美しい女の毒

春宮 絵里

第1話

 ──これほどまでに美しい女を見たことがない。


親の代わりに出席した葬式で、佐々木理玖は惚けていた。


葬式会場に入ろうとしたその一瞬、俺の視線は突然、通り過ぎる女性に引き寄せられた。


 黒い紋様の着物に黒い帯を身をまとった、妖艶で異常なほど美しい女が静かに姿を現した。その帯は優雅な光沢を放ち、彼女の美しさを一層際立たせていた。彼女の纏められた黒髪は薄月の光に照らされ、輪っか状に光を反射して輝きを放ち、その存在自体が会場に神秘的な雰囲気をもたらしていた。


 彼女はまるで、暗やみの中で輝く満月のような美しさを持っていた。彼女の肌は象牙のような白さであり、彼女の唇は深紅の薔薇の花びらのような美しさを放っていた。


 彼女の姿は女神のようであり、彼女の歩みは優雅で、まるで風に舞う花弁のように美しく、男の心を奪い去った。


 俺は彼女の美しさに圧倒され、彼女の姿が俺の心に焼き付いた。


 彼女が葬式会場に参列すると、周囲の空気が一変した。美しさと妖艶さはまるで魔法のように会場を包み込み、出席者たちの心を虜にしていった。会場には静かな興奮と緊張が広がっていた。


 受付に赴くと、彼女は静かに芳名帳に名前を書いた。


 ペンを手にした彼女の指先は、微かな震えを感じさせる。彼女の眼差しは哀愁に満ち、悲しみに沈んでいるかのように見えた。しかし、その表情にもどこか優美さが残っていた。


 幸運なことに、俺は彼女のすぐ後に参列して芳名帳に書かれた彼女の名前を盗み見る。彼女の美しい書体で『橘椿』と書かれていた。




◆◆◆




──大学の入学式。


 俺は、あの葬式会場に居た女を見つけた。


 橘椿。


 彼女の姿は、人々の中でひときわ目立っていた。その美しさはあの時のまま、永遠の輝きを持ち、男の心を永遠に惹きつける魅力を放っていた。


 しかし、少し雰囲気が違うと感じる。あの時のような柔らかな眼差しは微塵も感じさせず、その眼差しは鋭く、うす気味の悪い笑みを浮かべていた。まるで深い秘密を知っているかのような妖艶さを湛えていた。俺は再び彼女は美しさに圧倒され、目が離せないほどに彼女を見つめ続けた。彼女の笑みはまるで深い闇から湧き上がるようであり、不気味なほど美しく、俺の心を引き付ける魔力を持っていた。




 入学式の最中。ふと、彼女がこちらを見る。視線が絡むと、まるで運命の輪が動き出したかのような感覚が全身を包み込んだ。彼女の美しさはまるで深い闇の中に潜む禁断の果実のようであり、俺はその魅力に抗うことができず、彼女の虜となってしまったのだった。




 入学式から一年が経っても、俺の心は彼女の存在に引き寄せられ、彼女の美しさに魅了されていった。彼女の姿はまるで魔法のように男の心を支配し、彼を深い闇へと誘っていく。男は彼女のそばに近づき、彼女の目に映る深淵の中に身を投じるような気持ちに駆られていた。


 彼女の流し目はまるで甘美な誘惑の歌のように俺の心臓を射抜き、彼女の世界へと誘っていった。その視線には美しさと毒のような甘美さが共存し、彼女の存在が俺の心を狂わせるほどに美しいと気づいた。




 二年経っても、圧倒的な美しさは俺を狂わせた。俺は彼女の存在に完全に魅了され、その美しさに心を奪われた。彼女の姿が目に入ると、心が鼓動し、理性が飛び去るような強烈な衝動に襲われた。だんだんと人気者の彼女を崇拝していく。彼女の姿はまるで風を纏って舞う花弁のように、人々の注目を集め、その美しさと魅力はまるで太陽のように周囲を照らしていた。


 俺は彼女の姿を見るたびに、彼女の魅力に圧倒され、彼女の存在が俺自身を引き寄せるように感じた。彼女の周りには常に群衆が集まる。それもそうだ。彼女の存在は女王そのものであり、男は彼女の影に埋もれていくように惹かれていった。




 三年が経つと、俺は彼女が他の誰よりも自分を見つめてくれることを願っていた。彼女の目が俺の方を向くたび、美しい瞳に捕らわれ、彼女に縋りつきたい衝動に駆られた。俺は自分が彼女の視線に耐えられることを願い、彼女に見つめられることで自分の存在が認められる喜びを感じていた。


 彼女の周りにいる他の人々を嫉妬深く見つめながらも、彼女の美しさに心を奪われた。彼女の笑顔が他の人々に向けられるたび、俺の心は苦しみに満ち、自分だけを見つめて欲しいという強い願望が強く襲ってくるようになる。




 彼女と出会って四年が経つ。俺は、彼女の人気や魅力に触れるたびに、自分自身を見失いそうになった。彼女に対する崇拝はますます募り、彼は彼女の一部となりたいと願った。彼女の存在は俺の心を満たし、生活を彩り、新たな世界へと導いていった。


