私の行方は何処にある

 ──生きる意味とはなんだろう。


 きっと、むかしむかしからたくさんの人が考えてきた難題だ。未だにこれ!という解が見つかっていない難問中の難問。でも妥当だと思える。生き物の根源に関わる問いだから。


 だって、ね、生きることって大変だもの。辛いもの。だけど、死ぬのだって訳が分からなくて怖いからさ。死んだ人には聞けないものね。死ってどんなものですか?生とはどんなものでしたか?って。


 生きる意味。それはふと眠る前のある瞬間に、冬の道を歩いている時に、今まで心血注いで努力してきたことが全て無に帰した瞬間に、我が子を始めて腕に抱いた時に、道端で誰かの死を見た時に、自らが今まさに死に向かおうとしているその刹那に。きっときっと、みんな考えただろう。


 そして、答えが出た人もいれば、出なかった人もいるだろう。けれど、その過程や、答えは人によってやっぱり違うだろう。人どころか、その時、その場面ですら違うだろうさ。


 でもそれは当たり前で。だからこそ生物の素晴らしさ、生の尊さを、閃く火花や遠くで煌めく恒星のように輝かせるのかもしれない。


 私の生きる意味はなんだろう。意味と理由は異なるけれど、“生きる意味”においては近しいようにも思える。ああ、難しいなぁ。そして、簡単に答えてしまいたくない、重みのある問いだ。さっと答えが出るものでもない。


 だけど、今死にそうだから今!今すぐ答えて!!と誰かに言われたら。私は、私が愛し、私を惜しむ人の為に生きている、と答えるかもしれない。死ぬのが痛くて寂しいからでもいいけれど。



“生に意味などなく、また死に意味もなし。故に我らは、ただ生を続け、そして繋げてゆくだけなのだ”



 そんな格好付けたこと言えたら良かったけどね。でも生憎と、私はそんな風に生きちゃいないから。


 兎に角、私の世界は生きるには苦しみが多すぎて、死ぬには未練が多すぎる。なれば、せめて死にきれない分だけは、大切なものたちの傍で生きていようかなと思うのだ。それが多分、“生きる意味とは”という問いに対する、今この時の私の答えだ。


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