じびき

こむぎこ

第1話 めがね

「だいたい、眼に鏡でめがねと読むのがやさしくないと思うんだよ、ねえ、壱岐」


 亜美は辞書片手に壱岐に話かける。放課後の教室は、もうほとんどふたりのものだった。

 

「どうしたんだ、藪から棒に」


 壱岐は野菜ジュースを吸うように飲みながら、興味もなさそうに返す。なにせ、亜美が辞書を読んでいるときには、突拍子もない与太話が飛び出てくるものだからだ。


「竟の気持を考えたことないのかな、と思って。鏡ってガネとはなかなか読まなくない? むしろ金の部分がガネ要素でしょう。だから、この言葉は竟のことをないがしろにしているんだよ」


「いや、そうか? 読まれない部分がある漢字はそう珍しくないだろう。」


「部首に音すら奪われてしまった竟のことを君もないがしろにする?」


「そういわれるとアレだが、別段竟に思い入れもないな」


「そう、なら竟がどれほどの思いでそこにいるのかを物語ってみせせよう」


 亜美の与太話はこうして唐突に始まる。


「竟にはね、想い人がいたんだ」


「そうか、だれだ?」


「さあね、あいにく名前は教えてもらったことがないね。大事な名前は胸に秘めておく方が幸せだ、なんて気取ったこともいってたかな。

 あとは、必要のない名前はすたれていくのに似てるんだと思うよ。あまりに近くにいたから、名前なんて必要なかったのかもね。

ほら、去年までは第一図書室と第二図書室って区分けがあったけれど、なくなったいまや単に図書室とだけ呼ぶでしょう?」


「人と図書室は違うだろう」


「まあ、そういわれるとそうかもね、でも本筋はそこじゃなくて。それでね、ある日、竟は魔王討伐の旅に出ることにしたんだと」


「……いったいどうして?」


「想い人が、伝説的な偉業を成し遂げたんだ。今までの数倍効くポーションの開発に成功したんだとか。だから、このままじゃあ想いを伝えたところで、つりあいやしないと思ったらしいんだ。男の意地なんだって、わかる?」


「なるほど? つりあい、男の意地ね」


「壱岐も気にするタイプ? つりあいとか、意地とか」


「いいや、好きは好きでいいだろう。意地を張って伝えられないほうがもったいない」


「……ふぅん。いや、脱線したね。それでね、別れの日には、想い人に、想いを伝えたんだよ、竟もね。

 私が魔王を倒せたと耳にはさんだら、その時は、一緒に暮らしましょう。お返事は要りません。もし、気が向けば、それまでどうか待ってくれませんか、と」


「そうか」


「想い人はその場でその想いにこたえようとしたし、旅立ちを止めようとしたんだけれど、竟も頑固でね。竟を止めきれないと悟って、開発したポーションを山ほど持たせて見送ったんだ。それから、竟は道中のモンスターを倒した行くうちに仲間に出会うんだ」


「もしや、相棒が眼って名前か」


「いい線いってる。ただ、三人組だよ。金もいたんだ。眼と金と竟の三人組」


「ああ、なるほど、方向性が見えてきたな」


「ありゃ、ばれちゃった? 彼らは順当に旅をして、遂にポーションと仲間の助けもあって、魔王すら打ち倒すことはできたんだ。ただね、彼らは名前を寄せ集めて「眼金竟」というパーティを作っていたのだけれど、噂とか、文字を経由したりして伝わっていくうちにそれが「眼鏡」になってしまったから、ついぞ竟という名前が故郷に響き渡ることはなかったんだって。

 それ以来、竟は眼鏡という名前にちょっとした嫌な感情を覚えているんだと。なにせ、もしかすると、想い人を待たせ続けてるかもしれないからね。

 どう、なかなか悪くない話でしょう」


 壱岐は、少し首を傾げた。


「眼金竟が眼鏡に変わってしまうのは納得したが、別に眼鏡をめがねとよぶ理由にはなってないだろう」


「人は略したがるからね、三番目に配置された竟のことを発音せずに済ませる人が多くなってしまったんじゃないかな」


「そうか、ならそこはいい。ただ、竟にも気づけていないことがあるな」


「なんだろう? 聞かせてよ、壱岐」


「……大事な名前は胸に秘めるほうが幸せ、なのだろう? なら、想い人にとっては、竟の名前が世界に広まらず、彼女の胸の内に秘められたのは、幸せなことだったんだろうさ」


「……なるほど、それもロマンかもね」

 

 亜美は納得したように微笑んだ。


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