第9話 できない約束

 *


 アルテルの父親は死後、妻も子も顧みず飛行機で飛び回る無謀な冒険家だったと新聞に書かれた。

 そのせいで周りでも口さがなく罵るものが現れ、アルテルやその母の心を傷つけた。

 だから、アルテルが郵便運びとはいえ飛行機に乗ることをポーラは心配した。

 飛行機は、自由と冒険の象徴でありそれゆえに必ず危険を伴うものだからだ。


「本当に、飛行士になるの?」


「ああ、もう決めたんだ」


「そう……」


 ポーラはため息交じりに、相づちを打つことしかできなかった。

 アルテルが、飛行士になるというのは、進むべき正しい道であるとポーラも感じていた。

 父の死後、アルテルは母を顧みなかった父と飛行機を嫌いだと時折口にしていたが、本当は自由に空を飛び回った英雄を誰よりもあこがれの目で追っていた。

 アルテルには、青い大空はとても似合うだろう。

 しかし、なぜ一言もポーラに相談がなかったのか。

 それが、さびしくてならなかった。


「ポーラは、反対かもしれないけれど俺は決めたから」


 確かに、相談されたら反対しただろう。

 アルテルを、彼の父のように突然失うのは耐えられない。


「ひとりで決めたのね……」


 どうして、アルテルは苦しい道を選んでゆくのだろう。たったひとりで。


(本当はわかっている。私が、体が弱くて頼りないから……)


 悔しさから、ポーラはきゅっと唇をかんだ。

 アルテルのためにできることがなにもない……。

 けれど、それを口に出して言うことはできなかった。

 認めたくはないし、アルテルに役立たずであることを知られたくはないからだ。

 彼は、親友であり、兄妹であり、初恋の相手だ。

 アルテルにとって、自分は常に必要な人間でありたい。

 ポーラは、自分の首に下げていた金色のクロスをはずしアルテルの手に乗せた。


「どうか、神のご加護がありますように」


「これ、ばあさんからもらったって大切にしていたやつだろ!」


 アルテルは、茶色の目を大きくしポーラを見つめた。

 彼は、ポーラが祖母の形見のクロスをどれだけ大切にしていたか知っていた。


「だからアルテルにあげたいの。受け取って」


 空色の瞳は揺らぐことなく、真っすぐに彼を見返す。

 ポーラの決心が固いと分かり、アルテルはクロスを受け取った。

 触れ合う手から伝わるのは、さびしさと愛しさ。


 このとき、二人は互いに別の道を歩もうとしていることを強く感じていた。


 *


 夜に閉ざされた操縦席。

 機体の振動だけが二人にこれが夢でないことを告げていた。


「アルは、昔から寡黙で言葉が足りなかったわ」


 ポーラが消えずに留まってくれたことを感謝し、アルテルは救われた気がした。


「ポーラも昔から頑固なところがあった」


 いつもポーラにはかなわないと思っているのだ。


「今の俺に逃げ場はない。恨みごとでもなんでも言ってくれ」


「そういうこと言うの、ずるいわ……」


「そうだな。逃げてばかりだ」


「そんなふうに思ったことない。そう思っているなら、違うわ」


 星は風で吹き飛び、二人の目の前にあるのはただの闇。


 アルテルは闇を見つめ、ポーラはそんなアルテルの頑なな背を見つめていた。


「ねえ、アルは、私が死んだらアングリーが死んだ時みたいに泣いてくれる?」


 アングリーは、アルテルの相棒で二人で看取った牧羊犬のことだ。

 アルテルは、『死』と言う言葉にビクリと身を硬くした。


 *


 それは、二人が十四歳の寒い冬の日のことだった。

 ぱちぱちと薪のはぜる暖炉。

 その前で、老犬アングリーの苦しそうな息使いを聞きながら、二人は看病していた。

 けれど、アルテルとポーラの願いはむなしく、気がつけば永遠の静寂が訪れていた。


「アン……」


 その静けさに耐えられず、アルテルは犬の名を呼んだ。


「寿命だったのよ」


 ポーラは、まだぬくもりの残るアングリーの毛をやさしく撫でている。


「わかってる」


 犬が死んだくらいで、泣きやしないと顔をそむけた。


「アルテル、私にまで強がらなくていいのよ」


「同じ歳なんだから、姉さんぶるなよ!」


 そう言った時には、すでにアルテルの瞳からは涙がこぼれていた。


「見るなっ!」


「つらい時は、一緒に泣くわよ」


「ほっといてくれ!」


 必死に涙を堪えようとするアルテルの肩は、震えていた。

 ポーラはそっと、その背に手をまわし抱きよせた。


 厚い氷を解かす、春のぬくもり。

 温かく、穏やかで胸の奥が切なくなるような安堵感。


 アルテルの両親が死んでから、それを与えてくれるのはいつも幼馴染のポーラだった。


「どうして、みんな死んじまうんだよ……」


 アルテルは、ポーラのか細い肩に額を預けると涙が止まらなくなった。


「おいてかないでくれ……」


「私は、ずっとそばにいるから」


「なら、勝手に行くなよ。親父や母さんみたいに、アンみたいに黙っていなくなるなよ」


「うん……」


 ポーラは、それはできない約束だと分かっていた。


 それでも、できるように願いを込めて頷いた。


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