【KAC20248】見分ける眼鏡と金属バット

赤夜燈

眼鏡は、大切だ。

 金曜日の会社帰り、眼鏡をかけて駅の雑踏を歩く。


 わたしは目が悪い。


 眼鏡を外せば目がのび太くんのように数字の『3』になるし、ほぼ輪郭のない世界を歩くことになる。なにもかもがぼやけて全てが曖昧な世界、と言ったら目が良い人でもわかるだろうか。


『今日バッティングセンターのあと行くから。鍋パな、鍋パ。道具はウチ持ってく』


 友人のサオリから来た連絡にわかった、と返す。彼女は野球好きで、よくマイバットを持ってバッティングセンターに行っている。わたしは目が悪くて距離感が掴めず、ちっとも当てられないので誘われても遠慮している。


 わたしは目が悪い。それでも、時々眼鏡を外さなければならない時がある。


 例えば。


『ふしゅるるるるる〜……ふしゅるるるるる〜……』


 駅の雑踏で、およそ人間のものと思えない声がする。


 その声の主。目の前の、異様に頭の大きい人影の前で眼鏡をずらす。


 曖昧になった周りの風景とは違い、人影の輪郭はぼやけない。


「……なるほど」


 わたしは息を止めて、周囲の人間の顔を覗き込むそいつに気づかれないように通り抜ける。


 眼鏡を外しても輪郭がぼやけないもの。


 それは、この世のモノではない――いわゆる『妖怪』とか『幽霊』というらしかった。フルスロットルで無視をして、わたしは電車に乗った。



 がたんごとん。がたんごとん。


 今日も疲れたし、都合良くパシリに使われたし、部長の視線が粘っこかったなあ。なんらかの罪に問えないかなあいつら。


 電車に揺られて最寄り駅から歩いて五分ほど、ひとり暮らしのアパートに帰宅する。


 その間にもなんだかよくわからないモノがいたりするが、視線を合わせなければ気にならない。


 鍵を開ける。あれ、鍵開けっ放しで出かけたっけ。ドアを開けて、部屋に入る。


 裸のオッサンがいた。


「ふひゅ〜……ふしゅるるるるる〜……、あ、お帰り」


 裸に眼鏡のオッサンが、わたしのベッドに寝ころんで枕を吸っていた。


 目を二、三度瞬きする。


 眼鏡を外す。


 輪郭はぼやけない。


 つまり。



「どっちにしても変態だぁぁぁぁぁぁ!?」



 わたしは、部屋から出て全速力で駆け出した。


 走る。走る。走る。


「なん、っで……この道、駅に、つかないのっ!?」


 そう。駅まで五分ほどの道。わたしはそこを、十分以上走っている。


 駅には交番がある。交番につけば、助けを求められる。


 慌てていて、通勤用のパンプスを履いてきてしまった自分に内心で舌打ちする。


 鞄を捨てたら拾われるかもしれない。靴もそうだ。走るにはヒールのあるパンプスはあまりにも適さない。わたしは会社の服装規定であるオフィスカジュアルを呪った。なんなんだよオフィスカジュアルって。ジャージで仕事させろや。


「ふしゅるるるるる〜……ふしゅるるるるる〜……今度はパンツが食べたいなぁ〜……」


 後ろを見なくてもわかる。追ってきている。


 しかも相手はいつでもこちらに追いつける。ただ、わたしを追い詰めるための速度だ。


「ふしゅるるるるる〜……枕、美味しかったよ……ヘアケア、ミルボンなんだね……いいよねミルボン……」


 うるせえなハゲ!! お前にミルボンのなにがわかるんだよ!!


 ピロン。とスマホの通話アプリが鳴る。サオリだった。


『あんたどこ行ってんの? 鍵開けっ放しだけど鍋パは?』


「助けてサオリ!!」


『どうした急に』


「駅までの道!! 全裸のオッサンに追われてる!! 位置情報送るから助けてッ!」


 わたしはスマホを操作して、サオリと位置情報を共有した。


『そいつは――』


 どるん、とバイクのエンジン音が聞こえた。


「やべえな!! 乗れミズキッ!!」


「サオリ!!」


 わたしは迷わず、後部座席に飛び乗った。


 ヘルメットを被る。全裸のおっさんはまだついてくる。


「もっと飛ばせない!?」


「全速力だ! なんだあのオッサン、バケモンか!?」


 わたしは、眼鏡を外す。やはりあのオッサンはぼやけない。


「サオリ、今日どこ行った!?」


「あぁ!? バッティングセンター……っておい、まさか」


「わたしがいいって言ったらブレーキ!!」


「了解!」


 わたしはサオリの荷物からそれを抜き出す。


 おっさんがバイクに迫る。


「今ッ!!!」


 わたしは、サオリのマイ金属バットを振りかぶり。


「おぉぉ、りゃぁぁぁ――!!」


 バイクのブレーキの勢いを乗せて、オッサンの頭を、思いっきりぶん殴った。


 オッサンのかけていた眼鏡は、粉々に割れた。




「……で、なんで生きてるんですか? 部長」


「はい……その……霊力で頭を咄嗟に強化しました……」


 全裸のおっさんは、勤めている会社の部長だった。


 わたしたちは近所の公園にいる。


 なんでも霊感というか霊力が桁違いに強く、オバケに擬態して毎日のように部屋に侵入していたという。


「ミヅキ、警察呼ぶ?」サオリがスマホを操作しながら言う。


「け、警察だけはご勘弁を!! 家には妻と就職の内定が決まった息子と受験の推薦の決まった娘が!!」


「お前よくその状況で犯罪やれるな!? 理性ないんか!?」


 今日で一番でかい声が出た。いやしかし、息子さんと娘さんに罪はない。どうしたものか。


「僕と、同じくらい霊力が強いひとなんて、会ったのが初めてで……仲良くなりたくてついこんなことを」


 仲良くなりたくてついってレベルじゃない。


 一つ、引っかかった。


「わたし、霊力?強いの?」


「それはもう。僕の霊体を吹っ飛ばせるくらいですから、祓う方面の適性はすごく――」


「部長」


 わたしはにっこりと笑う。いいことを思いついた。


「わたしにその霊力のコントロール、教えてくれる?」


『……へ?』


 サオリと部長が、きょとんとした声を上げた。


「あ、引っ越し代と家具家電代、服代も出せよ?」


「あ、はいそれはもう、勿論」



 一年後。


「ここが今日の現場か……自殺団地? ずいぶんとまあ。大丈夫なの、ミヅキ?」


「まあ大丈夫でしょ。アンタがいるし」


 わたしはジャージにスニーカー姿で、金属バットを手に取る。


「そんじゃ、やりますか! 祓い屋ミヅキ、今日もかっ飛ばすわよ!」



 わたしたちは、祓い屋として現場に向かう。


 お札を貼った金属バット片手に、眼鏡をかけて。

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【KAC20248】見分ける眼鏡と金属バット 赤夜燈 @HomuraKokoro

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