おまえなんておれじゃない……はずだった。

田古 花仁

全文

「「……ええーっ!?」」

おれは、思わず大きな声を出してしまった。周りのお客さんたち、びっくりさせてごめん。でも、大声を出したのも仕方がないと思う。なぜなら、向かいに自分と全く同じすがた形の人間が、つまり、おれが、立っていたから。おれは、カツカレーの十辛の精算をしようと、レジの前に立っただけだったのに。でも、どうしておれがもう一人?なんで?鏡?いや、そんなわけ。だって、さっきまではいなかった。それともまさか、生き別れの双子?運命の再会だとか、そういうタイプ?でもそれってこんなに唐突に訪れるものか?なんかもっと、「感動のご対面でーす!パンパカパーン!」みたいな感じにするべきだろ。って、いや、今考えることそれじゃないだろ。おれはパニックになっている自分をひっぱたいて、深呼吸をした。一旦、その双子(?)の名前を聞いてみよう。名前も知らないことには、どうしようもないし。

「「あの、お名前は…」」

ところが、どうしたことだろう。向かいの双子も、同じタイミングで同じことを聞いてきた。気が合うのだろうか。まあ、双子なのならそういうこともあるだろう。仕方ない。もう一度言い直そうとして、口を開く。

「「あっ、ええと」」

「「えっと、ああ」」

「「あの…いやその、えっと」」

しかし、何を言っても完全一致だ。話が前に進まない。双子とはいえ、他人だよな。しかも、別々のところで育ってきたはずだ。それなのに、こんなに言葉が揃うことって、あるのだろうか。そもそもこいつがだれなのかもまだわからないし、流石にこわい。なんとか、しゃべりたい。

 「「お、お先に…ああもう」」

譲ってあげようとしたのに、もう。何を言っても、相手と同時。このままでは、お互い何も言うことができない。もうどうにでもなれ。どうせ聞かれているのは名前なんだからと、おれは自分の名前を叫んだ。

「「おれは、友永縁度ともながえんどだ!」」

その瞬間、向かいの彼も、おれと同時に、おれと"同じ言葉を"叫んだ。

「「は?」」

生き別れの双子と運命の再会。その双子の相手は、名前まで同じだった――って。そんなこと、あるわけがない。だって普通に考えてみろ。そもそも、同姓同名ですらめったにいないのだ。ましてやおれは、縁度なんていう珍しい名前だ。そんな激レアな同姓同名が、生き別れの双子なんてこと、天文学的確率、いや、ゼロだろ。これが現実なら、テレビで特集とか組んだほうがいいだろ。なんて、どこかのんきな思考とは裏腹に、気をそらしたくて、おれは相手をジロジロと眺めた。向かいの彼は、黄色い星がかかれた服を着ている。おれは、赤い車がかかれた服。でも、違いはそのくらいしか見つからない。見た目になにか違いがあれば、彼は他人だと言い張れたのに、残念ながら何も証拠がない。平均値とちょうど同じだった身長も、顔も声も体つきも、名前も服のセンスも(残念ながら)同じ。もはや自分でも、服がなければ見分けがつかないと言っていいくらいだ。間違い探しより難しい。そんな他人、いるわけない。いや、こっちはもっとありえないけど、まさかこいつも自分だったりはしないだろうか。そんなこと、ありえないけど、ありえるわけがないけど、おれは不安になった。それが違うと証明したくて、とりあえず、なにか話してみることにした。でも、相手も同じことを考えているかもしれないから、相手の口元をよく見て、動きが重ならないように気をつけて、声を出した。

「えっと、縁度さん?」

慎重に、様子を伺いながらしゃべったからだろうか。上手くタイミングをずらすことができたようだ。自分の名前をさん付けする違和感を感じながらも、おれは、会話ができそうなことにホッとする。久しぶりに重なっていない、おれだけの声に、向かいの星がらの服の縁度が顔をあげる。

「なんですか」

少し警戒したような、かたい声。そのとき、相手の気持ちが、手に取るようにわかった。おれが緊張しているときの声と、全く同じだったから。きっと彼も、おれの正体がわからないし、まずこの状況の意味がわからないし(それはおれも同じなのだが)、緊張してもいるのだろう。

「あなた、何者なんですか」

話しかけたはいいものの、何を話せばいいのかわからなくて、ものすごく単刀直入な質問になってしまった。こんなこと聞いても、星がらの服の縁度が、知っているわけないのに。

「こっちのセリフですよ」

星がらの服の縁度の返しに、おれは、やっぱりそうだよなと思った。おれらだけで得られる情報には限界がある。もしかしたら、こいつも突然おれが現れて、びっくりしているのかもしれないし。お互いの正体を知るのはまだ先になりそうだ……と思ったところでおれは、あることを思い出した。そして、確信した。

「あなたは、おれですね」

「は?」

星がらの服の縁度が、まるで変質者でも見るような目で、おれのことを見た。失礼なやつだ。お前もおれだって言っているじゃないか。自分を変質者あつかいするやつがあるか。と思ったところで、それが伝わっていないから変質者あつかいされているんだと、ハッと気づいた。なら、星がらの服の縁度にも気づかせてやればいい。

「さっき、ニュースで言っていたことを思い出してよ」

「……あ」

星がらの服の縁度も、なにかに気がついたようだ。するどかった瞳が、ふっとゆるんだ。そして、面白がっているような声で言った。

「君は、おれなんですね」

 

おれが増殖する、約1時間前。

「いらっしゃいませ〜!お好きな席へどうぞ~」

夏休みの真っ只中、おれこと友永縁度ともながえんどは、行きつけのカレー屋さんに来ていた。おれは今、小学五年生だけど、この店は小学三年生のときから、一週間に一回は来ている。家からも近くて行きやすいし、美味しいし、何より辛さを選べるのがお気に入りのポイント。おれは辛いものが大好きで、将来の夢は辛味ソムリエ(そもそもその職業を作るところから始めないと!)。だから、一番辛い、十辛を食べられるこのカレー屋さんは素晴らしい。

「おれ、いつものカツカレー、十辛で!」

「かしこまりました。」

注文をメモして、店員さんが立ち去っていく。あまり見かけない店員さんだったけど、新人さんかな?と思っていると、店内に置いてあったテレビのニュースが聞こえた。

「次のニュースです。先日、となり町で増殖しました博士が、一人に戻ったということです。」

「博士が増殖?」

おれは聞き覚えのない言葉に、首を傾げた。すると、周囲の席にすわっていたお客さんが、一斉に振り返って、口々に喚いた。

「君、先日のとなり町博士増殖事故をご存知ない?」

「あんなに話題になったのに、知らないの?」

「SNSとかで、写真とか見たこと無い?インパクトがすごいやつ。」

いや、こわいって。「博士が増殖」なんていう、日常で使わない言葉を知らなかったからって、何も全員が喚き立てることないだろ。圧がすごいって……と、おれは周りの客の迫力に押されながら、答えた。

 「えっと……ちょっと知らない、です、ね……」

すると、ちょうど、ニュースから

「事故の内容としては」

と、その説明が始まった。客が一斉に「これを聞け!」と言うように無言になる。さっきまであんなに騒ぎ立てていたのに、やっぱりこわ……と思いながら、ニュースを聞く。

「先月の初め頃、となり町に住んでいた博士が、増殖光線を作りました。増殖光線は、光線を浴びたありとあらゆるものを増殖させてしまうという効果のあるものです。完成当初博士は、『この光線を砂漠のオアシスに浴びせることで、砂漠化をストップさせることができる』などと述べておりましたが、鳥取県には『鳥取から鳥取砂丘をうばったらもはやそれは鳥取ではない。それに、鳥取砂丘は砂漠ではない』と断られたため、アフリカあたりの砂漠に許可を求めていました。ところが、その許可を待つ間、博士は保管していた増殖光線を暴発させてしまい、博士自身が光線を浴びる事態となりました。その結果、博士が約5万人に増殖しました。となり町は博士に占拠され、街中のどこに行っても博士がいる状態となりました。」

テレビ画面には、商店街が博士だらけになっている画像が映し出された。右上に、「視聴者提供」とある。たしかにこれは、なかなかのインパクトだ。

「うわー……」

流石にちょっと引く。お世辞にも可愛いとは言えない博士が、商店街を埋めつくしている絵面は、かなりシュールだった。実際自分の街でこれが起きたら、げんなりして出かける気もなくなるだろう。ニュースは唖然とするおれを置いてきぼりで、先へと進む。

「しかし、増殖した約五万人の博士のうち一人が、増殖消滅光線の開発に成功しました。この光線は件の増殖光線で増殖した人やものを元の個数に戻す効果があります。ただし、増殖した全員に浴びせる必要があるため、五万人の博士を広場に集め、ヘリからの照射が行われました。結果、博士は一人に戻ったということです。」

なぜか、カレー屋にいた人たちが一斉に拍手をし始めた。なんだったんだと思いつつ、軽く椅子にすわり直す。そのとたん、さっきのお客さんがバッとこちらを向いて、やっぱり一斉に喚き立てた。

「やばくない!?」

「前代未聞すぎるよね!」

「何気博士すごいよね」

「人騒がせな事故だよね!」

「やっととなり町に帰れる……!」

「めっちゃ絵面シュールだよね!」

「はぁ……えっと……そうですね」

適当なおれの反応に、お客さんたちは満足したのか、それぞれカレーに向き直った。いや、やっぱりこわいって。なんであんだけ騒ぎ立てといて、この適当な返事で納得するんだよ。いっそもっと深く追求しろよ。そう思ったものの、もう突っ込むのも面倒だったので黙っていた。そのとき、おれのところにも、カレーが運ばれてきた。白くてホカホカのご飯に、キラッと輝くカレー。湯気からほんのりといい香りまでする。相変わらず、美味しそうだ。今すぐにでも飛びつきたい。でも、辛味ソムリエは、どんなに美味しいものでも真っ先に飛びつかない。まずは丁寧に香りをたのしむ。カレーの良い香りの中に、確かに存在するスパイスの辛そうな香り。鼻をツンと抜けていく、いい辛味だ。よく香りを堪能したところで、両手を合わせて、いただきます。スプーンを握って、ご飯とカレーを一気にすくう。銀のスプーンに、白いごはんとカレーが滑り込む。そしてそれを口に入れる。いつも通りだが、美味しい。まろやかなカレーの中に、それでも確実に主張してくる辛味。ごくんとカレーを飲み込んでも、口の奥やのどに、ピリッと残る。コクのある深い味わいのカレーと、それを引き締める辛味は、まさに最強のコンビだ。

