ダンテの問いかけ

脳幹 まこと

アニメで印象に残ったシーンの話


 今回はダンテという人物がした、ある問いかけの話をしたい。


 ダンテと言っても、イタリアの詩人で「神曲」の作者ではない。不朽の名作「鋼の錬金術師(以降ハガレン)」のアニメに登場する女性キャラクターのことだ。

 ハガレンはアニメ化を二回している。ダーク成分とオリジナル要素がてんこ盛りの初代と、原作を忠実に再現した二代目に分かれており、彼女は前者の方に登場した。


 ダンテを一言で形容するなら「人間離れした人間臭さを持った魔女」である。

 彼女は長い時を生きるなかで独自の価値観を得るに至った。

 終盤、主人公であり少年であるエドワードとの対面した際、彼女の価値観がよく分かるシーンがあるのだが、そこが印象に残って離れないのである。


 細かい点に差異はあるだろうが、大まかにはこういった流れだ。


 ダンテは長く生きる為に外法に手を染めてきたが、その代償として体に腐敗が起きていた。

 エドワードはその姿を見て「等価交換による当然の結果」だと嘲った。

 錬金術、すなわち世界のルールは等価交換であるとアニメ内で散々語られてきた。

 何かを得るには、同じだけの何かを差し出さなければならない。長い命を求めた代価として、醜い肉体となったのだと。

 しかし、ダンテはエドワードの語る等価交換の原則を「子供だまし」と一蹴する。


 彼女はまず国家錬金術師試験を引き合いに出す。国に認められるだけあって高い地位と名誉が手に入るが、ごく限られた才人しか合格出来ない狭き門である。

 合格のために何人もが勉強に人生を費やす、すなわち代価を支払っているが、実際に通るのはほんの一握りしかいない。

 そもそも錬金術を同じように学んでも実力には大きな差が生まれる。ある人が一生かけて到達した実績に、片手間でたどり着く人もいるわけだ。

 これを等価交換と呼べるだろうか?

 エドワードはそれに答えられない。彼は天賦の才ゆえに試験を余裕で合格しているから。


 続けてダンテは「人の命もまた平等ではない」と述べながら、一人の赤ん坊を見せつける。赤ん坊がその場にいる経緯もまたダークだが、今回は割愛する。

 彼女は赤ん坊を人質にしながらこう伝える。



 このままだと赤ん坊は死ぬ。本当に簡単に殺すことが出来る。

 なら、この子はただ死ぬために生まれたの? 必死に努力して生きるための代価を払っているのに、それで得られるのは死だけ。

 一方で多くの人を殺して生き延びている者もいる。

 どんなに生きようとしても、人は死ぬときには死ぬ。

 何の努力もせず富や権力に恵まれて一生幸福に過ごす者に比べれば随分と不公平ね。

 世界は随分と残酷なのね。

 こうなったのも、代価が足りなかったせいかしら?



 このシーンが与えた衝撃は大きかった。


 前述した通り、このアニメは根幹部分も含めて原作とは設定が違っている。それは錬金術の原理についても例外ではなく、端的に言えば使うたびヨソの誰かの犠牲を強いることになっている。

 そういった背景からまずエドワードをはじめとした錬金術師自体がかなり罪深い存在になっている。彼らはそれぞれ私欲で術を利用するから。


 だが、ダンテが伝えている内容は、それだけにとどまらない。


 等価交換とはつまり、過程を代価に結果を手に入れることだ。因果応報、自業自得と言ってもいいかもしれない。

 努力すれば成功する。善行は幸福を実らせ、悪行には天罰がくだる。

 この価値観は現実世界でも一般に広く知れ渡ったものだろう。


 さて、実際はどうか。


 どれだけ努力しようと報われない者。

 子供の頃から周りに支配され続けた者。

 長年の忍耐が実る寸前に死に至った者。

 巻き添えで一生物の傷を負った者。


 何をしても許される者。

 誰かを踏んでいることに気付かない者。

 危ない賭けに勝ち続けている者。

 天に二物を与えられた者。


 彼らは、彼女らは、律儀に代価を支払ったからこうなったのか。それとも怠慢、身勝手さゆえにこうなったのか。

 結果から何かを得ようとするなら、全てがダンテの問いかけに行き着くのである。

 このシーンを見たのは、本当にたまたまのことだったが、それ以降自分の中に、偶然と皮肉という二つの悪友が寄り添うことになった。



 先日、ハガレンのアニメについて思い返す機会もあって、この文章を書いた。


 原作を基にした二代目アニメは熱血ありギャグありホラーありバトルあり感動あり(加えて良いオッサン多数あり)の、各方面バランスの取れた優れたものだった。

 理想と現実の塩梅が良いからかウンザリしない。個性あるキャラ達が集まりやがて大きな力となるという話は、王道ながらやはり素晴らしいのだ。風化しないのもうなずける出来だった。


 初代アニメは、ガワこそはハガレンだが実態は異なるものだった。

 何と言うか悲劇性が強い。エドワードをはじめ、個性あるキャラ達が人間のごうに打ちのめされる話だった。コメディもあるが、後の悲劇を引き立てる為のスパイスに感じる。

 ただ、それで終わりかというとそうでもない。残酷な旅路を歩いた彼らが出した結論は、一種の身勝手さはあれど、人間として生きることの動機でもあって、否定できないものだった。


 ダンテの問いかけは動画サイトで見る限り、国外でも衝撃的だったらしい。

 そのコメントの中に、エドワードが返せなかった「答え」の一例があった。それを示して筆を置こうと思う。


 確かに等価交換は物理法則のような宇宙の「ルール」ではない。

 等価交換とは意味と目的に従って人生を生きることを選んだ人々によって作られ、維持された「約束」である。

 ダンテの語る不条理は確かに存在し、その前で約束はたびたび破られる。

 だがそれは約束が無意味である理由にはなり得ない。約束の為に人は強くなり、約束の為に人は優しくなるのだから。

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