第11話

「助かるぜ、アイラ。ネールの狩猟技術はすっかり廃れちまってよ。食糧難で慌てて山に入っても野ウサギ一匹獲れなかったし、食える木の実もキノコも山菜もさっぱりわからねぇ。最近じゃあ、低位の魔物一匹流れてきただけで、交易都市ロウニャから冒険者を呼んで来るなんてザマだったんだ。……情けねぇよな」


 アイラの隣でジャンは、鼻先をならして小さく肩をすくめた。


「それだけネールの農業がうまくいってたって事だよ」

「……ありがとよ」

「だ、け、ど! 何事も準備は大切! 私が指導するんだから、みんなには中級冒険者くらいの強さにはなってもらうからね。今日は日帰りだけど。第二段階は一ヶ月の山ごもりだよ!」

「い、一ヶ月だぁ!?」

「農閑期でー……、美味しい山の幸もたっぷり豊富な秋がいいかなぁ」


 秋の味覚を想像し、むふふと笑うアイラ。背中からは「秋からは炭焼きがー」とか、「ロウニャに出稼ぎにー」とかいう声が聞こえて来る。


「全部聞こえてるよー! もう、魔王がいなくなったていっても、魔族が絶滅したわけじゃないんだよ? ここは冒険者ギルドからも遠いんだから、援軍が来るまでの時間稼ぎくらいは出来ないとダメ」

「……魔族、か。魔王に比べりゃ弱いんだろ?」

「単体では確かにそう。だけど、頭は人よりずっと良いよ。連携されるとどうかな? 組み合わせによっては、魔王より厄介かも」


 最前線で戦った英雄が警鐘を鳴らすと、場にはピリリとした緊張が走った。


「……ところで、今の場所。みんな何も気づかない?」

「気づく? まだ目的地にも着いてないんだろ?」

「山の中は戦場、狩猟はもう始まってるんだよ。相手は野生生物。『このあたりに棲んでますよー』なんて、誰も言ってくれないの。魔力が弱すぎて、フランシス爺の『探知』魔法にだってかからない」

「大賢者様の魔法でも駄目ってか!?」

「うん。だから、山では五感が頼りなの。……確か、ジャンは狩りに来たことがあるんだよね?」

「白状するが、ガキの頃に一度、親父について行ったってだけだ」


 片目を閉じ、申し訳なさそうにジャンは頬を掻いた。


「十分。子どもの観察力ってもの凄いんだよ! ……ほら、ここ。何かに掘られた痕があるでしょ?」


 アイラが指さす箇所にジャンが膝をつき、灰褐色の枯れた笹の葉を払う。そこには、ぽっかりと深い穴が残っていた。明らかに何者かが掘った痕だ。


「こいつぁ……」


 ジャンが空を見上げると、あたりには春の、ややくすんだ緑色の竹が生い茂っていた。


「タケノコ、か?」

「うんうん、正解。淡竹はね、フォレスト・ボアの大好物。フォレスト・ボアって結構賢くて、こんな風に痕跡をしっかり隠すんだ」

「ヤツら、秋に稲を狙って村に来やがるが、一度掛かった罠には二度と掛からねぇんだ」


 ジャンが舌を鳴らす。


「罠にも工夫が要るからね。また今度教えるよ。チャンスだから、今日の狙いはフォレスト・ボアにしよっか。みんな、弓の腕前は?」

「俺はそこそこ出来るが、他のはまあ……条件が良ければ真っ直ぐ矢が飛んでいく位だな。それも、十発に一発だ」

「そっか。了解だよ。急所を射貫かないと、フォレスト・ボアはなかなか倒れてくれない。今日は私がサポートに入るから安心して。まずは手分けして痕跡を探そっか!」


 音を立てずにアイラが手を合わせる。すぐさま青年達は散り、思い思いの場所で膝を突き始めた。


  ▽


 十数分の後、成果を持ち寄った青年達が、アイラを中心に車座になっていた。


「これだけ痕跡があれば十分。みんな、お疲れ様。少しだけラクにしていいよ」


 絶対的強者であるアイラの労いの言葉。青年達が一斉にため息を吐くと、張り詰めていた緊張感が少しだけ緩まった。


「それじゃあ、作戦を説明するよ。狩猟には色々なやり方があるけど、今回は私がボアを寝床から追い出して追い込む方法を採るね。フォレスト・ボアは逃げるときに慣れた道を選ぶ習性があるから、それを利用するの」

