『めがね』に関するオチを3分くらい考えてみたが、8回目でようやく報われた

『めがね』に関するオチを3分くらい考えてみたが、8回目でようやく報われた

 私、♪(作者名です)には3分以内にやらなければならないことがあった。

 それは、『めがね』に関するオチを3分以内に考えるというものだ。


 なぜそんな馬鹿げたことをしているのかといえば、KAC2024の第8回のお題が『めがね』だったためだ。

 ようやく今回で最終回ということで、なんとか完走できたことに感動している。

 短編に強い苦手意識を持っていた私だが、KAC2024を通じて多少の自信が身についたように感じている。


 なんとか完走できたのは、『3分以内』と『バッファロー』の話をテンプレとして利用するという手抜きを覚えたことが大きいと感じているのだが、振り返ってみると絶妙にバラけた方向性のテーマが考えられていることが分かる。

 ・第1回『バッファロー』 … なんだかイマイチよくわからない動物

 ・第2回『住宅の内見』 … 行為

 ・第3回『箱』 … 概念

 ・第4回『ささくれ』 … 物理現象または精神状態

 ・第5回『はなさないで』 … 感情

 ・第6回『トリあえず』 … 副詞

 ・第7回『色』 … 概念

 ・第8回『めがね』 … 物体


 最後にとんでもないテーマを持ってくるのかと思いきや、まさかの『めがね』だったため、とんだ肩透かしを食らった印象だ。

 『モホロビチッチ不連続面』とかそんな感じのテーマが来るのでは?と戦々恐々としていた自分が恥ずかしい。


 しかし、『めがね』とは……。

 『めがね』は日本では7500万人が使用しているらしく、大人は大体お世話になっていると思われる。

 当然、『めがね』に関するエピソードも満載だろうから、エッセイであればネタに困ることはないだろう。

 普通の小説を書くなら、『めがねっ娘』の一人も出せばそれで完成だ。


 こんな簡単なテーマであれば、さすがにこんな私でも簡単に書けるのでは?と皆さんは思うでしょうが、最終回らしくやっぱり困難であった。

 というのも、私の視力が尋常でないほど良いためだ。

 本当に運営ときたら……私の弱点をリサーチしているのではと思えるほどに、上手くピントをずらしてきた。


 さて、ここで皆様が気になっている『3分以内に考える』にも触れてみますが、最終回である今回も意味がありません。

 『めがね』の話だけしてみたところで面白くもなんともないので、勝手に制約を付け加えてみただけです。

 『3分以内』と『バッファロー』の話をテンプレとして利用することで合理的に文章を生産しようという企てだったりもします。

 コスパとかタイパとか、なんかそんな感じのアレだよ。たぶん。



 『めがね』について、あまり縁がないので……とりあえず視力について語ろうと思う。

 私の視力が凄いと気づいたのは幼稚園くらいの頃だ。

 その年頃であれば『めがね』をかけている人はほとんどおらず、皆視力が良いはずなのに私だけ見えているものが違うことに気づいたのだ。


 たとえば、友達とカマキリを捕まえに行ったとき、草むらに入ったらすぐにどこにいるのかが分かるのだ。

 カマキリは保護色なので見つけにくいはずなのだが、私には何か違和感があるように見えるため、一瞬で判別が可能だった。

 そのため、カマキリを捕まえたい子たちにとって、私は是が否にも確保したい貴重な人材だったのだ。


 視力検査でも無双状態だった。

 一番下までクッキリ見えていたからだ。

 視力は『2.0』と記載されていたが、『2.0』までしか測れないから『2.0』なのだ。



 視力の無駄遣いは母からの遺伝によるものだ。

 母も視力が馬鹿みたいに良く、『アフリカ人相手にも勝てるはずだ』と豪語するほどだった。


 そんな母はネタが尽きないほどのクセつよ人間だったので、少し紹介したいと思う。

 母は写真記憶という激レア能力の持ち主の上、ワイルド・スピード森川みたいに何でもできる魔法使いのような人だった。

 箱状になっていて中の構造がよく分からない装置も、外からちょっと動かしたりするだけで構造を理解できるような謎の理解力もあった。

 大人になれば母のように様々なことができるようになるのだと思っていたのだが、その日が来ることは結局なかった。


 一方で『ささくれができるのは親不孝』説を頑なに信じる残念なところもある人だったのだが、それでも非常にモテる人だった。

 その理由は美人で見た目の歳を取らないから。

 ちょっとくらい性格が残念でも『美人なら何でも許される理不尽な世界がある』ことを、私は母から学んだのだ。


 私も美しい顔が欲しかったのだが、残念ながら見た目の歳を取らないところだけを受け継いでいる。

 『バッファローマン』について熱く語れることから分かるように、私はそれなりの年齢ではあるのだが、外見の若さで色々損をすることも多い。

 家を購入するために内見をしたときには、こんな若いやつがこんな家(普通です)を買うのか?と怪しまれたり、自分より明らかに若い人から年下だと思われてタメ口をきかれたりと、散々な目に遭ってばかりだ。

 先日、入院している妹のお見舞いに行った際には、看護師さんに妹の息子だと勘違いされる始末だ。



 『めがね』の話をするつもりが、母の謎話ばかりになってしまった。

 母は既に他界しているのだが、天国から見ているだろうか。

 もし見ていたら、『そんなことまで話さないで』と怒っているだろうから、この辺にしておこうと思う。



 ここまでで既に30分は経過していることに気付いた。

 そう、私にはやっぱり今回も『めがね』のオチを思いつくことなんて出来はしないのだ。


 ……と思うじゃん。


 実は今回の話は今までのテーマを全部使用しております。

 全て実話なので、さすがに厳しかったのですが、なんとかなりました。


 『だが、人生は挑戦なのだ。結果が伴わなくても、時として挑戦しなければならないこともある。』


 と、シリーズを通して毎回書いてきた私だが、あえて言おう。

 終わりよければ全て良し!だよと。

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