第16話 若紫4 小さな姫君(上)

 「藤が紫なら、幼女は若紫。」

 「紫は皇族の証。衣の色も紫。」

 「そこでタイトル回収?」





 十月に朱雀院の紅葉狩りが行なわれることになりました。


 舞の担当は大臣クラスの子供、納言クラス、それ以下の殿上人の子供など、その方面に向いている人がみんな選ばれていて、皇子たちや大臣をはじめとするそれぞれ一芸持った人たちも練習に借り出されて、休む間もありません。


 源氏の君も、あの山里の人たちにしばらく連絡を取ってなかったのを思い出して、お使いを出して手紙を届けさせれば、僧都からの返信のみがありました。



 《先月の二十日のごろ死去しまして、生者必滅は世のことわりとはいえ、大変悲しく思っております。》



などと書いてあるのを見て、人生の儚さも悲しく、気になるあの人もどうなってしまうのか、幼心にも恋しがるだろうなと、自分もまた御息所母ヨシコに先立たれたことをぼんやりと思い出して、深い弔意を伝えました。


 少納言の乳母からも正式のお礼状が届きました。


 三十日の服忌が終り、京の家に例の女の子が戻ってきたと聞いて、少ししてから自から静かな夜に出かけて行きました。


 ものすごく荒れ果てたところで人もあまりいなくて、小さな子にはさぞかし怖い所だろうなと思いました。


 前回同様、南のひさしに通され、少納言から尼君の最期の様子など涙ながらに話すのを聞いていると、源氏の君の袖もついついそのままではすまなくなります。


 「兵部卿の宮様に引き渡すにも、亡き姫君が宮様の奥さんままははのことを冷酷で嫌なやつだと思っていたとお聞きしました。

 まったくの子供というほどの年齢でもないにしても、だからといって人の意向をてきぱきと汲み取れるほどでもなく、中途半端な年頃なので、あんなたくさん子供がいる中で、継子として差別を受けながら暮すということになると、亡き尼君がいつも心配してたのももっともだと思うこと多々あります。

 あなた様のこんなありがたいお言葉も、後々どう気が変ってゆくかもわからないながら、大変嬉しく思わなくてはいけない状況なんです。

 ですが、今はとてもそれにふさわしい状態ではなく、歳のわりには子供っぽくて傍目にも痛々しいのです。」

と少納言の乳母は言います。


 「何かこう、何度も繰返し言ってきた私の気持ちの程を警戒しているようだね。

 その取るに足らない様子が可愛く心を惹きつけられるのも前世の縁であろうと、自分にはそう思えてならないんだ。

 だから直接話させてほしい。


 わかの浦生えてる海松ミルはかたくても

     立っちゃった波は帰れやしない


 馬鹿にしているな。」

と言えば、

 「それはごもっともで、恐縮です。


 寄る波の意図も知らずにわかの浦の

     玉藻なびかすなんて不安よ


 無茶です。」

と、すっかり慣れっこになった様子で歌を返すのを見て、怒る気にもなりません。


 「何年も密かに通おうと急ぐのになぜ越えられない逢坂の関」と、ふいにそんな昔の歌を口ずさむと、若い女房達はしみじみとした気分になりました。


 その姫君は尼君に会いたがって泣き伏してたところ、いつもの遊び相手の童たちが、

 「直衣のうし着た人がいるけど、兵部卿の宮が来たんじゃないの?」

と言うと、起き上がって、

 「少納言ーーー。

 直衣のうし着た人ってだーれ?

 兵部卿の宮がいるのーー?」

と、近づいてくる声が可愛らしい。


 「兵部卿の宮ではないけど、そんな違う人間ではない。

 こっちへ。」

と言ってはみるものの、あの凄い人だとさすがに理解したようで、まずいこと言ったと思って少納言の乳母の方に近づき、

 「ねえ、あっちいこうよ、眠くってぇ。」

と言えば、

 「今さら逃げ隠れすることもないだろっ。

 この膝の上で眠りなよ。

 もちょっとこっちへ来なよ。」

と言えば、少納言の乳母は、

 「これこの通り。

 まだ色気なんて全然ないでしょ。」

と言って源氏の君のほうに姫君を押しやれば、何を思うでもなく傍に座るので、上に羽織った絹に手を入れて探ってみると、柔らかな御衣おんぞに髪がばさっと掛かって、毛先の方までがふさふさしているのが手に感じられ、何と美しいと思いました。