「最ッ高……!」

思わず小さく声が漏れる。仕方ないだろう、美味しいのだから。やはり将来の辛味ソムリエが認めたカレー屋さんだ。いつか辛味ソムリエとして有名人になったら、雑誌とかで紹介しようっと。なんて思いながら、次から次へとカレーを口に運ぶ。時々汗を拭いながら、でも、手は止まらずに、妄想とともにお腹も膨らむ。途中で水を飲んで口の味をリセットして、もう一度辛味をよく味わった。すぐにお皿は空っぽになった。

「あぁ〜おいしかった!」

おれは口の周りを紙ナプキンで拭きながら呟いた。世界に、こんなにおいしいカレーが存在するなんて、最高すぎる。やはり、良質な辛味は素敵な食事につながるんだ。だから、飲食店には、辛味についてくわしい人が必要。この職業が、おれがなりたい辛味ソムリエなのだ。辛味ソムリエは、辛味について知りつくしたプロ。おれの憧れ。頭の中でいつもの持論を展開しつつ、伝票を手にとって、席を立った。 店員さんに声をかけようとした矢先、店員さんのほうが先に気づいて、声をかけてくれた。

「お会計ですね。カツカレーの十辛で、九百五十円です。」

おれは財布の中を確認して、千円札を出そうとした。そのときだった。ひときわまばゆい光が、おれを包んだ。ま、まぶしい……!思わず目をつぶった。そして、次に目を開けたとき、目の前には、おれがもう一人、立っていた。

「「……ええーっ!?」」

おれははじめ、双子との対面なのだと思った。でも、おれはさっきのニュースを思い出し、悟った。きっとあの光は、増殖光線。おれは増殖したのだと――

 

――「君は、おれなんですね」

車がらの服の縁度ことおれと、星がらの服の縁度は、互いに状況をつかんだ。おれは、二人に増殖した。となり町の博士が作った、増殖光線を浴びたからだろう。でも、五万人にならなかったのは、まだマシだったかも。それに、増殖消滅光線も作られているみたいだから、博士を探し出して、光線を浴びさせてもらえばいい。しかし、まだそれがわかっていない周囲のお客さんの唖然とした表情に、おれは慌てて弁解をする。

「「さっきの光、きっと増殖光線だったんですよ。だからおれ、こいつと二人になっちゃったみたいなんですよ。でもほら、ニュースで消滅光線ができたって言ってたから、博士と会えさえすれば、きっと元に戻れる……」」

どうやら、星がらの服の縁度も同様に考えたらしい。さっきから全く同じ言葉を同時に発してばかりの二人を見て、周囲のお客さんも信じるしかなくなってしまったようだった。

「えっ……」

「そんなことってあるんだ……?」

「やば、こわ……」

「じゃああれ二人とも同一人物ってこと?それはちょっとキモくね?」

「本人には申し訳ないけど、私じゃなくてよかった……」

戸惑いの声で急に店内が騒がしくなった。でも、一番戸惑っているのはおれらだっちゅーの。人の気も知らずざわざわ騒ぐ外野におれが苛立ちを覚えていると、星がらの服がえんりょがちに話しかけてきた。

「ね、ねぇ、縁度、あれって……」

星がらの服の縁度は、カレー店の出入り口を指さしていた。そこには、見覚えのある後ろすがたがいた。おれだ。おれや星がらの服の縁度と同じ髪型。服の色は緑だけど、背丈も一緒。あれは、三人目の縁度かもしれない。すると、その男はドアノブに手をかけると、カランカランと音を鳴らして、ドアを開けた。

「おい!待てって!」

おれは気がついたらそう叫んでいた。彼の肩がびくりと震え、こちらを振り返る。その顔も、おれと同じ。間違いない、おれだ。その服の胸の部分には、大きなニコちゃんマークがかかれていた。しかし、三人目の、ニコちゃんマークの服の縁度は、そのまま怯えたようにドアから逃げ出した。おれは叫んだ。

「自分だけ逃げる気かよ!?お前と同じように、おれやこいつも困ってんだよ!増殖光線は全員で浴びなきゃいけない。三人で協力して一人に戻らなきゃいけねぇんだよ!」

おれや星がらの服の縁度が戸惑っている隙に、自分だけ逃げ出そうなんて許せない。それに、増殖消滅光線は、増殖した全員が浴びなければいけない。あいつがいないと、それだけでおれはもう一人には戻れなくなる。絶対にとっ捕まえて、おれは1人に戻るんだ!おれがニコちゃんマークの服の縁度を追いかけようと足を踏み出したとき、突然スタッフに手をつかまれた。

「お客様!お会計!九百五十円!」

そうだ、完全に忘れていた。というか、よく今まで待ってくれていたな、ありがとう。おれは財布を見た瞬間に増殖したから、お金をまだ払っていなかったんだ。危うく食い逃げだ。しかし、どうやら財布を持っているのはおれだけのようだった。星がらの服の縁度をちらりと見たが、なんと手ぶらだった。ああ、荷物までは増殖しないのか。お金も増えてくれたら、書いたかった本が買えたかもしれないのに……なんて思ったが、すぐに我に返って叫んだ。

「……おれが払うから!お前はあいつを追え!」

言い終わるかどうかくらいで、星がらの服の縁度が弾かれたように走り出した。もうドアは閉まる寸前だった。すんでのところで手を入れて、店の外に飛び出していった彼を見送ると、おれは財布に視線を落とした。千円札を取り出すと、カウンターの上のトレーに置く。

「お釣りはいいですっ」

吐き捨てるように言い残すと、おれも急いで店の外へ走った。しかし、そこには息を切らした星がらの服の縁度がいただけだった。

「ごめん……追いつけなかった」

そう言う彼は、すごく悲しそうに見えた。そりゃそうだろう。あのニコちゃんマークの服の縁度がいなければ、おれは元通りの一人には戻れないし、それはこの星がらの服の縁度にとっても、同じなのだから。

「いいよ……仕方ない」

おれはこう言うしかなかった。息を切らすほど一生懸命追いかけてくれたのは伝わるし、第一おれらは同じ状況に置かれている。なぐさめられるような立場でもないから。おれと星がらの服の縁度は、しばらくその場に立ちつくしていた。しかし、しばらくして、息切れが収まった星がらの服の縁度が言った。

「あいつ……信号ギリギリで道路に飛び出したんだ。もう点滅していたのに……。お前もおれならわかるだろうけど、おれは普段交通ルールをしっかり守っている。赤信号ではなかったとはいえ、ギリギリで道路に飛び出すなんて普段なら考えられない。あれはおれかもしれないけど……おれだと思いたくないよ!」

「え……?」

そうは言っても、あいつだっておれなはずだ。どうしても信号ギリギリで道路に飛び出さないといけなかったのか?一体どうして?というか、あいつは一人に戻りたくないのか?戻りたいならおれら二人と一緒に光線を浴びないといけないのだから、おれらから逃げる意味がわからない。頭の中がはてなマークでいっぱいになった。同時に、少しこわくなった。だって、あいつもおれなのに。おれもおれで、こいつもおれで、あいつもおれなのに、おれが理解できるのはおれだけ。ああ、もう、頭が痛くなってきた。もう考えるのも嫌だ。こんな奴放っておいてさっさと帰ろう、と、おれは、家に向かって歩き始めた。すると、となりで星がらの服の縁度も同じように歩き始めた。

「「……」」

しばらくの間、二人共が黙っていた。だって、しゃべることももうない。というか、自分と何を話せと言うのか。

「「……」」

しかし、しばらくしておれは気がついた。星がらの服の縁度は、おれと同じ目的地へ歩いていると。

「おい」

おれが声をかけると、星がらの服の縁度がちらりとこちらへ視線を向けたので、おれは続けた。

「お前、おれの家に来る気じゃないだろうな。」

すると、星がらの服の縁度は、本当に不本意だという表情で、言った。

「……お前こそ、おれの家に来る気じゃないだろうな。」

ああ、そうか。こいつはおれなんだった。おれが、おれと同じ家なのは、当たり前か。いや、待て。当たり前でも、来られちゃ困る。だって、だって。

「「念願のおれの一人部屋が!」」

同じ懸念に行き着いたのだろう、星がらの服の縁度も同時に頭を抱えた。影が、同じ形になる。そう、おれは家に一人部屋がある。それも、三年前から両親に言い続けて、やっと作ってもらった部屋だ。いくらおれとはいえ、もう一人のおれに来られちゃ困るんだ。それに、おれが把握できないおれなんて、もはやおれじゃない。

「「……お前、どこかへ泊まれよ」」

おれと星がらの服の縁度が、同時に言った。まあ、そうだよな。お互いに、相手を追い出したいと思っているわけだが、どっちもおれなのだから、泊まるアテがないことくらい、わかっていた。なら。

「「おれが本物のおれだ!」」

また、揃った。ああもう、お互いに自分だけが本物で、相手が増殖した方だと思っているらしい。何なんだ全く。本物はおれだけだというのに、物分かりの悪いやつ。とはいえ、お互いに、自分だけが本物だと証明する証拠があるわけでもなく、どうすることもできないまま歩いているうちに、家に着いてしまった。