「ヤツは夜行性だからな。今は暢気にお昼寝ってところか」

「ううん。きっと異変は感じてる」

「まじかっ!」

「そう。だから、ここからは特に慎重にね」


 再び緊張感を高めるアイラ。青年達は胸に手を当て、呼吸を整えた。


「……サムはここ、ドールはここ、ヘリオとザックはここ。で、ジャンは一番ボアが逃げてくる確率が高いこの場所で待機」


 アイラは森の地面に描かれた略図に、それぞれの配置を書き込んで指示を出す。青年達は小さく、それでも力強く頷いた。


「約束。絶対に持ち場を動かないこと。それぞれの射程は余裕を持って二十メートルに設定するよ。一斉に射かけても良いけど、上半身の動く範囲にしか打っちゃダメ。二射目は無し。狙いはボアの胴体に限定するよ。全員外しても必ず私が仕留めるから安心して」

「あ、あの……アイラ、さん?」

「どしたの、ドール?」

「ボアが僕に向かってきても、逃げちゃダメなんですか?」

「ダメだよ。一人が予定外の事をするとパニックは伝播する。仲間同士で撃ち合っちゃう危険性がグンと高くなっちゃうんだ」

「だけど、ただ突進されるのは――……!」


 最悪の事態を想定しているのだろう。青ざめたドールの肩に手を添え、アイラは言葉に力を込めた。


「最強の私がいる。だから大丈夫。……いい?」

「はい!」


 青年ドールは、小さな声で力強く返事をした。


「ドールは偉いよ。最悪の事態はいつも想定しておくべき」


 ドールの頭に手を乗せ、満足そうに口端を上げるアイラ。場の空気が少し軽くなった。


「それじゃ、待機ね。今回はフランシス爺特製の通信のイヤリングを渡しておくよ。物音も、会話もダメ、トイレは今のうちにできるだけ遠くで済ませておいて。私が合図したら弓を構える。……それじゃ、解散」


 すっかり狩人の目つきになった青年達は力強く頷き、無言でそれぞれの持ち場に散っていた。


  ▽


「上出来上出来っ! ごめんねー。正直言うと、一本も当たらないと思ってたんだ」


 申し訳なさそうに頬を掻くアイラの目の前には、体長二メートル、ゆうに二百キロを超える巨大フォレスト・ボアの死体が転がっていた。


「……くっく。はっきり言うのがアイラらしいぜ。んなこと、黙っときゃわからねぇのによ!」


 ブリーフィングの後、すぐにアイラが獲物の寝屋を特定し、作戦通りに五人の射手が待つルートへと誘導。集中力を高めていた射手が放った矢は、ボアの足と胴体に、なんと三本も命中したのだ。

 しかし、大雑把に放った素人の矢だけでその巨体を仕留められるはずもなく。


 恐怖で暴走を始めたフォレスト・ボアの眉間をアイラがさすがの腕前で貫くと、獲物は数歩足掻いて絶命した。

 死に際の一撃は十分に警戒する必要がある。ボアが完全に絶命したことを確認して、ようやくアイラは集合のハンドサインを送った。


 事前に打ち合わせておいた合図を確認した五人のハンターは、小走りで場に集まってきた。

 矢を当てた者は得意げで、外してしまった者はしゅんと肩を落としている。


「どれも有効打じゃなかったから、どんぐりの背比べだよ。私がいなければ獲物を逃がしてたし、下手したらこの子が暴れ回って全滅――」


 開口一番、アイラがしっかり釘を刺す。ニヤニヤしていた者の顔は引き締まり、再び背筋がピンと伸びた。

 名声だけではなく、アイラは実際に技量を見せたのだ。命の危険がある狩猟の場では、それが圧倒的な示威となる。


「だけど、みんな勇敢だったよ! 今度は仕留められるように、しっかり弓の腕を磨いておいてね。魔力がある人は、それを使ってもおっけー。重い弓を引けるようになれば、その分威力は上がるから、地道なトレーニングも効果的だよ。弓の強さと身体の強さ、射程に精度と獲物の知識、全部組み合わさって弓の実力だからね」


 力強く頷く一同の表情はすっかり見違えた。山に入る前とは別人のようだ。

 青年達の表情の変化を目の当たりにしたアイラは、満足そうな笑みを浮かべる。狩猟の楽しさ、恐ろしさ、緊張感を知ってモチベーションまで上がったのならば、此度の訓練は大成功だ。


「それじゃあ次は、今度は解体の実習だね! 早く処理しないと折角のお肉が不味くなっちゃうよー! 血抜きと内臓の摘出を素早く。皮を剥ぐのは村に戻ってからだね。今日はクッキーがいないから、木と竹でそりを組んで、引きずって帰るよ。二班に分かれて……はい、行動!」


 元気よく、アイラがパンパンと手を叩く。


 こだまが森に溶けると、少しの相談が行われて即行動へ。各人少しでも心得がある方へと、既に配置についている。

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