第三章
第16話 オープンキャンパスを目指して
「第三オケ復活したんだ」
「ええ。夏休み前のオープンキャンパスを目指して練習を始めるところです」
蝉の声が鳴き出した六月の中旬、旧校舎のレッスン室にて────私と創路さんは二人きりで駄弁っていた。
…………。
私は意気揚々とピアノを弾く彼女へ視線を向ける。
「というか、あなたはなぜ私のレッスン室に来るんですか」
「だって暇だし?」
「……昼休みだからってここを休憩場所にしないでください」
私は深いため息を吐いてしまった。用も無いのにわざわざ来ないでほしい。創路さんは私の嫌がる仕草を楽しんでいる節がある。だから、あえてここにピアノを弾きに来るのだ。
しかし……私は創路さんのピアノを心のどこかで気に入っているから、無理矢理追い出すことはしなかった。毎回、文句は言うけれど。
「リっちゃん! 購買でお菓子買ってきたから食べよ!」
「こらこら、そんな大声出さないの」
「へー、旧校舎にこんな場所あったのか」
ぞろぞろと話しながら、三人がレッスン室に入ってきた。西島さんと宮本さんと……獅々田くんだ。あの日にここが見つかって以来、西島さんと宮本さんもよく来るようになってしまった。私はまたしても望まぬ来訪者に頭を抱えた。
「どうしてここをたまり場にするんですか……」
「あれ、もしかして創路さん? 長谷部から話は聞いてるよ。その節はありがとな」
獅々田くんが創路さんに声をかけた。同じチェロのよしみとしてだろう。創路さんは鍵盤から手を放した。
「獅々田くんだっけ? そっか、獅々田くんも第三オケか。長谷部、元気してる?」
「相変わらずだよ。ってか、空矢と仲良いとは聞いてたけど……昼休みに一緒にいるくらいとは思わなかった。もしかしてそういう……?」
獅々田くんは私と創路さんを交互に見つめた。私たちは同時に首を横に振った。
「あはは、無い無い」
「この女が勝手に入り浸ってるだけです。迷惑って言ってるのに……」
私は嫌味たらしく言うけれど、創路さんはただ笑っているだけだった。
「リっちゃんってキノコとタケノコどっち派?」
持っていたレジ袋をがさごそ漁りながら西島さんが尋ねてくる。
「なんですか、そのキノコだのタケノコだの。野菜はその……少し苦手です」
「いや、チョコの話だけど……食べたこと無い?」
「見たことありません」
「え、そんな人間いるの?」
「主語が大きいですね……あまりお菓子を食べたことがありません」
「じゃあいつも何食べてるのさ」
「エナジーバーです。片手で食べられるし、何より栄養がバランスよく入っていますから」
「……毎日?」
会話を聞いていた宮本さんが目を据わらせながら私を見た。その迫力に、私は少したじろいだ。
「え、ええ。あとたまにカップ麺です」
「そんなのダメだよ! そりゃあ身体壊して倒れるに決まってるでしょ!?」
急に宮本さんはすごい剣幕になった。
「り、料理をする時間も温める時間も無駄です。そんな暇あったら勉強がしたいので」
「でもカップ麺のお湯はあっためてるじゃない」
「わ、私の食生活の話はいいでしょう? お腹に入ればみんな一緒です────」
「よくない! ちゃんと食べなきゃダメでしょ? それにいつも目の下に隈作ってきて。そもそもリツちゃんは健康に対してあまりに無頓着すぎるよ。健全な精神は健全な肉体から。身体を労わらないと音楽だって思う通りにできないんだから。そもそも……」
私に延々と説教をする宮本さんを見て、西島さんと獅々田くんは苦笑した。笑ってる場合じゃない。めちゃくちゃ面倒くさい。
「あーあ、アイリの健康オタクが発動しちゃった。リっちゃんかわいそ」
「ああなったアイリは長いからな……ご愁傷様だ」
「そういえば、三人は仲良いの? すごい見知った仲っぽいけど」
創路さんの疑問に、獅々田くんが代表して答える。
「幼馴染だよ。幼稚園から一緒」
「三人揃って御門に合格? すごいじゃん」
感嘆する創路さんに、「いや、マジ大変だったのよぉ」と西島さんが付け加える。
「アイリとナオは元から上手かったけどさ、うちはクラ始めるの遅かったから」
「そうなの?」
西島さんは当時を回想するように、窓の外を見つめた。
「うん。うち、最初ピアノやってたんだよね。前はよく三人で合わせたりしてたんだけど、ちょっと挫折しちゃって。指、ずっと小さいままでさ。コンクールとかで結果出なくなっちゃって」
彼女は自分の手のひらを見せてきた。創路さんが自分の手と比較すると、西島さんの指は創路さんの第二関節より少し長い程度しか無かった。
「だから思い切って楽器変えてみたんだよ。吹部のクラの先輩がめちゃイケててさぁ。接点作りたくて始めてみたら意外に向いてたみたい」
