禁断の初恋の行方は

朏猫(ミカヅキネコ)

第1話

 幼稚園児だった頃、俺は圧倒的な王子様だった。自分で王子様だと意識したことはなかったが、誰もが「ユキくんって王子様みたい」と褒めそやしていたから間違いない。

 俺が笑うと大勢の女の子たちが頬を真っ赤にした。先生たちもお迎えのお父さんやお母さんたちもキラキラした顔で俺を見た。みんな俺に微笑みかけながら「本物の王子様みたい」と口にした。


(俺ってすごいんだな)


 気がつけばそんなふうに思うようになっていた。幼稚園に入る前は内気で自分から話しかけることすらできなかったのに、そんな自分を忘れてしまうくらい謎の自信に満ちあふれていた。

 そんな俺に、たった一人だけ近づこうとしない子がいた。同じクラスの男子で、その子とは結局最後までひと言も話すことがないままだった。かっこいい服を着ていたその子はいつも一人きりで、先生が呼んでも一人で遊び続けているような変わった子だった。


「みっちゃんって変だよね」


 誰かがそう言っていたのを覚えている。そんなみっちゃんのことを俺は密かにかっこいいと思っていた。


(孤高のかっこよさに憧れるなんて、俺もとんだマセガキだったんだな)


 当時のことを思い出すたびに苦笑いしたくなる。ある意味、俺のもっとも古い黒歴史だと言ってもいいだろう。

 ホームルーム前の小テストがだるくて、つい王子様だった頃のことを思い出してしまった。思い出しては苦い気持ちになるのに、最初にして最後の栄光を何度も噛み締めてしまう。同時に、みっちゃんに対する憧れと淡い気持ちを思い出してはくすぐったくなっていた。


(どんなときも一人で平気なみっちゃんなら、いまの俺の状況も何てことなかったんだろうなぁ)


 不意にそんなことを思った。

 みっちゃんは驚くほどクールな幼稚園児だった。いつも一人で、それなのに全然寂しそうな感じがしない。いいところのお坊ちゃんだったのか、着ているのもいつもピシッとしていた。何でも一人でできるからか先生たちからも一目置かれていたようで、当時の俺にはそれもかっこよく思えてしょうがなかったのだ。


(暴れたり騒いだりすることがないってのもクールだったよな)


 俺の周りにはいなかったタイプだ。だから気になって仕方がなかったんだろう。「王子様のユキくん」と呼ばれるのを喜びながら、内心は孤高のみっちゃんのようになりたいと憧れていた。


(でもって、あんまり強く思いすぎて好きになっちゃった、と)


 王子様のユキくんの初恋は、クールでかっこいい男子のみっちゃんだ。誰にも言ったことはないし、当時は恋をしているなんて気づきもしなかったが間違いない。


(みっちゃんを見るだけでドキドキしたし、あのときの俺は恋をしてた)


 でも、その初恋は隠さないといけないものだった。

 みっちゃんに対する気持ちが恋心だとわかっていなかった俺でも、みっちゃんを好きになるのはよくないんじゃないかと思っていた。同じブドウ組の男子に「ユキくんが好き」と言われたとき、女の子たちが「男なのにユキくんが好きなんて変だ!」と言って大騒ぎになったからだ。

 だから好きになっちゃ駄目だと思っていたのに、俺は孤高の男子みっちゃんにばかりに目が向いた。気がつけば姿を探し、一人きりでいるのを見てはホッとしていた。


(好きな人に近づく奴が誰もいないことに喜びを感じるなんて、王子様の内面は最低だよな)


 でも、そう思ってしまうくらいみっちゃんのことが好きだった。同じくらい、自分の気持ちを周囲に知られてはいけないと思った。ばれたら女の子たちに何か言われるだろうし、何よりみっちゃんと離れ離れにさせられると思っていた。

 そんなことばかり気にするようになったからか、俺は人と接するのが段々苦手になった。キラキラ王子様のメッキが少しずつ剥がれ、卒園する頃にはちょっと内気な王子様に戻っていた。

 小学校に入学するとさらに内気さに拍車がかかり、自分から友達を作ることすらできない完全な人見知りになった。


(幼稚園が一緒だった奴らは驚いてたっけ)


