第12話

 シグルとクッキーが出発して三日経った明け方。


 朝東風が草木を揺らすものとは明らかに違うざわめきが家の外で起こり、アイラははっと目を覚ました。


 念のために『迅雷の弓』の位置を確認してから、サイド・テーブルに常備している汲み置きの井戸水を傾けると、両手一杯の水で顔を洗って手櫛で軽く髪を梳かす。薄手のカーディガンを羽織って外へ――

 眩い茜色の光の矢が寝起きの眼を刺してくる。堪らずアイラは腕で目を覆った。


「おかえりなさいクッキー、シグル。早かったね。……ふわぁーぁぁ――」


 見覚えのある影が見えて警戒を解けば、口から飛び出すのは大あくびだ。

 爽やかな緑の空気を吸い込み、天頂に組んだ両手を突き上げるとアイラは、目の前に垂れるクッキーのもふもふの頭を撫でた。隣に並ぶシグルの艶やかな銀髪をも、気づかず何度も撫でていた。


「……――」


 アイラは単に寝ぼけて分別がつかないだけだが、シグルは頬をほんのりと赤く染め、恍惚な表情を浮かべている。


「はっ!? ぶ、武人シグル、アイラ閣下より頂戴した任務を果たし、ただ今戻ったでござるよ!」


 労いのなでなでをたっぷり堪能した後、好奇の目線を感じて我に返ったシグルは襟元を正し、アイラの前に跪いた。


 傍らでは、「シグルって誰?」「なんだ、あの話し方は?」などと、アイラとシグルの不思議なやりとりに、背は低いががっちりした体格のドワーフたちが首を傾げている。

 その数七名。スコップやツルハシ、カンテラなどの資材も多く、クッキーの背中にもギリギリ収まる位だろう。


「……! ようこそ我が領地ホウリックへ。領主アイラ・アイザワは篤き友情に感謝し、皆様を歓迎いたします」


 ようやく覚醒したアイラは、一団の道中の苦労に想いを巡らせると一歩下がって手を胸に当て、華麗な所作で深々と頭を下げた。


「おォ! 久しいなァ、アイラァ!!」


 地鳴りの様な低い声に、たっぷりと蓄えられた髭、歴史が刻まれた深い皺。威圧感十分の壮年のドワーフは、三万のドワーフを束ねるドワーフ王グリム・ダルスウォードその人だ。

 グリムの背中には巨大な斧、首には先日までアイラの首元を飾っていた宝石『地竜の涙』が朝日を受けてギラリと光っている。


「ふぇっ! グリム? グリムなの!? 王様が来てくれるなんて驚きだよっ!」


 少し腰をかがめ、アイラは岩石のようなのグリムの肉体に助走をつけて飛びついた。グリムは一歩も動かずそれを受け止め、アイラの寝癖頭を一撫でした。


「このもじゃもじゃ髭、本当にグリムだ!」

「あったりめェだろォ! アイラが困ってるっていうならよォ、国のことなんざ二の次さァ! 優先すんのはダチの事に決まってらァ!」


 上機嫌にからからと、グリムは高らかに笑った。隣ではシグルが腕を組み、「わかるわかる」とでも言いたげに大きく何度も頷いている。


「嬉しいけど……ね。揃いもそろってそれでいいのかって、ちょっとだけ心配になるよ」


 豪快に笑うグリムと満足げに頷き続けるシグル。

 彼らの顔を交互に見つめ、アイラは小さくため息を吐いた。


「調子いいこと言ってるけどさ、グリム。本当は『地竜の涙』を見せびらかしたかっただけなんでしょー?」


 アイラはグリムの鼻先を人差し指でつんと突いた。


「かもなァ!! びぃるとかって新しい酒とよォ、世界一の宝で釣られてオレェがでてこねェってのは、さすがに違うだろォ! 見やがれェ! 連れてきてやったのも、全員職工長クラスだぜェ!」


 豪快に笑うグリムの背後に控える六人のドワーフ達は、巨大な槌を振り回したり、力こぶを作ったりと、銘々の力を誇示するポーズを取った。


「わわ。凄いね、グリム。思ってた以上だよ!」

「馬鹿言いやがれェ! 他でもねェおめェの事だァ、これ位は織り込み済みだろォ? 寄越した使者が勇者ってのも恐ろしいぜェ! この国はもう、おめェのみたいなもんじゃねェのかァ!?」