「「……」」

玄関の前で、お互いにお互いを睨みつけてから、おれと星がらの服の縁度が、同時にインターフォンへ手を伸ばした。おれの家では、鍵で家を開けるのではなく、インターフォンを押して中にいる人に鍵を開けてもらうというルールになっている。このルールを知っているということは、やっぱりこいつはおれなんだろうな。どこか他人事のように考えているうちに、いつの間にかインターフォンを押していたらしい。どこか間抜けな音が響いた。

ピーンポーン、ピーンポーン。


 「あら、おかえり、縁度。え?」

ドアを開けに来たのは、母さんだった。しかし、おれが二人いるものだから、驚いているらしい。ドアから顔をのぞかせて、ぽかんとしている。ま、そりゃそうだろう。そこには、息子が二人いるのだから。

「ん?縁度、お友達?……って、どっちが縁度?え?」

「「おれ!おれが本物の縁度!」」

おれと星がらの服の縁度は自分を指さして訴えた。が、おれらの必死の形相に、母さんは引いてしまったらしい。

「……ええ?変な冗談やめてよね……アハハ……」

まあ、無理もない。カレーを食べに出かけていった息子が、二人になって帰ってきているわけだし、挙げ句、二人ともが自分の息子だと主張しているのだから、反応に困るのも無理はない。とはいえ、このまま家に入れてもらえないんじゃ困る。だって、少なくともおれは、れっきとした友永縁度なのだ。

「「違うんだよ、おれ、増殖したんだ。あ、ほらほら、となり町博士増殖事故って、聞いたことない?」」

おれと星がらの服の縁度が、同時に説明を始める。聞き取りやすさで言えば、絶対にどちらか一人が代表してしゃべったほうがいいだろうが、それではしゃべっている方が本物みたいになってしまう。そこだけは絶対譲れない、とお互い思っているのだろう、重なっていても二人ともしゃべるのをやめない。まあ、同じことをしゃべっているのだから、聞き取りにくいと言ってもたかが知れているだろう。

 「「となり町の博士が開発した増殖光線、おれは多分これを浴びたんだ。それで、増殖しちゃって……。でも、博士は既に増殖消滅光線を作っているみたいだから、きっと博士と会えさえすれば、元に戻れるんだ。とにかく、おれもこいつも友永縁度なんだ。どうしようもない。家に入れてよ。」」

「……本当に、二人とも縁度なの?」

疑うのも無理はない。普通に考えれば、どちらか、もしくは二人ともが偽物の、いたずらを疑うだろう。おれでさえ、最初はいたずらかドッキリか、生き別れの双子だと思ったのだから。そして、偽物なら、家に入れるわけにはいかないのもよく分かる。でも、おれたちからしても、自分が縁度だと証明する証拠は無い。見て分かれよと思いながら、ただ訴えるしかない。

「「そうだよ、母さん。見ての通りだ。ほら、変装なんかに見えないだろ?」」

母さんは、しばらくおれらを舐め回すように眺めた。なんだか気恥ずかしい。おれが母さんから目をそらすと、そのまま星がらの服の縁度と目があってしまい、あわててもう一度目をそらした。あれ?なんでおれ、今、おれから目をそらしたんだ……?なんて思っているうちに、母は結論を出した。

「……確かに縁度にしか見えない。そうね、とりあえず家に入って。」

なんやかんやで家に上がったおれと星がらの服の縁度は、どちらからともなく自然に自室へと入った。やっぱり、自室の位置まで知っている。ほんとうに、こいつはおれだとしか、言いようがない。それでも、せっかく自分一人の部屋なのに、こいつに居られるのは嫌だ。

「「……入って、くるなよ」」

二人ともが、同時に言った。するどい声だった。でも、同時に言ってしまったら意味がない。結局、あきらめるしかない。追い出したところで、困るのはもう一人のおれなのだ。

「「……もういいよ、そこに居ても。でも、本物はおれだから。」」

あきらめるように発した言葉さえこいつと同じで、おれはうんざりした。と、そのとき、廊下の奥から母さんの声が聞こえた。

「縁度たちー、もうすぐ功度こうども帰ってくるってー。」

功度、というのは、おれの弟のことだ。勉強熱心で、今日も塾に行っている。そのうち、おれより頭がよくなると思う。いや、もう良いかも。でも、そんな賢い弟ならきっと、おれが本物だと見抜いてくれるはず。そんな淡い期待をいだいていると、部屋は沈黙に包まれた。まあ、今更こいつと話すこともない。強いて言うなら、多分、星がらの服の縁度もおれと同じく、弟を味方にしたいと思っているであろうことくらいか。しかし、互いに押し黙っているうちに、沈黙を破る声が玄関から聞こえた。

「ただいま〜っ!」

功度だ。

「「おかえり、功度!」」

おれたちはそう言いながら、玄関へと飛び出した。功度は面食らっているようだ。何も知らない功度に、おれはあわてて事情を説明する。

「「あのな、兄ちゃん、増殖したんだ。となり町博士増殖事件の、増殖光線を浴びたから。でも、博士はもう増殖消滅光線を作ったらしいから、博士と会えさえすれば、なんとかなると思う。それまでは、このままだけど……とりあえず、おれが本物だから!」」

早口でまくし立てたおれたちに、功度はものすごく嫌そうな顔をした。まあ、そりゃあ、家に帰ったら兄が増殖してるわ、挙げ句、二人とも自分が本物だと主張するわじゃ、反応にも困るだろう。それにしたって、そんなに顔をしかめることないだろ、と思っていると、功度はとんでもない勘違いをしていた。

「……母さん、父さん。兄ちゃんの真似して楽しい?」

「「だれが母さんと父さんじゃっ!」」

おれたちは思わず大きな声を出してしまった。功度が驚いたように、目を見開く。突然大きな声を出してしまったから驚いたのかと思いきや、

「……え、本当に兄ちゃんなの?」

と続けた。どうやら、おれを両親の変装だと疑っているらしい。まったく、おれ、そんなに老け顔か……?

「「兄ちゃん本人だ。そしてこいつは増殖したニセモノ」」

おれらはお互いを指さして言った。なんなんだこいつ、いつになったら自分がニセモノでしたって認めるんだよ、このニセモノが、と思って星がらの服の縁度をにらみつけると、星がらの服の縁度の方もおれをにらんできた。弟の前でにらみ合う兄同士を見て、功度はやっと納得したらしい。

「あははっ、兄ちゃん、それめっちゃおもしろいよ。」

「「どこが!」」

「だって……家帰ったら兄ちゃんが二人いて、お互い自分が本物だって言い張ってるって……もう、そこまで気が合うなら二人とも本物なんでしょ、いい加減決着つけるのをあきらめたらいいのに……」

声が少し震えている。下を向いて、笑っているようだ。我が弟ながら、よくわからない笑いのツボだ。なんとリアクションしていいのか困って、黙っていると、

「まあいいじゃん!僕は、大好きな兄ちゃんが二人に増えて嬉しいよ!お得じゃん!」

と言われた。お得ってなんだよ。今なら二点以上購入で一点無料〜って、バカ。おれはスーパーマーケットじゃないんだぞ。いや、この割引の仕方はスーパーと言うよりアパレルショップか……って、そんな話がしたかったんじゃない。あきれ返ったおれは、自分だけが本物の兄だと弟に信じてもらうのをあきらめて、自室へ帰った。

 

 その日の食卓。夜ご飯の肉じゃがが、ずらりと並べられた。取っ手の取れる鍋から、全員でつつく。4人がけのテーブルにすわる、半数がおれという奇妙な光景。幸い、今日は父さんが出張なので、椅子は足りたのだが……

「あ!おいお前!その肉食うな!返せ!吐き出せ!」

「は!?どの肉だよ!」

「今お前の口の中にあるやつだよ!おれが目で予約してた!」

「んなこと知るか!目で予約ってなんだよ!つか、吐き出せって、吐き出したら食うのか?!」

「食ってやるよ!」

「はぁ!?きっしょ!」

そう、肉じゃがは三人分しかなかった。なんといっても、突然増殖したものだから、夕飯の準備が間に合わなかったのだ。そこまではいいのだが、横で肉じゃがを食べている星がらの服の縁度が、うるさい。おれが何を食べようと、おれの勝手だろ!ってか、お前もおれなんだから、別にいいだろ!功度がおずおずとつぶやく。

「うるさいよ、兄ちゃん……」

「「悪かったな!」」

思わず弟に八つ当たりをしてしまう。申し訳ない……と思っていると、

「え……兄ちゃん、いいよ、そんな罪の意識持たなくて……」

「「え……?」」

はじめは、意味がわからなかった。しかし、そのときおれの頭に1つの疑問が浮かんだ。

「「あのさ……功度、お前……『悪かったな!』って、ガチで謝罪してると思ってる……?」」

「え、うん。だって、『悪かったな』って謝罪の言葉でしょ?」

「「……まあ、それはそうだけどさ……言い方とかからして、八つ当たりしたのわかんない……?」」

「え!?僕八つ当たりされてたの!?やめてよ兄ちゃん〜」

どうやら本当に勘違いしていたらしい功度に、おれは、いや、おれらは、もう呆れてものも言えなくなってしまった。すると、功度がなにかを思いついたらしく、急に立ち上がった。

「そうだ!兄ちゃん!」

「「!?!」」

おれらが驚いている間にも、功度は続ける。

「明日、学校休みだし、博士に会いに行こうよ!僕、博士の家知ってるし!」

「「!?!」」

ああ、もう、こいつは何を言い出すのかと思えば。とはいえ、おれが一人に戻るには、結局博士に会わなければいけない。善は急げ、なんて言葉もあるくらいだから、どうせなら明日に行ってもいいのかもしれない。なんて思っていると功度が、

