第5話 レグルス大公の受難

「これはこれはレグルス大公。ごきげんよう」


 しかし、そんなレグルス大公を邪魔するように、室内に真っ白な髪と髭、大きな丸眼鏡が特徴的な老人がノックもなしに入ってくる。


 彼はこの国の宰相であるポルト・ルゥ・ヴァルゴ大公だ。

 反獣人派の筆頭として有名であり、レグルス大公としてもあまり関わりたくない人物だ。

 そんな人物が部屋に入り込んできたことに嫌な予感を感じつつ、レグルス大公はなんとか笑顔を取り繕って口を開く。


「ヴァルゴ大公、どうされたのですか。わざわざこのような所までお越しいただくなんて、何かあったのでしょうか?」

「そうさな。宰相である私がわざわざ獣人官僚なんぞのところに来たのだ。理由の一つくらいはあるわい」


 明らかに馬鹿にしたような言葉。それに対してレグルス大公は眉一つ動かさない。この程度のことで反応していては、獣人の身で官僚を務まらない。

 その代わり、部屋の隅で片膝をついているソルドの肩は怒りで震えていた。


「ちと、よくない噂を耳にしてな」

「噂、ですか」

「獣人が違法な娼館を営業しているという噂が帝都で噂になっておる」

「何ですと……!」


 いつものように嫌味を言いに来たのかと思えば、ヴァルゴ大公が持ってきた話は真剣な話題だった。


「獣人の娼館営業は法で固く禁じている。それを帝都で堂々と行うとはまことに業腹な話だとは思わんか」


 獣人は人間とは肉体の構造が異なることが多い。帝国設立当時は人間と獣人が交わったことで、人間側に死者が多く出た事件もあったくらいである。


「もちろんでございます。即刻調査し、すぐに営業を取りやめさせます」

「当然の話さね」


 レグルス大公が力強く宣言すると、満足気にヴァルゴ大公が笑う。

 これでようやく帰ってくれるかと思ったレグルス大公だったが、そんな考えを見透かすようにヴァルゴ大公は続ける。


「それよりも、また例の騎士が菓子を持ってきてるようだな」


 テーブルの上に並べられたフォンダンショコラを眺め、ヴァルゴ大公は鼻で笑った。


「まったく、獣の舌では甘味など満足に味わうこともできぬだろうに……無駄なことを」


 その瞬間、片膝をついているソルドから殺気が漏れ出そうになる。


「はっはっは、これは手厳しい!」


 それを察したレグルス大公はわざとらしく笑って見せた。


「しかし、せっかくの厚意を無下にもできませぬ。何、糖分を得た分仕事は捗ります故、どうかご勘弁いただきたい」

「そうさな。いつも以上に仕事をしてくれるというのならば文句はない」


 言いたいことは一通り言い終えたのか、ヴァルゴ大公は踵を返すとそのまま部屋を出ていこうとする。


「近衛騎士ソルド・ガラツ」


 そして、扉に手をかけたところで立ち止まり、ソルドへと声を掛けた。


「はっ」

「貴様は平民出身でありながらその実力を買われ、近衛騎士団まで上り詰めたのだ。自身の努力を無為にしないよう、振る舞いには気をつけることだな」

「ご忠告しかと心に刻みます」

「ふん、ならいい」


 ソルドの返事を聞くと、今度こそヴァルゴ大公は執務室を出ていった。

 足音が遠ざかると、レグルス大公は大きく息を吐いて椅子の背もたれに身を預ける。


「やれやれ……」


 レグルス大公が安堵していると、ソルドが大声で悪態をつきはじめる。


「かぁー! 何が振る舞いには気をつけろだ、クソジジイ!」


 ヴァルゴ大公が執務室を出た途端にソルドは中指を立てて罵倒する。


「……しかと心に刻んでおけよ」


 呆れながら横に視線を動かしてみれば、そこにはソルドと同様に中指を立てたクレアの姿があった。


「クレア、お前もか……」


 彼らにとって、ヴァルゴ大公は生理的に受け付けない存在だった。

 獣人よりも人間の方が人間側の態度に怒っている。その事実がどこかおかしくてレグルス大公は口元を吊り上げた。


「ヴァルゴ大公は過去に獣人が原因で息子を亡くされたと聞いている。ワシに当たってしまうのも無理はない」

「ただの八つ当たりだろ、それ」

「ソルド様に同意です」

「まあ、そう言うな」


 レグルス大公の言葉に、ソルドとクレアは不満げに口を尖らせる。そんな彼らに苦笑いを浮かべながらも、レグルス大公は二人を宥めた。


「……それにしても、次から次へと厄介なことばかり起こる。これ以上は勘弁してもらいたいところだ」


 胃を摩りながら呟いた言葉は、誰にも聞かれることなく虚空に消えていく。


 そして一週間後、レグルス大公はアルデバラン侯爵殺害の罪で投獄されることになるのであった。

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