 相も変わらず、シグルは頷き続けている。


「もう。みんな私の事買い被りすぎだって……。それに、シグルはシグル。勇者エルドとは全く関係の無い、ただの私の護衛だよ?」


 言って、アイラはシグルの腕に抱きついた。シグルの頬が、黎明の光と同じ色に染まる。


「なんだァ、その茶番はよォ……? まァ、おめェさんのやる事だァ、何か意図があるんだろォ。ともかくだァ! 中途半端な技師を寄越して仕事に失敗した日にゃァ、ドワーフが皆殺しにされかねェ! あァ、こいつは保険ってやつだなァ!」

「やめてよー……。私一人だと、二万くらいが限度だよぉ。……上手くやれば、もう少しいけるかな?」


 ドワーフ王国侵略に関して一通り思考を巡らせたであろうアイラの発言に、場は一瞬だが確かに凍り付いた。何せ、ここに集まったトップクラスのドワーフとて、対アイラでは勝ち筋が全く見えないのだ。


「が……ごォ!? お、おめェら聞いただろォ! 愛する家族が皆殺しにされたくなかったらよォ、粉骨砕身アイラ閣下のために働くんだぜェ!」


 遠くの丘から響く威勢の良い声が、一番鶏と村人全員を起こしたという。


  ▽


「それで、アイラよォ。マンボとかってェトンネルの計画はどうなってやがるんだァ?」


 場所をアイラの家のダイニングへと移し、アイラと七人のドワーフが車座を作っていた。シグルが慣れない手つきで淹れたハーブティーが、それぞれの右膝前で湯気を立てている。

 ずずずとそれを啜って顔をしかめ、ドワーフ王グリムが口火を切った。


「うん。こんな感じだよ」


 清書しておいた辺りの上面図とネル山の断面図とをアイラは床に広げ、四隅に薪を置いて固定する。


「ほォ……ネル山中の地下水を、既設の用水路まで引っ張ってくるってェ算段かァ。道中シグルの旦那に話は聞いていたがよォ、なァるほどこいつァ、よく考えられてやがるぜェ!」

「でしょでしょ?」

「ドワーフ王国にもよォ、似たような水利システムがあってだなァ。そいつァ紛れもなく地下生活の要さァ!」

「思った通り! やっぱり『餅は餅屋』だね!」

「もち……だとォ? 何だァ、そりゃァ、うめェのかァ!?」

「来年には餅米も育てるからご馳走するよ。だけど今のはね、やっぱりプロは凄いねって意味なんだ!」

「こちとら穴を掘って三百年だぜェ、誰にも負けはしねェよォ!!」


 誇らしげに両腕に力こぶを作り、グリムはからからと笑った。


「期待してる! 早速だけど水脈探しと穴掘りをグリム達にお願いしたいの。時間があんまり無くって……。田んぼの開墾とか、苗の生育状況を考えると、あってひと月」

「一ヶ月だとォ!? そいつァ何とも……ギリギリだぜェ。山の母井戸から用水路の口までがざっと一キッロかァ。伏流水でも可能だろうがよォ、安定するのは断然地下水だからなァ。山の高さを考えればよォ、母井戸の深さは百メトール近くってトコだァ。調査含めりゃァ工期は……――ぐぬぬゥ! ちいとキツいぞォ」


 長い顎髭を撫でながら、一通りのシミュレーションを済ませたのだろう。グリムは眉をひそめた。


「……役に立つかは分からないけど、村の井戸の分布は書き出しておいたよ」

「準備がいいなァ、アイラよォ! そいつァ助かるぜェ。オレ達ほどになればよォ、うっすらと水脈は見えるんだがなァ、ヒントは多いほどいいには違いねェ! おォい、オンフィン! ボガード! そいつォ見ながら、ネル山の水脈を探りやがれェ!」

「応! 親分、姫、任せときな!」


 威勢良く返事をし、アイラの手から井戸の分布図を取ると、二人のドワーフはすぐさま山の方へと走って行った。


「さァてアイラよォ、やはり問題は人足だぜェ! 間に合わせるにはオレェ達七人だけじゃァ、とても足りねェ! とは言えだァ、中途半端なヤツを寄越されても困るってもんよォ。ちいと魔力を探ってみたがよォ、この村にゃァ使えるのはァ一人いるかどうかだなァ……」

