RE:RE:ガール・ミーツ・ボーイ

牧瀬実那

たとえ千切れていても

「えっ誰!?」


 私、小日向こひなた牡丹ぼたんは思わず悲鳴を上げた。

 何気なく眼鏡を目の前にかざしたら、部屋の真ん中に人が立っているのがレンズ越しに見えてしまったのだ。

 今部屋に居るのは私ひとりのはずだし、実際眼鏡を下ろせばそこには誰も居ない。

 ――幽霊……ってヤツ?

 これまで幽霊を見たことがないし、信じても居なかったけれど、幽霊以外に思い当たるモノがなかった。

 ――でもなんで私の部屋に? 幽霊に憑かれるようなコトなんて何にもしてないんだけど!

 自分で言うのも何なのだけど、私はごく普通で真面目寄りの高校生だと自負している。そりゃ、校則のひとつやふたつくらいなら破るけど、家には真っ直ぐ帰るし、面白がって廃墟に行くとか、そういうコトはしてない。

 ――実は気付かなかっただけで元々この部屋に居た、とか?

 いろいろ考えながら、改めて眼鏡をかけてみる。ぼやけた視界の中で、その人の姿だけがハッキリとしていた。


 改めて見ると、不思議な人だ、と思った。


 中性的な顔立ちに、細くて長い手足。オーバーサイズのジャケットをワザと着崩しているからなのか、実際よりも小さく見える。肩ぐらいまである髪は色が薄く、うなじでひとつ結びにされていた。


 見ていると胸がざわめく。それになんだか頭が痛い。なのに、目が離せない。どうしてだろう。

 その人はこちらを向いていて、目線を上げるとばちりと目があった。一瞬驚いたように見えたけれど、すぐににこやかな笑顔になる。

「見えてますよね?」

 と、フリフリと手を振ったと思ったら声をかけてきた。気付いてる。

「そんなに身構えなくていいですよ。悪いモノではないので」

 へらっと笑いながら言う。

 悪いモノって自分から悪いって言わないでしょ、と思いつつ、その声音に悪意を感じなかったので流されるように力が抜けた。

「アンタ誰? なんで私の部屋に居るの?」

 尋ねると、その人は腕組みをしてうーんと唸る。誤魔化そうというより、どう説明するか迷っているようだ。

「とりあえず名前なんですけど、ひとまず太郎冠者たろうかじゃということで」

「ということで、って」

「こちらにも事情があって。まあ名前なんて呼ぶのに支障がなければ何でもいいじゃないですか」

「あ、そう。じゃあカジャで」

 納得できたワケじゃないけど、追及しても延々とはぐらかされそうな気がしたので切り上げることにした。カジャはニッコリ笑うと続けた。

「ここに居る理由ですが、ちょっとややこしくて。なんとかついてきてください」

「はぁ」

「まず、この世にいるモノは大きく分けて三種類あります。ひとつめは人間に知覚できるモノ。ふたつめは大抵の人間には知覚できないけど存在しているモノ」

「待って待って、既にわからないんだけど」

 何の話だ。唐突すぎて思考が宇宙に放り出された私に、カジャはですよね〜と頷く。

「でも結局、ここから始めないと上手く説明できないんですよ」

 だからひとまず聞いてください、と言うカジャに、ひとまず頷いた。

「ふたつめの存在は、例えるなら超音波や紫外線とでも言いましょうか。人間には知覚できないけれど、超音波はコウモリには聞こえるし、鳥は紫外線を見ることができます。同じように、人間には認識できないモノが案外この世に沢山居ます」

 なんとなくわかるようなそうでもないような。

「みっつめは、この世の理とは異なるモノ。生き物には知ることすらできない存在です」

「ええと、それって……幽霊とか?」

「いいえ」

 私の疑問をカジャはハッキリと否定する。

「幽霊はふたつめです。更に言えば、八百万の神様や妖怪、怪異と呼ばれるモノも同じくふたつめに当たります」

「はぁ……」

 ピンと来ていないのが伝わったのか、カジャは眉尻を下げて苦笑した。

「大丈夫です、普通そうなります。理解の範囲を超えていますし、無理にわかろうとしなくても問題ありません」

 その表情が懐かしくて、私は無理やり話を進める。

「……そう。じゃあカジャはふたつめってコト?」

「それが微妙なんですよね」

「えぇ……?」

「まあまあ。先程説明したみっつめの存在。その中には、この世に干渉して理を変えるモノも居ます」

「例えば?」

「そうですね……富士山を無くして、誰もそのことに気付かないようにする、とか」

「ええ? そんなに目立つモノが無くなったら流石に大騒ぎになるでしょ」

「普通はね。でも、誰も気付かないんです。何故なら『富士山』という概念そのものを無くしてるので、そもそも誰も知らない。そういうことになるんです」

 どこか遠い目でカジャが言う。懐かしさが増す。頭の痛みが激しくなる。

「なんとなくわかった。でもどうしてそんなことをするの?」

「さぁ。なにせ別の理で動いているモノたちです。こちらには知りようもありません」

「それもそうか……じゃあそれとカジャとどう関係があるの?」

「そうですね……」

 寂しそうな顔でカジャは語り出した。

「俺もかつては牡丹と同じ普通の人間でした。でもある日、大きな事故があって、みっつめは俺の存在をまるごとこの世から無くすことになったんです」

「……」

「実はよくある話らしいですよ。この世から存在自体無くなった人。そうすることでこの世自体が保たれる場合もあるみたいです」

 壮大すぎて何を言ってるのかよくわからない。なのに口を挟むことが出来なかった。理解が追い付かないのに、知っている気がする。

「俺だって納得したワケじゃなかった。いくらこの世が無くなるからと言われたって、結局俺にとってはどちらでも同じ。でも、どうしようもないんです。向こうは俺の事情も感情も知ったことじゃないんだから」

