無限原色

太刀川るい

第1話

「あなたの言う話は面白いけれども、そろそろ調査を終わりにしないと」

 埃一つ無いブリッジで船長がそう言った。


「あの……もう少し待ってくれることはできないんでしょうか。あと少しでなにか掴める気がするんです」

 私は小さな声でそういった。昔から声をだすのは苦手だ。いつも舌先で言葉がこんがらがって出ていかない。


「あなたの言う、『無限の色』という概念は面白いけれど、それだけじゃあねぇ……」

 船長はため息を付くと、メガネを直して言った。


「あと、二三日の間に結果を出してください」


 地平線からこの惑星の太陽が登る。地球の太陽より、随分と白っぽい。いや、本当は白という色はないのだ。私達の脳の中にあるだけ。


 この惑星に来たのは一月ほど前のことだ。銀河の中にいくらでもあるような、変哲もない惑星。どこか地球に似ていて、収斂進化の結果か何かはしらないけれども、私達によく似ている種族が、これまた似たような社会を築いている。


 星の世界に漕ぎ出すほど文明が高いわけでもなく、かといって、会話は成り立つので、知的生命体と判断できなくもない。他の惑星と同じように、コミュニケーションを試みたが、ある所で齟齬が生じた。


 惑星の住民にタブレットを見せて、表示されているものと同じものを取ってきてもらおうとしたのだけれども、彼らはそれが何であるのかまったく理解しなかった。ただ、ぽかんと画面を見ているだけだ。物体を写真で撮影したものを画面に表示しても同じだった。


 最初は三次元を二次元の世界に落とし込むという概念が理解できなかったのかと思ったけれども、モノトーンにすると、ちゃんと認識できた。

 ということは色が悪いらしい。


「無限の色覚?」

「ええ、どうも彼らは私達の使っているディスプレイを認識できないようです。どうも色覚が違うみたいなんです」

船に戻って報告をしに行くと、船長は顔を上げた。

「続けて」

「私たちの目には赤、緑、青の波長に反応する3つの細胞があります。この3つの細胞に与えられた刺激が脳の中で集まって「色」になる。

 そういう意味では、ディスプレイというものはまやかしに過ぎません。たまたま私達の視覚が3つの細胞からできているから、その3つの波長だけを照射して、細胞の刺激だけを真似するから、人間には同じ様に感じられるだけです。元の物体のスペクトルとは明らかに違います」


 これが、宇宙時代になっても未だに美術館が元の絵を永遠に保管し続ける理由だ。

 もし、人間の視覚とは違う波長に反応する生き物がいたら、きっと写真を見ても、情報が欠落した何かに見えるはずである。だから、彼らには私の意図することがわからなかったのだろう。


「ちょっとまって、ということは彼らは、スペクトルを直接見ているということ?」

「ええ、そう思うんです。例えば、彼らの言語には色という概念がほとんど見られない。で、単語がそのまま色になっている。

 いくつかの食べ物を見せてもらったけれど、私達には全部同じにしか見えない色を彼らは識別することができる。

 さらに、同じく白にしか見えない試薬をいくつかみせたけど、見ただけで識別することができました。物質の吸収する光の波長をはっきりと識別しているとしか思えません」

「それはたしかに興味深いけど……」

 船長は困った顔をした。

「もう予定が迫っている。本部を説得させるためには力不足ね。他に調査するべきことが見つからないのであれば、この惑星を旅立たなければ」


 無限の色覚がどんなものなのか、私には想像することはできなかった。

 彼らは絵を描くこともあったけれども、それは両手で持てるほどの大きさの石に、顔料を付着させていき、最後にぐるりと回しながら鑑賞をするという独特のものだった。


 中には、迷路のようにそういう石がいくつもならんで置かれている場所があり、彼らはそのなかをゆっくりと歩きながら、何か心を動かされているようだった。彼らなりの芸術なのだろう。


 だが、私から見ても、それがなにかはよくわからなかった。

 興味深そうに眺めていたら、原住民の一人がその意思を一つくれた。それをくるくると回しながら私は彼らの心について考える。


 暗がりで色が消えるということに気がついたはいつだっただろう。もうかなり大きくなった時だった。人間の目の細胞は明るさを認識する細胞と色を認識する細胞の2つがあり、明るさを把握する細胞のほうがずっと数が多い。だから、薄暗がりでは色は消えて、全てがモノトーンの世界になる。

 気がついた瞬間の感覚ははっきりと覚えている。思い込みとは怖いもので、その時まで、私は闇の中でも世界に色がついているとぼんやり考えていたのだ。だが一度世界がモノトーンであることを認識して瞬くと、気がついたときには世界から色が失われて戻らなかった。

 頭のなかでつけていた絵の具が、みるみるうちに流れ落ちてしまったような感覚を強烈に覚えている。


 色のスペクトルは幅広いのに、我々にはそれを測るセンサが3つしかついていない。その値を頭の中で結合して、『色』は生まれる。色は概念であり、『私』とか『りんご』みたいなものの仲間なのだ。


 もし、光のスペクトルを全て見ることができたら……私は彼らの芸術を手の中で回しながら考える。


 その時、私はひらめいた。興奮しながらコンピュータを立ち上げ、表面の色のパターンを読み取らせる。そうだ、分かった。こんな簡単なことだったなんて。


「彼らの芸術の意味がわかった?」

 結果がでるとすぐに、船長に報告しにいった。船長は読んでいた本から顔を上げて私を見た。

「ええ、理解しました。彼らの芸術をいくら視覚で捉えようとしても無理だったんです。彼らの芸術は、つまり我々で言う所の……」


 私の指が再生ボタンにかかる。


 たちまちタブレットから、不思議な音色が漏れだした。いくつもの和音が響き合い、生まれた旋律が軽やかに野を駆けていく。この惑星に沈む大きな夕日を見ているような、そんな感覚が頭の中に走った。まるで天上の音楽だ。


 がたり、と船長が椅子から立ち上がった。


「そうか。なるほど聴覚なのね」

「ええ、私達の耳は周波数を全て聞き分けることができます。彼らの視覚もそれと同じ。複数の波長を反射する物体のスペクトルは、彼らにとって和音として見えるのでしょう。これは周波数に置き換えたものを翻訳機にかけて私達に馴染みの深い音楽にしたものです」


 これを聞いて……いや見て、彼らがどういう気持ちになっているのか、私には解らない。でもあの色のついた石が立ち並ぶ迷宮のような場所をゆっくりと歩く彼らを見ていると、なんとなく、良いものなのだろうと想像することができた。


 船長は目を閉じて、流れる音楽に耳を傾けていると、ゆっくりと口を開いた。


「ありがとう。これを見逃す所だった。もう少し調査を継続しましょう。できるだけ沢山の石のデータを集めるのです」


 私はにっこりしながら部屋を出る。


 耳の奥には、彼らの音楽がずっと流れている。踊りだしたくなる気持ちを抑えて、私は鼻歌をうたいつつ、彼らの元へ向かった。

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無限原色 太刀川るい @R_tachigawa

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