第17話 恋の期限は

 八月。生ビールが美味しい季節。客にジョッキを運びながら、自分も飲みたくなる。

 持留はバイト先に向かう電車に揺られていた。夏季休暇に入って二週間近くが過ぎたが、就活のための短期インターンシップに参加する以外は、アルバイトと家の往復の毎日だった。一時間かけて通勤しているので、もういっそバイト先に住みたいくらいだ。

 読んでいた文庫本を閉じる。本と入れ替わりで鞄からスマートフォンを取り出して、山口とのメッセージのやり取りを確認した。

『前言ってた件、明日行きたい! シフト入ってるよな? 』

『いる。七時以降に来て』

『おけ! みくと野々垣も一緒に行く』

 緊張で心臓が少し痛くなる。

 あれは夏休みに入る前のこと、斉賀とのお昼ご飯に、山口が着いてきたことがあった。

「山口も一緒だ。悪いな」

 斉賀が、横に立つ彼を親指で指差し、眉を顰めた。山口は今から食事だというのに、片手にエナジードリンクを持っていて、その上、目の下にくまができていた。疲れてるのか、と労いの言葉をかけると、飲み会で徹夜したという返事が返ってくる。ハードな学科にいる上に、交友関係も広い彼はこういう状態になっていることが多い。日夜飲み会に参加しつつ、なんとか課題もこなしているのだろうと察する。

 三人で食事をしていると、山口が言った。

「夏休み暇だからさ、バイト先遊びにいってもいいか? 」

「え、いや、あんな遠くまで来るのか。なんもお構いできないし、つまんないよ」

「いや、普通にあの店美味しかったし」

「見られるの恥ずい。僕がいない時に来てくんない? 」

 学校の知り合いにエプロン姿の自分を見られるのはなんとなく恥ずかしい。一度見られている、と言えばそうなのだけれど。

「前、合コンで行ったときにまた遊びに来てねはーとって言ってたじゃん」

「そんなこと言ったっけ……? 」

 いや、やっぱり言ってない、と思って反論したが、山口の中でバイト先に来るのは決定事項らしい。

「山口、そういうの本当にやめろよ」

 斉賀が何度も止めようとするが、聞く耳を持たない。喧嘩になりそうな気がして、持留は宥めるように声をかけた。

「や、大丈夫だよ、斉賀。ありがとう」

「あ、それか海行きたいんだよな〜。今年も海水浴行かね? 暇潰せればいいから、俺は海でもよし」

 理論がめちゃくちゃで閉口する。ただ、持留はもう海は懲り懲りだった。斉賀の水着姿を見るのが、想像していたよりも恥ずかしくて、あの場から消えたくなってしまったのを思い出す。斉賀や他の皆からしたら意図が不明な、嫌な態度を取ってしまったのは、胃が痛くなる記憶だった。

「……バイト先、来てもいいけど、絶対事前に連絡してね」

「いえーい、楽しみ。斉賀も行くよな? 」

「いや、嫌がってるから行かない」

 斉賀がきっぱり断るのを聞いて、いい奴だなと思った。

 その後、定期試験を挟んで夏休みが始まって、そんなことがあったのも忘れていたのだが、先のメッセージが届いた。

 まあ、別に何があるというわけでもない。とりあえず、店に着いたら店長に友人が来ることを伝えよう。そんなことを考えつつ、画面を操作して斉賀とのメッセージを開いた。

 九月になったら、斉賀と鹿児島へ旅行に行くという計画を立てていた。今は観光する場所を決めるために、日々連絡を取り合っている。

『フェリーに乗りたい。錦江湾渡りたい』

『いいね、フェリー、車で乗り入れできるんだよ』

 錦江湾、調べたらクルージングもできるらしい。住んでいたが知らなかった。

 誕生日プレゼントとして、もらった彼の労働力で、鹿児島まで遠出するという運びになったのだ。

 労働力をあげる、と言われても何かを頼むのは申し訳なく、口約束で終わらせようと考えていた。しかし、彼は断っても全く引かず、会う度に何をしたらいいのかと聞いてくる。

 約束を果たそうとする、ひたむきで真剣な表情が男前でドキドキした。悩んだ末、斉賀にも益があれば、と思い、一緒に鹿児島を観光してもらうことにした。他のところでも良かったが、斉賀が行きたいと言ってくれたから、地元を選んだ。

