赤と青の蝶

八咫守史郎

赤と青の蝶

 ある冬半ばに私はニ種類の蝶を見た。一つは赤の蝶。激しく情熱的に舞いながらも、どこか可愛げがあった。もう一つは青い蝶。高貴で優雅に舞い、仄かに甘美な香りを漂わせていた。これらに出会う機会があったのは、私にとって幸運なことであった。


 はじめに、赤い蝶を見たのは秋葉原であった。私と幼馴染みはメイド喫茶へと足を運んだ時である。以前から彼はメイド喫茶の話をことあるごとに出しており、私はついに一緒に行く決意をした次第だ。

 このような趣向の場所へ行くのは、恥ずかしさを伴うものだ。人には自慢できないという羞恥からか、誰かに知られたことで、ロリだの女好きだのといった見えない烙印を押されることを恐れるものだ。

 しかし、私にはそういった思考に惑わされるほど子供ではないし、行ったことのない場所へ足を運ぶのは純粋に楽しい。私の知的好奇心は、そういった理由から彼の誘いにのったのだ。

 かつて電気製品とサブカルチャーの街として名を馳せていた秋葉原の大通りを歩いていると、ありとあらゆるメイド、もしくはその店員さんが道ゆく人々に自身のお店のチラシを配っているのを目にする。十数年前のメイドブームが過ぎていても廃れる様子はなかった。私と幼馴染みはそんな人達に目もくれずに、真っ直ぐに目的のお店へと歩んだ。とある道角に建つ商業ビルの前に着くと、正にこれと言わんとばかりのメイド喫茶の看板が2階にそびえていた。

 ガラス張りになっている壁面には、看板娘であろうメイドさんの切り抜かれた写真と、彼女らを囲むようにクリームの様な雲や星などのイラストが貼られていた。

 それが目的地の目印だと認識したあと、私たちはビルの中へ進んだ。ニ人が横に並ぶギリギリの幅の階段を昇ったら、お店の玄関の扉にたどり着く。扉には特に装飾を施してもなく、よくある重たいコンクリートのようなドアに幼馴染みは手を掛けた。中へ入ると、

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

 と朗らかで、可憐な声が響きわたった。アニメなどでよく知る台詞を実際に聞くと、やはり驚いてしまう。メイド喫茶の世界観に溶け込むのに少し時間が必要のようだ。

 部屋の中は1フロアというには少し狭め、強いてあげるなら小・中学校の1クラス程の広さに、座れるギリギリの机配置がしてあった。机と机の間隔は人一人が通れるのがやっとという感じだ。また、玄関から向かって正面には、先程のガラス壁面があり、壁の手前には段差が少しある舞台が整えてあった。

 私たちは壁側に沿って並んでいるソファ席に案内された。休日ということもあり、客足はほぼ満席だった。周りを見渡すと、友達連れと思われるもの、家族連れと思われるもの、観光客と思われるものと老若男女問わずあらゆる層のお客様がいるようだ。と、そうこうしているうちに、一人のメイドさんが私たちにお冷とメニューを渡した。

「ごゆっくりお過ごし下さいね、ご主人様。」

 メイドさんは満面の笑みを浮かべたまま、他のお客さんの対応へ向かった。辺りの他のメイドさんを見てみると、十代後半から二十代の若い印象に、私の胸が高鳴ったような気がした。別にやましい思いがあるわけではないが、間接的にも女性と触れ合う機会が久しぶりということもあり、心の距離感を測りかねているのである。そんなことを思いつつ、私はメニューを覗き込んだ。

 一方の幼馴染みは、間近でみるメイドさんたちや大勢のお客さんにどうやらたじろいでいる様子だった。気持ちはわからないでもないが少し緊張しすぎなのではないか、などと心の中で私は思いつつ、自分の空腹を優先し引き続きメニューを覗く。好物の焼きそばとジンジャーエールがあったのでそれらを頼もうと決めた。一方、幼馴染みは少し迷った後、オムライスとオレンジジュースに決めたようだ。オムライスには、「ご主人様へのおまじないサービス♡」と記載されており、どうやらメイドさんと一緒に萌え萌えキュンなるものをやるらしい。