 彼女の存在は俺の生活の中心となり、彼女のために死ねると強く確信できるほど恋情は彼女に向かっていった。


 それでも俺は、彼女に近づく勇気を持てず、ただ彼女の美しさを見つめることしかできなかった。彼女の存在は心を狂わせ、俺を深い孤独に陥れた。彼女の美しさに圧倒されながらも、彼女の一瞬の視線に救いを見出そうとしていた。


 ──そう……そのはずだった。


 彼女の気まぐれで俺と視線が絡むも、彼女の冷ややかな視線にゾクゾクした不安を感じた。その視線はまるで氷のように冷たく、俺の心に鋭く刃を突き刺さるような感覚をもたらした。自分の内なる葛藤に苦しみながらも、その視線から逃れることができず、彼女の存在が俺を支配していることを痛感した。


 それから俺は、自分の不安や弱さを隠すことができず、彼女の視線に晒されることで、自信を喪失し、不安と恐れに囚われた。心は着々と暗闇に飲み込まれ、彼は孤独な闘いを強いられた。彼女の視線はまるで俺の内なる傷口を切り裂き、苦しめる鋭い刃のように感じられた。




 ──夜。


 大学から彼女の家路の道中、俺は彼女に向かって深い愛を告げた。


「愛している。椿さん。俺だけを見てくれ」


 我ながら、その声は真摯で、その言葉は心からの切実な願いを込めていた。


 積年の愛の言葉に、彼女は赤い唇をにいっと歪めると、微笑みながら近づいた。彼女の美しい瞳は優しさと深い愛情で輝き、俺の心を包み込んだ。彼女の唇が俺の唇に触れると、幸福が全身に伝っていく感覚が襲った。


 その口づけは愛情と情熱に満ちており、彼女の唇から伝わる温かさと優しさは、俺を愛の奥深くへと導いていった。


 俺は彼女からの口づけを受け止めながら、その瞬間を永遠に刻み込みたいと願った。




◆◆◆




 橘さんにのめり込んで、思考停止してしまった男は、段々と視野が狭くなっていった。彼の心は彼女の存在に完全に囚われ、他の何もかもが視界から消え去っていったのだろう。彼は彼女の存在に完全に支配され、彼の行動や考え方は、全て彼女に合わせるようになっていった。


 ──あの女は危険だと、大学中の誰もが知っているのにね。




 彼は彼女の存在から目を離すことができず、彼女が彼の心の中で根深く育っていくのを感じた。彼女の微笑みや視線が彼を包み込み、彼の心を満たしていく。彼の友人や家族は彼に警告を送り、彼が彼女に引き摺られすぎていることを心配した。しかし、彼は彼らの言葉を聞き入れることができず、彼の人間関係は徐々に破綻していった。それでも、彼は彼女の魅力に抗うことができなかった。彼の心は彼女の手に握られ、彼女の支配下に完全に置かれた。


 彼は彼女のためにすべてを犠牲にし、彼女の存在がが生きているの中心となった。彼は自分自身を見失い、彼女の影に取り憑かれたかのように、彼女のために生きることしかできなくなった。彼の心は彼女の虜となり、彼は彼女なしでは生きることができないと感じるようになった。


 彼女の姿はまるで夢の中に現れる幻の美女のようであり、その優雅な仕草は風に舞う花弁のように美しく、その妖艶さで様々な男の心を魅了していた。




◆◆◆





──付き合って半年後。


 俺は椿に「俺以外見ないでくれ!」と声を荒げて懇願した。しかし、俺の懇願などまるで空に消える霧のように、椿の心には届かなかった。


嫉妬は次第に増していき、椿が他の誰かと話すたびに、心の中で猛烈な怒りに満ちた炎を燃やしていった。俺の心はだんだんと嵐の海のように荒狂い、思考は嫉妬心によって暗転した。椿の存在に執着し、椿が同性の誰かと笑ったり話したりすることさえも許容できなくなっていた。


 ついに、俺の心は限界を迎えてしまった。俺は世の男たちが椿の美しさに魅了されても仕方がないと割り切り、彼女の心を奪うことを決意した。




──真夜中。


 椿の家で、俺は優しく彼女の手を取り、彼女の顔を優しく撫でた。そして、自分の手に持つ包丁を椿の胸に差し込んだ。


 椿は驚きの表情を浮かべながらも、俺を嫌悪せずに受け入れてくれた。彼女の心臓の鼓動が次第に静かになる。刺した傷跡から血が流れ、彼女の体を濡らしていった。


 俺は彼女の額に口づけをし、彼女の瞳に最後の愛を見つめた。そして、椿の膝枕の上に頭を置いてくと、今度は椿に刺した包丁を自分の胸に差し込んだ。




 息絶える女の姿はまるで幻のように美しく、その膝で永眠した男の横顔は穏やかな微笑みが浮かんでいた。女の温かい愛情に包まれながら、男は静かに眠りにつき、その姿は天使が人間を寝かしつけるような、穏やかで美しい光景だった。

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