「動機が超不純だけどな。結局一回も話せずにその先輩卒業しちゃったし」
笑いながら獅々田くんが言う。西島さんは眉を顰める。
「しょうがないでしょ、練習忙しかったんだから」
「はは。ちゃんと続いてっから良いじゃんねぇ」
「そうそう。創路ってば分かってるじゃん」
西島さんは上機嫌にチョコ菓子を一粒、創路さんに手渡した。
「創路はうちのこと良い奴って言ってくれたけどさ、創路も割と良い奴だよね」
「割とってなによ、割とって」
「チェロ科で長谷部が『ユキは救世主だ』ってはしゃぎまわってるからな。うちのクラスじゃ評判は良い方だよ」
獅々田くんが西島さんから菓子の袋をひょいと取り上げた。西島さんは「ちょっとぉ」と頬を膨らませた。
「ま、リっちゃんしかり創路しかり、噂は当てにならないね」
「……そうかも、ね」
創路さんはそう呟いた。その呟きに隠された自嘲には誰も────私以外の誰も、気づかなかった。獅々田くんは「そういえば」と、まだ説教中の宮本さんと説教されている私に話しかけた。
「まだオープンキャンパスでやる曲決めてないよな。まだ候補考えてないわ。アイリと空矢はなんか考えてる?」
「ちょっと、なんでうちに聞かないのよ」
「お前がそういう期限に間に合ったことないだろ」
西島さんは「もー」と頬を膨らませた。宮本さんは顎に人差し指を当てた。
「んー、いくつかって感じ。まだ決めきれてないかも。持ち時間何分だっけ?」
「三十分くらいです。多少伸びてもいいとは言われていますが」
私はげんなりしながら答えた。相当絞られてしまった。
御門学院のオープンキャンパスは毎年多くの応募が殺到し、ある種学園祭のような盛り上がりを見せる。特に互いの特設ステージでのオーケストラの演奏にはテレビの特集まで作られるのだ。だから御門の生徒たちはオープンキャンパスを一つの目標として見据えている。
「オケかぁ、楽しそうだよな。ピアノは基本オケと絡まないから羨ましいよ」
創路さんは他人事のように言った。私はじっと彼女を見つめた。
「……あなたが前に弾いていた曲は、オケの曲ですよね」
「『ラプソディ・イン・ブルー』のこと?」
「え、弾けるの!?」
西島さんが食いついてきた。
「あれ大好きなんだよね! ドラマで有名になったしクラめっちゃ活躍できるから!」
「めっちゃって言うか出だしな。お前ちゃんと弾けるの?」
「先陣切れるのかっこいいから良いの! 他にも出番あるし! てか弾けるし!」
獅々田くんのチャチャ入れに西島さんが立ち上がる。「なんでいっつも一言余計なの!?」とぽかぽか彼の肩を叩く。「いて、痛いって」「うっさい!」私はそのやりとりを横目にしながら続ける。
「私たちは『木星』しかやってきていませんから、レパートリーが足りません。しかし新しい曲を始めるにしても、今更長い曲をやる時間は無いです。『ラプソディ・イン・ブルー』ならそこまで長くなくて、何よりみんな知っています。二つ合わせれば演奏時間も丁度いい」
「名前は知らなくてもなんとなく聞いたことはあるって人は多いだろうね」
宮本さんが頷くと、創路さんは慌て出した。
「ま、待って。マジでやるの? オケの人たちに確認取ったら?」
「俺は全然いいよ。オープンキャンパスでやる候補をいちいち吟味する時間も無いし、それに普通に好きだから。その曲」
「うちも賛成!」
「私も。今度のミーティングで言ってみたいな。どう、創路さん?」
幼馴染三人組からの熱烈な後押しを受け、創路さんは私へ逃げるように顔を向ける。
「嫌ですか?」
「そ、そういうわけでは、無いんだけど……」
創路さんは言い訳を探すように目をぐるぐるさせる。
「あ、そうだ。個人練習! 個人練習の時間無くなっちゃうからなぁ」
「授業をサボってもなんとかなる腕前なのでしょう? それにオケに加われば単位も取れます。普段サボっているなら尚更、参加した方がいいのでは?」
「……それはそうなんだけど、その」
「参加したくない事情でもあるのですか?」
何かを言おうとして、口を閉じ、また何かを言葉にしようとしてそれを飲み込んだ。創路さんはそれを何度か繰り返して、絞り出すように言った。
「……せめて、オケでちゃんとやるって決定したらでいい? あたしの名前を出して、それでもいいよってみんなが言うなら……」
お願い、と頭を下げながら創路さんは言う。私を除いた三人はその態度に戸惑いながらも承諾した。
「…………」
私だけはずっと創路さんを見ながら、何も言わなかった。何も言えなかった。
ブラボー!!!!!!!! ~ピアニストと指揮者が巨大感情をぶつけ合うオーケストラ部青春スポ根百合~ 宮ジ @miya0830
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