「だってほら、なんだっけ、天才少年……?みたいな言葉もあるわけだし」

と言い出した。

「「天才少年……?」」

意味がわからず、呆然と呟いてから、その響きに聞き覚えがあることに気がついた。これは……まさか。

「「……もしかして、善は急げ……?」」

「あ!そう、それだ!」

……それだ!じゃないんだよ……。どういう間違いだよまったく。相変わらず、自分の弟ながらよくわからない。しかし、明日、博士に会いに行くということは、明日には元に戻れる。おれはそのことに胸をおどらせ、一人分のベッドでぎゅうぎゅうになりながら、眠ることにした。

 

 翌朝。起きたおれは、自分がベッドにいないことに、衝撃を受けた。さては星がらの服の縁度が突き落としたに違いない。なぜなら、おれは今までに人生で一度もベッドから落ちたことがないからだ。ベッドの上で大層気持ちよさそうに眠っている星がらの服の縁度を叩き起こす。

「おいお前!起きろ!いくらベッドが狭いからっておれのこと突き落とすことないだろ!」

「は!?」

星がらの服の縁度はものすご〜く眠そうに、目を擦りつつ、驚いた表情を浮かべた。状況がわかっていないようなので、優しいおれが丁寧に説明してあげよう。

「あのなぁ。朝起きたら、おれがゆかで寝ていた。お前もおれなら、おれが今までにベッドから落ちたことがないのは知っているだろ?てことは、お前が突き落としたとしか、考えられねぇってわけだ。説明してもらおうか?」

「むにゃ……いや、おれは着替えまだだからおやつを食べるわけには……」

どうやら寝ぼけているらしい。……てか、おやつは着替えの後じゃないと駄目なのか。じゃなくて、寝起きのおれってこんな感じなのか……だいぶ間抜けだな……と思いつつ、気を取り直して、叫ぶ。

「起・き・ろ!お前!おれのこと!ベッドから!突き落としたな!」

「はっ!そんなことしてないでございます!」

どうやら目は覚めたらしい。まだ語尾が変だが。

「じゃあどうしておれがゆかで寝てたってんだよ」

「ああ……それな、夜中にお前自分で下りたんやで……下りたんだよ」

「は?」

「『やっぱ二人で一人分のベッドに寝るのは狭いからおれゆかで寝るわ……』とか言って、ドタン!って落ちてったよ。さすがのおれも心配して覗き込んだんだけど、それはもう大層気持ちよさそうに眠ってたから、まぁいいかな〜って思って放っておいたんだけど、まさか覚えていないとは。」

「えぇ……?」

まったく記憶にないが、星がらの服の縁度が嘘をついているようにも見えない。さすがに自分の嘘を見抜くことくらいできるだろうから、事実なのか……?睡眠って恐ろしい……と思っていたそのとき、突然ドアがバァンと激しく音を立てて開いた。

「兄ちゃんズ!準備できた?早く行くよっ!」

そこに立っていたのは功度だった。

「「ええっ、もう行くの!?」」

「あったりまえじゃん!って、なんで兄ちゃんズまだパジャマなの!?」

「「だってさっき起きた……」」

「さっき起きたの!?嘘でしょ!?電車混んじゃうから、急いで準備してね、兄ちゃんズ!」

どうやら兄ちゃんズという呼び方が気に入ったらしい。「兄ちゃん」に英語の複数形の「ズ」を付けて考えたのだろう。相変わらず頭のいい弟だ。おれは車がらのパジャマを脱ぎ捨てて、クローゼットから車がらの服を手に取った。違う色の服を着てしまったら、見分けがつかなくなってしまうから。その横で、星がらの服の縁度も、星がらの服を脱いで、星がらの服を着ている。こいつのせいで、余計な手間が増えた。服ももう車がらしか着られない。クローゼットの中身のほとんどは、実質封印だ。ああ、もう、面倒だ。さっさと元に戻りたい。


 なんとかかんとか準備を終わらせ、おれと星がらの服の縁度は弟と一緒に家を出た。駅まで向かう道中、となりの家のおばさん(おれらが小さいときから近所に住んでいて、よくしてくれている人だ)に声をかけられた。

「あら、縁度くんに功度くん。おはよう。……って、縁度くんって三つ子だったの?私、縁度くんがこーんなに小さかったときから知ってるのに、三つ子だなんて知らなかったわ。」

こーんなに、と、いちご大福くらいの大きさを手で作って示すおばさんの言葉を、3人のつぶやきが遮った。

「「「……三つ子?」」」

そうだ、今ここにいるのはおれと星がらの服の縁度と功度だ。確かに、おれと星がらの服の縁度はおれなのだから、双子だと認識するのも理解できるが、三つ子……?一人、多い。

「あら、違うの?いやね、今ここに縁度くん二人いるでしょう?私、さっき、駅の方向に向かう縁度くんをもう一人見かけたのよ。緑色の服の縁度くんね。挨拶もしたし、間違いないわ。」

緑の服の縁度。間違いない。カレー屋で逃げられた彼だ。やっぱりあいつもおれだった。見間違いなんかじゃなかった、とホッとした。でもそれと同時に、さっきまでこの辺にいたということ、そしてあいつの目的がわからないということには、恐怖も感じた。しかし、そんなこと考えたところでわからないので、世間話もそこそこにおばさんと分かれた。そういえば今更だが、おれがいちご大福くらいの大きさの頃から知っているというボケ、スルーしてごめん。

 駅に着き、そのまま電車に乗った。となり町駅で下りると、博士の家を知っているという弟が、案内すると言うのでおとなしく付いていく。道中、弟が口を開いた。

「それにしても、ほんとうに面白いね。ある日家に帰ったら、兄が増殖していた――みたいな、物語みたいな出来事がほんとうに起こるなんてさ。」

「「功度は他人事だからそんなことが言えるんだよ。実際、自分が増殖するなんてたまったもんじゃないから。」」

「あははっ、また揃った〜!」

弟はのんきに笑っている。まあ、無理もないだろう。自分が増殖したことの面倒くささやうざさなんかは、実際に増殖したことのある、おれにしかわからないだろうから。生まれつき一緒に過ごしてきた双子ともきっと違う、自分が突然横に現れる恐怖なんかも……。だけど、ケタケタと楽しそうに笑う弟を見ていると、こんなのもいいのかもしれないという気までしてくるから不思議だ。いや、よくないけど。絶対に。と、そのときだった。

「あ、ここだよ!」

功度が立ち止まって、目の前の家を指さした。ぱっと見は、ごく普通の家に見える。しかし、舐め回すように眺めて気がついた。表札に、「博士」と書いてある。そんなどストレートな表札があるかよ。でも、いかにも増殖光線なんて変なものを作っている博士が考えそうなことだ。いわゆる「解釈一致」というやつで、おれはなんだか嬉しくなった。

「「……うわー、めっちゃ解釈一致な表札……」」

どうやら、星がらの服の縁度も同じことを考えていたらしい。おれは星がらの服の縁度のほうを見て、笑いかけた。

「「だよな!」」

あははっと笑い合ったところで、こいつはおれのニセモノなんだと、ハッと我に返った。こんなやつと、笑い合っている場合ではない。この家の中の博士と会って、さっさと元に戻してもらうんだ。こいつはあくまで、おれが元に戻るまでだけ、仕方なく、一緒にいる存在なのだから。おれは意を決して、インターフォンに手を伸ばした。固いボタンを、ギュッと押す。指先から、ピーンポーンと音が鳴る。

「「「……」」」

インターフォンを押したとたん、だれも何も言わなくなった。辺りがしんと静まる。そんな雰囲気もあって、今更ながら少しこわくなってきた。博士は、優しいのだろうか。おれらのことを取って食べたりは、しないだろうか。おれの話を、信じてくれるだろうか。増殖消滅光線を使ってくれるだろうか。心配しはじめるときりがない。どくどくと大きな音を立てる心臓をごまかすように、おれは大きく息を吸った。しかし、待てど暮らせど人の気配はしない。あまりにしんとしているものだから、とうとう、おれは声を出した。

「……留守、かな」

「……留守、だろうな」

「……留守、みたいだね」

よし。3人全員が留守だと判断したのだから、それはもうきっと留守だろう。

「「このあとどうする?」」

おれらは弟に聞いた。まあ、なんってったって弟は賢いのだから。笑いのツボ変だけど。

「…………とりあえず、居場所に博士の近所の人を聞こう。」

「「……は?」」

さっきの言葉、訂正させてくれ。笑いのツボ以外も変みたいだ。

「え?僕、今なんて言った?」

なんて戸惑っている弟に、内容を教えてあげよう。

「「『居場所に、博士の近所の人を聞く』とか言ってた」」

「は?」

「「いや、それはこっちのセリフだ」」

「あ、そうそう、『博士の家の近所の人に、博士の居場所を聞こうか』って言おうとしたんだよ。」

と、いうことなので、おれらは近所の家の人をしらみつぶしに調べることにした。家のインターフォンを押し、出てきた人に博士について聞いた。だれも出てこなければ、すぐに次に行った。それを繰り返していると、とある家で、有力情報が手に入った。

「ああ、博士なら……例の増殖事故の関係で、この街を追い出されたわよ。もうあそこには住んでいないわ。」

ということらしい。そして、この情報をくれた方も、引越し先は知らないと。なんでも、ほとんど夜逃げのように引っ越していったらしい。まあ、あれだけ町全体に迷惑をかけたのだから、追い出されたのも仕方ないか。情報収集のため声をかけた人の何人かは、「もう博士の顔なんて見たくない、うんざりだ」とか言ってたし。それからも何軒かのインターフォンを押してみたけれど、それ以上の情報は出てこなかった。これで博士への手がかりは一切なくなってしまった。なんとしても、博士と出会わなければいけなかったのに。おれは唇を噛んだ。ふと横を見ると星がらの服の縁度も同じように、唇を噛んでうつむいているのが見えた。そりゃそうだ。こいつもおれなのだから、元に戻りたい気持ちは同じなはず。悔しさも、悲しさも、全部わかる。でも、だからこそ、かける言葉もなかった。しかし、沈黙しているのもそれはそれでなんだか申し訳ない。悩んだ末、おれは、