 でも、とカジャは続ける。

「ただ一人、俺の存在を離そうとしなかった人が居ました。その人は最後まで俺を掴んで抵抗した。だから俺の存在は千切れて、ほんの少しだけこの世に残ったんです。だから今の俺は、殆どがみっつめと同じでふたつめでもある」

 条件が合えば見えて、話せる。そういう存在だと、不思議と理解できた。でも、わからないことは他にもある。

「カジャはなんで私の部屋に居るの?」

「それは……」

 カジャが私の目を真っ直ぐに見つめてくる。

「ねぇ、牡丹。なんで君は今、眼鏡をかけてるの? 

「え……」

 言われて気付く。

 そうだ、カジャ以外がぼやけて見えるのはピントが合わないからだ。頭痛も、合わない眼鏡をかけているから。

「あれ……そもそも私、……?」

 言葉にすると確信に変わる。私は眼鏡をする必要が無い。じゃあなんでこの眼鏡を持っているんだろう。

「……ていうかこの眼鏡、いつからあったんだっけ……」

 わからない。おかしい。

 目の前にあるのは凝ったデザインでもない、何の変哲も無い眼鏡だ。お洒落用でもないし、もしそうなら度入りである必要がない。

 顔を上げてカジャを見る。その表情は真剣で、辛そうで、私は悲しさと懐かしさに胸を締め付けられた。

「あの時と同じじゃん……」

 ポロリと零れた言葉を、カジャが拾う。

「あの時っていつ?」

「……え……あれ……?」

 問い返されて気付いた。私が彼に逢ったのは今日が初めてなのに、ずっと懐かしさを感じていた。なんで、どうして胸が締め付けられるんだろう。

 わけがわからないけど、考えるのをやめたらいけない気がする。

 

 考えろ。考えろ。

 これまでの彼の説明から導ける、ような気がする。

 彼が居なくなることで起こったこと。

「……こと……わりが……変わったから? 変わる前に、私が知ってたはずのことがあった……?」

 彼を離さず、引き千切った。

 誰が?

 どうして彼はここに居る?

「私……?」

 

 まさか。でも。だから。

「私が引き止めたから、カジャはここに居る……?」

 カジャは何も言わない。

 じっと私を見ている。まるで何かを待っているかのように。

「……」

 無意識に手が伸びた。

 指先が、手のひらが、カジャに触れる。

「!!」

 バチッと音がなるほどの衝撃と共に、かつて彼と過ごした日々の記憶が頭の中を駆け巡っていく。連れて行かれそうな彼を、必死で掴んでいたことも。

「か……の……」

 思い出した。

 藤田鹿乃かの

 眼鏡の持ち主で、私の大好きで、大切な幼馴染。

 理が変わる前の世界で、両親から、イジメっ子から、いつも私を守ってくれていた人。

 今の世界では普通の親だし、私はイジメられたことはない。でも、思い返せばなんとなく違和感があった気がしてくる。何かが欠けてる虚しさ。

「そっか……鹿乃が居なかったから……」

 ぐらり、と視界が揺れる。

 大切な存在を思い出せた喜びを抱えたまま、私の意識は闇へと落ちていった。


*** 


 倒れ込んだ牡丹の体を、鹿乃はしっかりと抱き止めた。それから安堵する。今回も触れることができた。

「これで116回目、か……」

 零れたのは小日向牡丹が藤田鹿乃に気が付き、思い出した回数だった。藤田鹿乃という存在がこの世から引き剥がされて二年。牡丹が眼鏡をかける度、似たような会話を繰り返してきた。

 牡丹が目を覚ましたときには、この逢瀬は忘れてしまっているだろう。この世から引き剥がされるというのは、そういうことだ。

「けど、牡丹が思い出すのがどんどん早くなってる」

 逢瀬を重ねるほど、藤田鹿乃は確実に存在感を増していた。初めは牡丹に触れられもしなかったのが、今や抱きとめられるほどに。

「このままこの関係が続いたらどうなるんだろうな」

 今の鹿乃には、牡丹に関する記憶しか殆ど残っていない。牡丹が千切った部分はそこだけだったから。

 本当に自分が藤田鹿乃なのか、それとも牡丹にとって都合の良い何かなのか、今の鹿乃にはわからないしどうでもいい。自分の存在がこの世の歪みであることも、いつかまた理外のモノから消されるかもしれないことすら重要ではない。

 大切なことはひとつだけ。

 大好きな牡丹の傍に居ること。

「それだけで十分だよな、牡丹」

 愛おしげに牡丹の頭を撫でながら、鹿乃はうっとりと笑うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

RE:RE:ガール・ミーツ・ボーイ 牧瀬実那 @sorazono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