 変わり果てた俺に話しかける奴は誰もいなかった。憧れていたみっちゃんも小学校で見かけることはなく、うらやんでいた状況とは違う意味で一人きりになってしまった。そうして俺は“顔はいいのに人見知りが激しい、ちょっと残念なユキヤ”と言われるようになった。


(俺の人生のピークは幼稚園のときだったんだな)


 √の文字を見ながら「なんだよ、この記号」と解く気なんてさらさらないまま窓の外を見る。

 高校生になったいま、人見知りがますます加速した俺はもはや陰キャレベルだ。それなのに王子様顔だけは健在で、何かあるたびにクラスメイトからいじられるのがつらい。


(陰キャなんだから放っておけっつーの)


「顔が好きだから」なんて理由で話しかけられるのがつらかった。「顔だけでいいから貸せよ」なんて陽キャたちに絡まれるのもつらい。放っておいてほしいのに、観賞用として愛でられるのもしんどいだけだ。


(マジで勘弁しろっつーの)


 窓から教室に視線を戻すと、みんな眠そうな顔をしながらプリントとにらめっこしている。中には諦めて寝ている奴もいるが、これだけ人数がいるんだから俺一人くらい空気のように扱ってくれればいいのにと言いたくなった。


(いや、それじゃいじめか)


 それに無視されるのはさすがに嫌かもしれない。そう思うと、いつも一人でクールだったみっちゃんがますます羨ましくなった。「俺にもあのくらい強いメンタルがあったらなぁ」なんて考えている間に小テストの時間が終わり、「授業時間前にテストなんてするなよな」なんて思いながら少しざわつく中で息を潜める。


「ほらー、席に着けー」


 相変わらず間延びした担任が教室に入ってきた。その後ろに見慣れない女子が続く。背筋をピンと伸ばして歩く生徒を見た途端に違った意味で教室がざわつき始めた。


「転校生を紹介するぞー」


 担任の言葉に一気にうるさくなった。時季外れというだけでなく、黒板前に立っている転校生がすこぶる美形なせいだ。俺も一瞬口をあんぐり開けてしまったくらいで、教室のあちこちから悲鳴や歓声が上がり始める。


(王子様って、ああいうのを言うに違いない)


 思わずそんなことを思った。俺も長年“王子様顔”と言われてきたが、転校生と比べたら全然大したことがない。

 そう思うくらい整った顔立ちをしていた。それだけじゃなく、すらっとした長身でスタイルもいい。ベリーショートのような黒髪は嫌味がなく、やや茶色がかった癖毛の俺とは違う純和風の王子様といった感じだ。


「え、やばい、超イケメンなんですけど!」

「でも女子だよ?」

「そんなん関係ないって!」

「うんうん、マジでイケメン」

「やばい、このクラスでよかった~」

「マジそれな」

「ちょっと、リップ貸してよ」

「あたしの髪、変じゃない?」


 賑やかなのは主に女子たちだが、男子もヒソヒソ話をしているのが聞こえる。そんな声を聞きながら、俺はひたすら呆然と転校生を見つめた。


(男装の麗人って、きっとこんな人のこと言うんだろうな)


 いや、本当は女子の制服を着た男子なんじゃないだろうか。そんな阿呆なことを思いながら転校生をじっと見る。見ているうちに、ふと何かが脳裏をよぎった。


(……あの顔、どこかで見たような……?)


 一瞬そう思ったが、すぐに否定した。これだけのイケメン、もとい美形を見たことがあるなら絶対に忘れない。だけど俺には会った記憶も見かけた記憶すらなかった。


(やっぱり気のせいか……。でも、たしかにこの顔どこかで見た気がするんだけどなぁ)


 いつもの癖で猫背になりながらも転校生を観察する。担任が黒板に書いた「中山ミチル」という文字が妙に引っかかった。


(ミチル……?)


