんなコミュ障の陰キャなんか、どこも欲しがりませんよ」


 瑠璃はサラダをつまみながら、自嘲した。

 自己肯定感がとことん無いのだと、唇のピアスを眺めながら京香は思う。性格によるものだろうか。おそらく、どう褒めても無条件で否定される。しかし――


「そんなことないわ。あんたは私と普通に喋れてるし、美味しい料理だって作れるじゃない……。私が出来ないことを出来るのは、凄いと思うわ」


 強引に挙げたのではない。京香の本心だった。

 特に最後の言葉は『無能』の自覚があるからこそ、そのような考えを持っていた。多くの人間に対し、尊敬の念を抱く。


「命令よ。私の所有物モノである以上、卑屈にならないこと。いいわね?」


 京香はさらに微笑み、拒否権の無い強い言葉を下した。


「は、はい……。そういうことにしておきます……」

「そこは感謝するところよ」

「あ、ありがとうございます」

「よろしい。頑張ったら、私がちゃーんと褒めてあげるからね」


 瑠璃がスプーンを咥えたまま、恥ずかしそうに俯いた。ピアスだらけの耳まで、真っ赤になっている。

 だが、次の瞬間勢いよく顔を上げた。耐えきれない様子だった。


「ちょっと! これのどこがママ活なんですか!? もうなんていうか、ただの家政婦じゃないですか!」

「別に、何だっていいじゃない。私があんたの時間買ってるんだから……。それとも、早くエッチしたいのかしら?」

「そうじゃないですけど……」


 京香は『ママ活』の定義を考えなかった。瑠璃の気持ちがどうであれ、料理と食事を金銭で強引に従わせている。京香自身が楽しい時間を過ごせるなら、それで充分だった。

 今夜は食後に酒を飲み、ベッドで一晩過ごすつもりだ。

 さらにその後のことを、ふと考える。


「あっ、そうだ。ゴールデンウィークだから、どこか出かけましょうよ」

「は?」


 家族や婚約者の都合もあるため、終始一緒には居られない。だが、一日ぐらいは瑠璃と過ごしたいと京香は思っていた。


「あんたの行きたい所でいいわよ。どうせ連休も引きこもってエロ自撮りしてるだけでしょ?」

「ち、違います! ていうか、いきなりそんなこと言われても……。無茶振り多すぎません?」


 京香は外で遊びたいものの、場所はどこでもよかった。それならば、瑠璃に選ばせたい。

 とはいえ、敢えて口にはしないが――同僚の目を警戒する以上、近場なら却下するつもりだ。そう考えると、確かに難しいと思う。

 瑠璃は『小遣い』にありつけるからか、休日に京香と出かけることを嫌では無いようだった。悩んだ様子で食事を続け、やがてスプーンを置いた。どうやら、思いついたようだ。

 まるで幼い子供が大人の顔色を伺うように、謙遜気味に京香を見上げる。


「わたし、前から一度行ってみたいところがあって……。ちょっと距離ありますけど、あそこはどうですか? ほら、えっと――」



(第04章『自己肯定感』 完)


次回 第05章『無邪気』

京香は瑠璃とテーマパークに出かける。

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