第3話 緑の悪魔


「先生、本当に良かったんですか?」


美しい赤毛を揺らしながら若い女性が言った。




「ああ、彼の力を見せてもらおうじゃないか。君も感じただろう。死に至るはずがない。まー、万が一の場合は私が助けよう。」


スミスとその女性は壁側に投影された研究室の様子を見ながら話していた。


廊下の照明のように画像が浮き上がっている。




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「この部屋から早く出なくちゃ!!!」


「スミスさん!!!!」




声が枯れるほど、いや喉の奥が裂け吐血するのではと思える程の大きな声で叫んでいた。


スミスが出て行った付近の壁まで行き、ドンドンと壁を叩き続けている。


「スミスさん!!スミスさん!!」


しかし、何度も連呼するが応答がない。




(ゾク・・・)




背後から殺気を感じた。


いや、今まで殺気というものに触れたことがないが、自分を殺そうという気配を本能的に感じ取った。これまで凄惨ないじめを経験してきたが、殺そうと襲ってくる者はいなかった。




恐る恐る振り向くと、先ほどまで横たわっていた緑の生物が目を見開いてこちらを向き、仁王立ちしているではないか。口を閉じているが、犬歯が剥き出され、涎が滲んでいる。この形相は文明人とは程遠い、獣と同じだ。




生きていたのか?可能性として先考していたが、実際に対峙すると、物凄い威圧感だ。獲物と思っているのだろうか。




『僕はこいつに殺され、その後食われるのか?餌として見られている?・・・』




閉じていた獣の口元が緩み、やがてゆっくりと口を開いた。


「***********************」




何やら理解できない言葉をつぶやいていた。




すると突然そいつはこちらに駆け出した!


緑の生き物の脹脛が膨張し、床を思い切り蹴り出した。


物凄い勢いで突進してくる。あっという間にその距離を縮めてきた。




脚が震えて動かない。極限の恐怖で身体が生命の危機を感じ筋肉の硬直で反応できない。




「くそ!!・・う、うごけ!!!死ぬぞ!!」




壁を殴打して皮が捲れ血が滴り落ちるその拳でバンバン!!と両足を叩いた。


黒い制服に血が染みこむ。振り下ろした血が床に弾け飛ぶ。




体躯に似合わない思った以上に速い動きで突進してくる。陸上選手がクラウチングスタートを切ったかのような鋭い初速が継続している。10m・・・5m・・3m・1m・・・




何度も殴打し力づくで震えを止めた。こちらに飛び掛かる寸前にとっさに身を翻して回避した。




勢いでそいつは壁に激突し、額から紫の血を流した。あの速度で衝突したら並の人間では頭蓋骨が粉砕する。それを少し出欠する程度で済むのだから強靭な身体を想像させた。


口元まで滴るその血液を長い舌でペロリと嘗め回すと、こちらに正対し、また突進して来た。


回避しようと体を反らした瞬間、そいつはその方向へ自身も方向転換し、頭突きが腹部に直撃した。その衝撃で体は弾かれ今度は僕が壁に激突した。




「ぐはっ!!!」




衝撃が腹部を通じて喉奥まで込み上げる。吐血するほどではなかったが、のどの奥からドロッとした血の味を感じた。背中を強打し、全身が一時的に麻痺した。


腹部への鈍痛により身体がくの字に曲がり、身体の自由が奪われる。




緑の生き物は、こちらにダメージが加わったことを理解しているようで、その残虐な笑顔でゆっくりと距離を縮めてきた。今度はゆっくりと歩みを進めている。時折首をかしげながら、こちらを見つめる。嘲笑っているかのような仕草だ。




『おもちゃ・・・』


力の差を見せつけたその生物はご満悦だ。おもちゃをもて遊ぶ獣。僕はそう思った。




『怖い、怖い!!・・・・でも死にたくない。』




助けを求めても誰もやって来ない。自分自身で生を勝ち取らなければならい状況がようやく理解できた。




『大丈夫だ、まだ動ける。生きるんだ!戦うんだ!』


辛うじて立ち上がり、相手の動きに集中する。人間は極限の状態で進化する生き物。不思議と心が落ち着いてきた。集中力が研ぎ澄まされる。恐怖で震えていた身体はもはやない。筋繊維の一本一本、神経の一本一本、加速する血液の流れが身体を万全な状態へと促す。


