8.エビセン視点:柊一からの祝福

 神楽坂の商店街に入ったところで、俺はコンビニの前で自転車を止めた。

 毎週買ってる雑誌の発売日だったので、買って帰りたかったからだ。

 コンビニに入って雑誌を手に取り、弁当や菓子の陳列棚を適当に冷やかしてからレジに並ぶ。

 そして俺がコンビニを出ると、歩道の端に止めた自転車の傍で、東雲サンが蹲っていた。


「お兄さん、どーしたんすか?」

「…って、エビちゃ…。スッゲ…、早い…」


 ゼエゼエと肩で息を切らせながら、東雲サンは途切れ途切れに声を出す。


「あ、もしかして、お兄さん後ろから声掛けて追って来てました?」


 自転車で商店街に入ったところで、なんか叫んでる声がした気がしたのだ。


「き…気づいてたら、…止まって欲しかった…ヨ?」

「すんません。ヘッドホンで音楽聴いてたもんで」


 ようやく息が整ってきたらしい東雲サンは、よろよろと立ち上がった。


「ちぃと、エビちゃんに手伝って欲しいコトがあるんよ」

「なんでしょう?」

「エビちゃん、昨日のダブルデートの顛末、聞いてる?」

「あ〜、俺の情報源は同居人なんで、かなり解釈が歪んでる可能性ありますけど。一応は聞きました」


 促されたので、俺は自転車を引っ張りながら東雲サンと一緒に歩き出す。


「実はナ、今朝俺が朝飯食ってたらレンが来てナ。開店前からコグマがカフェに頑張ってるし、それにセイちゃんがいつもと違うって言うんサ」

「違うって、なにが?」


 話しながら東雲サンは百均に立ち寄ると、パーティ用品の "紙が散らからないクラッカー" を無造作に、かなり大量に購入した。


「ん〜、レンは言葉の足りないオトコだから、そーいう言い方しか出来なかったンだと思うが、様子を見に行ったら、ちぃと上の空っぽかったナ」

「はあ? あの白砂さんが、上の空になるコトなんて、あるんすか?」

「そりゃ、セイちゃんだって人の子じゃもの、上の空になるコトぐらい、あるんすよ」


 東雲サンはニイッと笑って、俺のためにメゾンの扉を開けてくれた。

 だが、俺と東雲サンが喋りながら屋内に入ったと言うのに、厨房から白砂氏が顔を出さない。

 これがつまり、東雲サンの言う "上の空" なのかと思いつつ、俺は自転車をいつものスペースに駐めた。

 東雲サンはエレベーターホールで、既にエレベーターの扉を開けてくれていた。


「確かに、いつもと違いますね」

「いや、今セイちゃんが厨房から出て来なかったのは、浮かれているからで、上の空だったのは午前中で解消されてるよ」

「それって、どーゆー話の流れなんですか?」


 エレベーターは三階で止まらずにペントハウスに直行だった。


「俺は正直、セイちゃんもエビちゃんみたいな素敵なカレシを作ったほーがええと思うンだけど。でもセイちゃんは、コグマがステキだから、お付き合いがしたいってゆーんさ」

「うっわ、マジすか?」


 思わず言ってしまったが。

 蓼食う虫も好き好きと言うか、人の好みは千差万別と言うか、とにかく俺は白砂氏の悪趣味に呆れて、他に言葉が出てこなかった。


「マジなんすヨ。でもな、夕飯ン時にアマホクから聞いた話と、ケイちゃんから聞いた話と、更にセイちゃんから聞いた話を総合すると、コグマは昨日のデートでは、自分はトバッチリを食わされた被害者って思ってるっぽいって俺は思ったんよ」

