第43話 正体と商談


 相手は二人、こちらは一人。加えてここは商会アウェイ。本来ならばこちらが優位に運べる空気ではない。だが、ここに来る前に彼らがアカネに対して行おうとした企みを先んじて挫いたこともあり、場の雰囲気はややこちらに有利だ。


 どこか張り詰めた空気を意にも解さぬ素振りをしながら、出されたお茶に鼻先を近づける。独特の癖が混ざる香り。



「正直なところを申しましょう。俺は近いうちにここを離れるつもりです。聖女の後ろ盾は三つの勢力とはまた異なる線から盤石に整えましたし、騎士団には友人もいる。俺が離れてすぐはまた一人の体制に戸惑うかもしれませんが、他のサポート要員……あるいは彼女自身でも十全に回せるくらいの引き継ぎ資料は既に用意しています」


 暗にこのまま自分を監禁したとしても、彼女に悪影響はないのだと告げて瞳を細める。カバンから取り出した小瓶を自らのカップに注いでから口をつけた。


「……おや、随分と着々とした動きですネ。根回しが良いですが、そうまでしてここから離れたい理由があるので?」


「大層な話ではありませんよ。俺は記憶がありませんので、この国をもっと見て回りたいのです。アカネは聖女だからこそ、この国で足を踏み入れられる場所も限られているでしょう。この一年は特に聖女としての実績を得るために動く必要がある」


「なるほど……それならば尚のこと、商会に所属しておくのは理に叶うかと! 商会に所属し、業務の一環として各都市を巡るというのはいかがでしょウ? あなたさまほどの審美眼を持つ方でしたら、それだけでもわが商会には有益な情報をもたらしてくれるでしょうし、我々としてもあなたに資金の確約や措置を計らいましょウ!」


「ありがたいお言葉ですが……。それでは中立的な立場から物事を俯瞰できなくなりますから。あくまで俺は、ありのままの目線で世界を見て回りたいのです」



「失礼ながら、それは無理でしょうよ、白聖人殿。貴方さまのような人間には」


 割って入った低く穏やかな声。


 ラウディカと名乗った男のその笑みはどこか蛇を思わせる。

 物語で見覚えのある、手も足もない細長い体を捩り近づけ、先端が二つに割れた舌で何事かを魔王に進言する存在。


「そうでしょう? 目の前で困っているものがいれば、手を差し伸べずにいられない。貴方はそのような精神性の人間だ。典型的な弱者の味方、中立とは程遠い」


 はじめて会ったばかりのはずの男が、こちらを見透かすように断言し、じっとりとした視線を向けてくる。


「各地を巡ったときに、貴方のような人間は必ずしやその土地をどうにかしたいと望むでしょう。例えば魔月の民。彼らには我々が職を与えているとはいえ、いまだ偏見の最中にある」


「…………」


 こちらの思考の隅を突くような言葉。

 実際先ほどの話でも彼らの今の扱いへの物足りなさを覚えてしまった身としては耳が痛い。


 職人として専門業務の従事とそれに見合うだけの報酬を与えられればよいが、それには彼らのスキルが足りていない。……本来ならば教育機関を設立し、彼らへ適切な教育を施すことこそが更なる技術拡大と社会貢献、国の発展へと繋がるだろう。かつてと異なり、今は魔鉱産業という利点があるのだから。

 だが、それを提言する立場に今の私はない。男はその回る口を止めない。



「各地を巡ったとき、貴方のような人間は必ずや御心を揺さぶられるはずだ。彼らの現状を知りなんとかしたいと。だが、それには力がいる。人望、立場、そして金銭」


「……そうですね。それらは一介の旅人が簡単に得られるものではない」



 そればかりは認めざるを得ない。

 信条がどれだけ美しいものでも果たせないことはあるのだ。以前の私にはその権力ちからがあったが。



《……いいえ、いいえ。いけません》


 名を呼ばぬまま、青い鳥がこちらを嗜めてくる。


 分かっている。

 聖女の救済なくして私がそれを果たすわけにはいかない。それはすなわち世界を滅ぼすことに繋がるのだから。締め付けられた心臓を無視して首を横に振った。


「ですが……それで良いと思っています。アカネはまだ不慣れで出来ることは限られていますが、彼女の心根なら真にこの国のためを思って行動してくれるでしょう。俺が出張るまでもない」


 彼女だけでなく、まだ目覚めてから出会っていない弟だって国のために奮闘しているはずだ。私が今できるのは、彼らを信じること。


「……目の前で困っている人間がいれば、放置できるものではないのでは?」


「ええ、その時はその時の俺が出来うる範囲で無論手を差し伸べるつもりです」


 我々の話を気づけば聴く側にまわっていたマルグレリンの顔に困惑が僅かに滲む。


 ……全く。こちらも舐められたものだ。茶に仕込まれた薬に私が気づかないと思ったのだろうか。意識の混濁及び酩酊の効果のある薬で、言質を取ろうとしたのだろうが……ここイーダルードは多くの薬草が調達できる。解毒薬くらい用意して席に臨むのは当然だ。



《一般人は当然じゃないんですよねそれ……》


 バラッド。向こうに怪しまられると困るからちょっと黙っててくれるかな?


 マルグレリンが百面相をする姿に若干申し訳なさを覚えてきた。先ほどから視線をあちこちに向けつつこちらの話に唾を飲みつつ、商人であるはずの彼が気がつけばすっかり翻弄される側だ。



「ですので、折角のご提案ですがお断りを……」


「そうですか。……いや、全く難儀ですね。貴方自身も歯痒さを自覚しながら動くことを耐えているなど」


 私の言葉を遮るようにして、一際朗々とラウディカが微笑んだ。


、貴方という人間には幸せだったかもしれませんね。そうは思いませんか?」


「ハ?」「…………っ!!」


 全身が総毛立つ心地に襲われる。反射的に体が逃げを打とうと立ち上がろうとするが、石のように重くなっていた椅子が動作を阻んだ。


『ピ!ピィ!!』


 カバンの中に潜り込んでいたバラッドと、異常を告げるようにバタバタと暴れはじめた。蓋を開ければ飛び出し、私の肩へと乗り威嚇するように膨らむ。


「……これは失礼、驚かせてしまいましたか。でも、事実でしょう? 本来ならば貴方はここに在るべきでない者。──これは断言させてもらいますが、貴方は救えるものがあるのならば手を差し伸べずにいられませんよ。それならば、ここで商会を隠れ蓑にしたほうがまだ、呼吸ができるのではありませんか?」


「…………お前は、何者だ」


 にこやかな笑みが仮面のようにすら見えてきた。

 先ほどの物言いからすれば……こいつは、私の正体を知っている。


 確信を持って尋ねれば慇懃なまでの一礼を返してきた。


「これはこれは。正式な自己紹介もせず申し訳ありませんでした。私は黒百合商会の外部アドバイザーであり、モーガル大臣の相談役。名をラウディカ=イ・ゼルマ=ニョグダと申します」


《……イ・ゼルマ=ニョグダ。その姓はゲーム本編で登場はしませんが、設定として存在しています》


 バラッドがその無機質な声で囀った。


《魔王イゼルマの名代として、グレイシウス皇国に古くより存在するテロ組織「悪魔のカイナ」の幹部に与えられる称号として》


「……!!」

「な、な……!」


 驚愕で顔を歪めるマルグレリンはそのことを知らなかったのだろう。浅黒い肌をした男が愉しげにその顔を歪ませた。



「さて、。商談のお時間と致しましょう」

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