第19話 水族館と芋焼酎

 ジャンクションを抜けると、車が減って随分走りやすくなった。見晴らしの良い道路の先には入道雲が見える。車内にはラジオが流れていた。

「サービスエリア寄りたいな」

「次のとこに寄ろう。ちょうど昼飯時だし」

「やったーありがとう。高速久しぶりで楽しい」

 斉賀が運転する車は、九州を縦断する自動車道を通って鹿児島県を目指していた。助手席には持留が座っており、外の景色を眺めている。

「永一郎はよく高速使う? 」

「いや、そんなに使わんなあ。実家に帰るのに高速乗ったら早いんだけど、そこまで時間稼げるわけでもないから。けちって下道で行くし」

「そうなんだ」

 一泊二日の鹿児島旅行。一ヶ月以上前から計画していたことが、ようやく現実になり、現地に着く前に既に充足感があった。

 走行車線をのんびりと走る。大学の前期授業以来、久しぶりに会うから話の種は尽きなかった。

「裕はお盆に実家帰ったのか」

「ううん。帰ってない」

「鹿児島せっかく行くんだし、実家寄っていいんだぞ」

「えー、いや親も忙しそうだし。それに僕の実家、田舎の方でかなり離れてるんだ」

「大隅半島……にあるんだよな。地図見てきた」

 今回メインで観光するのは県の中心地である鹿児島市。持留の実家はそこから錦江湾という海を挟んで反対側にあった。確かに近いとは言えないが、車があれば問題なく行ける距離ではある。

「うん、そう。遠いの分かったでしょ? だからいい」

「親御さん、寂しがってないか」

 少し返事に間が開いて持留が息を零す。ため息というよりは、気合いを入れているような息の吐き方だ。続く言葉を待つ。

「やっぱ言っとこう。あのさ、重い感じに受け取らないでほしいんだけど」

 明るい口調で言われて、斉賀は身構えてしまう。が、表面に出ないように押し込めた。持留がこういう前振りをするのは初めてだったのだ。無意識にハンドルを握る手に力がこもる。

「おう」

「そんな構えないでよ。ごめんね、急に」

 隠そうとしたのに、緊張しているのがバレバレだったようだ。困った顔で笑うのを横目で見る。

「僕の両親、仲悪くってさ。最近離婚したんだ。だからちょっと会いたくないみたいな」

「まじか」

「まじまじ、僕的にはやっとかーって感じなんだけど」

 斉賀は絶句してしまう。考えが追いつかないまま、前の車が遅いので追い越した。持留がこちらの反応を窺っている。

「なんか、事情も知らずにごめん。お節介だった」

「えーなんで。気にかけてもらえるのは嬉しいよ。ただ、永一郎には言っとこうと思っただけなんだ」

「ああ、教えてくれてありがとう」

 両親の離婚を、やっと、と表現する持留の気持ちを想像しようと、自分が同じ立場ならばと考えるが、駄目だった。皆目見当がつかなかった。

 ただ、持留が故郷に愛着を持っていることは、日頃、嬉しそうに地元の話をする様子から明らかだった。斉賀も自分の住む県が好きだ。故郷に帰り辛くなってしまうのなら、そんなに残念なことはないだろう。

 無神経で、余計なお世話かもしれない。迷いながらも、斉賀は躊躇いつつ口を開いた。

「……なんか、またこれもお節介なのかもしれないけど。両親に会わなくても実家見に行きたいとか、そういうのでも車飛ばすし。なんでも言ってくれ」

「ありがとう」

 会話が止んで、持留はまっすぐ前を見て物思いに耽っているようだった。しんとした車内で、やはり余計なことを言ってしまったのでは、と後の祭りであれこれ悩んだ。しばらく車を走らせるとサービスエリアの標識が見えた。減速しながらそちらの道に入る。

「着いた。駐車場わりと埋まってるな」

 心ここにあらず、という風に彼が相槌を打つので心配になる。できるだけ建物の入口に近いところを選んで駐車して、車から降りる。日差しと、熱されたアスファルトの暑さに顔をしかめた。持留は黒色のキャップを被っていた。

「暑い」

「永一郎も帽子被ったら」

「俺、裕みたいに髪の毛さらさらじゃないから、癖ついて変な髪型になって被れない」

「そうなの? 気にしなくていいのに」

 建物に向かって駐車場を渡る。お手洗いに寄って並んで用を足した後、フードコートや土産屋が集まる店に入る。クーラーが効いている店内は人が多いが、もっと混んでいる時期に来たこともあるから空いているように見えた。

 食事処がいくつも入っていた。何を食べるか相談して、フードコートで一緒にうどんを食べた。

「美味しい。なんかサービスエリアで十分楽しめるね」

「分かる。高速で食べる麺類ってなんでこんなに美味いんだろうな」

「ねー、あと平日でこんなに混んでるってすごい」

「盆正月はこんなん比じゃないくらいに混む」

「まじか。人多すぎるのは嫌だな」

 上の空に見えたのは気のせいだったのか。持留はいつも通りに振る舞った。無理をしているのではないかと、それはそれで気がかりだったが、彼に合わせて明るく過ごそうと決めた。

