9.ホクト視点:優雅なるアフタヌーンティー

 東雲さんから「今日は盛大なパーティーをするから、必ず夕食に参加するように」という内容のメールが届いていた。

 こんなメールを受け取ったのは初めてだし、ケイと一緒に食事がしたくて、招かれずとも赤ビルの夕食に顔を出している俺になぜわざわざメールを? と不思議に思った。

 そして、わざわざ「パーティーをする」とあるので、なにか特別な催し事 なのかもと考えて、ちょっとしたツテに頼んでモエ・エ・シャンドンの季節限定パッケージを手土産に持っていく事にした。

 赤ビルの前に着くと、いつもと様子が違うと感じる。

 いつもなら閉店後は消灯されて暗くなっている店内が、ほんのりと明るかったからだ。

 閉店後も白砂さんが店に残り、何か作業をしている事もあるが、そういう場合の電灯はもっと明るい。

 だがこのほんのりとした明るさは、チラチラと揺れるキャンドルのようだ。

 俺は正面入り口からフランス窓側に回り込み、ガラスの向こうを透かし見た。

 明かりが灯っているのは店の一番奥のアナログレコードの棚の前の席のようだが、その辺りは観葉植物のパーテーションや視聴コーナーの向こう側なので、テーブルの様子はよく見えなかった。

 なので俺はフランス窓から離れ、裏のメゾンの入り口から赤ビルに入って、エレベーターには乗らずにマエストロのフロアを覗きに行った。

 キャンドルの側に誰もおらず火事になったりしても困るので、状態を確認しておこうと思ったからだ。

 だが扉を開けたところで、フロアに繋がる廊下の向こうから人の話し声が聞こえてきた。

 それはヒソヒソというほどでもないが、なにか秘め事めいた感じの声音だったので、俺は会話を妨げないようにそうっと廊下を横切り、フロアを覗いた。

 案の定、チラチラとした灯りはテーブルに置かれたキャンドルスタンドのもので、俺が裏の玄関に回っている間に追加されたらしく、レコードラックに設置された間接照明も点けられて随分明るくなっている。

 キャンドルと生花で飾られたテーブルにはアフタヌーンティー用のタワーが置かれ、タワーに乗せられた皿の上には白砂さんの手製らしいお菓子や料理が華麗に盛り付けられていた。