「きっとジャンだね。ジャンには私からお願いしてみるよ。だけど、村はお年寄りも多いし、田んぼの準備もしなきゃいけないからそれ以上は……。クッキーはバフと土の運搬要員としてとして行ってもらうけどね」

「クッキーの兄貴の力ァ織り込み済みさァ! そんなならよォ、夜通しやるしかねェってかァ……。酒分を補給できなきゃァ、オレ達ァ干からびちまうってのになァ」

「もう、酒分ってなによー……」


 ドワーフ・ジョークなのだろう。グリム達五人のドワーフは上機嫌に、いくつにも割れた自らの腹筋をバシバシと叩いて笑っていた。


「ホウリックは私の領地。ブラック労働、ダメ、絶対だからね!」


 アイラは、グリムの鼻先に人差し指を立ててふんすと息を吐く。


「あァん!? だったらどうするってんだァ!? クッキーの兄貴によォ、もうひとっ走り人員補充に行ってもらうかァ!? 舎弟どもは腕ブン回してやがったがよォ」

「えぇー……。ボク、少し休みたいよぉ」

「うん。クッキーは走りっぱなしだから、無理はさせられないよね」


 窓の外でしゅんとするクッキーの様子を見たアイラは、ゆっくり指を左右に振った。


「やっぱり、私が――」

「拙者が手伝うでござるよ!!」


 ゴクリと唾を飲み込み、アイラが決意を示そうとしたその時、勢いよく手を挙げてシグルが言葉を被せた。


「ふぇっ!? だ、だけど、エル……――じゃない、シグル? 顔も身体も泥まみれになっちゃうよ?」


 五年の旅を経て少しはましになったが、エルドは王子様らしく、汗や泥にまみれる仕事を特に嫌った。その手の労働も順番や役回りなら渋々やるにはやるのだが、いつも腰が引けており、とても見られたものではなかった。


「拙者はアイラ閣下の懐刀! いかなる事でも行うと、エルド殿下の前で誓ったのでござるよ」

「シグル……うそ、でしょ?」


 アイラを見つめるシグルの琥珀色の瞳には、一点の曇りもない。


「ほォ……。ドワーフ王国最上の寝床にケチをつけやがったあの潔癖王子様が手を貸してくれるとはなァ! それなら百人……いいや、そんなもんじゃねェ、千人力だぜェ! そいつァ惚れた弱みってやつかァ?」


 すぐ隣であぐらをかくシグルの肩を力一杯叩きながら、グリムは今日一番の笑声を上げる。


「せ、拙者! 決してかような下心があるわけではござらん! ……これは、あくまで任務の一環でござる」

「違うのー……? 私、ちょっと残念かも」


 ここぞとばかりにアイラは悪戯な笑みを浮かべ、上目でシグルの琥珀色の瞳をじっと見つめた。


「ふぁっ!? い、いえいえ、アイラ閣下が望まれるのであれば、拙者とてやぶさかではないと申すか……。あぁこの気持ち、何とお伝えすればよいのでござろう……」


 すっかり慌てふためき、シグルは高速で両手を顔の前で交差させている。


「かっかっかァ! 任せとくんだなァ、アイラよォ。この王子様をいっぱしの工員に育ててやらァ! お望みの工期にもぜってェ間に合わせてやるよォ!」

「うん! 村の人達と、たくさん差し入れ持っていくよ! 怪我にだけは気をつけてね、シグル、グリム! もちろん、ラミーさん、テオさん、アンドレさん、ベンガムさんもよろしくねっ!」


 シグルを加えた一団は、残ったハーブティーを飲み干して顔をしかめ、どっと笑うとそれを合図に立ち上がった。そして、道具を背中に乗せたクッキーを引き連れ、山の方へと歩いて進む。


「……」


 全員の背中が丘の向こうに消えて見えなくなるまで、アイラは手を振り続けた。


 耳たぶが線香花火の蕾のように赤らみ、どうしてだろう、アイラの鼓動はいつもより少しだけ早くなっていた。

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