黄金の眼鏡

黒中光

第1話

「貴方が落としたのは、こちらの黄金きんの眼鏡ですか。それとも、こちらの白銀ぎんの眼鏡ですか」

 現れた水の女神様は僕にそう告げた。


 事の起りは、お花見だった。咲き始めたばかりの桜をだしに、昼間から友人と飲み会をやった。持ち寄ったビールやカクテルを傾けながらどんちゃん騒ぎ。帰る頃には足下はすっかりふらついていた。

 だから、通い慣れていた眼鏡橋で転んでしまった。

 すると、かけていた眼鏡がするりと顔から外れて、池にぽちゃり。

 どうやって引き揚げた物かと、酔いの吹っ飛んだ顔で青ざめていると、池の水がざわめき、件の女神様がご登場と相成ったわけだ。


 現れた女神様は、更にこう告げた。

「それとも、こちらの縁なし眼鏡ですか。サングラスですか。単眼鏡モノクルですか。伊達眼鏡ですか。虫眼鏡ですか」

 女神様は透き通ったトレーの上に小山の如く眼鏡を積み上げている。十や二十では利かなさそうな数だ。

「さあ、どれですか」

 神々しい光を背にしてトレーを突き出されても困る。

「見えないから、判りません」

 眼鏡がないから、全てがぼんやり靄が掛かっている。女神様はスタイルが良さそうで声も優しげで、きっと美人なのだろうと思うが生憎さっぱり造形が判らない。

 人の顔でこれなのだから、フレームの細い眼鏡なんて見えている自信も無い。

「でも、選んで貰わないと困ります」

「普通に返してください」

「規則ですから」

 誰が決めた規則だ。ツッコんでも女神様は「規則です。規則です。禁則事項です」の繰り返し。埒が明かない。

「ちなみに、外れたらどうなるんですか」

「代わりの眼鏡をかけて貰います」

 意外と良心的だった。斧を落とした人は、何も返して貰えなかったはずだが。

「このヒゲ眼鏡をかけていただきます」

「絶対、嫌だ」

 花見の余興も終わったのに、何故ヒゲ眼鏡で往来を歩かねばならないのか。そんなことをしたら、今度は眼鏡の代わりに我が身を池に放り込みかねない。

「さあ、選んでください」

 赤っ恥を避け、己の眼鏡を取り戻すためには、どうにかしてこの無数の眼鏡から見つけ出さなくてはいけない。

 しかし、厄介なことに僕の眼鏡は、銀縁で四角いレンズ。至ってノーマルな一品。特徴がまるでない。

「手に取って見たいんですけど」

「ダメです」

 即答だった。

「その手で、高級眼鏡を持ち逃げされたことが13回。もう、その手は喰いません!」

 すこぶる騙されやすい残念な女神様だったらしい。

 思ったことが顔に出たのか、トレーを抱え込む女神様。本当に選ばせる気があるのか。

「ありますとも」

「頭の中を……」

「ええ。わかりますとも。

 さあ、このままだとダレてしまいますから、今、ここで。答えをどうぞ。さもなくば眼鏡をたたき割りますよ」

 眼鏡の女神にあるまじき発言。しかし、眼鏡をたたき割られては堪らない。

 特徴、特徴。僕の眼鏡だけにある特徴……。

 どこかで、パシャリ、と魚が跳ねる音がした。

「濡れている眼鏡」

「はい?」

「僕の眼鏡は、池に落としたばかり。だから、その中で濡れているのが僕の眼鏡だ」

「……正解です。貴方は、自分の眼鏡を諦めずに考え抜きました。褒美に、この黄金の眼鏡を授けましょう」

 女神様はつい、と近付くと、僕の顔に眼鏡を手ずからかけた。

 世界が急激にくっきりと鮮やかに映り、女神様の端正な笑みに頭がクラクラする。

「め、女神様……」

「それでは、私はこれで」

 僕が手を伸ばすのも構わず、女神様は池へと沈んでいった。僕はがっくりと膝を折る。

「――この眼鏡、度がキツすぎる!」

 視界に映る全てが強烈に迫ってきて、立っていることすら辛い。これじゃあ、褒美と言うより拷問だ。

 僕は即日、黄金の眼鏡を叩き売り、そのお金で新しい眼鏡を新調したのであった。

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