「……いつものカレー屋さんに、帰ろうか。」

そう、声を掛けた。珍しく、星がらの服の縁度と言葉が重ならなかった。


 おれたちは、電車に乗ってすごすごと自分の街へと戻ってきた。そして、いつものカレー屋さんに入った。結局、わざわざとなり町まで出かけてわかったことは、「博士はもうあの家には住んでいない」という、ただそれだけだった。まだ1日しか経っていないとはいえ、やっと元通りの1人に戻れると思ったのに、なんの情報もつかめなかった。その事実が重い。注文を取りに来た店員さんに、おれと星がらの服の縁度はカツカレーの十辛を1つずつ頼んで、功度はチーズカレーの一辛を頼んだ。おれは食べたことがないけれど、チーズカレーは辛味が少しマイルドになっておいしいらしい。しかし、辛味ソムリエ志望としては、マイルドな辛味よりも、ガッと来る大胆な辛味を味わいたいものだ。なんて思いつつ注文を済ますと、また沈黙が流れた。

「「「……」」」

なんとなく気まずいな、なんて思って、自分から話し始めてみる。

「「あの、博士のことだけど……」」

しかし、星がらの服の縁度と重なってしまって、おれはなんとなく口を閉じた。でも、星がらの服の縁度も口を閉じたので、また、沈黙が流れた。今日ばかりは、重なってまでしゃべり続ける元気もない。ああ、もう、どうしてこうなってしまったのだろう。 増殖なんてしなければよかった、とは言っても、元々したかったわけでもないけど。期待通りの情報が手に入らなかったがっかり感も相まって、思わずネガティブな気持ちになってしまう。しかし、おれがうつむいているのを見かねてか、星がらの服の縁度が話し始めた。

「で、博士のことだけどさ、手がかりがなくなった以上、これ以上探し続けるのは難しいと思うんだ。それはもう、仕方がないと思う。とはいえ、いつかは元に戻りたいし、情報収集は続けるけど……、あんまり期待しないほうがいいかもしれない。でさ、提案なんだけど、まずはニコちゃんマークの服の縁度を探すのはどうかな。彼だけ、明らかにおれらとは違う素振りを見せていたし、もしかして、おれらが知らない何かを知っている可能性もあると思うんだ。」

その言葉に、弟が反応を示す。

「確かにそうだね。僕はニコちゃんマークの服の縁度は見ることができていないけれど、話を聞く限り、二人が戸惑いのあまり身動きがとれなくなったのに対して、そそくさと兄ちゃんズから逃げたっていうその動きは、なんだか怪しいよね。」

星がらの服の縁度の話に、功度が同調した形だ。完璧なやりとりに、おれが入る隙はない。おれは黙った。

「……」

二人の話を聞いているうちに、全員分のカレーが来た。おれは自分のカレーを体の前に引き寄せると、スプーンを手に取った。スプーン片手に、香りを鼻いっぱいに吸い込む。ああ、いい香りだ。つややかで、なによりおいしそうだ。すぐに、いただきますを唱えてから、スプーンをカレーの中に沈める。つるん、とカレーがスプーンに滑り込む。そのまま一口分すくい取って、口へ運ぶ。パクッと口の中に入ったカレーは、相変わらずのおいしさだ。辛味がのどにピリッと残る感覚も、コクのある口当たりも、ドッと襲い来る辛味も、全部、今まで通り。

「おいしいね!」

「ああ、おいしいな。」

「……!」

だけど、なんだろう。なんだか、いつもよりおいしい気がする。おれ一人じゃないからかな。いや、そんなわけない。だって、弟の功度はともかくとして、星がらの服の縁度は、少なくともおれにとっては、おれを騙るニセモノだ。そんなやつと一緒に居て、カレーがおいしくなるわけがない。むしろ、まずくなってもおかしくないくらいだ。こいつと一緒にいるからカレーがおいしいなんて、絶対に気のせいだ。おれは気の迷いを押し込むように、カレーを口の中に流し込んだ。

「……ごふっ!」

そして、むせた。さすがに十辛を流し込むのはしんどかった。そうだ、忘れていたけれど、十辛を食べられる人は一日に三人いたら多い方だと店員さんが嘆くくらいには辛いのだった。大慌てで水を手に取り、ぐびぐびと流し込む。あっという間に空っぽになったコップを見て、「おかわりお願いします!」と声をあげようとしたが、思うように声が出ない。

「かはっ……げほげほっ……」

そのときだった。功度と縁度が寄ってきた。

「大丈夫!?兄ちゃん!」

「縁度、大丈夫か!?」

功度がすっとおれの背中をさすってくれた。星がらの服の縁度は、空っぽのコップを悔しそうに握りしめるおれを見かねたのだろうか、

「すみません!お水!おかわりお願いします!急ぎで!」

と叫んでくれた。店員さんの「かしこまりました!」という声を聞きながら、「ああ、一人じゃなくてよかった。まあ、一人だったらそもそもむせることもなかったかもしれないけど――」なんて、功度の腕の中でぼんやりと思った。

「はい!縁度!水!」

店員さんが注いでくれた水がなみなみと入ったコップを、星がらの服の縁度が渡してくれた。おれは半分うばい取るようにして、水をのどに流し込む。

「……ふぅ」

やっと、少し落ち着いた。まだのどは少しヒリヒリするけど、なんとか食べ進められそうだ。

「兄ちゃん、大丈夫?」

「縁度、大丈夫か?」

心配そうにこちらを覗き込む二人を、おれは涙目で見た。

「縁度、功度ぉ……」

ぶっちゃけ、かなり辛かったから、おれは自然と涙目になっていた。普通に食べる分には食べられる辛さでも、のどに大量に引っかかると、しんどいものだな。うるうるとした瞳のおれに、二人が心配そうに声をかけてくれる。

「一体どうしてむせたの?」

「まさか、十辛が辛すぎたのか?縁度のくせに?」

「バカ!おれが十辛食べられねぇわけないだろ!もう一回流し込んでやろうか!」

「あ、流し込んでむせたんだ……」

なんて小さくつぶやく功度の横で、星がらの服の縁度はいつになく真剣な眼差しで言った。

「やめとけ。さっきむせたことを、もう一回やるなんてアホの所業だぞ。それに、次は助からないかも知れない。」

「な……!」

助からないかも、なんて冗談か本気かわからないようなことを、真剣な顔で言ってくるのが腹が立つ。

「……心配してやってるんだ、素直に受け止めろ」

星がらの服の縁度はぷいっと目をそらしてしまったけれど、おれは少し、嬉しかった。


  「で、本題だけど」

全員のカレーが残り半分を切った辺りで、星がらの服の縁度がおもむろに話し始めた。

「近所のおばさんからの目撃情報もあったわけだし、おれらが知っている通り、おれには家以外に帰る場所もない。それがニコちゃんマークの服の縁度についても同じだったら、彼はきっとこの辺りにいると思う。探す当てもない博士よりはずっと、見つけられる可能性が高いと思う。」

功度も同調する。

「確かに。もし、ニコちゃんマークの服の縁度の行き先にどこか当てがあるなら、増殖から1日経ったあとの今日もこの辺りにいるのは不自然だ。つまり、星がらの服の兄ちゃんが言っていた、他に帰る場所があるって可能性も、低いんじゃないかな。だから、ここらへんに絞って検討したら良いと思う。」

さっきと同じような、星がらの服の縁度の提案に功度が賛同した形だ。さっき同じ流れになったときは、何も言うことができなかったっけ。でも、今回はおれも議論に入ることができた。

「あの……1個提案なんだけどさ。人探しのポスター貼らない?この辺にいるなら、声がかかるかもしれない。おれと同じ顔なのだから、写真も撮れるし。」

おれには全くの盲点だったのだ。人探しのポスターと同じ顔の人間がいるとどうなるのかということが。それに、他にアイデアが出なかったので、ポスターを作って貼ることになった。カレーのお会計をして家に帰ると、早速パソコンの前に立って、作り始める。といっても、おれはパソコンにくわしくないので、もっぱら功度に任せていたけれど。

「上半分に写真、下半分に文章って構成が定番かな。」

「構成はそれでいいと思う。あとは下の文章をどうするかだな。」

「身長体重はおれと同じ値を書けばいいんじゃないか。まあ、同じだって保証はないけど。」

「あとはニコちゃんマークがかかれた、ニコちゃんマークの服ってことを書かないとね。」

なんて言い合いながらパチパチと作り進めて、印刷した。近所のお店に依頼して、様々な場所に貼ってもらった。しかし、それからのことだった。おつかいを頼まれたおれたちがスーパーマーケットに行くと、

「あら、あなた、探されてたわよ。家出?早く帰ってあげなさいね。」

「君、あの店にポスターを貼られていた子じゃないか?」

と口々に声をかけられた。その度に増殖しただなんて説明するのは面倒なので、三つ子ということにして弁解した。

「いや、おれら、そのポスターの彼と三つ子なんです。彼は、おれらとは違う色の服を着ていて……。」

しかし、翌日も、遊びに出かけると

「アンタ、家出か?色々しんどいのはわかるけどな、さっさと帰ってやりな。」

「え、あなたポスター貼られてた子だよね?こんなところにいちゃ駄目だよ。家に帰ってあげて。」

と口々に声をかけられるので、その度に

「いや、おれ三つ子で……。」

と答えた。その翌日も、

「君、ポスター貼られてたよ。家、帰ってあげな。」

「ポスター貼られてたガキ……だよな……お前。みんな心配してんじゃねーのか?」

「いや、おれ……」

というやりとり。そのまた翌日も……ああ、もう、うんざりだ。

「「ポスター、剥がそう!」」

おれと星がらの服の縁度はとうとう耐えかねて、功度に訴えた。

「うざすぎるんだよ、どこに行っても声をかけられてさ……」

「なにもあの縁度のためにおれたちが苦労することないだろ?」

おれらの訴えに、功度は言った。

「うん、そうだね。ていうか、まあ、同じ顔なのだからそうなるよね。」

やけにすんなり納得するなと思ったら、想定内だったらしい。

「「貼る前に言ってくれよ!」」

アハハッと笑う功度とともにポスターを回収しにでかけた。博士への手がかりがなくなったことで、いつ戻るかわからない増殖。ニコちゃんマークの服の縁度への手がかりもない。情報が無いのはあの時と同じなのに、不思議ともう、ネガティブな気持ちにはならなかった。