 そこに向かい合って座っている二人は、キャンドルに照らされていつにも増して幻想的に見える白砂さんの顔と、背中のシルエットだけでそれと解る小熊さんだ。

 ポットから紅茶を注いだ白砂さんが、ソーサーに乗ったティーカップを差し出すと、小熊さんがそれを受け取ったのだが、その際に小熊さんの手が白砂さんの手に触れた。

 その瞬間パッと顔を上げた白砂さんは、いつもの落ち着き払った仏頂面としか言えぬ無表情な人とは別人のように、可愛らしく戸惑った顔をしていた。

 はにかんだ顔がポッと頬を染めて俯く様子は、地顔が美形なだけに「花のように愛らしい」なんて形容がまさにピッタリだった。

 俺ですらがドキッとしているのだから、小熊さんなんか心臓バクバクになっているだろう。


「じゃあこれからは、聖一サンって、名前で呼んでもいいですか?」

「構わない」


 小熊さんの問いに白砂さんが小さく頷いている。

 なんだか凄くいい雰囲気で、俺の知らぬ間に二人の仲は好転し、急接近しているらしい。

 上ずりつつも嬉しそうな声で、小熊さんが言った。


「それでは僕のコトも、もっと親しく呼んでもらえますか?」


 俺はすっかり盗み見の状態になっていたが、白砂さんを応援する身としては、ある程度の結末を確認するまでは、ここから引くに引けないだろう。

 白砂さんは照れたように暫く目を伏せていたけれど、顔を上げた時には、綺麗な微笑を浮かべていた。

 いい感じの雰囲気がグッと盛り上がる。


「では、これからは私も親しく呼ばせてもらうよ。電書ボタルの電ボ」


 俺はガクッとコケて、危うくフロアに転げ出るところだった。

 たぶん自分にそんなアダ名が付けられてると知らなかったのだろう、小熊さんの背中が固まっている。


「……はぁ!?」

「なにかね?」

「なんなんですか、その、デンボって?」

「柊一が君のことを、その愛称で呼んでいるので、私もそう呼ばせてもらうことにしたのだが?」

「それは僕の愛称じゃありませんっ! っていうか僕、そんな愛称、初耳です!」

「そうなのかね?」


 まったくもう柊一サンは…、とかなんとか小声で東雲さんの事を罵りつつ、体勢を立て直して小熊さんが言った。


「僕のことは名前をそのまま、イタルと呼んでください」

「了解した。ではイタル、どうぞ食べてくれたまえ」


 白砂さんに優雅な仕草で勧められて、小熊さんはタワーからパイを1つ取り、それを口にする。


「美味しいなぁ。やっぱり聖一サンのキドニーパイは、格別です」

「君は本当にキドニーが好きだな」

「僕の好きなパイを覚えてくれたんですか?」

「最初に君を見た時に、アダマ提督のようだと思った」

「それは誰ですか?」

「子供の頃に見ていたSFドラマの登場人物だ。滅亡の危機に瀕した人類を率いて、どんな困難にも立ち向かう…私のヒーローだ」


 小熊さんに向かって微笑んでいる白砂さんはとても綺麗だったが、このまま白砂さんの話がオタク趣味の方に進むと、また小熊さんが興味ない態度になったりしそうでまずいなぁ…と俺は危惧した。

 でも。


「もっとも、君は暗闇で私を見て、幽霊と勘違いするような粗忽者だが。しかし欠点の無い人間など、つまらんからな。柊一は君が容姿で私に一目惚れをしたと批難したらしいが、私も君の外見から君に好意を持ち、君が美味しいと言ってくれたので、柊一にはあまり好評ではないキドニーを、頻繁に焼いている。お互い様と言うべきだろう」


 そこまで聞いて、俺はそっと廊下を戻ってエレベーターホールに行き、エレベーターを待たずに階段を登ってペントハウスに向かった。



 ペントハウスのリビングには東雲さんと多聞さん、それに海老坂がいて、ダイニングテーブルの上には白砂さんが小熊さんと食べていたのと同じ料理が、大皿いっぱいに盛られていた。


「おーう、来たかアマホク!」

「どうも、こんばんわ」


 大きなテーブルのキッチン側に東雲さんと多聞さんが並んで座っていて、東雲さんの向かい側に海老坂がいたので、海老坂の隣はどうもな…とは思ったものの、だからって俺が東雲さん達の居る方に座るのもおかしい気がしたので、海老坂の隣に一席空けて座った。

 ケイはキッチンに居て、俺が来たのをガラスの扉越しに見ていたらしく、俺も含めた人数分のお茶を運んで来て、配膳が済むと東雲さんの隣に座ってしまった。


「あの、パーティーって連絡をもらったんで、コレを差し入れに持ってきました」


 俺が持っていた手提げを差し出すと、あまり呑まない東雲さんが、モエ・エ・シャンドンのラベルを見たら、予想以上に嬉しそうな顔をした。


「レ〜ン〜」


 東雲さんはノリノリな様子で多聞さんに声を掛け、リズミカルに指を三回鳴らしてから、いきなり歌い始める。


「なんなのシノさん、いきなりクイーン?」

「コレ見たら、そう来るに決まってるじゃん」


 手渡されたワインボトルを眺めて、多聞さんは「ああ」と頷いた。


「なんなんです?」


 意味が解らず、俺は訊ねた。


「えーと、キラークイーンって曲の中に、モエ・エ・シャンドンが出てくるんだよ」

「なかなか気の利いた差し入れだナ」

「でもシノさん、これはお祝いに、下の二人にあげた方が良いんじゃないの?」

「セイちゃんの極旨パイと、タモンレンタロウ君の粘土パイの区別もつかないような電ボに、こんなシャンパンは必要ナイわい。ケイちゃんの成人式にでも開けよ」


 そう言って、東雲さんは俺の土産をしまっておくように多聞さんに言いつけて、多聞さんをキッチンへ行かせてしまった。


「下で白砂さんと小熊さんがお茶してたようですが、どうしてあんなに上手くいったんですか?」

「あんなに上手くいったって、オマエ覗いてきたのかよ?」

「下衆な言い方するな。閉店してるのにキャンドルが灯ってるみたいだったから、火の用心にフロアの様子を見に行っただけだ」


 実際、自分でも覗き見してきた自覚があるのでちょっと顔が赤くなり、そんなことをケイの前であれこれ言われたくなくて、海老坂を睨みつけた。


「まぁまぁ、何はともあれメゾン初のカップル誕生を、みんなで祝おうではないか」


 東雲さんがティーカップを掲げると、なぜか海老坂も東雲さんを真似たノリノリになってカップを掲げたので、勢いに釣られて俺もケイも多聞さんもカップを掲げて乾杯をしてしまった。

