第2話 素直わんこで助かった

 青い鳥は相変わらずだ。心の声すら聞き取ってくれるのはありがたいが……そこまで考えてはたと気がついた。

 バラッドの声を、目の前にいる彼──イェシルと言ったか。彼には聞こえていないようだ。


 その証拠に彼は顎元に手を当てながら首をひねり、一人ぶつぶつと何かを呟いていた。


「見たところ盗賊……って感じじゃないな。浮浪者が間違えて森に入り込んだか? それとも何かから逃げてきたとか……。君、そんなに怪しいやつって感じしないもんなぁ」


 ──事情を話すのはさすがにはばかられる。口で伝えたところで世迷いごとにしか聞こえないだろう。あるいはネグロやブランのところにまで連れていくように頼む手もあるが……。


 それはお勧めしませんと無機質な音声がさえずる。


《この世界は先ほども口にした通りバグが発生しています。

 あなたが生きて目を覚ましているということを攻略対象の方々が知れば、バグは取り返しのつかないほどに進行し、すぐさま世界が滅んでしまってもおかしくありません》


 それは困る。

 開きかけていた口を曖昧な形に変える。


「すまない。……どうやらここ最近の記憶がないようで、ここがどこなのか、俺が誰なのかも覚えていないんだ」


「えっ。ってことは記憶喪失? そりゃあ大変だな……」


 なるほど素直系ワンコ。


 図らずしも先ほどバラッドがさえずった言葉の意味を理解する。まさか記憶喪失でここを歩いていましたという言葉をバカ正直に信じられるとは。


「ここは皇家が管理している鏡晶の森だ。昔は女神伝説の残る聖地として教会の許可がなければ入れない場所だったんだがな……。数年前にこの森に財宝があるって噂が広まってからは、盗賊くずれや密猟者が時折忍びこむようになったんだ。君もそういった奴らに見つからないうちに出て行ったほうがいいぜ」


「……そんなことになっていたのか。では、君は見回りに?」


「そういうこと。皇国騎士団たるもの巡警は任務のひとつだからな! オレは皇国騎士団皇都警護隊六十八番のイェシル。もし君が迷子だっていうなら、森の入り口まで案内してやるよ」


 提案は願ってもないものだ。現状私の正体を隠さねばならないとなると、捕まることも皇宮に行くことも望ましくはない。……世界に潜むバグ、綻びの原因を探るにしてもまずは体勢を整えてからの方がいい。



「うん。そうしてくれると助かる。俺は……」


 名を告げるべきだろうか。逡巡が頭をめぐる。

 正体を隠すのなら名を偽ったほうがいいだろう。とはいえ適当な偽名が咄嗟に出てこない。ゆるやかに眉をさげるとイェシルが目を見開いた。


「あっ、そうか。記憶喪失って言うんじゃ名前も何もないよな。仮の名前とかつけた方がいいか……じゃ、ヴァイスはどうだ?」


「……かまわ、ないが。なぜその名前を?」


 まさかそこで出てくる名前が自分のものとは思わずして、声が震えてしまう。だがイェシルは満面の笑みで人差し指を立てて告げた。


「いやぁ! うちのネグロ団長の口から出てくる名前堂々たる第一位だから、名前って言われて真っ先に思い浮かぶのがそれでさぁ!」


 そうかぁ。


《ネグロ騎士団長はかつてヴァイス第一皇子直属の部下でありに対しての忠誠心に篤いキャラクターです。彼亡き……失礼しました。彼が眠り、その生存の記憶をなくして死んだと認識している今もなお彼への忠誠心と敬愛の元動く信念の男といえましょう!》


 バラッドの補足の説明をする。大体十割くらい眠る前にも同じ話を聞いたな……。なんなら二回か三回は耳にした覚えがある。



「それは、構わない、が。……それは亡き皇太子、さまと同じ名前になって不敬なのでは?」


「ん? ひょっとして記憶はないけど知識はあるみたいな感じ?」


「……ああ。偏りはあるが」


 十二年前のことしか知識としてはない上にバラッドからの補足情報の偏りは特に大きい。嘘は言っていない。

 それにしても青年イェシルの素直さときたら、疑いもせず鷹揚に頷くのだから。


「なるほどなるほど。でもま、大丈夫だろ。なにせヴァイスなんて名前は皇都だけでも数十人はくだらない。

 皇国の福祉を整えた人格者の体現であり、謎大きミステリーを秘め、皇帝陛下や騎士団長の敬愛する存在。ここ十年くらいに生まれた男の子の五人に一人はその名前だって言うぜ?」


「えぇ…………」



 照れるわけにも迎合するわけにもいかない話に口の端が引きつったように上がる。これは素直に喜んでいい話なのだろうか……。

 目線を逸らすように下を向けば、視線の端に白銀の絹糸のような髪が垂れた。



 ────白銀?

 つまめばそれは間違いなく、私の頭から伸びている髪の束だ。付け毛でもなんでもない。


(……は、いや。なぜこんな髪の色に……?)


「ん、んん。おお? どうした?」


 眠る前よりも髪が伸び、肩どころか肩甲骨まで覆う長さになった白銀を突然透かし出した私に面食らったようにイェシルが仰け反った。


「あ、いや。……記憶がないせいだろうか、今の姿に若干違和感を覚えてしまったんだ。こんな髪の色をしていただろうかと」


「あー、たしかに自分の姿って自分じゃわからないものだからな。湖もあるから、せっかくだし見て行ったらどうだ? ……安心しなって。街で女の人の視線を集めそうなくらいにはイケてるぜ!」


「あはは……ありがとう」


 こちらへの気遣いだろう言葉をありがたく受け止めて湖面を覗き込む。短く揃えていた紺色の髪が腰まで伸びた白銀となり、水色の瞳は色濃く青みがかっている。

 顔だちは変わらぬものの印象が違う。元のヴァイス皇太子を知っていても直ぐに気づける人は少ないだろう。


「……どうしてこんな見た目に」


 イェシルには気付かれないほどのささやき声をこぼせば、草の上におりた青い鳥がくちばしを開く。


《リメイク版発売時にヴァイス元皇太子殿下が対象となることになった際、清廉潔白な印象を強めるべく、もともと存在しなかった彼のデザインの検討が行われました。その際神格化するような騎士団長や国の人々の印象をより具象化すべくカラーイメージの見直しも行われたそうです!》


「簡潔にいうと?」


《ブラン皇帝陛下とのデザイン被りを防ぎました!》


「そうか……」


 簡潔すぎて前置きとかけ離れてしまっている……。

 若干遠い目をしていると、固まった私を心配するように騎士の青年が歩み寄り、眼前で手を振った。


「お……おお。大丈夫か?急にぶつぶつ言ってるけど」


「あ、ああ。すまないね。大丈夫だ」


 なってしまったものは仕方がない。逆に見てすぐに現皇帝の縁者だと気付かれなくなったことを幸いに思おう。


 笑みを浮かべて首を横にすれば、安堵のため息をついたイェシルが握りこぶしを作った。


「なら良かった! 付近の街に近い森の出口はここから少し離れた場所にあるからな。案内するぜ」

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