自分史・序章

キタハラ

自分史・序章

 どこらへんでわたしは間違えたのかを検討すべく、自分を遡ってみようとノートを開いたのだが、そもそもがさきほど鯖の味噌煮缶を食べたことも間違いだったのではないか、と思えてきた。ああ、まったく進まない。

 わたしは先日会社をクビになったばかりだった。年下の上司に「澤村さんちょっと」なんていつも以上に気を遣われて呼び出された。上司はいつだってわたしに気を遣っている。それはきっと彼にとって、日々重なるストレスの一つなのではなかろうか。

「申し上げにくいんですが」

 と会社の経営の悪化やら顧客の減少だのといった数字の不振をその若い、なのにやはりストレスなのか男性ホルモンが過剰なのか、わたしより薄毛気味の上司は語り、そして「澤村さんは今月いっぱいで」と告げた。

 わたしはお前の薄毛を陰で馬鹿にしたりしなかったぞ。人の容姿を小馬鹿にするなんて、最悪だし。むしろお前が休憩時間中に楽しげに話している若いバイトどものほうが、陰で「あの落武者」とかいってたぞ。いや、落武者、言い得て妙。センスあるので注意せず放置していたわたしも同罪なのかもしれないが。

 そんなわけでわたしは職場こと「負け戦の戦場」から撤退したのであった。

 べつにしたい仕事でもなかったし、まあいいかと思った。失業手当ももらえるでしょう。しかし、わたしも年が年である。そんなふうにのんびり「人生の休暇」を楽しむには早い。しかしこんなふうにばりばりと(自分なりに)働くにも、体力が衰えてきているのだ。再びなにかやりがいのある仕事につかねばならんのである。

 年金だってろくにもらえそうもないし、一生働くのかもしれないが、やはり貯蓄のためにも早急にどこかに復職せねばならん。

 履歴書の記入前に、このちょっとした「空き時間」を利用して、人生を改めて眺めてみよう、と思ったのは、まあ暇だった、ということなんだが、しかしわたしも昔は小説家になりたいなどという大望を抱いていたこともあるのだ。老後の楽しみに小説執筆はとっておいてあるが、その頃には物事を忘れてしまうかもしれん。書き残しておかねばならんと考えた。

 そもそもいい歳こいたじいさんばあさんが、十代の振りをして小説を書いたところで、それはその年寄りの青春でしかなく、現在の無気力にスマートフォンを眺めている若者たち、だいたい年上にタメ口で、叱ればすぐにSNSに書き連ねて同族に慰めてもらおうとするような、リアルな青春など書けない。

 だったら我が人生の青春を綿密に描き切ることのほうが、リアリティというものは生まれるのではないだろうか?

 そもそも若い者は小説など読まんのだ。きゃつらは文字も長文は読めず、動画でないと楽しめない。マンガの読み方すら体得できていない者もいるらしい。


 ……


「なにこれ」

 わたしはノートに書かれた文章を読んだ。ひどく難読だった。内容も意味不明だ。

「誰が書いたんだ、これ」

 わたしは大学に通っていて、一週間ぶりに経営学のノートを開いた。隣に座っていた同じ講義を受けている生徒がわたしをちらりと見た。

 私の独り言なんかより、あんたの偉そうなキータッチの方がうるせえよ、といってやりたかった。

 わたしはどうも文字で書かなくては記憶できないタイプなので、ノートを使っていた。

 いったい誰が(というかどうもおっさんらしい)こんなものをわたしのノートにいつのまにか書いたのだろうか?

 え、わたし、記憶失ってて自動書記とかしたのか? こわ!

 メガネを外した。視界は疲れもあって、いつも以上にぼんやりし、先生の顔もわからなかった。ゆらゆら揺れている亡霊みたいだ。

 わたしは授業中、メガネを外すのが好きだ。まるで世の中が、かげろうのように思えてくる。すべて幻想で、自分が拵えたもの、あるいは何者かが見せているもののように感じた。

 先生の声だって、うまく聞き取れなくなる。まあ別にいい。レジュメはあるし、メモだってべつにしないでもいい。


 ……


 いつのまにか眠ってしまったようだ。最近は昼間、気が緩むとすぐに眠くなる。これでは復職も絶望的かもしれない。記憶も途切れ途切れになっている。奇妙な夢を見てしまった。自分は大学生で、授業を受けていた。経営学である。教師の顔がどこか先日観た映画のギャングに


 ……


「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「なんですか」

「わたし、なにしていた?」

「なにって、授業」

「そうじゃなくて、わたし、なにしてた?」

「は? ノートになんか書いてましたけど」


 ……


 どうやら理屈はこうだ。

 メガネを外し、眠りにつくと、わたしはよくわからない定年近いうだつのあがらない男の執筆する自分史とやらを書写していた。

 わたしは気でも狂ってしまったのか、と思った。そんなキモいこと、ありえるか?

 メガネを外して布団に入っているときは起きなかった。そこはただの、わたしの心の奥底の歪んだ心象風景を夢見るだけだった。

 そばにノートとペンがある時だけ、そんなことが起きてしまう。

 こんなこと、誰に相談できるのか。ネットに書いたら、日常で言ってはいけないような用語が書き込まれた。

 ノートには、つまらないおじさんの人生が綴られていった。そんな気味の悪い出来事は、すぐにおしまいとなった。

 わたしは家族にレーシック手術をして視力を取り戻したい、といった。両親は自分で貯めろと最初断ってきたけれど、かならず返す、とわたしは土下座した。

 メガネをかけなくなってから、そんな気持ち悪いことはなくなった。

 時がたち、そんなことはすっかり忘れた。

 あるとき、ネットニュースで、とある老人が、元の勤め先の年下の上司を刺し殺した、という事件を見た。

 その男は再就職がままならず、不当に解雇されたと喚いていたという。そして、部屋には大量のノートがあり、自分の人生を事細かに記録していたという。

 そのノートの一部の画像を見た。

 どこかで見たことがあるような気がしたけれど、思い出せなかった。子供が間も無く帰ってくる。1日がいつのまにか過ぎてしまう。

「そうか、自分史か」

 日記くらいの軽いものをつけてみるのもいいかもしれない。明日、文房具屋でちょっといいノートを一冊買ってみようかな、と思う。


 #KAC20248







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