 そして、ポスターを回収して回っていたときだった。いつものカレー屋さんの前を通った。

「あ」

後ろを歩いていた星がらの服の縁度の声がして、前を歩いていたおれと功度は振り返った。星がらの服の縁度が、ぽかんと口をあけながら、おずおずとカレー屋さんの中を指差す。その指先を見ると、店内にいた男の子と目が合った。

「あ」

時が止まったのかと思った。どうリアクションしていいのかわからなかった。なぜなら……そこにいたのが、緑色の服の縁度だったから。あれだけ探し求めていたはずの相手だけれど、いざ見つけたらどういう反応をしていいのかわからない。

「……」

すごく長い沈黙(実際は一秒もなかったと思うけど)の後、星がらの服の縁度がおずおずと呟いた。

「……入ろう。」

おれと功度が無言で頷くのを見て、星がらの服の縁度はドアに手をかけた。へぇ、勇気あるじゃん。初めて会ったときはここで、おれが自分だと気づかずに、警戒した目をしていたのに。

「いらっしゃいませ〜、お好きな席へどうぞ〜」

店内に入ったおれらに声をかけた店員に、

「あ、ごめんなさい。おれら、そこの彼に用があって。」

と、店内を進んでいく星がらの服の背中を追いかけて、ニコちゃんマークの服の縁度の席へ進んでいく。ニコちゃんマークの服の縁度は、店の出入口の方向をおれらに塞がれる形になった。それだけでなく、机の上には食べかけのカツカレーが置いてあった。お金も払っていないカレーを置いて出るわけにもいかず、彼はなんとも言えない表情で席にすわっていた。

「え、あの子たち三つ子?」

「顔そっくりだよね!すごー。」

なんていう店内のざわめきを背に、星がらの服の縁度はニコちゃんマークの服の縁度の前に立ちはだかった。

「……なんで、おれらから逃げた」

「……」

ニコちゃんマークの服の縁度の沈黙と、星がらの服の縁度の圧に耐えられず、おれが横から口を挟む。

 「お前がいない、それだけで、おれらは元に戻れない。おれらは一刻も早く、元に戻りたいのだが、お前はそうじゃないのか?」

ニコちゃんマークの服の縁度が、やっとぽつりと呟いた。

「……悪かったよ」

「何も責めてるわけじゃないんだ」

おれが言うと、星がらの服の縁度が割り込んだ。

「いいや、おれは怒っているね。それに単純に理由が気になる。さっさと理由を聞かせろ。」

ニコちゃんマークの服の縁度が、またうつむいて言った。

「……お前らの得体が知れなかったからだよ」

「「得体が知れなかったのは、おれだってお前だって一緒だ」」

自分と同じ顔の二人の言葉を遮るように、ニコちゃんマーの服の縁度は強い口調で言った。

「お前らがスパイだと思ったんだよ!」

「「スパイ?」」

「おれが増殖したようなパフォーマンスをして、公然と、おれの家族を、友達を、人間関係を、うばうつもりだと思ったんだ……!だから、おれはお前らの正体を突き止めて、きっと白日の下に晒してやろうと思ったんだ。だけど、お前らは一向にスパイらしい活動をしないし、おれの家族や家庭を乗っ取るような様子もない。それにどうやら元に戻りたがっているらしいし、おかしいと思ったんだ……!」

そのとき、だれかの笑い声が響いた。

「あははっ、なぁんだ!全員、自分が本物の兄ちゃんだって思っていただけじゃない。そして、そんなに思考が似ているのは、きっと、全員が兄ちゃんだからだよ!」

功度だ。なんだかやたら楽しげに笑う功度を見ていると、おれもおかしくなってきた。

「「「……あははっ」」」

カレー屋には、四人の笑い声が響いた。

「すみません、お客様、お静かに……」

「「「「ああっ、すみません」」」」」

楽しくなって、周りが見えていなかった。でも、それも含めてなんだかおかしくて、おれらは顔を見合わせて、静かに微笑んだ。


 縁度たちは家に帰った。出かけていったと思ったら、1人増えて帰ってきた息子に、母親は驚いていた。しかし、一度増殖した身なのである。以前よりはすんなり飲み込んで、家に入れてくれた。

「本当に……?二人じゃなくて、三人に増殖してた……ってこと……?」

「「「そう」」」

「……あははっ、さすがに三人の声が揃うとすごいね。とりあえず入って。」


 その日の食卓は、大混乱だった。我が家の食卓には、椅子が四つしかないから、縁度三人と弟と母親(父親は長期出張だ)の五人では、一人すわれない。

「いや、そこは増殖した縁度が立つべきじゃない?あとほら、年功序列よ。母さんは年寄りだから。」

なんて言って、母さんは席にすわろうとする。それを静止して、

「「「いや、そこは未来ある若者に譲ってあげるべきじゃない?」」」

と、おれたち三人。すると、これみよがしに

「その理論なら、若輩者の僕には席があるね。」

と言って席にすわろうとする功度。それに続いて、

「そうね、やっぱりこれは増殖した縁度の責任よ。功度と私は無関係。」

母親もそう言って席にすわった。

「「いやでも、多数決だったら……。」」

おれとニコちゃんマークの服の縁度が主張すると、星がらの服の縁度がおれたちの肩に手を置いて、

「もういいよ、見苦しい。おれはすわるね。」

と言って、席にすわった。

「「あっ……!こんにゃろ」」

残されたおれとニコちゃんマークの服の縁度は、あと一つの座席を賭けてじゃんけんをすることにした。そして、結果、おれが負けた。おれだけ、立ち食いだった。しかし、翌日も、その翌日も椅子は足りないのだ。おれたちは毎日小競り合いをして、日替わりで立ち食いをした。だけど、そんな日々もいつしか当たり前になった。

  

それに、増殖してよかったことだってある。

終わっていなかった夏休みの宿題も、三人で分担すれば三分の一。

「じゃあ、ここの範囲をお願い」

「おっけー、じゃあここは任せた」

「おれはここね。頼んだぞお前ら」

色々なことが、三倍速で進んでいく。楽しさも三倍に膨れ上がっていく。そして、決まっていなかった自由研究も、三人よらば文殊の知恵。三人にかかればあっという間だ。

「自由研究、どうしよっか。」

「増殖した自分が一番の研究材料だけどね。」

「言えてる。とはいえさすがにそれを宿題として出すわけにはいかないし。」

「野菜の切れ端から葉っぱを育てるやつとかどう?」

「あ、いいね。キッチンになにかあったっけ?」

「「確か、人参と大根があった気がする。」」

「お母さんに言って、切れ端をもらおう。」

最初に増殖した日こそ、自分以外に自分だと主張してくる人間がいることに驚いたものだが、慣れてしまえば彼らも頼もしい味方だ。自分と同じことができるし、思考回路が似ているから考えつくことも同じ。言わなくても伝わることもある、便利な助手だ。まあ、自分も、他の二人に同じように思われているのだろうけど。

 

 やがて、学校が始まった。だれが情報を伝えたのか知らないけれど、学校側にはおれが増殖したことは伝わっていたようだ。だから、おれらのために学校の座席が増やされていたらしい。でも、生徒側には、おれが増殖したことは伝わっていなかったらしい。三人で投稿したおれたちは、何の気なしにまずおれが教室を覗いた。教室からはおれ以外の二人が見えない状態のまま、次々と声をかけられた。

「あ、縁度、おはよーっ」

「ねぇ、縁度、聞いた?座席が増えてるんだ。転校生か!?」

「絶対これ転校生だろ!男子かな!女子かな!」

「かわいい女の子だったらいいなぁ!」

「もしかしたら留学生とかかもよ!」

興奮気味に詰め寄ってくるクラスメイトに、真実はとてもじゃないが言いづらい。みんな、未知の転校生の存在に期待しているのだから。しかし、言わないわけにもいかない。おれは、決心を固め、言った。

「……ごめんそれ、おれ。」

「は?」

クラスメイトの、きょとんとした表情。やがて、それは笑いに変わった。

「縁度、それ何の冗談?笑」

「全然おもしろくないんですけど〜」

「いや、縁度が転校生なわけないだろ」

ニヤニヤと笑うクラスメイトにおれは少しイラッとしつつも、まあ、人間が増殖するなんて思うほうがおかしいというのは確かなので、うまく反論もできず星がらの服とニコちゃんマークの服の縁度をドアの前まで引っ張った。これで、クラスメイトからはおれら三人が全員見える。いい加減、冗談じゃないこともわかるだろう。

「は……?」

ざわめきが、一瞬にして止まった。

「え、縁度って……三つ子……だったのか……?」

ぽかん、とつぶやく声。でも、クラスメイトにはほんとのことを知ってほしかったから、おれは言った。

「「「違う。おれたち、増殖したんだ。」」」

「増殖?」

クラスメイトはぽかんとしている。おれは、まずとなり町博士増殖事故について話した。そして、それと同じ理屈で、おれたちも増殖したのだ、と説明した。

「え、てことは、全員縁度なの?」

「「「そうだけど」」」

「うわ、声めっちゃ揃ってんじゃん!」

「「「だっておれだし」」」

「え、めっちゃすごいじゃん!」

クラスメイトは大笑いしながらだったけど、受け入れてくれた。そして、始業式のときに改めてクラスの前で紹介してもらい、おれたち三人は、正式にクラスメイトになった。しかし、困ったことが起こった。授業中、先生が

