最終話

「行きたくないところがある。それが旅の目的なんだ」

 彼女は山岳の裾野でそう言った。旅館を出て、バスで30分移動する。そこからさらに10分ほど歩いた。

 山の道はまるで地震が起きたかのように荒廃している。よっぽど使われていないのだろうと思った。


 森の中に、5mくらいはある木製の鳥居があった。山の神に不敬にならないように、鳥居の端を通りすぎる。山には、樹木と墓があった。墓場は斜面にへばりつくように少しだけあった。斜面の一番上には僧侶の小屋があった。

 鹿よけ用の網を外して入り口に入り、柄杓と桶を取る。花束を手に抱え墓にたどり着く。本当に、二人は墓参りをしていると言える。


「来たくなかったところなんだ。これまで一度もここに来たいと思ったことはない。山の風景を見るとムカムカする」


 そう言いながら線香を立てた。マッチで火をつけて、お祈りする。一筋の煙がゆらゆらと天に昇っていく。


「私はお墓参りなんて行きたくなかった。線香を立てて、手を合わせたくなかったよ」

「次はやるよ」


 圭介は手を合わせた。それが何の墓なのか皆目検討が付かなかった。そうするとしばし、人というよりは隣にいる彼女に祈っているような気分になるのだった。彼女は神のようだった。


「君に言うべきことではないことを言う」


 山の特に清涼でもない空気を吸う。彼女は一息に独特の緊張感を持って言った。


「ここに地震の被害者が眠っている」


 圭介は彼女が何を言っているかわからなかった。圭介の記憶の中に地震という単語が示すものがないからだ。しかし、彼女が悲しんでいるのはわかった。

 その瞬間、槍が手元に現れない事がわかった。この槍を彼女に撃ち込まない。

 

 彼女は話した。圭介の見る景色は歪んでしまっていること。この場所はもともと自分たちの住んでいる場所であること。そうして、彼女は何も特別ではないこと。ない槍で人を刺しているのだから、人が傷つかないのも当たり前だ。

 

「なぜいま話したくなったんですか」

「祈って欲しいからだよ。君は自分を忘れるくらい祈るべきだ」


 何を祈ればいいのだろう。人に向かってか、確かなものに向かってか。でも、どのみち意味はないのかもしれない。


 ────鯨が空を飛んでいた。


 くじら雲ではない。本物の鯨が空を飛んでいた。幻覚的なものはなくならない。確かなものはどこにもいかない。

 輪の形になった雲(以下、A雲)が数を4から6までの間に遷移させながら弛っている。その中心に鯨が現れて、灰色の雲を線状に吐き出して前に進む(以下、B雲)。しかし、その間、線香の煙がA雲の中心にさも重力があるかのように向かっていく。A雲とB雲は100秒後にこの場所から消え去る。次の形態に移行する。

 謎の力の中心は、圭介の方から見て手前に移動する。木々のざわめきがそれらを示す。葉がその方向に向かって落ちていく。まるで中心に教会があるかのようだ。


 圭介の信じることを全て否定する文言が中心から聞こえてくる。放射状雲(以下、C雲)が放たれたので、圭介はそれを認め、博麗霊夢のような雲だなあと思った。実際、C雲は空中の飛行機が避けられないくらい全面に放たれていた。C雲は赤色に近い黒色をしている。極めて有害で、心疾患を誘発する。C雲は放射状を最初は呈していたのだったが、やがて個々の構成要素が分裂し、一つは球体の、連続する列になった。本当にゲームのようになった。

 雲はそれを何度も繰り返した。A雲とB雲が円形を構成する前段階、C雲が現れて有害な空間を展開する後段階。やがて日が落ちていくとそれらは認められなくなり、その場には圭介と彼女だけが取り残された。


「さぞ滑稽に見られただろうね。何も上手くできないこの姿を見て」

「そんなことないよ。自虐したくなる気持ちもわかるけど」

「今見えるものも完全に狂っている。でもここはもっと明らかに狂っていないんだ」

「そうでもないよ」


 いままさに作りたてみたいな、wompで適当に図形をこねたような、奇怪な鳥が空を飛ぶ。インターネットではありきたりな表現が世界を包んでいる。

 山が特に豊かではない。適当に組み立てた図形のようだ。夜の表現としては妥当ではないが。

 彼女はiPadを取り出して写真を撮る。


「こんなに美しいのに?」


 そこには、普通の緑と普通の夜があった。単純に、それは山と空だった。ありきたりな表現の組み合わせだ。

 圭介は指を指したり声を出したりして彼女を動かした。やがて背後にある少女の死体を無視して、自分のスマホで写真を撮った。

 プラスチック製の四角の集合も、ナイフも、フォカチャも無視して、単純に彼女と自分のことを写した。すると、そこには何もなかった。あるいは、適切に見えた。

 

「それで、確かなものはあったのか」

「わからない。あのA雲とB雲の中心にあるのかもしれない」


 それでも、彼女に槍を撃ち込めば、それがあるような気もしていた。圭介がそれを理解する話だった。

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この槍を彼女に撃ち込むと carbon13 @carbon13

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