「っぽいんじゃなくて、ハッキリ被害者って言ってましたよ。白砂さんは中師に気があって、自分は中師と白砂さんのデートにつきあわされたみたいだって」


 今度は東雲サンが、呆れたというか、どっしょーもねーなー、な顔になっている。


「ま、そんなこっちゃろと思ってたが…。そんで、エビちゃんはなんて返事したのよ?」

「んなワケねーだろ、ありゃオタクと天然の歯車が噛み合ってるだけだって言いました」

「おー、さすがエビちゃん、ナイスな返し!」

「それで、トンチキな電ボがカフェに踏ん張ってたのは、どうしたんですか?」

「あんなデカブツ、一部の特殊なお客さん以外にはただ邪魔っけなだけだから、俺が特別スペシャルな爆弾を食わせて、追い払ったよ」

「それってどんな爆弾です?」

「タモンレンタロウ君謹製の、スペシャルアップルパイだな」

「ええ? タモンさんって、パイなんて作れるんですか?」

「どうだかなぁ? パイつーより、油粘土で作ったみたいなシロモノだったナ」

「なんか、聞いただけでもヤバげなんですけど、そんなもんコグマは食べたんですか?」

「オマエがずっとカフェに頑張ってるから、セイちゃんの心が千々に乱れて、アップルパイがこんなブサイクになってしまったぞ! って言ってやったら、コロッと信じて、メッチャ深刻な顔しながら油粘土を食ってたヨ」


 東雲サンの返事に、俺は我慢が出来なくなって爆笑してしまった。


「そりゃスゲェ!」

「うん。そんで粘土を食ったら、コグマもなんかちぃと反省したらしくてナ。セイちゃんにデートの時はごめんなさいアンド、セイちゃんとステディなお付き合いしたいですって告ったもんで、セイちゃんはすっかり浮かれちゃってるってワケ」


 東雲サンがコグマにどういう説教をしたのか知らないが、それが少しは響いたのだとしたら、アイツにもまだ見所があるんだろう。


「そんで、俺は午後から厨房に入って、セイちゃんから情報を引っ張り出したんだけど、セイちゃんはコグマとステディなお付き合いがしたいって言ってんのよ。そんならまぁ、俺はオトナとして見守りつつ、大家としてメゾン初のカップル誕生を盛大に祝福してやりてぇナ〜、と思ってサ」


 自分は白砂氏とコグマの意志を尊重して、余計な口出しはしないでおく。

 みたいな言い方をしているが、東雲サンはあの齟齬だらけのカップルがこの先問題を連発して、トラブルまみれになるのを期待しているワクワクキラキラ!

って本心が丸出しの顔をしている。

 俺は東雲サンがとんでもなくゲスで、面白ゴシップ&トラブル大好き人間なことに気付いている。

 なにせこの人は、コグマに部屋を横取りされた俺が、報復がてらの騙し討ちみたいな方法で部屋のシェアをさせた時、俺がコグマを陥れようとしていた事に気付いていたのに、そのまま見て見ぬ振りをしていた。

