episode.21 少女と糸

 ――時は少し遡る。



 銀色の輝きが一閃する。


 呻くような断末魔があがり、強硬なワイバーンの尾がサラリと地面に落ちる。赤い血が線の様に空中を舞い、男の頬を汚す。生暖かいものが地面をドロドロと赤黒く染めていく。

 哀れなワイバーンは痛みに踠きながら必死に翼を羽ばたかせていた。男はワイバーンに近づき細い刃を、その固い皮膚に包まれた柔い肉へと滑らかに差し込む。肋骨をなぞりつつ横にずらし、近くにある規則正しく拍動するものを見つける。

 男が手首を捻ると、ワイバーンは最期の悲鳴すらあげることが出来ず絶命した。

 

 男は無言で赤く染まった剣を引き抜く。剣に着いた赤を振り払うと、足元へ近づいてきていた蔓を断ち切る。しかし、その蔓は瞬く間に元の形を取り戻し、再び男の足に絡み着こうと――



 瞬間、地に這いつくばる蔓は炎に焼かれ、その動きを封じられた。炎を放った男は忌まわしそうに黒焦げになった蔓を眺める。

「……ほんと、次から次へと!」

 黒髪の男は頬に付いた血を白い袖で乱雑に拭う。

「全く終わりが見えませんね。住民の避難は?」

「大体済んだよ。あともう少し」

「そうですか」

 今もあちこちで続いている騎士達による剣戟を眺めつつ、黒髪の騎士、ノアは言う。

「魔獣の方はだいぶ数は減らしたものの、まだ時間がかかりそうですね……」

 禍々しい姿をした魔獣達は自身の死を顧みずに次々と襲いかかってくる。まるで何かに取り憑かれている様だった。森一帯が瘴気に包まれている。先程の蔓のように植物までも魔物へと変性しており、瘴気の影響が見られる。


 ふと嫌な気配を感じたノアは森の方を振り返る。

 


 その予想は的中する。



 茂みの影に隠れる魔蟲ヘルストーカー。

 忌々しい形相の魔蟲は、光に照らされ虹色に輝く細い糸を伸ばしていた。糸は住宅街を目掛けて伸ばされており、糸の行き先には銀色の髪の少女が不安げな様子で立っていた。一人、逃げ遅れてしまったのか。


「――――っ!」

 何も考える間もなく、体が勝手に動く。

 


 ――あの少女を助けてやりたい。

 


 糸が少女に届く方が早いか。それとも自身が糸を断つ方が早いか。

 ノアは少女の方へ必死で走る。糸は今にも少女を絡め取らんとしており、少女は怯えて動くことができない。少女までは少し距離があり、このままでは間に合わない。



 何か、何か策はないか。何か――



 咄嗟に手に持っていた長身の剣を糸を目掛けて力の限り投げる。美しい装飾が施された銀刃はクルクルと虹色の糸に向かって飛んでゆく。



 頼む。届いてくれ――



 剣の行方も見届けず、少女の元へ必死に足を動かす。もしも糸が断ち切れていなかった時のことも想定しておかねばならない。

 

 青い目の少女は潤んだ瞳でノアの方を見つめ、震える唇で何かを紡ぎ出す。



「――――て……」



 その瞳からは一つ雫が零れ落ちた。

 血濡れた戦場の中に、酷く儚げな少女の存在だけがアンバランスで、その姿はいつか見た光景と重なるものがあった。



 やっと手が届いた少女をなんとか胸に抱き止める。糸の軌道から逸れる為、崩れるように少女に覆いかぶさり地面に倒れ込んだ。少し離れたところでカラリと乾いた音がする。宙では虹色の糸がふわりと不自然な弧を描き、その軌道を歪められていた。



 だが、直後。

 悪寒を感じ、魔蟲の方を振り向く。そして、驚愕する。



 ――恐ろしい数の糸が、光を割くような速さで少女に向けて放たれていた。



 魔蟲の逆鱗に触れたらしい。想定が甘すぎた。少女を抱いて立ち上がる。彼女に傷一つ負わせず、糸を避けるならば――


 腰を落とし、強く地面を蹴る。

 誰かが自分の名を呼ぶ声が遠くから聞こえた気がした。

 赤い雫がポタポタと地面に滴り落ちていく。



 まともに受け身も取れず、肩から地面に転がり落ちる。ぱきりと嫌な音が鳴った。衝撃に耐えきれずに右肩の関節が外れたらしい。左手で背に触れてみると。生暖かく滑りのある不快なものがべっとりと手に付いた。気分が悪くなりそうな金属臭がする。

 事前に予測していた事だった。それでも自分から流れ出た血であると認識すると、途端に脳を焼くような痛みが襲って来る。


「……っ」

 右肩から背中にかけて皮膚が易々と切り裂かれている。傷を負っただけに止まらず、少しずつ肉が溶かされ傷口が広がっている感覚がある。

 おそらく毒だろう。肉を溶かすほどだ。かなり強いものらしい。体に回るのもきっと早いはずだ。


 人間の体はなんて脆いのだろうか。


 まるで他人事であるかのように、頭の中は凪いでいた。



 体を起こしたノアは、気が遠くなる痛みは微塵も顔には出さず、なんとか守り抜くことができた少女に尋ねる。

「どこも怪我はしていないか?」

 少女は小さく頷いた。蒼い瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちている。

 さぞ怖かったことだろう。幸い血で汚れていなかった左手の甲で涙を拭ってやっていると、少女は突然か細く悲鳴を上げた。小さな顔がみるみる青ざめていく。彼女の視線の先はノアの右腕に向けられていた。

「見るな」

 ノアはすぐに少女を強く抱き寄せ、顔を自身の胸に埋めさせる。震える少女の対応に苦慮していると、忙しない足音が近づいてきた。


 足音の主であるルージュは、羽織っていたマントを手早く外しノアの右腕に被せる。それから少女に努めて優しい声で言う。

「怖かったね。よく頑張ったね」

 彼は普段よりも早口になっており、冷静に振る舞おうとしてはいるが焦りを隠せていなかった。

「あともう少しだけ頑張れるかな?」

 ノアの胸に顔を埋めたまま少女は頷く。ルージュは少女を怖がらせないよう、感情をなるべく押し殺した声で矢継ぎ早に続ける。

「よく聞いてね。まず、絶対にそのお兄さんから離れないで。それから、両手で耳を塞いで。僕が良いと言うまでそのままでいてね」

 少女は言われた通り、耳を塞いだ。

 

 それを確認し、ルージュはこの事態を引き起こした原因である魔蟲の方を振り返る。魔蟲に向けられた手には青い血管が浮かんでいた。

 


「――死ね」



 そばにいる者にしか聞こえない、身の毛がよだつ低い声で言い放つ。魔蟲がいた場所は勿論、西の森の大部分を一瞬にして業火で焼き尽くした。広範囲での魔術の行使だ。彼の身体には一気に負担がかかったに違いない。

 まだまだ森の中に潜んでいたらしい魔獣や魔蟲の断末魔が一斉に上がる。清々しいまでに森は炎で焼き尽くされていった。



 ルージュは近くにいた騎士を二人呼んだ。一人には少女の保護と避難を任せ、もう一人には至急ノアの応急処置の手筈を整えるよう医者に伝達させる。何か言いたげな少女はノアからなかなか離れようとしなかった。

「此処に居ると危ない。君は早く避難しろ」

 少女を引き剥がしたノアは、騎士にすぐに少女を安全な場所へ連れて行くように指示する。騎士に抱き上げられ、少女は場を後にした。

 彼女が最後の住民だ。一先ず住民の避難は全て済んだ。

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