 手を掴むと、ますますいつもと違う人がこんなに近くにいるのが恐くなって、

 「寝ようと言ってるのに。」

と言って、こっそり奥の母屋に入っていこうとすると、座ったまま膝ですべるようにして一緒に中に入り、

 「今やあなたの恋人は私なのです。

 どうか避けないで下さい。」

と言います。


 少納言の乳母は、

 「あらやだ。

 あぶないことをして。

 そんなふうに直接話してみても、何のことだかさっぱりわかってないじゃないの。」

と、すっかり困り果てていると、


 「いくらなんでも、こんな歳の子をどうこうしようというのではない。

 それでも、ただこの世の中の並々ではない愛の深さを見届けてくれ。」

と言います。


 霰が降りしきり、寒々とした夜のことです。

 「こんな少ない人数では心細くて、どうやって夜を明かせというんだ。」

と急に涙ぐみ、そのまま放って帰ることもできなくなり、


 「格子を降ろせ。

 何か恐ろしいものが出そうな夜なので、夜の相手役を務めよう。

 みんな、近くに来るといい。」

と言って、いかにもこの家の人間みたいに御帳の中に姫君を抱えて入ってゆけば、誰も彼も思いもよらぬ怪しげなこの行動に呆気に取られてました。


 少納言の乳母は、気が気でなくてどうしようもないのですが、声を荒げて騒ぐのもまずいので、溜息をつくばかりです。


 小さな姫君は極度の恐怖に「どうなっちゃうの」と不安で震え上がって、きめ細かい肌に鳥肌が立つのも可愛らしいと思って、一重の絹でぎゅっとくるんで、一方ではこれもやむを得ぬ事と思いながらも、優しく話しかけ、

 「さあ行こう。

 面白い絵がたくさんあって、お雛様を飾って遊べるところに。」

と姫君の気を引くようなことをやけに馴れ馴れしく口にするあたりは、幼心とはいえそんなひどく恐がることでもないものの、うざったくて眠りにつくこともできず、落ち着かないままに横になりました。


 その夜は一晩中風が吹き荒れていて、

 「本当にこんなふうにいてくれなかったら、どんなに心細かったでしょうね。」

 「まったくですわ、もうすこしいい歳だったらよかったのに。」

と女房達は囁き会っています。


 少納言の乳母の方は気が気でなくて、すぐそばにくっついてます。


 風が少し吹き止んたので、まだ夜が明けてない時分に帰って行くのですが、いかにも何かあったあとのような顔をしてます。


 「こんな可哀想な姿を見てしまったのでは、これから先、年がら年中ぼーっとしていそうだ。

 一日中見守っていられる所に連れて行こうと思う。

 こんな所ではちょっとね。

 いっしょにいても、そんなに恐がってもいなかったし。」

と言えば、

 「兵部卿の宮が迎えに来ると言ってましたけど、四十九日が過ぎてからと思ってまして。」

という返事が返ってきたので、

 「実の父だから頼りになるとはいっても、ずっと離れ離れで暮していたんだから、親しくないのは一緒だと思う。

 今初めて見たとはいえ、深く愛する気持ちは負けたりはしない。」

と言うと、姫君の髪をわさわさ撫でると、後ろ髪引かれるように帰って行きました。


 霧があやしげに立ちこめる空も尋常ではなく、地面もまた霜がびっしりと降りて、本当の逢瀬のきぬぎぬなら風情もあるところですが、一人寂しく去って行きました。


 按察使あぜちの大納言の家が、六条の例のこっそり通ってた所へ行く通り道だったのを思い出して、お付きの者に門を叩かせてみたけど、反応はありません。


 しょうがなく、お供の中の声の大きな人に自分の詠んだ歌を歌わせました。


 「明け方の霧が立ちこめ迷っても

     素通りできない君の住む家」


と二回ほど歌ったところ、上品ぶった下っ端の女房をよこして、


 「立ち止まり霧の垣根は気にしても

     閉じた草の戸触れもしないで」


と言うだけ言って中に入ってしまいました。


 他に人が出てくることもなく、このまま帰るのも忍びないけど、無情にも空は明るくなってゆくばかりで、二条院へ帰りました。


 可愛かったあの人にもう一度会いたいななどと思いながら、一人ニヤニヤして寝床に入りました。


 日も高くなり寝殿で目を覚まし、手紙を書くのですが、書くべき言葉も子供相手ではいつもと違い、筆を置いては手でもてあそんでました。


 結局、面白そうな絵などを書いて送りました。


 そのおなじ日に、あちらには兵部卿の宮がやってきました。


 年月を経てまた一段と荒れすさび、広く古ぼけた所にほとんど人の気配もなく寂しいので、辺りを見回して、

 「こんな所では小さな子供が短い間であれどうやって暮せというんだ。

 ならば、私の所に来させるといい。

 何も遠慮することはない。

 乳母殿は住み込みで働いてそばにいればいい。

 若い兄弟達もいるので、姫君も一緒に遊んだりして、みんなで仲良く暮らせるのではないかな。」

などと言います。


 姫君を近くに呼び寄せると、源氏の衣の移り香がやばいくらい艶やかに染み付いていたので、

 「これは面白い香りだ。

 御衣おんぞはすっかりくたびれているがな。」

と心苦しげに思いました。


 「これまでも病気がちな盛りを過ぎた人と一緒に暮してるというので、時々あちらを訪れては私の妻にも馴染ませておこうと言ってはいたんだが、妙に近づけまいとしてたんで、あいつも気にしてたようなんだが、こういうことになって初めて家に連れてくることになるというのも心苦しいことではある。」