 食べ終えて、土産屋を冷やかしつつ出口に向かった。持留がソフトクリーム屋の前で立ち止まる。

「アイス食べていい? 」

「もちろん。俺も食べる。暑いし美味そう」

 天井にぶら下がるメニューの看板を見上げて、彼は腕組みする。

「バニラか抹茶か悩む。どうしよう」

「俺抹茶頼むから、一口分けようか」

「ん……いや、それは大丈夫」

「別に遠慮しなくていいのに」

「……そういうのなんか恥ずかしくて」

 困ったような顔をしてこちらを見た。予想外の反応に、斉賀は固まった。少し頬が赤いのが見て取れる。すぐに顔が赤くなるので、彼は分かりやすい。

「だから、好きなの頼んでね! 僕バニラにする」

 話は終わり、と言わんばかりに逃げるように店員さんに声をかけていた。一連の動作や表情の変化を眺めて、やっぱり持留は可愛い人だと心の中で頷いた。

 斉賀も同じ味のソフトクリームを頼んだ。車に戻りながら、口に含むと甘くて冷たい塊が舌の上で溶けた。

「美味しい」

「美味しいね」

 持留に似合う食べ物だった。

 


 時折パーキングエリアに寄ってトイレ休憩を挟みつつ、鹿児島に入り高速道路を降りた。住宅や商業施設が立ち並ぶ、栄えているわけではないが田舎というほどでもない町並みが続く。最初の目的地は水族館だった。

「やーなんかやっぱ鹿児島寂れてる」

「そうか? 俺の実家の周りもまあ似た感じだけどな」

「いや、こっちの方がやっぱ古ぼけてるでしょ。ていっても僕の住んでたとこの方が圧倒的に田舎なんだけど」

 持留はここいらの地理にそう詳しいわけではないようで、初めて見るように景色を楽しんでいた。

 水族館に到着して、車を降りる。屋根に猫の耳のような三角が対に生えている特徴的な外観をしていた。

「ここ来るの小学校の頃の校外学習ぶりかも」

 館内をきょろきょろ見回しながら持留が言った。斉賀はここに来るのは初めてで、水族館に入るのも本当に久しぶりだった。順路に沿って青いトンネルのエスカレーターに乗って進むと、見上げた先に魚の泳ぐ水槽が見切れていた。

 上がりきると、眼前に真っ青な水槽が広がった。ジンベエザメがのんびりと泳いでいる。視界に収めきれない広さの水槽のあちこちに目をやりながら、アクリルガラスに近づく。二人で並んで立って、ぼーっと眺めた。天井まで水槽になっていて、海中にいるみたいだ。

「ジンベエザメ大きいな」

「なあ」

 二人とも圧倒されて、言葉少なに順路を回った。久しぶりに見る海の生きものたちは、奇妙でありながら美しい。持留はウミウシに夢中になって、何枚も写真を撮っていた。

 最上階には錦江湾を見渡せる休憩スペースがあった。海の奥に、岩が積み重なってできたような大きな山がどっしりと構えているのが見えた。青空とのコントラストが鮮やかだ。

「あれ、桜島か」

「うん、そうだよ」

「存在感すごいな。綺麗だな」

 スケールの大きいものをいくつも見て、胸が高鳴った。旅行に来たかいがある。

 閉館ぎりぎりまで、水族館の中を探検して、出る直前に土産屋を覗いた。たくさんぬいぐるみが並ぶ中、持留はジンベエザメの名前を冠したものを持ち上げて見つめあっていた。斉賀はその様子に、思わず口元を緩める。

「欲しいのか? 」

「うん、かわいい」

「買おうか? 」

「え、なんで。大丈夫だよ」

「親から土産代でお小遣いもらったから」

「えーいいな。なんかお家にお土産買って帰らないとね」

 彼はジンベエザメをそっとカートに返す。ぬいぐるみは買ったらきりがないから見るだけでいい、とのことだった。

 結局何も買わずに水族館を出て、建物を何度か振り返りながら、車へ向かった。まだ辺りは明るく、気温も高い。

 夜は歓楽街にある居酒屋で食事を取ると決めていた。せっかくだから歩いて回ろう、ということで車を停めるために宿へ向かう。

 持留が予約してくれた宿はカプセルホテルだった。せっかくなら温泉宿とか、有名な砂蒸し風呂があるところにしたら、と斉賀は言ったが、持留がここにすると譲らなかった。一応大浴場はついているらしい。カプセルホテルを利用するのは初めてで、どんなシステムになっているのか気になった。

 車を走らせる途中、一目でここが鹿児島の中心だと分かるような賑やかな場所に出た。道路には路面電車が走っている。大きなショッピングモールが立っていて、観覧車まであった。

