実家のタンスを不用品回収に出そうとしたら、階段に挟まった。

しまるこ

実家のタンスを不用品回収に出そうとしたら、階段に挟まった。

(へぇ、タンスって階段に挟まるんだ)


二階のタンスを一階に運んだ。高さは180㎝ほど、奥行きは60㎝くらい。不用品回収に出すためだ。


この大きさのものを一人で運んだ。床を引きずりながらいき、階段から下ろしていったら、すっぽり埋まってしまった。


二階に戻そうと思っても、ほとんど隙間なく埋まってしまったので、裏にすら回れなかった。


ぬりかべ? ドッスン? スマホで撮っておかなかったのが悔やまれる。なぜブロガーのくせに写真を撮らなかったのかというと、このタンスの向こう側の2階に上がった先の俺の部屋に、スマホが置き去りにされていたからだ。


「ねえ、15時に回収の人が来るんでしょ!? そのときに運び出してもらえばよかったじゃん!」


「うん」


「こんな大きさ、一人で運べるものじゃないでしょ!」


「うん」


母に怒られてしまった。小生はもうすぐ35歳だ。


小生はなぜこんなことをしたのか。バカなのか。バカに違いないが、それ以上に欲に囚われていた。上級ミニマリストの性がじっとしていられなかった。すべて断捨離した後の、スッキリした部屋をはやく見たくて、15時まで待てなかった。


「えっなにこれ」


今度は姉ちゃんが出てきた。朝食を食べ終わったので、2階に行きたいらしい。


そう、朝食。今、何時ということを、伝え忘れていたな。


そのー、時間というのが、まぁ、朝の7時なんだ(笑) 朝の、いちばん忙しい時間にやってしまった(笑)


「えっ仕事遅刻するんだけど」


「……」


小生は現在、週に一日だけ働いて、残りの6日は一人暮らしニートをしている。基本的にはこの家から80kmくらい離れたマンションで、悠々快適に一人暮らしニートをしている。だから、仕事という概念がほとんどなくなってしまっていた。


「ねえ、本当に遅刻するんだけど」


「うん」


9年ぶりに姉と話した。小生と姉は世界でいちばん仲の悪い兄弟である。


9年も話してないと、その最後に話した内容ってどんなの? と聞かれることもあるが、廊下ですれ違ったとき、たまたま俺の喉が鳴って、「ん?」と聞かれて、「ん?」と返しただけである。


向こうのマンションにいる頃から、タンスがなくなった自分の部屋を何度も何度もイメージして、昨晩も楽しみすぎて眠れなかった。そのせいでこんな朝早い時間に起きているのである。朝7時。そわそわして落ち着かず、楽しみにとっておいたタンスの中身をぜんぶ取り出すという作業だけやってみると、思いのほか軽かったので、これなら一分で運び切れるかもと思い、凶行に出てしまった。


「ねぇ、本当に迷惑なんだけど」


「ほんと、余計なことしてくれるよね」


二人にブツブツ言われながら、タンスと格闘するのはつらかった。なんでここにタンスがハマっているんだろう? これは、本当に俺がやったのか? そして今から、俺がこれをどうにかしなければならないというのか? どうするって、ピッタリハマってるけぇ。前にも横にも後ろにも、まったく動かんけぇ。


「……」


背中に、二人の怒気に満ちた視線をひしと感じた。目からビームが出る、ゼルダのガーディアンみたいだった。会社員時代、パワハラ上司の前でビクついて作業していた頃を思い出した。快適なニート生活の、2号店と言えるようなこの家で、なぜこんな思いをしているのかわからなかった。寝汗が可愛く思えるような大量の汗をかいていた。


「これ削らなきゃダメかなぁ」


「クギ横から抜ける?」


「ここまでこれたってことは、前の方が狭くなってて、後ろの方が口径が広いってことかな?」と俺は言った。


「じゃあ後ろに押せばいいんじゃない?」と姉が言った。


三人でグッと後ろへ押してみた。


ミシシ……と、壁がいやな音を立てた。


「これ家が壊れちゃうよ」


「ちょっと怖いね」


「どうかな、ここを凌げばいいだけだから」


家が壊れるか、賭けだな。


俺はこういう土壇場になると、身体が勝手に動いてしまう習性がある。二人が腕を組んで考えているのをよそに、(ええい! ままよ!)と一気に押し出してしまった。


動いた……!