 奮発したらしいプリンス・オブ・ウェールズの香りを堪能したところで、ソーサーにカップを置き、俺は言った。


「それにしても、白砂さんって本当に素晴らしい人ですね。俺も最初は色々と勘違いしてしまって、人のこと言えた義理でもないんですが、小熊さんに白砂さんの人となりの良さが分かってもらえて安心しました」

「だーから俺は何度も言ったじゃんか、セイちゃんはスゲーって。コグマになんかもったいなさすぎだっつーの! でもまぁ、せっかくくっ付いたんだから、祝福してやろうや。それに安心すんのはまだ早いんじゃね? あのカップルは、むしろこれからが見どころ満載になるじゃろし」


 東雲さんは二人を祝福していると言うより、なんだか意味深なニヤニヤ顔だ。


「そうなんですか?」


 お兄さんに向かって問うケイに、海老坂が肩をすくめる。


「あんなデコボコカップル、平穏無事に行くワケ無ぇだろ。なにしろあの電ボときたら、白砂サンはオマエに気があるんじゃねーかって、ずっと疑ってたくらいのトンチキ熊だぜ」

「はあ?」

「ええ!」


 ケイと俺が同時にびっくりすると、海老坂は俺に向かって呆れ顔をする。


「オマエまで気付いてなかったのかよ? アイツ、ダブルデートの時なんか、中師と白砂さんのデートに付き合わされたって、ブー垂れてたんだぞ」

「あの状況で、なんでそんな風に思うんだ? 白砂さんは小熊さんを素敵だとか言って、意識し過ぎて照れちゃって、気軽に口もきけなくなってたくらいなのに!」


 でも言われてみれば、無言でケイと白砂さんをじっとりと見たりしてたのは、つまりそういう事だったのか…。


「実を言うと俺は、小熊さんってイミフな行動が多いっていうか、時々話が全く通じなくなったりするから、あの日もあんな態度だったのかと思ってた」

「コグマがイミフに見えるのは、アイツが軽薄で目先のコトしか考えてねーから、予想と結果が食い違って変になってるからだし、話が通じなくなるのは、アイツが自己中で自分のコトしか考えてねーから、肝心な事を覚えてねーんだよ」

