episode.22 新たな問題

 騒がしい背後には目もくれず、ルージュはノアの右腕を隠していたマントを剥がす。

 皮膚一枚だけで繋がっている上腕は、いつ完全に切れてしまってもおかしくない状態であった。ルージュですら顔を顰めており、少女にとっては衝撃が強すぎる光景だったに違いない。

 加えて、右肩から背中にかけても酷く抉れている。傷の範囲は広く深い。今も広がり続けている傷口からは血がどくどくと流れ、白い騎士服を染めている。一刻も早く手当を行わねば、手遅れになるのは明白だった。



 ルージュは何とかノアを助ける方法はないかと必死に頭を巡らせる。

 彼は胸元からハンカチを取り出し、腕の傷口に巻き付ける。太腿に着けていた短刀を取り外し、自分が着ているシャツの袖に浅く切り込みを入れる。そのまま袖を引き裂いた。それをノアの腋の下から通し、肩の近くで固く縛る。


 それでも尚、血は全く止まる気配が無い。流れ出て行く血の量が多過ぎる。ルージュは一つ舌打ちをした。普段の穏やかな彼からは想像もできない態度だった。

「どうしてこんな無茶を!」


 自分でも分からなかった。何故これほど自分らしくない無謀な行動をとったのかが。

 


 ただ、あの時思ってしまったのだ。

 何としてでも彼女を守ってやりたいと。



 そして今、後悔などなかった。むしろ自分の心は満足感で満ちていた。



 彼は圧迫を続けながら、厳しい口調でノアを責め立てる。

「他の方法だって……!」

「あったでしょうね。それでも、もし時間が戻っても、私は再び同じ行動を取るでしょう」

 ノアはルージュに押さえられている体を軽く捩る。次第に脈が早まってきているのを感じていた。

「動くな。傷が開く」


 ノアは真っ直ぐルージュを見て言う。

「焼いて頂けますか。傷口」

「何を言ってるの」

 ルージュは眉間に皺を寄せた。

「焼けば一時的でも出血を抑えることは出来るでしょう」

「……君、本気で言ってるの? ……確かに止血をすることは出来るだろう。でも、その後君に掛かる代償は計り知れない」

「構いません」

「だけど……!」

 ルージュはノアから目を逸らし、唇を噛んだ。

「お願いします」

 ノアに再度促され、ルージュは意を決したようだった。彼は顔に悔しさを滲ませながら、開いた背中の傷を掌で覆った。


「……腕はやらない。自分で押さえてて」

 ルージュは指先に意識を集中させた。白い骨が覗く傷口を長い指で慎重になぞる。傷口の形と深さを全て記憶し、脳内にそのイメージを創り上げていく。そして、決して傷付けてはいけない神経や血管の位置を反芻する。

 ノアは皮膚の内側を指でなぞられるこそばゆい感覚を味わっていた。誰にも触れられたことなどない領域を侵されている。しかし不快な感覚は無かった。


 頭の中に完璧なビジョンを創り終え、ルージュは再び傷口の上に掌を乗せた。指先にじんわりと魔力をこめていく。自分の内側にある魔力が少しずつ指先一点に集まっていくのを感じる。

 視界から入ってくる情報すら邪魔になり目を閉じた。音はもう何も聞こえない。指先の感覚以外は全て抜け落ちた透明な世界が広がっていく。彼の手が触れている箇所が淡い温かなオレンジの光で包まれる。


 

「はあ……」

 目を開いたルージュは透明な世界から引き戻される。火傷跡がくっきりと残ってはいるが、傷自体は綺麗に塞がっている。止血は完璧だった。


 安堵したのも束の間、ルージュが気を抜いた隙に、ノアは彼が腰に差している白い剣を抜き取った。大量の出血の影響で血が足りない頭は呆然としているが、完全に動けないわけではなかった。立ちあがったノアにルージュは驚きを隠せない。

「ノア!」

「これ、お借りしますね」

 勢いが多少弱まったとはいえ、依然として右腕からは血が流れている。

「だめだよ。その体じゃ……!」

 ノアは燃え盛る森に向かって歩き始める。ルージュが広範囲に火を放ったため、森にいた魔獣の数を大きく減らすことは出来た。しかしまだ、殲滅には程遠い。



 突如ノアの前を一つの黒い影が遮る。影はノアに飛び付いた。

「もう止めてください!」

「……っ!」

 完璧な不意打ちにあったノアは姿勢を崩され地面に坐す。

「ちょっと、君……!」

 影の正体である茶髪の騎士はルージュの静止も聞かず、ノアの体に乗り掛かる。噛み付く様に怒鳴った。

「腕、まだ血も止まってないじゃないですか! 治療を受けて下さい!」

 上腕を掴み圧迫し始めた騎士をノアは鋭く睨み付ける。

「退け」

「退きませんし、絶対行かせません。早くちゃんと手当しないと」

「後で良い。私には時間が無い」

「いいえ! 治療が先です」

 騎士はノアの手から剣を奪い取り、ルージュに投げ渡す。両者少しも譲らない睨み合いが暫く続いていた。


「いいから後は僕らに任せて下さいよ」


 騎士のその一言が一触即発の空気を変えた。ノアは小さく息を吐く。

「……分かった。戦線からは引く」

「言質は取りましたからね?」

「二言は無い」

 体の上から降りた騎士は白い顔をしているノアを背負う。

「よいしょ、っと。うわあ、体軽いですね」

「うるさい。下ろせ。自分で歩ける」

「はいはい。重症者は大人しく背負われてて下さい。早く行きますよ」



 救護所に向かっている道中、ノアは騎士に伝える。

「一つ頼みたい事があるのだが」

「はい。聞きますよ」

「私の家に手紙を送り、リオンを此処に呼んでくれ」

「リオンさんですね。ちなみに、どんな方ですか?」


 少し考えてからノアは答える。

「作り物のように美しい見目の男。まあ、会えばすぐに分かる」

「もう少し詳しく特徴を教えていただけると……。あ! だめですよ。もっとちゃんと押さえてないと……」

 腕を押さえていたノアの左手がだらりと下がっていた。首を動かし振り向いた騎士は、ノアが眠るように気を失っている事に気付く。

「了解です。なるべく早くお呼びしますね。ゆっくり休んでいて下さい」

 落とさないようにと背負い直した体は重く感じられた。

 

 

 ノアが騎士に連れられていった後、一人残されたルージュは憂げに溜息をつく。近くに落ちていた、ノアが放り投げた長身の剣を拾い上げる。

 そして、ルージュは難題に直面することとなる。


 剣身の一部が不自然に黒く錆び付いていたのだった。


「なにこれ。……嘘だろ」


 ルージュの中に最悪の予想が浮ぶ。

 髪を纏めている銀で出来た髪留めを急いで外し、自身の服に染み込んでいたノアの血に触れさせる。銀の髪留めは瞬く間に黒く色を変えた。



「――毒」



 手から髪留めが滑り落ちる。


 止血する前に、気付くべきだった。傷口を塞いだことが最大の過ちになるとは思ってもみなかった。銀を瞬時に錆びさせる猛毒だ。たった少しでも毒を抜いてから止血するべきだった。しかし、今更もう遅い。


「時間がない、ってこの事を言ってたの……? 」


 全身の血の気が引いていき、頭が真っ白になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る