第39話 めぐる策謀


 さて、アカネに事情を全て話すと心に決めて口を開いたのは夕方頃だったはずだ。気がつけば太陽の名残もなく、外には星々が煌めいている。

 疲労の原因は夕食を食べ損ねてしまったからだろうか?……否、ほぼ間違いなく目の前の少女に過去の話も含めて根掘り葉掘り聞き出されたからか。


『ピィ』


 バラッドはだから言ったのに、と言わんばかりに鳴いて私の突っ伏している頭の上に乗った。

 そこに乗られると頭を起こせないんだが……今はその気力もないので良いか。


「はぁ……最高でした。まさかそんな私得の展開になってるなんて」

「楽しめたのならせめてもの幸いかな……」


 非常に、とても、もの凄く複雑な思いになりながら笑みを浮かべる。気に入りの話を詩人から聞いて余韻を味わっている母上が脳裏で重なった。


「まさかあのネグロ様が敬愛と忠誠を捧げてるヴァイス=フォルトゥナ・イラ=グレイシウス様その人だったなんて……。これはもう二人の再会ハピエンで同人誌一万冊出ますね!!」


「どこで出るんだいそれは」


 反射的に告げてしまってから我に返る。とにかく、と起き上がりながら一度咳払いをした。頭の上にいたバラッドは、器用に重心を揺らす。


「私は本来もっと早くに退場を請われていた存在だ。今は抜け道を辿って生きているけれど、アカネを差しおいてこの世界を救おうとでもしたら、私自身もこの世界もどうなるか分からない」


「だいぶクソすぎませんかこの世界!?!?」


『ぴぃ……』

「そう言いたくなるのは分かるけれどね……」


 勢いよく机を叩く彼女に返す言葉もない。何せその一番の不合理を得ているのが他ならぬ私なので。



「逆にいえば君なら今の混乱極まる国を救えるとはっきりしてるんだ。前向きに考えよう」


「はい!先日の遠征訓練のおかげで名声も手に入りましたので!……とはいえ、商会の動きは不安ですけれど」


『…………ぴぃ!』


 ぱさりと翼がはためく音と共に頭が軽くなる。みればバラッドがそのまま窓から外に出ていく後ろ姿が見えた。

 もしかして向こうの様子を見に行ってくれたのだろうか。それはありがたい限りだが、あの子が戻ってくる前にも準備は整えておこう。改めてアカネに向き直る。


「うん。私個人ならともかくアカネの活動に影響を与えるわけにはいかないからね。そうなると……」


「…………な、なんですか?」


 思った以上に彼女のことをじっと見据えてしまっていたようだ。淑女相手にする行為ではなかったな。謝罪を口にする。


「これは二つ提案だ。一つ、滞在期間を少し伸ばしてもらうことは可能か。二つ、アカネの……聖女としての名前を、少し借りさせてもらうことはできるかい?」


「?」



 ◇ ◆ ◇



 商会の一角、関係者だけが入れる事務室から扉をさらに三枚、そのうちの一枚は鍵付きの扉という厳重さの先。

 部屋の主の几帳面さから清掃は行き届いているものの、しけった空気が淀む部屋。

 神経質に部屋の中を歩き回る男と、そばに控えるように立つ男がそこにはいた。


「全く、こまっしゃくれた若造でス。ですが能力を見れば間違いなく使えるのも確か。他所に行かれる前に取り込んでおきたいですが……」


 部屋の主、マルグレリンは親指の爪をかみながら一人思考を整理するように言葉を呟く。それからふっと部屋の片隅、人影の方へと声をかけた。


「そこの。例の騎士団への干渉はどうなりましたか?」


「はい。報告をまとめた資料はここに」


 差し出された書類をめくりながら、やがてとあるページに差し掛かる。淀みのない指先の動きが痙攣したように一瞬止まり、それからもう一枚だけ捲って深々とため息を吐き出した。


「ふむ。元々あそこは騎士団長の求心力だけで保っているようなもの。前任の地剣グラディウスの所持者が引退したことで多少なりとも波乱を起こせると思ったのですガ……」


 それから速度を上げて、鼻先が紙につきそうな勢いで何度もページをめくりだす。


「……こちらが期待した通りの動きではありませんが、波紋は広がっているようですネ。それも、例の白聖人様を主軸にして」


 先日の来訪で騎士団長を伴ってくるなどと暴挙を行った青年の姿をマルグレリンは思い出す。あの様子を見るに、誰もが慕う騎士団長にとっても聖人の存在は見逃せないのだろう。

 白聖人の名前と、ネグロの境遇を思い起こせばその理由も自然と推測がつく。マルグレリンの口元と目が向かい合うような弧を描いた。



「フフ、例の地剣で不義を産めなかったのは惜しくもありますガ、所詮酒の席の話を謗られるわけもない。それよりもあの聖人様をこちらに取り込むことを主としましょう」


「どうなさるおつもりで?」


 控えていた男の問いかけに、きらんとメガネが輝いた。


「なに、簡単なことです。あれだけ頭が回るようなら、ワタシが先日した匂わせも理解しているはず。あの手の情深い人間は自分のせいで周囲が苦しむ姿を望まないでしょうからね。まずは彼が大切にしている聖女様を追い詰めるとしましょう」


 上機嫌に喉を鳴らしながら、室内を歩き回るのを見ながら、控えの男は首を傾げた。


「追い詰めるとは、どのようにして?」


「お前も察しが悪いですネ。異世界から召喚された聖女として教会が祀り上げようと、皇帝が認めていようと、市井の民の心象は別でス」


 リズムよく紙面を叩く表情はさめざめとした笑みだ。


「騎士団が最もその評判を集めていると言えますが、彼らは白聖人様はともかく聖女様の方はさほど重要視していない様子。

 依頼絡みで一つ二つ大きな風評が飛べば、召喚間もない聖女様の評判など容易く地に落ちるでしょうネ」


「……向こうもそれを予測して対策くらいは立てるでしょう。依頼人に根回しをされたらどうするおつもりで?」


「ハハッ、多少目利きが利こうと記憶喪失でどこにも伝手のない若造一人が手を尽くしても、摘み取りきれぬ根というものがありますよ」


 たとえば商会のネットワーク。

 この街のほとんど全ての商取引に黒百合商会の息が掛かっているのだ。仮にヴァイス個人が尊敬を多少集めたところで、生活に多大な影響が起きる商会の圧を無視できるはずがない。


「あの若者が聡明なら聡明なほど、我々を敵に回すことを後悔する。そして情深い白聖人様なら、必ずや最善を理解するでしょう。無論、こちらに傅くというのなら悪いようにはしませんしね」


「では、あの青年がまたここを訪れたら」


「その時は是非、心を尽くして迎え入れますヨ。その時はラウディカ、あなたも同席くださいネ」



 ──ところで、いかに空気が澱む部屋であろうと、換気の手段が一つたりともない場所は限られている。

 この部屋も三階に存在する場所だったが、だからこそ当然、窓は存在していた。


 通常なら人がよじ登るなど不可能な細い木の枝に、青い鳥が留まる。


『……ピィ』


 いつかのネグロとヴァイスのやり取りの後のように、どこか呆れたような愛らしい鳴き声が青い鳥の口からこぼれ落ちた。

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