 「どう?来てみた感想は?」

私は聞いてみると、

 「想像より、良い…」

幼馴染みは満足のようだ。

 「早速サービスを頼んだみたいだね。」

 「こういうのは楽しんだもの勝ちでしょ?」

 普段は優柔不断な彼も、一度楽しむと思える切り替えに関しては、こういう時には早いものだ。その時には、緊張の表情もすっかりなくなっていた。

しばらく談笑していると、頼んだメニューが運ばれてきた。そのメイドさんは左手の飲み物ニ種と焼きそばがのったお盆に、右手で大皿のオムライスを器用に持っていた。

 「お待たせいたしました、ご主人様」と声掛けと共に、それぞれ望んだメニューを私たちの前に置いた。そして、

 「ではサービスとして、ご主人様と一緒に美味しくなるよう魔法をかけたいと思います。」

 想像通りの展開だ。メイドさんと幼馴染みは両手でハートを作り出す。いよいよ呪文をかけるか。私は横目でニ人に視線を合わせたまま見守ることにした――つもりだったのだが、メイドさんが私に視線をはずさなかった。やはりか、と私もニ人にならって手でポーズをとる。

 「「「おいしくな〜れ、萌え萌えきゅん♡」」」

 今度は私が恥ずかしさを覚えたようだ。先程まで持っていたはずの探究心は、場面の雰囲気に流されて崩れ去った。

 食前の音頭をニ人でとり、私は恥を忘れようと努めた。喉に水分をまわし、焼きそばの味を堪能することに集中した。しかし、言葉にできない羞恥には勝てるはずもなく、結局は食事を楽しむ余裕はなくなった。その心中もあり、周りの明かりがなくなっていたことを気付くのに一瞬遅れた。

 ガラス壁面の前に薄いカーテンが敷かれ、舞台にのみ灯りが集中していた。そこには、赤い蝶が一頭舞っていた。そして、舞台脇にあったスピーカーからやや割れた音を響かせた。流れていたのは、ある流行りのアニメのオープニング曲だった。テンポが早い曲調と早口で歌うことで有名で、女性ボーカル特有の高さを保ちつつ歌うのは、ハードルが高いものだ。

 赤い蝶はそんな難易度はものともしないように歌い、舞っていた。その羽を大きく、強く羽ばたかせながら、私を見てと言わんばかりに大きく主張していた。客席との距離は離れているのに、熱という熱がこちらにまで伝わってくるようだった。歌っている曲もといアニメに、一つのテーマとしてアイドルだったこともあり、メイド喫茶と、お店にいる全ての蝶にピッタリの雰囲気だった。

 幼馴染み、私を含む全てのお客さんが赤い蝶に夢中だった。その様に私達はきっと心奪われていただろう。少なくとも、私はそうだった。もっと彼女、彼女たちを知ってみたいと思った。もっとお店に通い続けてみたいという欲求が生まれた。我ながら憧れに対してちょろい自分に内心、少し嫌悪感があったが表立って出さないようにした。好きなことを素直に感じて悪いことなどないはずなのに、と言い聞かせながら…。

 曲をフルコーラスで歌い終わった蝶は、お客さんに向かって礼と愛嬌を振りまいて舞台から降りた。

 「すごいな。歌い切ったよ。それに可愛かったね。」

 幼馴染みは興奮気味で、私に向かって言った。彼にも嬉しい体験だったことだろう。私は「そうだね」と短く、彼に共感を示した。

 ご飯も食べ終わる丁度その時、お店の滞在時間が終了した。心身ともに熱くなった私と幼馴染みは、店を後にし、秋葉原の街へ踏み出した。冬に吹雪く冷たい風が、火照っいる体に涼しさをもたらした。


 次に、青い蝶を見たのは池袋だった。こちらも幼馴染みの希望で私がついていった次第だ。秋葉原の時からしばらく会わないうちに、彼は趣味の範囲を広げていったようだ。

 その証拠に、当時の彼はユニセックスのファッションを着てきたのだ。コートやパンツにベルトや革製のワッペンなどが施されており、所謂、ゴシック(と呼ぶべきかは定かではないが…)のジャンルに位置付けるものであった。客観的に見てそのファッションは、人を選ぶものであるだろう。だが、彼の細い体型ということもあって、着こなしは上手くいっているようだった。

 そんな私だが、前日に彼から「お洒落して行こう」と連絡を受けたにも関わらず、比較して落ち着いた服装で待ち合わせたのだ。具体的にどのような格好をしていくべきか、聞いておくべきと後悔したのは、目的地に着いてからだ。

 その日に訪れたのは、執事喫茶だった。池袋駅からやや離れた路地裏のビル、その地下へと続く階段を降りた場所にあった。予約制のその場所は、既に夕方までほとんど埋まっており、私達はそれまである程度の時間潰しをしなければならなかった。幸いにも、池袋で遊ぶ場所は多くあったため、退屈な時間を過ごすことはなかった。