 斉賀との旅行を想像すると頬が緩む。

 と同時に、地元のことを考えると頭が冷える。持留はそんな事情を抱えていた。

 次の駅を案内するアナウンスが車内にかかる。降りなければいけない、膝に抱えていたリュックを背中に回した。立ち上がって、扉の前に立つ。もう夕方と言っていい時間だが、夏だからまだ日が高い。窓ガラスに自分が映る。ぼやけた像に母親の面影があり、持留は無意識に奥歯を噛み締めた。電車が減速しながらホームに入り、体が進行方向へ引っ張られる。足がよろけそうになるのを、踏ん張って耐えた。

 もうすぐ持留の父と母は離婚する。そして、持留の育った家は取り壊しになるらしい。らしい、というのは母親から電話で聞かされただけで、まだ実感がわかないからだ。取り壊して更地にした上で土地を売ってしまうと母は言っていた。ふと実家の外観を思い出して、胸の奥から湧き上がるものがある。さみしい。

 開く扉からホームに降り立つ。いつも通っているから、考えずとも足が動いて、バイト先への最短ルートを行く。

 持留の実家は、父方の祖母の持ち家で随分古かった。築年数五十年。その上、もう住む人もいないのだから取り壊しも仕方がないと分かっていたが、小さい頃の思い出が詰まった場所がなくなるのは寂しかった。

 祖母が元気だった時は、家の裏にある畑で野菜を作っていた。懐かしい。綺麗な緑を思い出す。

 夏には苦瓜が成っていた。苦瓜は藤棚みたいな支柱と屋根を使って育てて、天井からぶら下がるみたいに実が成る。夏の日差しに透けた緑の葉の屋根が綺麗だったのだ。

 父と母が別れることよりも、家が無くなることの方が寂しいのかもしれなかった。父にはもう何年も会っていなかった。母には去年の盆に会ったきり。

 薄々こうなると分かっていたから、離婚するという報告を受けてもあまり驚かなかった。持留が高校一年生の時に祖母が亡くなってから、両親は目に見えて仲が悪くなった。元々険悪な仲で、取り繕わなくなっただけなのかもしれない。

 まだ、離婚届は提出していないらしい。

「正式に離婚したら連絡するね! 」

 先日、母から電話があってそう言っていた。元気そうで自由だった。母はいつだって、お嬢さんだった。お嬢さんだったから自由奔放で、拗ねた顔も可愛いからなんだかんだ集落の男性たちに助けてもらって、あまり困ることなく生きていた。

 大学生になって、母から離れて様々な人を見た結果、息子はそんな印象を持つようになっていた。

 バイト先にたどり着く。あまり気分がよくなかった。裏口から店内へ入りつつ、気持ちを切り替えるために、アルバイトをがんばれるような楽しいことを考える。斉賀との旅行。鹿児島はそこそこ面積が広い。観光だけであれば実家に触れることなく楽しめるはずだった。

 更衣室にて、アルバイト用のロッカーに荷物を入れて、ポロシャツとエプロンを着用する。タイムカードを切った後、厨房に顔を出す。

「お疲れ様です」

「おつかれ〜」

 中では社員が料理の仕込みをしていた。店主の香坂はいない。社員は手を止めずに持留に言う。

「なんか今、友だち来てるらしくて、香坂さんが対応してる。持留くん来たら呼んでって言ってたよ」

 山口に違いない。慌てた。

「えっ、まじですか。来るの早すぎる……。すみません、ちょっと行ってきます」

 店に迷惑がかかるのは嫌だった。急いで通路を通り、まだ客の入っていないホールに出る。香坂の背中に声をかけようとすると、その奥に座る者と目が合う。持留は固まった。香坂が振り向く。

「もち、たけちゃん遊びにきてくれたよ」

 そこにいたのは石田だった。合わせた目の冷たい色が、怒りをたたえているように見えた。

 持留はシャツの左肩の布地を反対の手で強く握った。じっとしていられなくて、無駄な動作をしてしまう。

 一年と少しぶりに会った石田は記憶の中の姿と変わりない。サイドが刈り上げられたソフトモヒカンが、目尻がつり上がった大きな瞳に似合っている。手をこちらに振り、言った。

「持留、まじで久しぶりだな。俺からの誘い全部断って何してたんだよ」

「久しぶりですね。すみません、その」

「いや、やっぱ言わないでいい。分かる。ノンケに入れ込んでんだろ」

 別に険悪な雰囲気ではなかった。石田はヘラヘラしながら話している。けれど、持留は警戒する姿勢を崩さない。誘いの連絡を受けて、その都度断り続けていた。そんな相手がこちらの生活圏に入ってくるというのは、居心地が悪い。怒っているのではと推察すると、笑っているのすら怖い。

