坂田金平、筑波山を登るの事

山道は筑波山の急な斜面を回り込むようにジグザクと行ったり来たりとしながら少しずつ頂上に向かって続いていた。金平は慣れない山歩きながらも平素から鍛え上げられた体力はお山の難所を物ともせず、ずんずんと歩みを進めて行く。


進むはいいが、お山に入ったところででは自分は何をすればいいんだ?とふと思い立って金平は足を止めた。周囲を見回してみても見えるのは青々とした樹木が広がる風景だけで、人の手による建造物も碑の一つも見当たらない。「不入いらずの山」なのだから当然ではあるのだが、それでは何の目的で自分は一人苦労して登山に汗を流しているのか、金平も自分のしていることがよくわからなくなってしまい、ここらが休み時だと判断して手近な岩に腰を下ろし、額に流れる汗を手拭いで拭き取った。


「ふう」と息をついて水筒がわりの竹筒から水をゴクゴクと一気に飲み干す。これが最後の一口である、どこか小川でも流れているところを見つけて飲み水を補給しないとこの険しい山道を踏破するのは不可能である。金平は干上がる前に水のありかを探そうと再び立ち上がろうとした。




「ん?あ、あれ!?どうなってんだこりゃ!?」



金平はその時初めて「その事」に気がついた。今まで夢中になって後ろを振り向くこともなく山道を上り詰めていたため、少しもその事に気づいていなかった。



「な、な、な……」



金平は先ほどまで自分が歩いてきた方向を見返す。


そこには道は無く、鬱蒼とした樹々が茂って帰る道を塞いでいた。



「なんだこりゃ!?い、いつからこんな事になってやがったんだ!?」



驚きのあまり目を白黒させながら金平は慌てて今来た道を探そうと草むらをかき分けるが、どこまで行っても生い茂る草木は深さを増すばかりで、到底歩いて戻ることなどかなわない。金平はもう一度山頂に向かう方へ振り向く。道は変わらず延々と続いている。


金平は前に向き直って慎重に足を進める。きっちり数えて百歩進んだ所で金平は立ち止まり後ろを振り返る。やはり道は金平のすぐ後ろで途切れ、その先は深い潅木に覆われて分厚い壁となっていた。



「こりゃあ、アレか?何か物の怪の類がちょっかいでも出してやがるのか?」



金平は思わず右手の拳を握りしめる。愛用の長柄の剣鉾は流石さすがに山登りには不向きと考えて麓に置いてきた。大振りの山刀こそ持ってきてはいるが戦闘には役には立つまい。金平は(めんどくせえことになったな……)と思いつつ周囲に警戒を怠らない。


辺りには何者かの気配も殺気も感じられない。どうやらこれは単に金平を山頂まで導くための仕掛けの一つ、とでもいうのか、少なくとも金平に直接危害を加える意図があるものでは無いようだった。



「よくわかんねえが、用がねえなら先行くぜ」



どこの誰ともつかぬ相手に向かってひと声かけた後、金平は意を決して再び山頂へ向かって歩き始めた。こんな回りくどい仕掛けを施すモノが何者か知れぬが、深く考えることをやめて金平はとりあえず山頂を目指した。道が金平に「進め」と促しているのだからまずは行ってみなければ何が待つのかもわかるまい。敵か、ただのの類であるならば構わずその場で叩きのめしてやればいい。金平はそんな物騒なことを考えながらひたすら足を前に運んだ。


遠くでチョロチョロと水の湧く音が聞こえる。疲労と喉の渇きに耐えかねた金平は足早に音のする方向へ小走りに歩みを進めた。切り立った崖が垂直に伸び、そのまま山頂まで向かっている。その高い壁面の途中から一筋の湧き水が岩肌を伝って流れ、足元に小さな泉をたたえている。金平はひとまず足を屈め、その清水を口に含んで安全を確かめると、猛烈な勢いでがぶ飲みし始めた。


山登りの疲労と謎の仕掛けに出会ったせいから来る緊張とで余計に喉が乾いていたのか、いくら飲んでも飲み足りないというくらいの勢いで飲み続けた後、ようやく人心地ついた金平は竹筒に水を入れて飲み水を確保する。そこで金平は初めて泉の脇に何やら碑文の刻まれた置き石がなされているのに気がついた。碑文は梵字らしく、金平には読めない。その横にも文字が連なっており、こちらは片仮名で


「オン バサラ タラマ キリク ソワカ」


と刻まれていた。おそらく隣の梵字に対応する訳語なのだろう。何かの仏様の真言らしかった。


そこで金平はさらにその石の奥がぽっかりと空間になっている事に気がついた。表から見ると滝の流れに隠れて見えにくいが、どうやら人一人入れるくらいの大きさの洞窟があるようだった。かつてこの山に真言僧でも入山してここで修行でもしていたのだろうか。



「もしかしてポンのやつが言ってたってのはコイツの事かあ?」



金平が影道仙の言葉を思い出す。ポン呼ばわりとは随分と砕けたものだが、別段親しみを込めてのものでは無く、単に「影道仙ほんどうせん」という呼び名が長ったらしく覚えにくいというだけの理由だった。まあそういったものを人は「親愛」と称するのかも知れないが。


金平の巨体ではその入り口に体を通すのは難儀だったが、中は意外に広々として金平の背丈でも立つことができるくらいの空間が広がっていた。当然ながら灯りはなく真っ暗ではあったが、わずかに差し込む太陽の光でおぼろげながらに洞窟内の様子が伺えた。


むろの正面に位置する場所に一体の仏像が安置されている。何十本もの手が背中から生えた一種異様な姿のその仏像は、それでいて何処か厳かな、優しげな笑みをたたえているような穏やかな雰囲気を見るものにもたらした。


その仏像の奥、壁に面した部分に奇妙なは立っていた。金平の背丈ほどの円柱状の棺のようなものは、壁にめり込むようにして直立しており、見た目は巨大なのように見える。滑らかな表面には傷一つなく、一切のつなぎ目を持たない表面を横に向かって二本の筋が走っている。



「……なんだこりゃ?祭壇……にしちゃあヘンなカッコしてやがるな」



そういいながら金平はその滑らかな表面を撫でてみる。石のような、金属のような、今まで触れた事のないような不思議な肌触りだった。なんとなく金平は自分が手にしている竹筒に形が似ているな、などとやくたいもない印象を持った。


金平がその表面に手を触れた瞬間、シュッと音を立ててその不思議な構造物が振動した。



「うわっ!!」



金平は驚いて反射的に身を後ろにそらす。その棺のようなものは振動したまま低い音を立てている。やがて再び空気の抜けるようなシュッという音と共に、その表面が二本の線に沿ってゆっくりと上に向かって開きだした。隙間から白い煙のようなものが下に向かって重く立ち込めてくる。金平は訳がわからずただ呆然としてその動きを眺めていた。


やがてその表面は完全に上に開き切り、その中身を金平の前に表した。そこには、


一人の少女が目を閉じて眠っていた。

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