 それに「エビちゃん推し!」などと公言して、俺が中師を狙っている事を応援してくれているが、その言葉を額面通りに受け取っていたら、とんだ肩透かしを食うに決まってる。

 だが得てしてこういう人物は、本当に、いざって時には、最強の味方にもなったりする。


「で、お兄さんがわざわざ、俺に頼みたいってのは何ですか?」

「だから、俺はお祝いにペントハウスで大パーチーを開くよっつったんだけど、セイちゃんはまずコグマと二人だけで、ロマンチックなお食事会をしたいってゆーんだよね」

「どっかのホテルディナーにでも行くとか?」

「マエストロ神楽坂っつー素敵なカフェで、アフタヌーンティーがしたいんだと」

「俺はガッツリ飯の惣菜なら作れますけど、アフタヌーンティーなんて小洒落たモン、どうやって作るのかも知りませんよ?」

「いや、アフタヌーンティーの準備は、セイちゃんがこころゆくまで自分でするっつーから、安心して」

「そんじゃ一体、俺に何を手伝わせたいんですか?」

「俺の心ばかりのお祝いに買ってきたこのクラッカーを、コグマの電ボに発砲するのを手伝って」

「はあ?」

「うん。こーゆーノリと機転が必須のミッションは、エビちゃん以外にお手伝いなんか頼めないからさ!」


 東雲サンは実に楽しそうに意地悪く「フヒヒヒヒヒヒ」と笑った。



 カフェの閉店を手伝い、アナログレコードが置いてある棚のテーブル周りをいつも以上に念入りに片付け、俺と東雲サンはアナログレコードの作業部屋に隠れていた。

 すべての準備が整ったのを確認してから、東雲サンはコグマにメールを送る。

 しばらくすると、階段を降りてくる足音がした。

 レコード部屋の扉は引き戸なので、少し隙間を開けて廊下を覗いていたら、コグマが俺達の前を通ってカフェに向かって行った。

 俺達が覗いてる事には全然気付いておらず、コグマの姿がカフェのフロアに入ったところで、東雲サンがスッと静かに開けた扉を抜けて出る。

 カフェの明かりは落としてあり、テーブルの上に、如何にもなキャンドルが灯されている。

 白いレースのテーブルクロスの中央には三段になったアフタヌーンティー用のタワーが置かれ、各皿には白砂氏が細部にまでこだわった菓子や料理の数々が、これまた如何にも優雅に盛られている。

 白砂氏はフロアに入ってきたコグマに向かって、真っ直ぐ視線を向けた。


「座ってくれたまえ」


 フロアが全体に薄暗いので、コグマの様子の詳細は判らなかったが、右手と右足が同時に前に出る程度に態度が変だから、よほどカチカチになっているんだろう。

 対する白砂氏はコグマを席に座らせると、コグマの正面にゆっくりと腰を降ろした。


「この時間がアフタヌーンティーには最適だ。4時から5時くらいに、お茶とお菓子を楽しむ」

「そうなんですか」


 俺はコソッと東雲サンに訊ねた。


「お兄さん。白砂サン、いつも通りに見えますけど、どこが浮かれてるんですか?」

「いや、ありゃ、そーとー浮かれてるヨ」

「そーなんですか?」

「ほら、わかんね? セイちゃんは表情にはあんまり出なくても、喜んだり怒ったりして気分が動揺してると、動きが芝居掛かるつーか、ナリキリみたいになるんよ」


 そう言っている東雲サンは、分かりやすいほど悪ノリ全開な顔をしている。

 俺は視線を白砂さんとコグマの方に向けて、様子を観察した。


「先ほどの、君からの申し出だが」


 白砂氏が切り出すと、コグマはハッとして白砂氏の顔を見た。


「とても嬉しかった。君の申し出を受け入れる」


 既に顔を赤らめていたコグマだが、薄暗い部屋の中で後ろ姿しか見えていないにもかかわらず、頭の天辺から蒸気が吹き出てきそうなほど逆上せあがっているのが見て取れた。

 その瞬間を狙って飛び出した東雲サンに引き続き、俺もフロアに飛び出ると、構えていた大量のクラッカーを、コグマ目掛けて派手に連発しまくった。

 相当ぶったまげたのだろう、コグマは椅子の上で垂直に飛び上がって、地鳴りがするほどゴロッと床に転げ落ちた。

 そのまま仰天して口をあんぐり開けているコグマに向かって、東雲サンは更にパンパンとクラッカーを打ち鳴らす。


「ブラボー、コグマー! 良かったなぁ!」


 続けて俺も、東雲サンの "お手伝い" をするために、同じ様にクラッカーを打ちながらコグマを冷やかしてやった。


「コングラッチュレーション、英会話先生! オマエも、やりゃあ出来るじゃん!」


 床に座り込み、キョドりながら左右に立った俺達を見ているコグマの様子があんまりおかしいのと、東雲サンのノリに合わせるため、とにかく俺はクラッカーを打ち鳴らし続けた。