 香坂が手招きして、座るようにと促す。渋々、その隣に座ろうとしたら、石田は対面で不機嫌そうに自分の横の椅子を乱暴に手で叩く。相変わらずだった。俺の横に来い、という意図は汲み取りつつ、従わずに香坂の側に腰掛けた。

「石田さん、何しにきたんですか」

「かわい子ちゃんに会いに来たんだ。香坂さんに」

 芝居がかった動作で香坂に手のひらを向ける。

「相変わらずだねー、たけちゃん」

 呆れたふうに言いながらも、嬉しそうに顔を綻ばせている。持留は慌てた。

「何言ってるんですか。香坂さんには添田さんがいるのに」

「相変わらず冗談通じねえな」

「心配しなくても、浮気したりしないから大丈夫! 」

 香坂はピースサインを向けてくる。優しそうな笑顔に安心する。香坂にはもう十年以上も一緒に過ごしている恋人がいる。添田という名で、たまにこの店に遊びに来るのだが、香坂に雰囲気が似ていて、羨ましくなるくらいにお似合いだった。

 持留は一介の従業員だが、このカップルが一生一緒にいられたらいいなと陰ながら願っていた。

「たけちゃんはもちに会いに来たんでしょ? 」

「まあなあ、どんな立派に大学生やってんのかと思ってさ。観察しにきた」

「失礼なやつ。あ、ちょっと僕席外すから、二人で話してて」

 そういって香坂は立ち去る。当たり前だけれど店長は忙しいのだ。

 二人きりになってしまった。目を合わせたくなくて俯いていると、テーブル越しに手が伸びてきて顎を掴まれ、無理やり顔をあげさせられた。殴られるかも、と構えてしまい目を強く瞑った。少し待っても何も起こらない。恐る恐る目を開けると、卓上に身を乗り出した石田と目が合う。

 そして、思い出す。この人はこういう奴だった。持留は自分のものだから、勝手に触っていいと考えて、ただその通りにしているだけなのだ。

 彼が自分に触れて、視線が絡み合っている。久しぶりの感覚。人の、男性の手のひらの体温。知っている香水が香る。

 触覚と嗅覚が刺激されて、否応なしに記憶の蓋がこじ開けられる。

 この人といっぱいセックスをした。お尻を弄られた。それ以外も沢山触られた。恥ずかしいこともあった、そういうことばかりだったかもしれない。思い出して、赤面する。

 最後に石田と会った時、手で抜き合うだけの行為をして、それ以来、誰ともしていない。刺激に飢えた身体が、反応してしまう。

 けれど。

 持留は無礼なその手を払わずに、ただしかめた顔で、石田を見つめた。ややしばらくして、顔から手が離れる。彼は大きなため息をついて椅子に腰をどっかと降ろした。

「お前さ、まじで。腹立つ」

「何か、そんな怒らせるようなことしましたか」

「……誘ったら逐一断わんのがムカつく。会う気ないなら既読無視したらいいだろ」

 ここ一年、思い出したように誘いが来る度、何かしら理由をつけて断っていた。気分が乗らないので、と言い訳をしたこともあった。ただ、無視をしたことはなかった。

「だって、別に石田さんのこと嫌いになったわけではなくて……。カズハさんから聞きましたか」

「好きな人できたらしいってだけ聞いた」

「さっきノンケに入れ込んでるって言いましたよね? なんで知ってるんですか」

「いや、だって。お前は彼氏できたら、それを理由にして誘い断るだろ。そうじゃなかったから。ダラダラ不毛な恋してんのかな、ってなんとなく思っただけ。ノンケは適当に言った」

 名推理だった。そこまで分かっているなら話が早い。

「そうですね。不毛な恋愛で一喜一憂してます」

「ふーん。どんな男なんだよ」

「優しくて、静かで、親切な人。格好いい人」

「俺よりも? 」

 薄ら笑いを浮かべて聞いてくる。持留は返事に困り、言葉に詰まった。

「石田さんも格好いいですけど、その人はまた違う格好良さなんですよ」

「いつまで好きな予定なんだ」

「いつまで……」

 真剣に考え込む。好きという気持ちに区切りはつけられるのだろうか。しばらくして、しびれを切らしたようで、石田は次の質問をぶつける。

「お前がそいつのこと好きなのは分かったけど、別に俺と遊んでもよくね。俺がそんな奴忘れさせてやるけど、どうだ」

 こういう台詞を恥ずかしげもなく言う。

 ひとつ前の質問よりも答えやすくて、持留は石田の目を見据えて答えた。

「気乗りしないんですよ。単純に」

「なんで」

 初めて出会ったその日を含めて、石田と会う時には必ずセックスをした。それ以外の遊びはしたことがない。だから、持留にとって、彼に会うということは肉体的に交わるということだったし、石田にとってもそうに違いないと当然のように考えていた。

