飛び降りの作法

亜夷舞モコ/えず

飛び降りの作法

 夕暮れ、立ち入り禁止の屋上。

 僕らは、ただ静かに、下がりゆく風の温度を感じていた。彼女は、黒髪に赤い縁のメガネが映える。


「わたし、死のうと思うの」

 彼女が、本から顔を上げて僕を見る。


 うん。そうか……。

「え? 止めないんだ」

 止めた方が良かった?

「いや、そういうわけじゃないけれど」

 どうするつもりなの?


 僕も本を閉じ、彼女の方を見る。

 目は真剣で、僕の方を見ている。けれど、その眼差しが僕ではなく、その後ろにある夕闇よりも深い闇を見ていることに気づいている。


「飛び降りようかな、ここから」

 今?

「それでも、いいな……。君に見ててもらえるなら、もっといい」

 見ててあげても良いけど。

「本当に?」

 君となら、どこまででも。


 彼女は立ち上がり、僕の手を取る。

 僕も立ち上がる。

 彼女は、屋上の低くて意味のない手すりを乗り越え、そちら側に立つ。

 僕も同じようにする。


「見てるんじゃないの?」

 見てるよ、最後まで。

「そう」


 彼女は靴を脱いで、綺麗に揃える。

 僕も同じようにする。


「君も飛ぶ気?」

 君が求めるなら、それでも。

「そう……じゃあ、許す」

 ありがとう。


 彼女は少しだけ笑う。寂し気に。

 僕は靴下も脱いで、揃える。


「ん? 靴下は履いてていいんじゃない?」

 履いてていいの?

「裸足だと、変じゃない?」

 そうかな

「そうだよ」

 じゃあ。


 そう言って、靴下を履く。

 彼女の方は、眼鏡を靴の上に置く。


 メガネは、取るんだ?

「メガネは、取るでしょ」

 どうして?

「いや、割れて顔に刺さったら、危ないんじゃない?」

 刺さるどころじゃなく、ぐちゃぐちゃになりかねないと思うんだよね。

「そうか……」

 そうだよ。


 彼女は、またメガネをつけて、遠くを見る。

 ずっと遠くを。


「死ぬのって、痛いのかな」

 たぶん。ぶつかっても、すぐ死ねるわけじゃないんだと思うから。


 彼女の深い息が聞こえる。

 他には、何も聞こえない静寂。


「本当に一緒に来てくれた?」

 君となら、ずっと。

「本当に?」

 どこまで一緒に行けるか分からないけどね。

「自殺を選んで、道連れにしたから?」

 止めなかった方も悪いんじゃない。

「でも、それなら先に言った方が悪くない?」

 うーん。そもそも地獄があるのか、じゃない?

「天国って言わないのが、君らしいね」

 

 彼女は笑って、校舎のへりに腰を掛ける。


「はあー、もういいや」

 うん。そうだね。


 僕も座る。


「君となら、思ったよりも退屈しないんだなって思い知ったよ」


 そう言って、また笑った。

 僕らは沈む夕日をただただ見守った。

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飛び降りの作法 亜夷舞モコ/えず @ezu_yoryo

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