タンスが動いた……!


俺は嬉しくなって、振り返って二人の顔を見ると、二人は俺の凶行に唖然としていた。


「なんでそこでいっちゃうわけ……」


「もし壁が壊れたらどうするつもりだったの……?」


信じられないといったふうな顔で、本当に初めて出会う人を見るような目で、35年間一緒に生きてきた人の顔を見ていた。


確かに、運が良かったものの、最悪の場合、天井から2階が降ってきて、三人とも生き埋めになってもおかしくない状況だったかもしれない。


プリズンブレイクの三期の砂漠の刑務所編で、マイケルが天井の取っ手を外した際に、囚人が砂で生き埋めになったシーンを思い出した。



朝が帰ってきた。三人は水を得た魚のように、息を吹き返した死人のように、それぞれの生活動線に戻っていった。


俺はというと、タンスが動いたのはよかったものの、激しい摩擦で、木屑やら破片やらがたくさん床に散らばってしまったので、それを片付けることにした。階段の一段一段にあった滑り止めも、見事にすべて破壊されてしまっている。本当に迷惑なタンスだと思った。


しばらく俺は、水で絞った雑巾でそれを拭いていた。すると、


「えーー、何これ」


と、2階の洗面所から、姉の声が聞こえた。そのすぐ後に、「りょーーーーーーーーいちぃぃーーーーー!」と母親の叫ぶ声が聞こえた。


台所の流しが詰まってしまったらしい。小生は長男としての誇りを取り戻すべく、せめて後片付けぐらいはちゃんとしようと思って雑巾を濡らしたのだが、洗面台は、汚水が溜まって悪そうな色になって、人喰いネッシーが出てきそうになっていた。


「歯磨けないんだけど」


と、姉が言った。


別に職場の男とキスするわけでもねーだろ、と俺は思った。


「ねぇお姉ちゃん、仕事間に合うの?」と母が尋ねた。


「えー? わかんない」と姉はイライラしながら答えた。


姉はいつも7時45分に家を出る。女というものは、7時45分に家を出るとしたら、少なくとも、6時には起きて、お弁当を作って、化粧をして、準備するものだと思うが、小生の姉はいつも7時に起きていた。そして30分かけて朝食を食べて、歯を磨いてうんこをして、5分で化粧をして、7時45分に家を出る女だった。いや、女なのかもよくわからない。お兄ちゃんなのかもしれない。仲が悪いから、性別もよくわからなかった。


「この流しはちょっとずつ開けないとすぐ詰まっちゃうから、気をつけなきゃなんないのに……」と、イライラしながら母が言った。


じゃあ最初に言ってくれよ。「この流しは詰まりやすいです!」って、張り紙くっつけといてくれねーとわかんねーよ。こっちはたまにしか実家に帰んねーんだから。


しかし、一体なんなんだこの家は? なんでこんなボロいんだ? マリオにぴょんぴょん跳ねられた後のようにボロボロじゃねーか。街を歩いている通行人にも、この家ならいいやって思われて、踏まれて歩かれてんじゃねーの?(笑)


いつからこんなにボロボロになった? ここは、俺の家なんだよな? あれぇ? 間違って別の家に入っちゃったかなぁ? 誰だぁこいつら?(笑)