そして呼吸を整えたことで、僕を構成する全てが一つに纏まった気がした。




「!!!!!!」




緑の生物が、何かを察したのか、一旦距離を取る。


それまでのお遊戯面が一変し、警戒の色が伺える。


そして、また理解できない言葉で何かを詠唱し始めた。




「**********」




耳飾りが赤く光り、掌から湯気が伸びている。瞬間掌から火の玉が浮かび上がった。


炎の鬣を伸ばしたその塊はまるでマグマのようにグツグツと煮えたぎっているようだった。




『おいおいっ。なんだよあれ・・!!』




片腕を振り上げて、一瞬静止する。


そこから振り下げた勢いで火の玉を飛ばしてきた。劫火玉が僕目指して一直線に飛来する。




しかし、先ほどの突進よりもずっと早い速度だが、見切れないほどではなかった。




この世界に来てレイの動体視力は飛躍的に向上していた。本人はその自覚はないが、一般人の身体能力の域を遥かに超えていた。


火の玉を右目で追いながら、顔面に直撃するのを避け足を一歩踏み込む、その勢いで前に駆け出した。


火の玉は後方の壁に激突し、音を立てて飛散した。真っ白な壁に大きな黒い焦げ跡が残った。




火の玉を投げつけたその勢いで、姿勢は崩れ、相手の動きは鈍っている。


反撃には絶好のチャンスとなった。




『いける!!!』




低姿勢のままレイは無駄な動きを排除し一気に直線的に距離を詰める。


緑の獣の顔面に拳が届きそうな程に近づくことができた。




「このまま、なぐ・・・!!!」




レイが拳を強く握り、殴りかかろうとした瞬間、相手は身を翻し、今度は長い爪を立て襲い掛かってきた。爪がレイの目を抉ろうとするが、上体を反らし寸でのところで回避する。


完全には避けきれず、鼻先を切られた。


バックステップでまた距離を取る。額から汗がどっと流れる。




『い、今のは危なかった。』




反応が遅れたら両目が失明していたのは間違いない。




『もっとだ、もっと集中しろ!!!』


改めて呼吸を整える。時間にして1分にも満たない攻防だが、レイにとっては大きな戦闘経験値となった。


レイの中で更にギアが上がる。




『もっと!!もっと!!』




もはや緑の生き物はこちらを格下とは思っていないようだ。


狩らねば狩られる。そのような意思が伺える。




またもや何かが詠唱された。


「******************************************************************」


先ほど比べると長い詠唱だ。


今度は両手に火の玉が浮かび上がっている。


しかも先ほどのものより大きい。火の玉は手のひらから5cmほど上を浮遊し、揺ら揺らと火の粉をまき散らしながら揺れている。


片方の火の玉が投げ飛ばされた。先ほどの経験から目がなれたのだろうか、若干速度が落ちたように感じられる。ギリギリの距離ではなく余裕を持って一つ目を難なく交わしたが。