「ええと……じゃあここの答えを、縁度くん」

なんて言おうものなら大変だ。

「「「はい」」」

三人まとめて立ち上がり、もれなくクラス全員大爆笑。

「あっ、そっか……縁度くん、三人いるんだったな……」

とあきれたような表情の先生。クスクスと笑い声の続くクラスで、

「じゃあ……車がらの服の縁度くん」

と指名し直す。学校が始まってしばらくは、

「え、ねえねえ感覚ってどんな感じなの?」

「だれが本物の縁度なの?」

なんて質問攻めにも遭っていたけれど、時間の経過とともにそれもなくなった。その代わり、他の学年からちらほら覗きに来られるようになったけれど、気にしない、気にしない。おれたちは、三人いるんだから、おれに注がれる視線だって三分の一だ。こう思えば、注がれる視線なんて気にならない。二人のおかげだ。まあ、二人がいなければそもそも視線を注がれることもなかったのだけれど。


 それからしばらく経ったある日。おれらは、いつもどおりにカレーを食べていた。そう、やっぱり、カツカレーの十辛だ。何度来てもやっぱり美味しい。

「「「辛味って素晴らしいよな」」」

全員の声が揃った。きっと皆、おれと同じように、辛味の素晴らしさをわかっていて、特にここのカレーの辛味はカレーを引き立てる素晴らしい味……なんて思っているのだろう。おれは今までだれにもわかってもらえなかったこの気持ちをわかってくれる仲間がいるという事実を、ゆっくり味わって噛み締めた。そのとき、店の扉が開いて、だれかが店内へ入ってくる気配がした。

「いらっしゃいませ〜、お好きな席へどうぞ〜」

聞き慣れた店員さんの声。しかし、入ってきただれかは、

「あ、すまない。ワシ、そこの彼に用があって。」

と、どこかで聞いたことのあるような言葉を口にして、店内を奥へと進んできた。そして、おれらと目が合うや否や、すごい勢いで迫ってきて、話しかけてきた。

「君かね!?友永縁度くんというのは!?」

「「「え、ええそうですが……?あなたは……。」」」

「博士じゃ。」

どうやら、この人があの博士らしい。まあ、正直そうだろうと思っていた。「ワシ」という一人称も、「じゃ」という語尾も、ふさふさのひげも白髪も、全て、彼が博士であることを物語っている。物語のキャラクターにいるような、典型的な「THE博士」という要素をすべて満たしている。そんな博士は言った。

「友永縁度という三つ子の少年がワシを探していると聞いてな。このカレー屋が行きつけだと聞いたもので、申し訳ないが待ち伏せさせてもらったよ。それで要件じゃが……」

「「「おれたちの増殖を元に戻してくれ!」」」

「そうじゃな、そうじゃろうな。そうじゃろうと思ったよ。」

そうじゃなそうじゃなうるさいな。おかげで紙面がごちゃごちゃしちゃったじゃないか。なんて思うおれに、博士は訴えかけた。

「しかしな、縁度くんたち。増殖は一度元に戻すと、もう二度と、増殖した状態には戻せない。つまり、もう二度と、もう一人の自分とは会えないってことじゃ。じゃがな、戻ったあとの一人の状態の自分には、増殖していた他の自分の記憶が集まるんじゃ。つまりな、自分の記憶の中にはもう一人の自分がいて、彼の記憶もあるのに、彼はいないという状況になるんじゃ。実際、ワシも増殖していた期間については、約5万人分の記憶がある。厳密には、四万八千二十七人じゃが……って、そんなことはどうでもよくてじゃな、あのとき全員が見たものも、考えたこともわかるってわけじゃ。記憶を知ったことで、伝えたいことだってある。あのときは気づけなかっただれかの感情に、気がつくことだってある。じゃが、もう彼らはいない。短い間とはいえ、だれよりもそばにいたからこそ、それは、きっと想像しているよりもずっと寂しい未来じゃ。ワシも、増殖を元に戻したことを、何度後悔したかわからない。とはいえ、ワシの場合は人数が人数だったし、人にも迷惑をたくさんかけたから、一人に戻らないわけにはいかなかった。じゃが、お前さんはそうじゃない。お前さんが一人だろうが二人だろうが三人だろうが、迷惑を被る人はほとんどいない。じゃから、今ここですぐに元に戻したくはないんじゃ。あわよくば、そのままでいてほしいんじゃ。ワシのように、後悔してほしくないんじゃよ。もう一度、よく考えてみてほしい。ワシと出会うまでの間、だれよりも一緒に過ごした自分を、ときには相棒、ときには助手、ときには良き友人として、そばにいてくれた彼を、今、失ってもいいのか、と!」

重い言葉だった。「博士」という敬称の、ほのぼのした面白キャラが言って良い言葉ではないと思うほどに。でも、実際におれは増殖が戻ったら幸せになれるということを、ただひたすらに信じてきた。そして、博士は、そうじゃない可能性もあるということに気づかせてくれた。それに、あの言葉は、この世界で唯一、おれと同じように、増殖した経験を持つ博士にしか言うことができない言葉だった。確かに、もう一度考えてみてもいいかもしれない。これから、三つ子として生きることも。だけど。目の前のカレーに薄く膜が張っていることに気づいて、おれは博士に言った。

「アドバイス、ありがとうございます。おれ、少し考えてみます。でも今は、おれとおいしいカレーが食べたいんです。また連絡しますので、とりあえず連絡先だけ、交換していただけますか。」

おれが連絡先としてスマホで2次元コードを表示させると、博士が見たこともないような楕円形の立体のような、変な形のものを取り出した。しかも、それには目まで付いている。

「「は、え、それなんだよ!?」」

おれ以外の二人の声が揃った。

「何って……携帯じゃよ。」

博士は平然と言いながら、おれの表示した2次元コードを読み込んだ。おれのスマートフォンに、「『@Hakase_zosyoku3150』さんからの一件のリクエストがあります」と表示された。

「「使えるんだ……」」

おれと、おれの画面を見た星がらの服の縁度がつぶやくと、

「そうじゃ。わしが発明した、生物型液晶付き携帯電話じゃ。こいつは、フォーネという名前じゃ。かわいいじゃろ?」

と言われた。それに合わせるように、携帯電話(だと言う楕円形のなにか)がウインクをした。

「ええ……それ要る……?」

ニコちゃんマークの服の縁度が思わずつぶやいた。そのとき、おれはカレーがすっかり冷めそうになっていることに気がついて、急いで他の縁度たちに声をかけた。

「なあ縁度、早くカレー食べよう。冷めちゃう。」

おれと二人の縁度がカレーに向き直ると、博士は少しほほえみながらおれらのすがたを見て、店を出ていった。


 「……で?どうするよ、縁度?」

おれは二人に呼びかけた。ニコちゃんマークの服の縁度が呼びかける。

「ん〜……まあ、博士の言っていることもわかるよな。しかも、博士本人が後悔しているんだろ、あれ。」

星がらの服の縁度も反応する。

「そうだな。それに、三つ子として生きても困ることが少ないのも確かだ。」

「五万人と違って、三つ子は存在するしな。さしておかしなことでもない。」

博士に言われて初めて気がついたけれど、確かに増殖した二人はおれの良き友だし、最高の相棒だ。確かに、今更失うことは、考えられないとも思う。だけど、おれには気がかりなことがあった。それは、将来のことだ。

「おれがもし辛味ソムリエになったらさ」

おれは、そう前置きをして話し始めた。

「替え玉疑惑、とか言われないかな……?だって、こんなにそっくりなんだよ。確かに、世の中には双子や三つ子だっているけれど、おれらは増殖しているから桁違いにそっくりだし、幼い頃の写真を証拠として見せることもできない。名前だって同じだ。おれのようなイケメンカリスマ辛味ソムリエなら、仕事も多いだろうし、替え玉疑惑を叫ばれても仕方がないんじゃないか……?それに、おれらは思考回路もよく似ているから、このままだと絶対全員辛味ソムリエになるだろう?カリスマ辛味ソムリエなんていう激レア職業で、全員その仕事の三つ子なんて、怪しくないか……?」

「うーん、たしかにそうかもしれない。安全策を取るなら、元に戻るべきなのかもしれないね。」

「だけど、元に戻ったらお前二人は消滅しちまうわけだろ?今更、お前らを失うのも、なんだかなあ。」

「だよなあ。今や気の合う友達でもあり、相棒でもある。」

おれらはカレーを食べながらうだうだと話していたが、結局、話はまとまらなかった。


 あれから、数日が経った。おれたちはまだ三人のままだ。話し合ったりもしていたけれど、結局何をしようが堂々巡りで、結論は出なかった。そんな中起こったそれは、突然の出来事だった。

「ああ、もう、兄ちゃん!僕の"たった一人の"兄ちゃんを返してよ!!」

功度が叫んだ。そのときおれは、功度に「僕一人で勉強していたらついサボってしまうから、僕の部屋にいてくれない?」と言われて、功度の部屋にいた。(「勉強を教えて」とは言われていない、なぜならほとんど功度のほうが頭がいいから)

 そして、功度が算数の問題を説いている横で、おれたちは軽く相談をしていた。功度の邪魔になっていたら申し訳ないなとは思ったけれど、おれにとっては自分の増殖のほうが大事だし、ぶっちゃけ退屈だし、功度は一人で勉強できるしと思ったから。でも、そうして功度をほったらかしにしていたら、こう言われたんだ。

「僕の"たった一人の"兄ちゃんを返してよ!」

おれには意味がわからなかった。だって、たしかに一人ではなくなったかもしれないけど、それでもおれはおれだ。増殖した直後から、悩むおれを笑い飛ばしてくれて、増殖したすべてのおれをおれとして扱ってくれた功度の言葉だとは思えなかった。おれは、功度のおかげで、功度がいたから、増殖したおれもおれであると飲み込めたのに。

