第5話 熱弁番長

 僕はできるだけ、穏やかに番長に確認したいことは何かと尋ねた。

 番長は屋上の真ん中に屹立したまま、僕を手まねきする。

 僕は一歩、前に踏み出した。

 番長はまだ、手招きしている。

 その表情は不敵に笑っていた。

 僕は不測の事態に備えて、全身の力を抜き、軽く前に重心を傾ける。

 猫足立ちの構えだ。僕はさらに一歩前にでる。これで番長の拳の射程に入った。入ってしまった。

「確認したいことは、これだあ」

 来る!

 番長のだみ声と、僕の認識は同時だった。

 轟音とともに、僕に向かって繰り出される番長の右手の拳。

 僕は必要最小限の動作で、それを交わす。

 ごおう。

 風を切る音が、耳元で響いた。

 早い。

 僕は正直、そう思った。

 逃げるべきか?

 いや、今背中を向けるのは危険だ。

 僕がほんの少しでも隙を見せると、避けきれない攻撃が来る。

 番長に少しでも隙を作れれば……。

「は~はっはっは。やはり、貴様はつわものだ。俺様の目に狂いはない。今の俺様の攻撃をあっさり、かわしたのだからなぁ」

 目に狂いは無くても、頭に狂いはあるだろうが。空手部に所属しているとはいえ殴られなれているというわけでもない。威圧感は姉様で慣れているのがそれでも心拍数が早くなる。

 思わず僕は脳内で突っ込みを入れる。

 なんとか攻撃をかわせたのは、屋上に上がる前にこの展開を予想していたからだというのもある。そうでなければ一撃で倒されていたかもしれない。

 自分は弱く、番長には勝ち目がない。先ほど拳をかわせたのはまぐれで、つまずきかけただけだと伝える。

 極力、怯えているように声を意識的に震わせるのも忘れない。

 やり方によっては番長を倒す見込みはあるだろうが、無駄な戦いが避けられるならそれに越したことはない。

「ふん、貴様が弱いだとぉ? ありえんわぁ。

 俺様が校長と拳で語ろうした際、何も迷わず、間に入ろうした貴様がかぁ。ふざけるのも、大概にしろぉ。ここでは、余計な邪魔が入らん。じっくりと貴様と語らってくれるわぁ」

 自分が弱いと思わせることで、番長でいう『語り合い』を避けられるとも思ったが、どうやら、番長の頭の構造は僕の予想をはるかに上回って変らしい。姉様みたいな規格外の強さに慣れているせいか、番長くらいの強さでは驚かないというのもある。

 僕は意識を切り替え、番長から目線を切らず、次の動作に備える。同時に無駄だと思うがさらに説得を続ける。どう見ても自分は番長のいうおとこではないだろうと告げるが、番長は否定の意味で首を振る。

「いや、貴様の心は強者のそれだ。俺様は一目見てわかったぞ」勝手にそんなことを思ってもらってもある意味困る。無駄だと思うがおびえた振りをする。が、通じないようだ。逃げた方が得策だろうが、この手の手合いは中途半端に逃げると逆効果の可能性がある。となると……。

 番長の右手がゆっくりと、後ろに下がり、重心が右に偏る。

 また右か?

 僕が左によけようとした瞬間。

 予備動作なしで、番長の左拳が僕の顔に襲いかかる。

 フェイントか!

 無理な体勢から繰り出される番長の拳は力が乗り切ってはいない。

 しかし、番長は僕より頭一つ以上高く、その両腕は僕の倍以上はある。

 あたると只では済むまい。

 僕は無理やり、体を左から右に重心移動し、何とかその拳をかわそうとした。

 それは、疾風のような一撃。

 それを僕は紙一重でかわす。

 右頬に風が走り。

 バキィ。乾いた音とともに、僕の右の髪飾りが砕け散る。

 ファサァ。髪が髪留めから開放され。

 僕の視界の右半分をふさぐ。

 まずい。これは致命的だ。次はかわせない。

 すかさず、次の攻撃に入ろうとする番長。十分に力が乗った右の一撃。

 それを僕に放つつもりだろう。チャンスは今しかない。

 僕はとっさに、残った左の髪飾りをむしりとる。

 番長が拳を放つ瞬間、その一瞬の隙に、手の中のそれを番長に投げつけた。

 狙いたがわず、髪飾りは番長の目に激突した。たまらず、ひるむ番長。

 僕はその一瞬を見逃さず、番長に背を向け逃げ出す。

 恐ろしく長いほんの数歩を駆け抜け、屋上の扉をくぐり、扉を閉めた。

 アドレナリンが分泌されたせいか、純粋な恐怖が今頃襲ってきたせいだろうか。

 指先が震え、鍵が回らない。心臓の音が耳にうるさく、響いている。

 カチャ 軽い音を発して、鍵が閉まった。

 入る時、差したままにしたのは正解だった。そうでなければ、扉に鍵をかけることはできなかっただろう。

 僕は鍵を急いで抜き、ポケットにしまう。

 僕は荒い息を静めつつ、屋上への上る階段の半ばにへたりこんだ。

 一息つくと右頬からうずくような痛みが伝わってくる。

 携帯している小さな鏡で顔を確認すると、右の頬に赤い線ができてうっすらと血がにじんでいた。

 僕は驚愕した。

 かすっただけでこれだけの威力があるのだ。まともに食らうと、どうなるのだろうか?

 僕はポケットから、ソーイングセットを取り出した。

 中から絆創膏を取り出し、応急処置をしておこうと思ったが、止めることにした。

 番長から襲われた事実を先生に説明することがあれば、傷を見せた方が良いだろう。

 そこまで考えた瞬間、ちょうどトンネル工事で発破をかけたようなすさまじい轟音が、僕の耳に届いた。

 振り返ると、屋上の扉が激しく揺れていた。番長が扉を蹴り開けようとしているに違いない。

 僕は素早く、ポケットから予備の髪留めを取り出すと、髪をくくりなおした。

 ちなみに僕は、二つ結びという髪型だ。

 くくりやすいというのが、この髪型にしている最たる理由である。

 番長から砕かれた髪留めは、割と気に入っているデザインだったのだが……。

 結構な値段だったし、弁償してもらいたいところだ。

 さすがに、今は扉を蹴り開ける番長を向かい打つ気力はない。

 僕は職員室に行き、先生に相談することにした。

 再度、扉を蹴る轟音が響く。

 屋上の扉は鉄製だが、番長はいずれ蹴り開けることだろう。

 僕はそう確信し、音を聞きつけて誰かが現れる前に、足早に一階の職員室に向かった。

 職員室には行ったが、相談しようとした担任の先生はいなかった。

 どうやら、授業の担当があり、どこかの教室にいったらしい。

 僕は仕方なく相談は後まわしにして、屋上の鍵を返す。

 番長はもう、扉を蹴り開けていることだろうが……。

 万一、閉じ込められたままだったら、どうするべきだろうか?

 そうなった場合は、正直に事情を担任の先生に説明するしかあるまい。

 僕はとりあえず、教室に帰ることにした。

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