と言うので、

 「今はまだ不安はあるけど、しばらくはこのままここに置いておきます。

 少し物事に分別のつくようになってから、そちらの家に行かせた方が良いと思います。」

と答えます。


 「夜となく昼となく亡きお婆さまのことを慕って、ほんのちょっとしたものすらお召し上がりになりません。」

と言うように、実際にひどく顔がやつれてはいるものの、それもかえって上品で美しく見えます。


 「何でいつまでもくよくよしてるんだ。

 もうこの世にはいない人のことを考えてもしょうがない。

 俺がいるじゃないか。」

 などと話しかけたりして、夕暮れには帰るというので、姫君も心細くなって泣き出せば、兵部卿の宮も涙が溢れてきて、


 「そんなに深く思いつめるでない。

 今日明日にも迎えに来る。」

などと繰返し繰返し姫君をなだめながら帰ってゆきました。


 去っていった後も慰めようもないくらい泣いていました。


 自分がこれからどうなるのかなんて知るすべもなく、ただこれまでずっと遠く離れることもなく、いつも一緒にいたのに、今は亡き人となったと思うのが耐え難く、幼心にも胸がぎゅっと塞がる思いで、いつものように遊ぶこともなく、昼は何とか気を紛らわすことができても日が暮れてくるとひどく塞ぎこんで、このままではこれからどうやって生きて行けばいいのかと慰める言葉も失い、少納言の乳母もただ泣くのみです。


 源氏の君のもとから惟光が差し向けられてきました。


 「本当は自分で来るべきところを、御門より招集がかかってまして。

 姫君の様子を心苦しく拝見させていただいて、居ても立ってもいられなくて。」

と言って、代わりに泊り込みで面倒を見る人を差し向けたのでした。


 「余計なことをしてくれる。

 冗談でも、三日間は本人が通うのが礼儀だというのに、代わりをよこすなんて。

 兵部卿の宮が聞きつけでもしたら、お仕えしている私達の落ち度にされて責められちゃうじゃない。

 いいこと、絶対に何かのはずみで、つい口を滑らすなんてことしないでよ。」

などと姫君に言い聞かせても、何のことだかわからないのも困ったものです。


 少納言の乳母は惟光に悲しい身の上などを語りながら、

 「時間も経てば、そういう前世の宿縁というのも逃れられないものなのかもしれません。

 ただ、今はあまりにも不釣合いなお話としか思えないので、思ってることも言っていることも怪しげだし、一体何を考えているのか理解のしようもなく、本当に困ります。

 今日も兵部卿の宮が来て、

 『もっと気を楽にして育てたらどうだ。

 子ども扱いせずに。』

と言ってたことも、どうにもこうにも煩わしくて、ただでさえ昨日の夜のようなことを思い出すと。」

などと言って、何かあったのではないかと惟光に勘ぐられても困るので、そんな悩んでるふうにも言えません。


 惟光大夫も「一体何の話なんだ」とさっぱりわからないふうでした。


 二条院へ戻り、源氏の君にあったことを報告すると、少納言の乳母の立場も気の毒だなとは思うものの、三日続けて通って婚姻の形を取るのもさすがに何だかなという感じで、いかにも軽薄だの変態だの人に噂されたのでは恥だし、ただ単に二条院に引き取るだけにしたいと思いました。




 「さすがに子供は扱いかねてるようね。」

 「ませてないガキ。」

 「『ざーこざーこ』とでも言ってほしいのかな。」

 「俺言われたい。」

 「むくつけきもっ。」

 「ゆゆしあぶない。」

 「源氏の君なら許されてるのに。」

 「あんたが真似しないでよ。」

 「それにしても、あの歳でもう結婚なの?」

 「結局三日は通わなかったけど、草萌ゆる。」

 「紫の草萌ゆるのも哀れなり。」

 「袖ひづばかり武蔵野の原。」

 「何かそれっぽくなった。」

 「武蔵野は袖ひづはかりわけしかと若紫はたづねわびにき、後撰集ね。」

 「藤式部も藤の花の紫のゆかりがありますが、直に王家の紫で染めてあげないといけませんわ。『濃き色に染めむとや』ですわ。」

 「誰?またあのお方?」

 「濃き色に染めむとやわか紫のねをたつぬらん、これも後撰集。」

 「ふふふ、式部は私のもの。」

 


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