 どこかで聞いたような……ミチル……ミチル……あ。


「みっちゃん?」


 思わず声に出してしまった。ちょうどざわめきが落ち着いたところだったからか、ぼそっとつぶやいただけなのに俺の声が教室全体に響き渡る。そのせいで美形の顔が俺に向いたのがわかった。

 どこからどう見ても陽キャに違いない美形の視線に、俺は慌てて俯いた。それじゃ心許なくて、わざとらしく立てた教科書で顔を隠す。そんな俺の耳に「ユキくん?」という懐かしい呼び名が聞こえて来た。


「え……?」


 いま、俺をそう呼ぶ人はいない。その呼び方を知っているのは同じ幼稚園に通っていた人だけで、このクラスには一人もいなかった。


(いま、ユキくんって言ったよな?)


 どういうことだと思いながらそっと顔を上げる。すると、とんでもない美形とバッチリ視線が合ってしまった。慌てて視線を逸らそうにも、美形はただ見るだけでも何かしらの力を発揮するのか目を動かすことすらできない。


「やっぱりユキくんだ」


 間違いない。俺を「ユキくん」と呼んだのは転校生だ。しかし幼稚園時代にあんな美人の女子はいなかった。訳がわからなくて目がきょろきょろとさまよってしまう。


「わたしだよ。幼稚園で同じクラスだった“みっちゃん”」

「え……?」


 まさか。さっきは自分でそう口にしたのに、改めて言われると信じられなくなる。


「通っていた幼稚園が近いとわかって、もしかしてと密かに期待していたんだ。あとでユキくんの家を探そうと考えていたんだけど、まさか同じクラスにいるなんて」

「ええ、と……」


 情報量が多すぎてうまく処理できない。おまけに眩しいほどの笑顔を向けられて目が回りそうだった。


「ずっとユキくんのことが忘れられなかった。幼稚園のときから好きだったのに、ユキくんがあまりに眩しくて結局一度も話しかけることができなかった。小学校に入る前に引っ越すことがわかって、どうして勇気を出して話しかけなかったんだろうとどれだけ後悔したことか」


 とんでもない美形が情熱的な眼差しで僕を見ながら熱く語っている。その状況は理解できたものの、何を話しているのかさっぱりわからない。困惑する俺をよそに、クラスのざわめきが段々大きくなっていく。


「ユキくん、再会できて嬉しいよ」


 破壊力抜群の笑顔を向けられて仰け反りそうになった。ついでにクラス中の視線が俺に向けられていることに気づいて、背中を脂汗がダラダラと伝い始める。


(俺に注目なんてするなよ!)


 幼稚園のときの王子様だったときと違い、いまの俺は注目されるのが何より苦手なただの陰キャだ。それなのにクラス中が興味津々という雰囲気で美形の転校生と俺を交互に見ている。


「あ、あの、え、ええと、そ、その……」


 どもる俺にニコッと微笑みかけた転校生が、綺麗な形をした唇をゆっくりと開くのが見えた。


「わたしの王子様」


 どこかで「キャーッ!」という黄色い悲鳴が上がった。蜂の巣を突いたような騒ぎっていうのはこういうことか、なんてぼんやりした頭で考える。あまりの騒ぎに、いつものんびりしている担任も「こらっ、静かにしろー!」と珍しく大声を出していた。


(わたしの……王子様って……?)


 状況が理解できずに固まっていると、美形の転校生が再び極上の笑顔を俺に向けた。




(まさか、陰キャになった俺に漫画みたいなことが起きるなんてな……)


 王子様のユキくんだったらあり得ることでも、王子様顔しか残っていない俺に世界がひっくり返るような出来事が起きるとは誰も思わないだろう。というより、現在進行形で起き続けていた。


「ほら、ユキくん。肉団子もおいしいよ?」

「……あの、」

「それとも唐揚げのほうが好みかな」

「ええと……」


 目の前でとんでもない美形が唐揚げを摘んだ箸を差し出している。いわゆる「あーん」というやつだ。それだけでも地面に埋まりたいくらい恥ずかしいのに、ここは昼休みの教室でクラス全員が固唾を呑んで俺たちを見守っていた。


(ど、どうすりゃいんだよ……)


 俺の昼飯が購買部のパンだと知ったみっちゃんは、翌日から俺の分まで持ってくるようになった。というか、一際立派な弁当箱に二人分を詰めてくるのだ。それを自分も食べながら、こうして俺には「あーん」をしてくる。


「これは塩唐揚げで、わたしの得意料理なんだ。きっとまずくはないはずだよ?」


 俺が渋っているのをそう勘違いしたみっちゃんが、形のいい眉毛をほんの少し下げる。その瞬間、クラス中の女子から「さっさと食べろ!」という無言の圧力を感じた。


「あ、あの……自分で食べれるから……」


 小声でそう答えると、今度は男子たちから「羨ましい状況を断るつもりか!」と嫉妬まみれの視線を向けられる。


(マジで勘弁してくれ……!)