「懐かしい。子どもの頃はあんなに都会だと思ってたのに、天神とか見慣れたから全然栄えてる感じしない」

「そらなあ。あそこは九州一の繁華街だし。子どもの頃、結構ここら辺来てたのか」

「うん、フェリーに乗ってここまで来てたよ。結構遠いからさ、一大イベントだったよ。前日わくわくして寝れなかったもん」

 幼い彼はどんな子どもだったのか、と今の横顔から想像すると引っ込み思案の可愛い姿が浮かぶ。小さい頃の持留に会ってみたくなる。

 ホテルに到着し、併設の駐車場に車を停めて、財布やスマートフォンだけを持って降りた。

「先に言っとくけど、僕も全然この辺の地理詳しくないから。めっちゃマップ見るけどごめんね」

「おお、ありがとう。頼りにしてる」

「がんばる」

 並んで歩きながら、辺りを見渡す。見知らぬ景色に心が躍る。周りの地元民と思しき人々の会話は聞き慣れないイントネーションだった。

「裕って訛ってないよな」

「うん。矯正してるわけじゃないんだけどね。地元のおばあちゃんとかと話すとちょっとイントネーション変わるくらいかなあ」

「え、そうなのか。訛ってる裕見てみたい」

「別に面白くないよ。そういえば永一郎も訛ってない」

「あんま人の話聞いてないから訛ってないんだと思う」

「なにそれ。そんなことあるの」

 持留が笑みを零すと斉賀もつられて笑った。先程見た観覧車を通り過ぎて、建物に見え隠れして遠くに桜島が見える。少しずつ日が沈み始めていた。

 途中、趣きのある桁橋の手前で歩を止めた。斉賀は渡る前に横から橋梁を眺めた。基礎の部分はコンクリートだが、床版や欄干は木材で作られていて、奥に見える桜島と調和している。簡単な作りだが、景色に馴染んだいい橋だった。スマートフォンを出して、写真を撮る。

 側に立つ持留に声をかける。

「悪い、時間取らせて」

「満足するまで見たらいいんだよ」

「じゃあもう少し」

「うん、永一郎は橋好きだね」

「いや、まあ、普通だろ」

「そっかな、普通……? でも明日、馬駆大橋うまかけおおはし渡れるの楽しみでしょ」

 素直に頷いた。満足した頃、そろそろ行くかと声をかけて、二人で橋を渡った。

「橋って行けなかったところに行けるようになるのがいいんだよな」

「浪漫だね」

 日が暮れた知らない街に彼がいる景色は、ふと切ないような感情を抱かせた。ロマンチックなことを言ってしまったのはそのせいだ。

 その後、少し迷って、幾分歩いて目的の居酒屋に到着した。ひどく喉が渇いていた。

 方言を話す店員にテーブル席に通してもらい、早速二人で生ビールを頼んだ。待ちきれず、二人してそわそわしながら、到着を待った。

 届くなり、乾杯をしてジョッキを傾けた。

「うま」

「おいしい」

 それから食べ物を頼んだ。焼き鳥を片っ端から頼み、絶対に食べたほうがいいと持留と店員が揃って勧めてきた鳥刺しも頼んだ。

 運ばれてきた鳥刺しに箸をつける。甘口醤油ににんにくを溶いて、刺身にまぶしてから食べた。

「美味しい」

「でしょ!? 」

 持留が嬉しそうに言う。臭みがまったくなくて柔らかくて旨味の強い白身魚の刺し身。似ているものを探すと、そういう表現になる。

 焼き鳥もどの部位を食べても、食感も味もそれぞれ違って際立って全て美味しい。

 ビールを飲み終える頃、芋焼酎の飲み比べを二人で頼んだ。小さなグラスが三つ届いて、店員の説明を受ける。三つともロックで用意しているので、味わいながらゆっくり飲むべし。内二つは初めてでも飲みやすい銘柄、一つは辛口で料理に合うとのこと。

 順番に口をつけて、舌が痺れる感覚を味わう。

「永一郎、どれが一番すき? 」

 辛口の銘柄を指した。口に含むと甘いのに後味がきりっと辛い。好みだった。

「裕は? 」

「全部おいしい」

 ふわふわ上気した顔で、目を細めて幸せそうに微笑む。それを見た斉賀は言い表せない感情になり、ごまかすように残った焼酎を空けた。彼のことをまっすぐ見られない。とどのつまり、可愛くてたまらないと思っているのだけれど。

「……裕、酔ってる? 」

「すぐ顔赤くなるんだけど、まだ体的には大丈夫」

 持留は飲み比べの小さなグラスにちびちび口をつけていた。潰れる心配はなさそうだ。

 一番好き、と思った銘柄のお湯割りを追加で注文する。

「永一郎がお酒好きでよかった」

「それはこっちこそ。遠慮なく飲めるからありがたいよ」

 持留へ向ける感情は、熱を持っている。自覚しながら、どうしたらいいのか分からない。結果、今まで通りでいられるように、態度を変えないように尽力した。

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