 そしてやっと予約の時間になり、喫茶の入り口へ参ると、一頭の青い蝶が待っていた。私達を出迎えるため、羽をたたんで礼儀正しく待っていた。あまりのおとなしさ、綺麗さに見惚れていると、蝶の案内が始まった。奥へ進むと薄明かりの下に、新たにニ頭の蝶が現れた。彼らに荷物を預けると、更に奥へと進む。大きなステンドグラス風のデザインが施された扉の前に着くと、静かに開いた。

 中に入ると、そこには広い空間があった。木彫の壁に沿って半円のソファ席、中央にはニ人が向き合って座れるテーブル席、天井にはシャンデリアがあった。お客さんは女性が多くを占めており、皆がそれぞれお洒落に服装や化粧をしていた。まるで何かのパーティーを開いているかのような豪華な印象を受けた。私はそこで、普段と同じストリート系統に近いファッションで来店したことを後悔した。

 またも知らない世界への興味に惹かれながらも、私達はテーブル席へ案内された。席へ座ろうとすると、蝶たちは後ろから程良いタイミングで椅子を押し、荷物はそれぞれの足元へ籠とカバーと一緒に置かれた。サービスのひとつひとつに、マナーが仕込まれていた。

 と、グラスに入った水とメニュー本を持ってきた紳士が私達の前に現れた。眼鏡を掛け、綺麗な顔立ちの燕尾服を纏った蝶、もとい執事だった。

 「お帰りなさいませ、旦那様。」

 テノールの音程ながらも、透き通った声で執事が言った。私は先日のメイド喫茶の「ご主人様」とまた違った優越感と少しの緊張を持った。正面に目をやると、どうやら幼馴染みも心中は同じようだった。

 それからの私達は、執事から喫茶のマナー(ルール)、メニューの説明を一通り仕込まれた。その当時、お店が二十周年のアニバーサリーという節目もあって、料理は決まったフルコースだった。さらに、紅茶が付属で、どの種類も料理にあったもの厳選しているらしい。後に幼馴染みから知ったことだが、曰く、当執事喫茶の執事達は紅茶に関するアンバサダー系統の資格を持っているらしい。メニューに記載された、多様多数にわたる種類の紅茶が、それを証拠付けた。その中から、幼馴染みは酸味の効いた種類のものを、私は名前が往年の女優と同じ種類のものを頼んだ。

 「かしこまりました。では、ごゆっくりお過ごし下さいませ。」

 と、眼鏡の執事が応えて、静かに去っていった。

 改めて辺りを見回すと、やはり女性客の他比率、年齢層が大きい執事達に目がはいる。執事達のお嬢様方への対応がそれぞれ違っていた。例えば、お嬢様のお喋りに付き合うことや、反対に寡黙な方には声掛けしてあらゆる表情や所作で笑みをつくっていること。中でも私が印象深かったのが2つある。

 一つは、松葉杖で入ってきたお嬢様の歩みを合わせている場面。他の方と区別なく優しい対応は、私は尊敬の念を抱いた。

 もう一つは、クマのぬいぐるみと来店されたお嬢様には、ぬいぐるみを荷物箱へ収める際に毛布を掛けるようにした場面。お嬢様の友人も、ご主人様レベルの気の利いた対応に、私は心があったかくなった気がした。そんな面白くも、見習うべき紳士な対応だった。

 一方、私のお向かいさんは、メイド喫茶の時と違い、沈黙する時間が多かった。私は気の利いた言葉をかけて落ち着かせようと――いや、違うな。彼はこの空間を満喫しているのだ。私よりもこのお店を調べ上げて、普段あまり気に留めることはないであろう服装にも気合を入れている。それ程までに、今日とを楽しみしていたのでは、と私は悟った。

 そこから先はあっという間に感じた。料理は三段の重箱に収められ、前菜、メイン、デザートと順番に食べた。名前も普段は聞いたことないものばかりだった。紅茶も、どのタイミングで口に含んでも、甘い香りが体を包み込んだ。来店の制限時間が短くも、心から満足できる体験ができた。店を出て、幼馴染みは初めて感想を語った。

 「食事も紅茶も美味しかったなぁ。それにイケメンだらけってのも、良かった…。」

 彼の噛み締めるように出た台詞は、私にとっても同感だった。メイド喫茶とは一味違った興奮を味わえたのは、今回の何よりの収穫だった。

 ふと、風が吹いた。冬の夜風は体に障るはずだったが、暖かな肌触りを感じた。春が来る予感を待ち遠しく思いながら、私達はもう一度、この店へ来店する決意をした。


 私はニ種類の蝶を見た。彼らが一度羽を羽ばたかせれば、新鮮な気持ちを体験できる。次の機会には、改めて周りを冷静に見渡せる余裕と、彼らとの触れ合いを期待してしまう。その日までが、何よりの楽しみで仕方ない。

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