「「「ど、どういうことだよ……?」」」

おれたちは思わず問いかけた。そうするしかなかった。

「……だって」

功度はためらいがちに口を開いた。

「だって、兄ちゃん、増殖してから、僕のことをあまり大切にしなくなったよね。増殖した自分の片割れが弟みたいに感じられるのか、しゃべり相手ができて嬉しいのか、知らないけどさ。だって、今までの兄ちゃんなら、勉強をサボらないために部屋にいてほしいって頼んでも、しゃべることなんて1回もなかった。確かに、しゃべり相手がいなかったからなのかもしれないけどさ。それだけじゃない。二人で出かけることも、もうできない。今や四人での外出だ。全員が兄ちゃんだからこそ、だれを兄ちゃんとして接していいかわからないんだ。兄ちゃん、僕の気持ちをわかってよ!」

おれは、増殖した自分をかわいがって、功度の気持ちを考えていなかったことに気がついた。……たしかに、功度の言う通りかもしれない。だって、だれだって自分が一番かわいいじゃないか。増殖したって、おれが一番かわいいし、おれは、世界一気が合う友達なんだ。でも、だからと言って功度を蔑ろにしていいわけ、ないよな。功度のほうが、付き合いとしては長いのだ。大事な弟なのだ。弟を悲しませていたと思うと、とたんに心苦しくなってきた。

「「「……ごめん」」」

謝ることしか、できなかった。おれたちは黙って部屋を出ようとした。増殖したおれが人に迷惑をかけることもあるとわかった、初めての機会だった。しかし、そのとき後ろから聞こえた声で、おれは足を止めた。

「……そういえば、兄ちゃん。この宿題、高級魚について調べるんだけど、有名な高級魚って何があったっけ……?あ、明太子か!」

おれはしばらく考えて、返事をした。

「……あのさ、明太子は鯛じゃないよ?」

「ええっ」

やっぱり……弟の思考回路はよくわからない。明太子はたらの卵を味付けしたもの。魚も違うし、そもそも卵だ。どこをどう間違えたらそう間違うんだよ……。でも、こんな弟の言葉でも、さっきおれに言った言葉は、たしかにおれに刺さった。


 おれは、増殖を戻すかを決めかねて、周囲の人に相談することにした。だってこんなの、おれ一人、いや、おれたち三人で決められるようなことじゃなかった。人に迷惑をかけているかなんて、おれからは推測するしかできないわけだし。まずは、母。

「博士はこう言っていたんだ。おれにも、戻りたい気持ちもあるけれど、もはや二人はおれにとって大事な親友でもあるんだ。失いたくない気持ちもあるよ。母さんはどう思う?」

おれは、こういった具合に博士とのやりとりを共有して相談した。すると、母さんは

「さあ……まあ、好きにしたらいいんじゃない。たしかに食費はかさむけど、将来的には働き手も三倍なのだからね。」

なんて笑いながら答えた。おれには、真剣にとりあってもらえないように感じた。まあ、それも当然なのかもしれない。この世で、自分が増殖した経験があるのはおれと博士だけなのだから、他の人にとっては無関係だし、実感も湧かない話だろう。おれはとりあえず別の人に相談することにした。次は、クラスの友達。

「……なんてことがあったんだ。だから、どうしようかなって。」

クラスメイトも、笑って答えた。

「まあどっちでも良いと思うけど。」

「どうせなら戻れば?クラスに同姓同名が三人いて、先生も不便してるし。」

「自分がいっぱいいて迷惑〜とか言ってたじゃん。戻れば?」

だれの返しも間違ってない。そうか、おれに戻って欲しい人が多数派なのだなと、おれは思った。今考えると、みんな冗談半分で、そこまでのことは言っていなかったのだけれど、このときのおれには、全員がおれに戻って欲しいと言っているように感じた。おれは真剣に悩んでいたのに、だれもとりあってくれないように感じて、悲しかった。

「どうするよ、縁度」

おれは二人の縁度に話しかけた。

「……全員、おれに元に戻って欲しいみたいだった」

「だよなぁ……。向こうは冗談のつもりかもだけど、おれの悩みが伝わる人がいないってのも辛いよなぁ……」

「「戻ろっか、一人へ。」」

こうして、おれらは一人に戻ることを決めた。


おれたちは三人で、博士の新居に向かった。リビングに通され、ソファへ腰を下ろす。博士は一人暮らしのくせに、おれら三人を家に呼ぶことを想定して、三人ですわれるソファにしたんだと言って微笑んだ。そんな博士に心苦しく思いながら、おれらは他愛のない話が途切れたタイミングで、言った。

「「「博士、おれたちに消滅光線を当ててください。お願いします。」」」

「……ほんとうにいいんじゃな。」

「「「いいんです。」」」

おれたちはこれまでのことを、博士に包み隠さず話した。将来は辛味ソムリエになりたいこと。同姓同名、同職、同じ顔のおれらが三人いるのは、リスクが高いこと。弟もおれが三人いることで自分が蔑ろにされたと感じていること。沢山の人に迷惑をかけていること。みんなもおれが元に戻ることを望んでいること。そして、おれももう元に戻りたいということ。博士は、おれたちの言葉を丁寧に聞いてくれた。

「わかった。お前なりにたくさん考えて出した結論なんじゃな。わしもお前の気持ちを尊重する。……少し待っとれ。」

博士はおれにそう告げると、一度となりの部屋へと引っ込んでいった。

「いよいよ、お別れだね。」

三人だけになった部屋で、星がらの服の縁度がぽつりと呟いた。

「ああ……そうだな。」

おれも同調する。

「けど、三人とも間違いなくおれ自身なんだ。一人に戻るということは、ある意味いつでも二人と一緒ということだから。」

ニコちゃんマークの服の縁度も続けた。それからは、もう何を言うこともできなくて、三人とも黙っていた。なにかしゃべったら、泣いてしまいそうだったから……。しばらくすると、メガホンのような形のものを両手で抱いた博士が、リビングへと戻ってきた。

「これが増殖消滅光線じゃ。」

そんな形をしているのかと、つい感心してしまう。

「よし、では早速光線を当てていこう。さあ、縁度。そこの壁沿いに並んで。」

博士がリビングの一角を指さして、メガホンの口の広い方を向けた。おれらも顔を見合わせながら、壁沿いに横並びになる。

「最後に言い残すことはないか。」

突然、ドラマのようなセリフが聞こえた。博士が言ったらしい。なんだよそれ……と思いながら、おれは横にいる縁度に目をやった。すると、

「もう、二度と会えないんだよな……」

と言いながら星がらの服の縁度が涙目になっていた。正直、おれも少し寂しい。いざ消滅光線の前に立つと、本当にもうこいつらとは会えないんだと実感してしまう。嫌だ、嫌だ嫌だ。あれだけのときを一緒に過ごしてきたのに、もう会えないなんてあんまりだ。そう思う気持ちもある。だけど、辛味ソムリエとして、おれは一人しか存在するべきじゃない。それに、弟だって、クラスメイトだって、おれが三人いて迷惑だと思っているんだ。おれは、自分を納得させるため、ニコちゃんマークの服の縁度と声を揃えて言った。

「「言っただろ。元に戻れば、おれらはずっと一緒だ。」」

その瞬間を見届けて、博士は満足げに笑った。そして、メガホンの横についていたボタンを押した。おれの体が光に照らされる。メガホンを左右に揺らして、三人にまんべんなく光があたる。その瞬間、いつか感じたまぶしさとどこか似たまぶしさを感じて、思わずギュッと目をつぶった。

「わあああああああ」

その瞬間、記憶が流れ込む感覚がした。確実におれの記憶があるはずの日の記憶が、どんどん追加されていく。一人では経験することのできないはずの情報量の記憶が、飛び込んでくる。ああ、そうか。これが、二人の記憶なのか……。やがて、光が消え、記憶の追加も止まった。おれは恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。

「どうじゃ?」

どこか得意げな博士が目に入った。しかし、今大事なのは博士なんかじゃない。おれは左に立っていたはずの、二人のおれを見た。しかし、そこには、だれもいなかった。まるで、はじめから、おれ以外の縁度なんて存在していなかったかのように。

「え、縁度ぉ……」

おれだけになってしまった。おれは急に心細くなった。最近は、いつだってとなりにおれがいた。困っていても、おれが助けてくれた。彼らはもういない。それに、おれには、伝えたいことができたんだ。二人があのとき感じていた心細さ。あんな行動をした理由。例えば、最初にニコちゃんマークの服の縁度が信号ギリギリで飛び出した理由なんかも、全部わかった。そして、おれだって気づいた。本当に、ありがとう、縁度。二人がいることで、助けてもらったことも、楽しかったことも、いっぱいある。でも、この言葉をかける相手はもういない。思わず、涙が零れそうになる。さすがに、泣くのはおれのキャラに合わないと思って、服の袖口を引っ張って涙を拭う。おれは、泣いてない。そのときに見えた服の色は、黒色の無地だった。あの日、でかけたときの服。もう、だれのがらでもない。そのときだった。

「わっ」

おれに相手にしてもらえなかったので、寂しそうに佇んでいた博士が、突然バランスをくずした。そして、となりに置いてあったなにかの装置に手が当たる。ピッ、という電子音が小さく響く。悪い予感がする。これはマズイやつ、と思ったおれが避ける間もなく、装置から光が発射された。

「うわっ」

突然のまぶしさにおれは思わず目をつぶった。どこかで感じたことのあるようなまぶしさだ。やがて、まぶしさが収まり、おれは恐る恐る目を開けた。そして、両どなりを見ると……なんと、また違う色と柄の服を着たおれが、同じ表情で固まっていた。おいおい……

「「「またかよ!」」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おまえなんておれじゃない……はずだった。 田古 花仁 @TakoKa2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