 だから、会いたくなかったのだ。

 斉賀に気持ちを寄せるようになってから、誰かと肌を合わせることを考えると憂鬱になった。

 今まで何度も自分に、なぜ他の人とするのを躊躇うのか問いかけてきた。斉賀への操を立てたい、なんてわけではない。心に反して体は斉賀ではない別の男にも反応する。誰でもいいから相手をしてほしくなって、石田の誘いに乗ろうと思ったこともあったのに、結局それはしなかった。 

 輪郭を描かなかった気持ちが石田に会ってようやく浮かび上がってくる。

「僕もやっと分かったんですけど」

 答えようとしたその時、入口の扉が開く。思わずとも、そちらに視線が向く。

「こんちはー」

 やたら元気なその声は、山口だった。

 血の気が引く。石田との一年越しの再会に気を取られて忘れていたが、そうだった。

 店内にかかっている時計を見るとまだ七時にはなっていない。約束の時刻よりは少し早い。

 石田に大学の友人だと知られたくなかった。山口たちに自分がゲイだと知られたくなかった。

 とりあえず立ち上がり、入ってきた三人に声を掛ける。

「いらっしゃいませ。三名様ですか」

 ただの客みたいな振りをして接してみる。

「おお、勤労学生もちだ」

「持留くん、エプロンだ! 似合うよ」

「うわー懐かしい〜。合コン思い出す」

 当然、無駄だった。明らかに友人の距離感で話しかけてくる。切り替えて、笑顔を作る。

「こんな遠いところまでわざわざありがとう。席案内するね」

 できるだけ、石田から遠いところにと考え、端の席を案内する。幸い、店内に他の客はまだいない。

「持留くん、居酒屋で働いてるとこ想像できなかったけど、このお店落ち着いててしっくりきてるね」

 野々垣が椅子に腰掛けながら、店内を見回す。

「野々垣さん、大学近くの居酒屋で働いてるんだよね。確かに学生街の居酒屋とは雰囲気違うかも」

「そうそう、ヤバい酔っ払い多い。知り合いめっちゃ来るから結構楽しいけど」

 全く同意できない感覚に曖昧に頷きつつ、メニューを取ってくる、と声をかけて裏に下がることにする。石田の座る席の横を通ると、ぐっと腕を掴まれた。この姿がどういう風に野々垣たちの目に映るのだろう、と焦るが、振り払うと余計に目を引いてしまうというのは分かる。

「なあ」

「なんですか」

「あいつら大学の友だち? 」

「……お手洗いあちらですよ」

 余計なことになる前に、口止めをしたくて持留は通路の先を指差して、石田を引っ張るようにして進む。素直についてくるので、歩を進めつつ最小限の動作で手を払う。通路を曲がって、テーブルから見えなくなる場所まで来て、持留は石田と向かい合った。改めて全身を見ると、以前と変わらず筋肉隆々で、鍛えていることが一目で分かる。いい身体だった。

「石田さん、あの子たちは大学の友だちなんですけど、その……」

「あの男はお前の好きな人、ではないよな」

「違います」

「ああいう明るいのタイプじゃないもんなお前」

「まあ、それはそうです。えっと……僕、カミングアウトとかしてないので気づかれるようなことはしないでほしくて」

「気づかれるようなことって何」

「えっと」

「キスとか? 」

 狭い通路ですぐ後ろに壁がある。石田はそれに手をついて、持留をつぶさに観察するように見つめる。

 こんなことあったな、とホテルに向かう途中の暗い夜道で、固いコンクリートの塀に押し付けられて唇を奪われたのを思い出す。石田は人の目を気にする性格ではなかった。知り合いに見られたら、なんて心配がないから平気で路地でキスなんてするのだろう。持留はそうではない。

「そんなん当たり前じゃないですか。会話とかでも分からないようにしてほしいんです」

「俺は、持留が嫌がることはしないよ」

 薄ら笑いではなかった。真剣な顔でそう言ってくれたから、持留はひとまず納得したふりをした。そうする以外選択肢もない。

 頭を下げて、強引にここまで連れてきてしまったことを謝罪する。

「あ、生ビール大、ひとつよろしく」

 石田が席に戻る前、注文を受けた。厨房に入り、冷蔵庫の中を覗いている香坂に、大学の友人が来ている旨を告げた。

「へー、来客って重なるもんだね。今日木曜だしそう混まないだろうから、いっぱい話しておいで」

「ありがとうございます」

 注文を入力する端末に石田の生ビールを記録して、エプロンのポケットに入れた。ガラス張りの冷蔵庫から冷えたジョッキを取り出し、ビールを注ぐ。棚から取り出したメニューを片手に持ち、ホールへ向かった。