「その辺で止めてくれまいか」


 先に東雲サンがクラッカーを鳴らすと言ってあったからか、白砂氏は俺達に声を掛けたのみで、自分は悠々とティーポットからカップにお茶を注いでいる。

 その完璧なまでに優雅な立ち居振る舞いが、芝居がかっていると言うか、宝塚のステージみたいと言うか、東雲サンの言う通り、確かにこれは "ナリキリ" 状態だ。


「あの、あの、これ…」


 アワアワしているコグマの腕を掴み、東雲サンが立ち上がらせたので、俺は倒れていた椅子を元の位置に置いた。


「今日は特別早仕舞いで店を貸切にしたぜー! メゾン・マエストロ初のカップル誕生を祝って、盛大に記念の大パーチー! と言いたいところじゃけど…」


 椅子にコグマを座らせると、東雲サンはその両肩をパムパムと叩いた。


「セイちゃんが、今日はオマエと二人っきりで、キャッキャうふふのアフタヌーンチ〜をしたいっつーから、俺らは遠慮しといてやるよ!」


 最後に東雲サンはお得意の「ケケケ」という笑いを言葉尻にくっつけて、それからレジ脇のカウンターに向かう。

 そこには白砂氏がアフタヌーンティーのタワーに盛るために作った料理が、大皿4枚分、たっぷり盛られていた。

 つまりそれはペントハウスのディナー分に用意されていたもののようで、目配せしつつ大皿を渡してきた東雲サンに頷いた俺は、両手にそれを持ってカフェフロアから廊下に向かった。


「ああ、コグマ!」


 俺の背後で、東雲サンがコグマに声を掛けている。


「今度またセイちゃんを泣かせるようなマネしたら、どんなにセイちゃんがオマエを庇っても、お付き合い禁止にすっからな!」


 釘を刺されたコグマの顔は見えなかったが、東雲サンに向かって縦に首をブンブン振っているだろう事は容易に想像がついた。


「ま、ベッドで啼かすのは構わねェけどなあ、オトナのお付き合いじゃし」


 再び「ケケケ」と笑って、東雲サンはこちらに歩いてきた。


「俺、引っ越ししなきゃだなー」


 俺はコグマに聞こえよがしの大きな声で、こちらに来た東雲サンに向かって言った。


「なんで?」

「だってコグマは白砂サンと、しっぽりうふふでルームシェアしたいでしょ?」


 俺の下世話なセリフに、きっと小心者の電ボがフロアでアワアワしていることだろう。

 エレベーターに乗ってから、もうコグマには聞こえなくなったところで、俺はちょっと真面目に東雲サンに言った。


「でも俺、ココから出てくのはイヤなんで、コグマが白砂サンとシェアしたいっつーなら、コグマが白砂サンの方へ移るか、または俺と白砂サンの部屋のチェンジをお願いしますよ」

「ん〜、それ、どっちもする必要はナイと思うぜ」

「なんでですか?」

「そりゃ、コグマはセイちゃんのステキなコレクションを見たら、絶対にビビって、部屋のシェアなんて出来ないと思うもん」

「コレクション?」

「あー、エビちゃんはセイちゃんの部屋に行ったコトないんだっけ? セイちゃんの部屋、オタク的なオモチャだらけで、等身大エイリアンとかゾンビみたいのがい〜っぱい飾ってあるから、まんまオカルトハウスみたいなんだぜ」

「ああ〜。そりゃ、アイツにゃ無理だナ…」

「セイちゃんってさ、今までオトモダチがじぇ〜んじぇんいなくて、テレビばっかり見てたんだって。だからどんだけコグマに惚れたとしても、人生掛けて集めてるお宝コレクションを捨ててまで、同居したいとは思わないと思う」


 東雲サンの説明に、俺は自分の白砂サンに対する認識を改めるべきだと思った。

 白砂サンは「チョイとオタクな神経質で鬱陶しい人物」なんかじゃなくて「オタクの非日常が日常と地続きになっちゃってるとんでもなく有能な人物」なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る