第3話 未来視

 めがねをかけながら、アパートへ帰ってきた。

 自分の部屋の鍵を開けようとした、その時。


「おにいちゃん、こんばんはー」

「坂上さん、こんばんは」


 隣の部屋に住む石井いしいさん親子だ。


 元気に笑顔で挨拶してきたのは優綺ゆうきちゃん。三歳の女の子だ。優綺ちゃんの笑顔はオレの心のカンフル剤。部屋の壁越しに聞こえる優綺ちゃんの元気な声が、オレの病んだ心を癒やしてくれていた。


 お母さんは智子ともこさん。三十代前半くらいかな。こんなオレに挨拶してくれる優しい笑顔が素敵な女神様のようなひとだ。


 でも彼女は、顔に大きな傷跡が三つもあるDV家庭内暴力の被害者だ。以前話をしてくれたことがある。元々暴力癖があった元夫が酒に酔い、包丁を振り回したらしい。優綺ちゃんを守るために顔に深い傷を受け、その痕が残ってしまったのだ。右の頬、右目の上の額から鼻にかけて、左耳から頬にかけて、傷跡がはっきり残ってしまっている。元夫は逮捕され、実刑で収監。そして離婚。このアパートで優綺ちゃんと暮らしている。


「坂上さん、めがね……」

「あぁ、これ伊達めがねなんです。目つきを隠せるかなって」


 適当な理由をつけてごまかすオレ。


「あの……」

「はい?」

「……めがね……とってもお似合いですよ」


 頬を赤らめて微笑む智子さん。あの、勘違いしちゃうからやめてください……


「おにいちゃん、かっこいいー」

「優綺ちゃん、ありがとう!」


 頭を撫でてあげたら、優綺ちゃんも大喜び。

 智子さんもにこにこしている。


「それじゃあ、石井さん、優綺ちゃん、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

「おにいちゃん、おやすみー」


 三人で手を振って別れた。

 あのふたりとおしゃべりすると、本当に心が暖かくなる。

 オレは部屋に入り、何だかホッとした気持ちになった。


 ベッドに座り、かけていためがねを外す。材質はプラスチックかな? 正直、ちょっと安っぽい感じ。

 でも、めがねをよく見ると、フレームに小さくジャック・オー・ランタンの絵が彫られていた。ハロウィーンの時のあのカボチャだ。ワンポイントで可愛いな。そして、その絵の横に文字も彫られていた。


『FUTURE WORLD』


 フューチャーワールド……未来の世界? 製品名? メーカーの名前かな?

 オレはもう一度めがねをかけてみた。すると――


 ドクンッ


 えっ?


 ドクンッ


 激しい鼓動がオレの胸を内側から叩いた。


 ドクンッ ドクンッ


 目の前が歪んでいく。


 ドクンッ ドクンッ


 そして、視界は真っ白になっていった。


 ドクンッ ドクンッ


 そこに映し出されたのは、ふたつの映像。


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 血まみれの優綺ちゃんと、血に染まったオレの手。


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 オレが覆いかぶさり、顔を歪めて泣いている裸の智子さん。


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 まさか!


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 まさか、これがオレの未来なのか!?


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 ハッ!


 強烈な鼓動が急に収まる。

 気がつくと、オレはめがねをかけたままベッドに横たわっていた。


 あのふたつの映像は、いわゆる『未来視Vision』だろう。

 めがねは本物だったのだ。

 だとすれば、あれはオレを待つ未来!

 いや、オレが起こす未来だ!

 オレは優綺ちゃんを殺し、智子さんをレイプするのか!?

 そんな馬鹿な! あのふたりを傷付けることなんてするわけがない!


 しかし、オレの心が世の中への憎しみでまた膨れ上がっていく。


 ……あれがオレの未来だとしたら……やっぱり、オレは生まれながらの犯罪者なんだ。

 あまりの悔しさに歯を食いしばった。


 薄い壁の向こうから優綺ちゃんと智子さんの笑い声が聞こえる。

 オレの頬を涙が伝った。



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