第36話 見ている女(ひと)の憂鬱⑦

 七色は彼女のもうひとつのキーとなるものを思い出した。それが彼女の誕生時の太陽のサイン(星座)と度数である。


なぎさんの生まれた時の星座は魚座ですね」


「はい、そうです」


「そこにも、もうひとつの特徴が出ています」


 まだ他にも何かあると言われた凪はもう怯えてはいなかった。七色の話の続きを早く聞きたい、そう思っているように見えた。


「それは…いったい?」


 七色にまだ何かあるのだと言われたなぎは、その先を聞くことがもはや楽しみになっていた。


「太陽は魚座の十三度。「博物館にある刀」というシンボルをお持ちです」


「博物館…刀…」


「これだと思ったものに向って、思いっきり目指して行くことになったとしたら、それを本格的にやることになる、ということが可能性としてあります。縁のある集団性、民族的なもの、伝統的なものとの繋がりの中で、その代表としての働きをすることになるというシンボルなんです。明かされていなかったことや隠されていたかのような知恵を発見したり、今の時代に新たにそれを伝えるべく苦心するということもあるかもしれません。でも何よりご本人が、大きな使命感を感じるとか、やりがいを感じて突き進んでいくということになりやすいと思われます。それが博物館にある刀…なんです。そして、これは太陽だから、開発していくことで拓かれる、なぎさんの未来の可能性を表わしています」


「素敵…な、お話ですね、それは」


「それが、なぎさんの持ってらっしゃる可能性…です」


 多くの印を見てしまった、出会ってしまったと、なぎは感じていた。もう十分に、と思っていた。これまでの数ヶ月間、一体なぜだろう? という思いを抱いていたはずの自分のことは、今はもう他人のようにさえ感じていた。そんなこともあったねと、すでに過去になって、トンネルを抜けてしまった自分自身に気が付いてしまったのだ。むしろ、どうしてこれまで微塵も気が付かなかったんだろうか? それはむしろわざと気が付かなかったのではないか…とさえ思える自分が居た。


 そんな彼女の思いを察してだろうか、七色は言った。


「すべては準備万端で。流れは用意されていました。最後のあと一押し、だったのではないでしょうか? 私はその一押しをお手伝いをさせていただくという、その相手に選ばれたのかもしれません。だとしたら、なぎさんがこの物語の流れを出現させることを選んでいた、望んでいた、ということでもあるのです。私はそのように受け取っても、います。これもひとつの可能性です」


「そんな…それは、大きい話ですね。でも聴いていて、そうかもしれないって思いました。私…本当に望んだことは実現してきていると思うんです、この人生」


「そうですよね」


「ここに来た時に相談していた私とはもう違ってしまっています。気になっているのは、ここから先のこと。これからをどうしていくかっていうことの方です」


「はい」


「でも、私は…こんなですよ。固くて常識的で、臆病で、出来ない出来ないって言いながら…の」


「それは、なかなかの、知らない振り…かもですね」


「もう、いやだ。それじゃ、本当になかなかじゃないですか、私ったら…」


 二人は声を上げて笑った。


 その後は早かった。二杯目のティーカップのお茶が空になった頃になぎさんは立ち上がった。書房の外に出てから一度振り向いて挨拶をした後、彼女は振り返ること無く坂を下っていった。一歩一歩進んでいく彼女の足元は、書房から遠ざかるほどに力強くなっていくように見えた。


 彼女のその姿が、夢の中にいたという魚の姿の様だと、七色は思った。

 木々に見え隠れしながら遠のいていくその姿は、やがて見えなくなるだろう。だがそれは、もうすぐ海に着水するであろう暗示でもある。待ち望んでいた水は近い。始まりはそこからだ。

 海を見ていた。穏やかな風、静かな波だった。


「やはり…行くのですね…」


 ここから見える陽の光と海の青は、きっと南へと続いている。

 波間から一定間隔で放たれる光があった。モールス信号のようなその光の反射を遠く見えなくなるまで追っていた。


( い ま … か え る… ふ る さ… と  )





 

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【今日の七色日誌】


 誰もがそれまでの環境の影響を受けて生きている。私たちは地球に生まれた、その時から誰かの、そして環境の影響を受けているのだ。それは私という存在がより地球人化していく過程で、それまであったはずの宇宙の記憶は忘れていくことになる。

 地上の両親や兄弟姉妹という家族が故郷に置き換えられていく。宇宙の故郷が地球という星の地上に物理的に存在する故郷へと移り、私たちは多くのことを忘却する。


 思い出すきっかけはある。やって来る。

 それは独りになった時だ。物理的に独り、という意味でも無い。横に広がっている人間関係に答えを、居場所を求めてしまっている間には見えてこなかったものが見えてくる時がある。


 私たちは例えば、無自覚なままの「月」について詳しくなっていく必要がある。さらにそれまでには無かった新しい可能性を盛り込んでいこうとする自らの「太陽」の働きを求めていくことも重要だろう。日常生活をしている地上社会には、社会的常識というものがあり、身近な環境から習得した物事の考え方や価値観がある。私たちにとって初期段階ではそれは大きく見えすぎる。正しさそのものに見えたり、それはある意味、壁でもある。どうしようもない大きなものに見えていたその壁が、やがて乗り越えて行くためのものだったことを後々に知ることになる。私たちが当初外界に投影していた「土星」を自分のものとしていくことが問われるのだ。


 なぎさんのこれから向う先にあるものは、社会的な達成や満足というものに終わらないものなのかもしれない。それを作っていくこともまた時間を必要とすることでもあるだろうし、彼女はやってのけていくかもしれないが、それ以上の話であるということは、あの魚が教えてくれているだろう。

 生命が繋いでいく大きな物語という位置から見るとしたら、それは長い時間をかけて、ようやくなぎさんが次のステージへ到着するというお話である。そしてそれもまたよくあること。

 その長い物語が今、忘却から覚醒へと転換していく大きなポイントを通過する重要な時を迎えているのかもしれない。

 そのタイミングに居合わせることになった、ということ。



 七色はペンを置いた。

 窓の外が気になり書房の外へと出て行く。柔らかな風が全身を通り過ぎる。遮るものも無く空と海は眼前に広がり、その二つが出会う境目もまたどこまでも続いているかのようだった。


「今日はまだ、海が見えていますね」


 遠くに波の音が聞こえている。







 完





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 2024/05/08 5/3執筆スタート。本日85%ほど完了。

 2024/05/09 90%完了。

 2024/05/10 95%完了。明日、残り。

 2024/05/11 全体チェック。

 2024/05/12 公開 トータル約9万7千字


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