「さっすがエビちゃん、まさにその通り!」

「ああ…そーゆーことか…」


 同居しているだけあって、海老坂は小熊さんの事がよく分かっているようだ。

 俺の向かい側の席で、ケイも頷いていた。


「小熊さんは格好いいからなあ。あれじゃ、白砂さんも緊張してしまうだろう」


 俺も含めてその場に居た全員が、半口を開けてケイを見てしまった。

 少ししてから、東雲さんがようやく声を出した。


「ケイちゃん、本気か?」

「何がですか?」

「本気でコグマがカッコええって、思ってる?」

「はい。小熊さんのルックスは、男らしくて格好いいと思います」


 海老坂が小声で「マジかよ…」と呻いている。

 もちろん俺のケイに対する想いは、何があっても目減りしたりしない。

 が、あの小熊さんをカッコいいと思ってるケイに、俺のルックスはどう思われてるのかな…って考えたら、もうちょっと筋トレ量を増やそうと思ってしまった。



 カップル不在の新生カップル祝賀パーティー終了後、俺は海老坂と共にペントハウスを出た。

 別に一緒に帰りたかったワケでも、申し合わせたワケでもない。

 ただ俺は海老坂だけ残して先に帰りたくなくて、海老坂は俺だけを残したくなくて…と、互いに牽制し合った故にそうなっただけだ。

 エレベーターのボックスが5階に無かったので、そのまま連なって階段を降り始めたら、下から人の話し声と階段を登ってくる足音が聞こえた。

 シャフトを透かして見下ろしても、エレベーターボックスが一階にあるらしく、視界に姿は入ってこない。

 だが確認するまでもなく、話をしているのは白砂さんと小熊さんだろう。

 俺達は四階の踊り場辺りにいたのだが、このまま降りて行って二人に遭遇すると、アフタヌーンティーを楽しんできた二人の空気を壊してしまうかもと思って足を止めた。


「なんだ、また覗きか?」

「そういうおまえの方が、見てるじゃないか」


 小声で俺を揶揄してきた海老坂の方が、俺より先にシャフトの鉄枠越しに下を見ていた。


「キドニーパイまで失敗してなくて、ホントに良かった!」


 小熊さんの声がハッキリ聞き取れたが、まだ姿は見えない。


「私は、パイを失敗などしていないよ」

「でも昼間食べたアップルパイが…」

「あれは私の作ったパイでは無いよ」

「ええ?」

「マエストロが、他のパイを焼くついでに焼いて欲しいと言って持ち込んできたものだ。マエストロが作ったにしては、あまりにも不出来だと思っていたら、マエストロが君を驚かすために、多聞君に作らせたものだと教えられた」


 そういえば俺がモエ・エ・シャンドンを渡した時に、東雲さんが「タモンレンタロウ君の粘土パイ」なる発言をしていたが…?

「海老坂、粘土パイってなんだ?」


 俺がヒソヒソと問うと、海老坂が東雲さんみたいな、おかしなニヤニヤ笑いを浮かべる。


「ああ、それな、面白いから後で直接、東雲さんに聞いた方が良いぜ」


 そうこうしている間に、二人がすぐ下の踊り場まで登ってきた。


「あの、聖一サン」

「なにかね?」

「少し気が早いかも知れませんが、僕は聖一サンと、部屋のシェアがしたいです」

「それは、私も出来ればそうしたい所だが、現状では、ほぼ不可能だろう」

「なぜでしょう?」

「私の部屋には、先日君が見て気分を悪くした映画の宇宙人のフィギュアや、同じような造形物がたくさん置いてあるので、君には非常に居心地が悪いと思われる」

「ええっと…それって、小さいのですか?」

「サイズは様々だ。小さな全身像もあれば、実寸大の物、頭部パーツのみの物などもある」

「そうですか…」


 二人の会話を聞いて小熊さんがあの映画を怖がっていた事に、俺は今更気付かされた。

 道理でいつもよく食べる人が、あの日のランチはちっとも食が進まなかったのは、そのせいだったのか。

 三階の踊り場で立ち止まった二人が、挨拶をしている。


「では、また明日」

「はい…おやすみなさい」


 そう挨拶した小熊さんが、握手を求めるように右手を差し出す。

 条件反射のように白砂さんが差し出された手を握ると、小熊さんは白砂さんを自分の方に引き寄せて、ハグをしながら白砂さんの頬にキスをした。


「あっ! やったな小熊さん!」

「おっ! やるじゃん電ボ!」


 シャフトの鉄枠に張り付いていた俺たちが、思わずそれぞれに呟く。


「あの、嫌でしたか?」

「いや、あの…、おやすみ、イタル」


 ようやくと言った感じで返事をした白砂さんは、小熊さんに顔を覗き込まれそうになるとパッと身を翻して、タタッと階段を駆け登ってきた。

 四階の踊り場にいた俺たちは、駆け上ってきた白砂さんと真正面から顔を合わす形になった。

 俺たちは鉄枠から離れて普通に階段を降りてきた風を装っていたが、なにせ相手はあの白砂さんだから、きっと一階にいた時から俺たちの存在に気づいてただろうと思っていた。

 それでも一応、俺も海老坂も普段通りの挨拶をした。


「あー、こんばんは」

「あー、失礼します」


 ステップを踏むような足取りで階段を上がってきた白砂さんは、俺たちを見た途端、こっちがびっくりするほどびっくりした顔をした。

 でもすぐにいつも通りの何事もなかったような顔つきになり、おやこんばんは、と普通に挨拶をして、スタスタと自室に入っていった。

 だが普通に歩いているように見えたのは一瞬で、すれ違った後になんとなくその姿を目で追って振り返ると、手指の先がピコピコと踊っていて俺と海老坂は思わず顔を見合わせてしまった。


「あれって…」

「なんか、あれだな…」


 今後どういう展開になるかは分からないが、とりあえず今夜の白砂さんは、本当に幸せな気分なのだろう。

 俺達が階段を降りると、小熊さんはすでに部屋に入ってしまったようで、踊り場に人影は無く、俺はそこで海老坂と別れて赤ビルを出ると、坂の上の自宅マンションに帰宅した。




*名古屋メシとアフタヌーンティー:おわり*

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