 目立っているだけでもつらいのに、これじゃあ動物園のパンダみたいだ。「顔だけはパンダくらい人気あるけどさ!」なんて逆ギレしたくなるのも混乱しているからに違いない。


「恋人ならこのくらいすると思ったんだけど……もしかして日本じゃ違ったかな」


 寂しそうな言葉にクラス中が「泣かせたら穴に埋めるぞ」と殺気立つ。


「そ、そんなことは、な、ないと思うけど。た、たぶん」


 慌ててそう答えると、みっちゃんがパァッと明るい笑顔に変わった。それだけで女子たちは「きゃぁっ」と黄色い歓声を上げ、男子たちは「ふぉっ」と意味不明な声を漏らす。

 転校初日、みんなから質問責めにあったみっちゃんは帰国子女なのだと話していた。お父さんの仕事の関係で幼稚園を卒業した後から海外に住んでいたらしい。高校二年になった今年、おばあちゃんと一緒に住むためにお母さんが帰国するのに合わせてみっちゃんも帰ってきたのだそうだ。

 ちなみに言葉遣いがちょっと変わっているのは家で日本語を話すのがお父さんだけで、その話し方が移ったからだと照れくさそうに話していた。


(外国じゃイチャイチャするのは当たり前なんだろうけど、ここは日本だっつーの!)


 心の中で逆ギレしながら、目の前の唐揚げを見る。たしかにすごく美味しそうだ。お袋が作るものより形や色が綺麗に見えるのは気のせいだろうか。

 だからといって大勢の前で「あーん」は……絶対に無理だ。


「俺、人に見られるの、苦手だから」


 断りづらくて、つい陰キャなことを言ってしまった。直後、ハッとしたのは「こんなキモい俺なんて嫌われるかも」と思ったせいだ。


(嫌われるも何も、王子様じゃなくなった俺なんて……)


 みっちゃんみたいな美形に好かれる要素はどこにもない。そりゃあ顔だけはいいが、顔しかいいところがなかった。その顔だって、みっちゃんの隣に立てば霞んで見えるだろう。

 それなのに「嫌われるかも」なんてことを気にしてしまうのは、幼稚園のときの初恋を思い出してしまったからに違いない。毎日のようにみっちゃんを見ているうちに、当時の抑えていた気持ちが一気に弾け飛んだ気がした。


(それに、いまなら隠さなくてもいいわけだし……)


 あのときは“同じ男子を好きになった”という罪悪感みたいなものがあったが、いまなら堂々と好きでいられる。


(いや、たとえみっちゃんが男子だったとしても、やっぱり俺はみっちゃんを好きになると思う)


 そこまで思って顔がぶわっと熱くなった。「好き」という言葉が頭の中をグルグル回り始めて心臓がバクバクする。俺は「あ」とか「う」とか謎のうめき声を上げながら目を回しかけた。


「そうだね、こんなにかわいいユキくんをほかの人に見られるのは、わたしもちょっと嫌かな」


 みっちゃんが言い終わる前に悲鳴のような叫び声があちこちから上がった。中には「マジ萌える!」なんて叫び声も混じっている。その叫びに、なぜかみっちゃんが「ありがとう」とにこやかに答え、「でも、ユキくんを見つめるのは遠慮してもらえるかな?」と微笑んだ。


(……っ。マジで意味わかんねぇよ……!)


 心の中では思う存分文句も言えるのに、現実の俺はただただ俯くことしかできない。そんな俺の頭をみっちゃんの手が優しく撫で始める。


「ユキくんは、いつまでもわたしの王子様だよ」


 高校生とは思えない慈愛に満ちた愛の言葉に、俯いた俺の耳が一気に真っ赤になった。

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