 近づくにつれ、楽しそうな男女の声が聞こえてくる。……嫌な予感がする。

 見ると、山口たちの座る卓に何故だか一緒に石田が座って、笑い合っている。声に出せない悲鳴をあげつつ、足早にそこへ向かった。

「……何してるんですか」

 机にジョッキを置いて、声をかける。石田は笑って言った。

「俺、一人で飲むの嫌いなんだよね〜」

「もち、すごくね、石田さん」

 山口は興奮気味に石田の勤め先を口にする。石田はとある外車のディーラーで働いていた。山口はそのメーカーの車が欲しいと。男子大学生の心にうまく取り入ったようだった。

「石田さん、邪魔してない? 野々垣さんも河田さんも大丈夫? 」

「私は別に。てかそれより飲み物頼んでいい? 」

「あ、うん。これ飲み放題のメニュー」

「私、とりあえず生で」

 河田が元気よく手を上げて言う。野々垣は渡したメニューを広げて悩んでいた。その隙に石田を睨むが、山口の質問攻めを楽しそうに受けていて、こちらを見ようとしない。

「どーしよ。じゃあこの蜂蜜梅酒で」

「おすすめはロックだけど、それでいいかな? 」

「うん! 楽しみ〜」

「俺、ウーロンハイ」

「分かった」

「乾杯したいし、早く持ってきてくれよ。ビールの泡消える前に」

 石田はここに居座るつもりらしい。さっき嫌がることはしないと言っていたのに、早速嫌だった。しかし、飲み相手を探していただけというのなら止める術はない。ただ、心配ではある。

 誘いを断り続けたというのは、相手の怒りを買っていてもおかしくないことだ。一年ぶりにあった相手が、何を考えているかなど分からない。心の底から信じるには足りない。

 とりあえずオーダーに従って、飲み物を運んだ。四人が乾杯するのを信じがたい光景として真顔で見ていた。本来関わりがないはずの知り合い同士が話しているのは変な感じだった。

「何頼もう。お腹空いた〜。持留さん何かおすすめとかあります? 」

「定番だけど胡麻サバは美味しい。あと僕が好きなだけだけど、梅水晶とか。鯛の和風カルパッチョも、あ、あとチーズ豆腐も美味しい」

「じゃあそれ全部二人前ずつ。おじさん奢るからさ」

 石田が気前よく言う。そういえばこの人は奢りたがりだった。黙って注文通り、端末に打ち込む。一席でまとめてもらった方が後の会計が楽だった。

「え、いいんですか」

「ありがとうございます。てか、おじさんって年でもなさそうですけど」

 野々垣が聞いた。

「いや、俺二九歳だし。君たちからしたらおっさんだろ」

「え、見えないです。もっと歳近いかと思った」

 口元を押さえて驚いて見せる河田が、おべっかを言っているのかどうかは分からない。石田が若く見える、というか童顔で大学生みたいに見えるのは確かだったけれど。

 年齢差を意識していながら、初対面の年下ばかりいる飲み会に平気で交じることができるのは色々とすごい。

「どういうきっかけで二人は知り合ったんですか? 」

 河田に聞かれて、持留はどう答えたらいいのか悩んだ。変に間が開く前に、石田がさらりと言う。

「俺、ここの店長と仲良くて常連なんだよ。だから持留とも友だちなわけ」

 持留は何度も頷いた。彼女もそこまで興味があったわけではないようで、話は広がらなかった。

 先程挙げたおすすめに追加で、唐揚げと豚バラ串、枝豆も頼まれた。七時半を回って、客が入りだす。途端に忙しくなって、頭の端で山口たちのことを気にかけつつ、側で見る余裕はなくなる。

 たまに顔を出すと、皆楽しそうにしていた。山口と石田が煙草のために席を立つのを見て、残った二人に声を掛ける。

「二人とも大丈夫? 石田さん変なこと言ってない? 」

「全然大丈夫だよ~。石田さん面白い」

「なんか、持留さんのお父さんなのかな、みたいな質問してきますよ。友だち少ないから心配とか」

「はは……」

 嬉しくない。身辺の情報が収集されているのをひしひしと感じた。斉賀のことを話したのか聞きたいが、決め打ちで聞くのはおかしい。石田が戻ってくる前に、大人しく退散した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る