【KAC20248】忘れもの

いとうみこと

また会う日まで

 あら、やだ、ぼた餅忘れちゃった。せっかくあなたが好きだったお店のをわざわざ買いに行ったのに、ごめんなさい。でも、こんなのあなたに比べたらどうってことないわ。あなたってば、超が付く忘れん坊だったものね。お財布や携帯は日常茶飯事、家の鍵、自転車の鍵、パジャマの上にスラックス穿いて仕事に行ったり、大事な会議あるのに鞄忘れていったり。マンションの階段を三往復したこともあったよね。会社まで届け物したのも一度や二度じゃないし。そのくせ出なきゃいけないってわかっててもコーヒーお代りしたりして、いっつも私にお尻叩かれてたじゃない。


 でも不思議と憎めなかったのよねえ。周りの人もみんな同じこと言ってたよ。なーんか許しちゃうんだって。落ち込んでいても心が立っていても、あなたといるといつの間にか日向ぼっこしてるみたいな気分になるって。あなたみんなに優しかったものね。


 そう言えば、もう不妊治療をやめるって決めた日、朝までずっと肩を抱いていてくれたよね。それから暫くは、どこへ行くのも何をするのも一緒だった。「たとえ子どもがいなくたって君に寂しい思いはさせないよ、僕は君から離れないし、君も僕の手を一生ね」って、私がもう十分ってギブアップするまでずっとそう言い続けてくれた。今となっちゃとんだ大嘘つきだけどね。


 それからすぐだったかなあ、散歩中に河原でに入った捨て猫見つけた時に「これは運命だ」って叫んで、動物不可のマンションだったからその日のうちに不動産屋に行ってペット可の物件を手当り次第して、次の日曜日には引っ越ししたよね。普段おっとりしたあなたのどこにそんな行動力があったのか今でも不思議だよ。あの時、うちの子になったペンネ、そのあと迎えたマカロニ、ラビオリ、ニョッキ……大変なこともあったけどそれ以上に楽しかったね。あの子たちの存在にどれだけ救われたかわからないよ。あの時のあなたに会ってお礼が言いたいくらい。


 ……あの日もバタバタしてたよねえ。早朝会議があるからって慌てて出掛けて「忘れたー!」って笑いながら戻ってきて「ありえなーい」って私も笑って「今度こそ行ってきまーす」って手を振って……それが最後だったね。警察から電話がかかってきて、自転車で転んだお年寄りを助けようとしてタクシーに轢かれたって、病院行ったら白い布かかってて、お年寄りの家族が何度も「すみません」って頭を下げてくれて……でも、正直顔も覚えてない。どこか映画を見てる気分だったよ。


 お葬式の間もね、ドラマと違って涙って出ないんだなーって他人事みたいに思ってた。最期にあなたの顔の周りに花を置いていたら、自分のめがねのレンズにポタポタ涙が落ちて、自分が泣いてるのはわかったけど、悲しいっていうより息ができなくて苦しかった。後から聞いたけど、うーうー唸ってたんだってね。そういうのを悲しいって言うんだよって言われたらそうなのかもしれないけど、何だか今でもその言葉はしっくりこないなあ。


 そうだ、ねえ、見て、昨日初めて白髪染めしたの。明るいブラウンはちょっと派手だったかな? このめがねもねえ、とうとう遠近両用に変えたの。もうそんな年になっちゃったんだねえ。でね、じゃじゃーん、あなたの分もめがね作ってきましたー。あのときあなたが使ってたフレームに私とおんなじ度のレンズ入れてみたよ。これなら私の顔がよく見えるんじゃない?


 それからね、もう知ってると思うけど、先週ニョッキが虹の橋を渡ったの。最期は歩けなかったから、今頃はまだとりどりの花畑ではしゃいでるだろうけど、もうすぐそっちへ行くと思うから久しぶりに存分撫でてあげてね。大丈夫、ラザニアがいるから、私はひとりじゃないよ。


 さあ、そろそろ行かなくちゃ。いつも通り訊くけど、いちばんの忘れものはいつ取りに来てくれるんですか? まあ最近は早く来てねって思わなくなったけどね。寂しかったらにゃんこになって転生してね。


 じゃあね、また来るね。

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