ふらっと実家に帰ってきては、よその家に迷惑をかけている気分だった。


「本当余計なことしてくれるよね」


「こんなことするくらいなら帰ってくんなよって感じだよね」


二人はずっとブツブツ言っていた。


「ねえ、だいたい、たまにしか帰ってこないのに、何でそんなに部屋を片付けたいわけ?」


と、母は率直に小生に疑問をぶつけてきた。


別に答えてもいいけど、今、そんな話をしている余裕があるのか?と思った。こいつらは急いでんのか俺と朝から談笑したいのか、わからん奴らだ。


上級ミニマリストは、実家の自分の部屋も断捨離したくなるのである。上級と中級の違いはそこにある。年に数回しか帰らない実家の部屋を、家族に迷惑をかけてまでミニマムにする者だけが、上級を名乗る資格がある。


小生は、台所の詰まりを解消できそうな細いブラシを探すために、一階へ降りていった。一階の台所の戸棚を開けると、箸もスプーンもあるけど、汚れていいものとなるとなかなか見つからなかった。他にも棚を開けていると、2階から声が聞こえた。


「あいつが独身なのもわかるよね」


「ぜったい結婚したくねー」


と、上から聞こえてきた。合コン中の女子トイレでの男性評に似ていた。


なんだあいつら、俺と結婚する気でいやがったのか?(笑)


久々に本気で人を殺したくなった。細いブラシは見つからなかったが、包丁はすぐに見つかった。


『こんなことするくらいなら帰ってくんなよって感じだよね』『ぜったい結婚したくねー』の二つの言葉が、どうしても許せなかった。こんなことを言われると、かえって家中を破壊したくなってしまう。基本的に、悪いことをした人間に悪く言うことは逆効果だ。二人とも、俺より長く生きてきて、なんでわからないんだろうと思った。


どうしてそんなことを平気で言えるんだろう? お母さんでしょ? お姉ちゃんでしょ? 家族だったよな……? どうしてそんなひどいことを言えるんだ? 俺がやらかしたこともひどい。でも、お前らの方がひどくないか?



結局細いブラシは見つからなかったので、手ぶらで2階に戻った。姉は詰まった排水溝を割り箸でほじくって直そうとしていた。


「お姉ちゃんもういいよ。あとはあいつにやらせよう。一階の洗面台使いなよ」と母が言った。


あいつ? やらせる?


だから、言っていいことと悪いことがあるだろうが。母親のこの口の悪さは今に始まったことではないが、35年生きてきて、とうとう慣れることはなかった。


あのな、だから家庭内殺人が起きるんだよ。ニートが母親殺すんだよ。用件だけ言えばいいだろ。用件を。


『壊れたすべり止めを弁償して』 『詰まった洗面台を直して』


これだけでいいだろうが。こっちだって悪いことをしたってわかってるんだから。あとは俺がどう責任取るか、それだけだろうが。感情がいらねえっつってんだよ、感情が。なんで女ってのは感情を抜きにして用件だけで話せねーんだ? 俺はてめえの半分しか生きてねぇけどそれができるぞクソババア。俺はお前より三つ若いけどそれができるぞクソ独身女。まぁ、今の俺は感情しかないけどな。


こんなのと結婚したくねー? こっちのセリフだよ。そっちのセリフでもあるけど、こっちのセリフでもあるんだぜ? 独身女、いつもトイレのドア開けながらウンコしやがって。1階は母親の領分。2階はお前の領分になってるからって、扉開けながらウンコしてんじゃねーよ。弟が帰ってきたときぐらい閉めろよ。わかってるよ。2階はお前の独占空間になってて、ドア開けてウンコするのが癖になってるから、弟が帰ってきても、ドア開けっぱなしでウンコしちまうんだろ?


まぁ、わかるよ。俺もあっちのマンションじゃドア開けながらウンコしてるしな。誰が見てるわけじゃなし。兄弟で似たようなことやってんだな。案外、一人暮らしのOLはみんなやってるかもしれないが。


小生は、感情を抜きにして用件だけを話すことはできるが、朝の7時にタンスを運ばないということができない。そのため、感情を抜きにして用件だけを話すことができる女と結婚したとしても、感情を芽生えさせてしまうだろう。

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実家のタンスを不用品回収に出そうとしたら、階段に挟まった。 しまるこ @simaruko

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