『なっ!!』




そいつはその火の玉の背後を追うかのように走りこんできていた。


避けたその方向へもう一方の火の玉を投げつけて来た。避けたこの体制では二撃を避けれない。歯を食いしばって、左腕に力を込め身体を張って防御する。




「ぐわぁぁぁ!!!!」


制服は焼け落ち、肌は爛れる。重度の火傷には違いないが、腕は吹き飛ばされずに済んだ。




そいつは更に追撃を掛ける。長く研ぎ澄まされたその爪で顔面を突き刺そうと飛び込んできた。




『まずい!!』




ゆっくりと時が流れるように、僕はその爪先が頬を貫き刺さるでろうその時の流れをスローモーションのように眺めていた。とその時




爪の先端が何か固いものにでもぶつかったように割れた。


ヒビが入りボキっと折れる瞬間まで見て取れた。


そこから時がまた加速する。




爪がレイの顔面に差し掛かるその寸前で、右からそいつの顔面目掛けて強烈な蹴りを入れた。


骨が砕ける感触があり、首が一瞬あらぬ方向へ伸びた。眼球が潰れ、目から血が飛び散った。


面白いように蹴りが命中した。そいつは吹っ飛び、鉱石へと突っ込んだ。




ガラガラガラ・・・




大きな音を立てて、研究室の鉱石が砕け、そいつを飲み込んだ。




とっさのことでレイは何も考えていなかったが、無意識に放ったその一撃で相手は絶命したようだった。






「先生、見ましたか?今の。」




「ああ。確実に上位の存在から加護を受けているね。」


「彼、気付いてないみたいですけど。」


「ああ、器として成熟していないだけだよ。」








「いや~、遅くなったねーあはは」


スミスが緑の獣を倒した直後にタイミングを見計らったかのように部屋に戻ってきた。


片手には例の飲み物を持参しているようだ。


笑顔で語りかけてくるその表情に腹が立つが、疲労困憊で言葉が返せない。息が切れ切れだ。




「はい、これ、回復に役立つ、スペシャルドリンクの“赤汁”ね!!・・・って、大丈夫?」


自信満々でその赤汁とやらを突き付けてくる。今はそのノリにはついていけないのに。飲み物よりも今の状況把握が優先だ。




呼吸をできるだけ整える。


「・・・・なん・・なんですか?・・ここは?」


腹部へのダメージもひどく呼吸が乱れる。息を吸うたびに肺が痛む。




「・・・・」




スミスは答えない。




「・・・レイ君、ちょっと身体を見せてくれるかい」




(発現の痕が見られる、それにこの負傷の度合い。体の筋肉とその密度。覚醒の片鱗が見受けられる。悪魔のレベルとしては低位だが、恐らく初戦だったであろうに。)




「申し訳ない!!!!」


スミスが深々と頭を下げた。顔を上げてその整った顎のラインをスリスリと摩りながら本当に申し訳なさそうな顔つきをしていた。その後も何度も頭を下げる。このままいくと土下座までしそうな勢いだ。




「とりあえず、この赤汁を飲んでくれないかい?」




このような状況に陥った直後でスミスへの不信感は拭えないが、本当に素直そうに謝るので、しょうがなくその赤汁とやらを手に取った。・・・缶ジュース瓜二つの形状だ。




ゴクゴクゴクッ




「・・・まずい、、極限までに苦い。なんだろうか、野菜の苦みを凝縮したような味わい。」喉の奥に味が滞留する。決して好き好んで飲むものではない。




「まずいだろ?良薬は口に苦し、と言うが、赤汁は正にその典型だ。効果は保証するよ。」


そんな諺この世界でも使われるのか?別世界という話は恐らく本当だ。としても元居た世界との共通点が非常に多い。




赤汁を飲んだ直後から変化が感じ取れた。




「おっ!!」


傷口からの出血が止まる。血の凝固が進み、傷口が塞がり、傷跡のような状態に変化していく。外部だけではない身体の内部からも改善されているようで、腹部、肺、喉の痛みが引いてくる。特に外傷の激しかった、左腕は、火傷痕は完全に取り切れてはいないが、ケロイド上の皮膚は剥がれ落ち、新しい皮膚が再生されつつあるようだった。通常であれば治癒に何か月も掛かるであろう重症だったのだが。




「すごい・・・」




「これはポーションっと言ってね。この世界にポーションは無数にあるが、赤汁は私が調合した特別な物だよ。」




「申し訳ない!!!!」




(???)




だから一体なんなんだよ。




スミスの顔つきが変わる。それまでの少しチャラけた雰囲気ではなく、真剣な面持ちだ。




「君を実は試したんだ」


黒縁眼鏡を掌でクイっと持ち上げながらそう言った。




(????)




さっぱり意味が分からない。




少しスミスが考えた様子で一瞬の沈黙があった。




「まあ、そこに掛け直してくれるかい。」




促された僕は先ほどの高級チェアに腰かける。今度は座面を伝わって暖かさが体中に染みわたっていくようだった。ポーションの効能とこの椅子の効果がかけ合わさっているのだろうか。スミスは向かいにある。彼の定位置と思われる椅子に腰かける。




先に口火を切ったのは僕の方だった。


「そこの緑の生き物は!!?」


先ほどまで命のやり取りをしていたのだ、一歩間違えたら死んでいた。無理もない、一番気になることが口から出た。




「ああ、あの“悪魔”はもう絶命しているから心配ない。もはや君に襲い掛かることはない。」




(そうではない、それ、その悪魔がなんなんだ、と聞いているのに)




「君の疑問はわかるよ・・・君は真実を知りたくないかい?」


スミスの瞳は眼鏡の鏡面反射に隠れて明確に覗けなかったが、真剣な眼差しを向けていたようだ。言葉に力が籠っていた。これまので会話の中で一番気持ちが高ぶっているのか、眼鏡をグイっと上げる時、今度は眼鏡の縁を摘まんで居た指が震えていた。




「真実・・・・教えてください。」

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