第34話 見ている女(ひと)の憂鬱⑤

 両親のことを話していたなぎさんの子供のような無邪気に見える笑顔に、もうひとつの原因、ヒントを七色は見つけていた。もちろんそれは悪いことでは無い。子供から大人へと移行していく、その境目を見たのだ。


 それまで育った中で見て聞いてきた過去のしきたりのようなものや社会で良いとされている常識を、なぎは自ら過剰に重んじてきているところがあるようだ。まだ両親を卒業していない、乗り越えていない、という心理状態とも言えるかもしれない。精神的に親に保護されているかのような状態を心の中に持っているということでもある。それは全く間違ってなどいないが、それまで育った環境から飛び立って、自分の生き方、考えというものを一人の人間として作って獲得していくということを人生に必要なこととして考えた場合には、精神的な自立はこれからなのだという可能性の一つが見えてくる。


 占星術ではこの自立のための一つのタイミングをサターンリターン(土星回帰)と呼んでいる。生まれた時のホロスコープにある「土星」に約二十九年かけて再び同じ位置へと「土星」が帰って来るという時期のことを表わす。

 この「土星」は逆行という現象によって行ったり来たりを繰り返すこともあって、影響力はしばらくの間続くこともある。


 この時期に私たちは、それまで両親や周囲の大人達から借りてきていた物の考え方、捉え方、判断基準、などというものを返していく時だと言われている。それまで社会の大人達から借りてきていたものによって、その上で世の中のことや、出来事、経験においての考えを判断していたという自分から、それらを返却して、新しい自分なりの、自分らしい考え、価値観という軸を立てていこうとするのだ。

 人によっては目に見える形として、結婚、離婚、出産、開業、閉業などの節目的な出来事を体験する人も少なくない。また何らかの試練と言えるような体験を乗り越えて行くことを通して、自らの土星をバージョンアップしていくという経験の場合もある。

 例えば職業的な立場や収入による自立と考えてしまうと二十九、三十歳というのは遅いようにも思えるが、それまで無自覚に大きく借りてきた考え方というものを返していく流れの中で、自分なりの考えや価値観によって、人生を運営していこうとしていく時だと考えるとこの年齢の時期ということは早すぎることも無いだろう。サターンリターンは借りて来ていたものを返し、自らの定義を作っていくという人生の一つの節目の時期だと言える。これは土星という意識の獲得という、自分が天体の意識を投影したままにせず、内包していくことについての話になってくる。


(とは言え、実際の年齢には限りません。その人にとってのタイミングがあります)


 土星が生まれた時の土星に帰って来るまでの一巡り約二十九年間の間には、約七年ごとのチェックポイントも通過する。これはちょうど出生時の土星に対して九十度、百八十度、二度目の九十度という時期に相当する。私たちは時々自分自身を見直し、変更するためのチャンスに出会い、その実際を経験していくのだ。

 七色は、この「土星」の働きを気に掛けながら、なぎさんの意思を尋ねた。


「ご実家のお父さまとお母さまと、今のご家庭でのご家族皆さんのことが好きで、尊敬していて、それでなぎさんは、その素晴らしい大好きな人たちをずっと追いかけていらっしゃるんですね」


「え、あ、そんな自覚はありませんでした…、ですが、考えてみればそういうことなのかもしれません。追いかけてる…でも、凄い人たちにはいつまでも追いつくことなんて無い…ああ、埋らない、埋められないって、ずっと思って来たことって、これなのかもしれませんね」


「ずっと最初から、自分よりも先を行く凄い人たちなのですね」


「はい、そうです。じゃぁ、ずっと先を行く人たちのまま、私は一向に近付けないままなのですね。そうだとは思っていたけど、そんな…」


「近付く必要は、ある…のでしょうか?」


「は?」


「皆さんがやってのけているそれらが必要ですか? 学んで習得して、なぎさんはそれらが皆さんと同じように出来るようになりたい、ですか?」


「えっ。いえっ、いいえ」


「もっとなぎさんがやりたいこと、したいこと、出来るようになりたいことはなんでしょうか?」


「今、学んでいること…です。それ以外じゃ、ありません」


「そう、そうですか。では、もう答えは出ていますね」


「えっ、あっ」


「尊敬している方々、ご家族の皆さんたちは、なぎさんがやっていることについてすでにやっているということはあるのですか?」


「いいえ、私だけです」


「では、その分野において、一族の中では先頭に立っていますね」


「そんなっ」


「その、学びについて反対されたり、制限されたりしていますか?」


「いいえ、全くありません。楽しそうに話を聞いてくれたりもします」


「では、やはり、なぎさんは、その分野を家系の中に持ち込んでいるんです。まだ勉強中とはいえ、例えば家系の中に新しさを持ち込もうとしていらっしゃるのです」


「まぁ、私が…」


「だからこそ、尊敬することは変わらないままに。そしてご家族の中で、どなたもがまだ知らないという世界をなぎさんが運んで来て伝えたり、見せたりしていくことが可能でしょう。望んでもいない間を埋めるんじゃ無く、追いかけても追いつかないままじゃなく、ご家族の皆さんの前に立って新しい世界を楽しくお知らせしていくという場所に立つことが可能なのです」


「なんて…」


「もう、そうするべきなんだという意識で追いかける必要、義務は無いのかもしれません。どこまでも追いつかないまま、でなくてもいいんです。自分以上に出来る人たちというその事実に、自分は到底無理だから負け続けていて当たり前だっていうあり方じゃ無くていいんです。ご家族と同じことを目指していないなら、尚更です」


「そんな…」


なぎさんの好きなことを懸命に追いかけて、学んで、その日々をご家族とシェアしていくという道も、そういうあり方も可能性として存在しています」


「魚…」


「はい?」


「魚が見えます。一匹の魚が…泳いでいるのが浮かんで見えるんです、今」


「初めて出会う感じですか?」


「違います…知っている、魚です。これもここ数ヶ月の間に何度も見るんですが、夢の中で度々出会っていて。何故かいつもいつもその魚は、小さな箱の中とか、家の中に居て空中をふわふわしているんです。水も無いところにいるんです。そしてある時、部屋から出て行って風に流されながら空中を頼りなさそうにふわふわして、やっとという感じで海へ到着して。急に高度を下げてその水に浸かった瞬間から、魚はいきなり元気になって速度を上げて、そしてまるで飛ぶように沖へとグングン真っ直ぐに迷わず進んでいくのを見ているんです。いつの間にか周りは南の島々になっていて、海の色が緑青色になっているんです」


「はい」


「そして、聞こえるんです」


「聞こえてくるんですね」


「はい…。おかえり…って」


「そうですか。そうですか。そうだったんですね」


 南へと向うほど元気になっていく魚を七色も話を進めていく傍らでずっと見ていた。あの魚は、なぎさんに伝えているのだ。その時、天高く魚は飛び跳ねた。陽の光を浴びてきらめく水しぶきと一匹の魚、その風景を二人がそれぞれ見ていた。





 

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